TVドラマ

2010年6月10日 (木)

mother

 もう見るのをやめた……と書いておきながら、先週、今週とmother を見て号泣(というのはちょっと大げさだけど)していた私。
 何となく気になって再び見始めたら、主人公の女性とその母親との関係性にシフトしていて、そこがなかなかよく描けていたので、思わず引き込まれたのだ。
 で、脚本家の名前を見ると、坂元裕二さんということで、これはなんと「チェイス」の人ではないか!と興味が一層湧いた次第。
 そして、さっきネットで検索したら、「東京ラブストーリー」の脚本家でもあり、二度びっくり。
 あのドラマも興味深かったが、20年余の時を経て随分と深くなったなあ。
 男性なのに、よくここまで母娘関係の微妙な感じを出せるなと思う。

 簡単に言ってしまうと、虐待を受けていた女の子を主人公の女性が引き受け、「母親」になることを決心する。
 その女の子は世間では事故死したと思われているので、誰にも見つからないよう、ふたりの逃避行が始まる。
 そこで、女性自身の養母や実の母も巻き込む形になり、互いの確執や様々な想いが交錯する……というものだが、実の親とは何だろう? 育ての親とは? つまるところ、母子というのは血のつながりよりも関係性なんだなあとか、そういうことを凄く考えさせられる。
 しかし、法律というのは、実の親(血のつながり)に圧倒的に味方するので、不条理なことが生まれる。
 このドラマでも、結局、虐待から救った、ということより、子どもの誘拐……という「犯罪」の形を取ってしまう。
 で、虐待していた実の親に警察や法は味方するのだ(だから、女の子と一緒に逃げ去るしかなかった)。

 それにしても、つぐみちゃん(その女の子)が相変わらずいい子過ぎるのだけは、やはり違和感あるのだけれど。
 実の親に、ママといた頃の自分は天国にいて(死んでしまって)もういない、「ママのことは、好きでも嫌いでもないよ、もう」なんてセリフを言って(つまり、虐待を受けていた私は、あなたとはもう関係ないということ)、こんな葛藤だらけのドラマを演じて、毎回いっぱい泣いて、変なトラウマにならなければよいが……などと心配してしまうのだった。

 主人公の女性を演じる松雪泰子、実の母親役の田中裕子、育ての親の高畑淳子、ややいい子過ぎるつぐみ役の芦田愛菜ちゃんも、皆、演技が素晴らしい。
 というわけで、これは最後まで固唾を飲んで見守ることになりそうです。

(日常生活では、いよいよ入院まであと1か月近くとなり、仕事、生活、すべてが術前・術後という考え方、行動様式となって、その日に向けて進んでいる感じ。その前に、ピナの公演があるけれど)

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2010年5月23日 (日)

「チェイス」最終回

 NHKドラマの「チェイス」は、昨夜で最終回を迎えた。
 回を追うごとに、天才脱税コンサルタント村雲の出自が明らかになり、金をめぐっての大きなスケールの社会的な話が、結局のところ、母に愛されなかった子ども……という、極めて個人的な物語に収斂していく描き方が見事だった。
 ARATA演じる村雲は、悪の化身のようでありながら、完全に悪の存在としてと突き放しきれない、哀しい人物になっていたのも秀逸。
 とにかく、国税査察官の春馬を演じた江口洋介とARATAの演技が素晴らしかった。
 江口洋介はまあ、ずっと好感度俳優で人気は高かったけれど、ARATAはこのドラマでぐっと評価が高まり、出演作品の幅が広がるに違いないだろう。
 大森南朋が「ハゲタカ」の主演でブレイクしたように(その前から演技派として、いろいろ活躍はしていたが、地味だった)。

 そして、あっと息を呑むラスト。
 結局、村雲が死んで、やや感傷的になる査察官の春馬――であったが、この事件の最大の鍵を彼から託されたことを知るやいなや、国税局からの電話にその事実を伝える。
 この展開も鮮やかで、モチーフとして度々出てきた木彫りの黒いバラが上手く使われていた。
 で、春馬は瞬時に夢(悪夢)から引き戻され、現実へしっかりと着地するのである。
 なぜなら、「地べたを這いずり回るようにして働き、人様の税金で生活している犬」(他の場面でのセリフ~正確ではありません)であるという、苦い自覚と覚悟をした人間(=大人)だからである。
 そこで、画面は唐突に音楽もなく終わり、菊地成孔のあの官能的で甘いエンディグのテーマ曲も一切なし(ちなみに、その曲名が「退行」というのも実に見事と言うほかない)。
 それがかえって印象的だった。

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         死をもってでしか安らぎを得ることのなかった村雲…

 と、大人(父性)とか社会とかお金とか、そんなものを考えさせる、日本の中では数少ないドラマだった。
 ただし、宙ぶらりんで辻褄の合わないところも所々あったが。特に母親と地元の警察署長と、事件との関わりなど……そういう点では、「ハゲタカ」の方がドラマとしての精度は高かったように思うが、でもこの「チェイス」には少々の矛盾点などどうでもよくなってしまうような、ひりひりとした痛みで人を虜にさせる力があった。
 
 ついこの前観たクリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」がそういう要素の詰まった、社会的なことと個人をつなげる凄い映画で、公開時からあちこちで話題になっていたみたいだが、私も圧倒された――ので、これはまたいつか。
 いやほんと、凄い映画ですよ。凄いをやたらと連発してしまうけれど。

 7月からは、この枠で「鉄の骨」という企業(建設業界)の談合をテーマにしたドラマが始まる。
 原作をぱらぱらと読んだことがあり、これはNHKドラマになりそうな、と思っていたら、ほんとにドラマになるのであった。さすが、目の付けどころが鋭い。これも期待できそう。
 7月といえば、中旬には入院するので、HDDの空きを何とか作って録画しておかなくては!

 恋愛ものより、社会派ドラマ(というかNHKドラマ?)が面白いこの頃である。

 

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2010年5月 1日 (土)

今シーズンのTVドラマは――「チェイス」

 やっと連休だ。素直に嬉しい。
 今日(30日の金曜)は電車も空いていてよかった。
 そんな連休前の穏やかな夜、熱々に温めたレトルトのキーマカレーの封を切った途端、ぶちまけて、晩ご飯が半分になり、掃除に追われるはめになるという大惨事――ま、小惨事だけど――をさっきやらかして疲労困憊。
 疲れすぎてヤケを起こし、眠いのにブログを書くことにした(笑)。

 さて、「素直」と言えば、TVドラマの「素直になれなくて」だが……これが凄く変だ。
 初回と先週の2回目まで見たが、もう止めた。
 Twitterの一文がナレーション代わりみたいになって、初めから変なドラマだなあと思っていたのだが、2回目の時、女の子が自殺未遂をして、そのTwitter仲間みたいのがわらわら集まってきて、女の子は無事助かったんだけど、誰もその理由を聞かないのだ。
 そんなのってあり???? 普通、どうしてそんなことをしたの?とか言うでしょうが。
 それとも、私の意識が飛んでいて、そのシーンを見逃したのか?というくらい、違和感を覚える展開だった。
 でもって、 「たいしたことなくて、よかったね」とか言って、退院したら、すぐに飲み会とかやってるし……。
 まるで、ドラマを進めるための道具みたいに「自殺未遂」を使うんだよな。
 このドラマは自殺未遂(リストカット)だけでなく、パワハラ、セクハラ、未成年者のドラッグなど、そういうネガティブな要素を、Twitterを取り入れるのと同じような感覚で、流行りものなので入れてみました……みたいな感じで盛り込んでいて、それがどうも落ち着かない。
 上野樹里や瑛太が出ているので、ちょっと見てみたのだが、期待はずれ。
 昨年の、初めよくて途中から変なふうになった「ラストフレンズ」の方がまだまともだった気がする。
 子どもの虐待がテーマの「MOTHER」も1回で止めた。あんな小さな女の子は、あんなものの言い方はしない。ああいうセリフを言わせたら受けそう、というのが見え見えというか、大人が頭で考えた健気な子どものイメージで、気持ちが悪い。
 イギリスの良質な児童文学でも読んでみればいいのに。

 と比べると、やはりNHKのドラマは素晴らしい。
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 今シーズンは「チェイス」 です。
 今までの「ハゲタカ」「監査法人」などと並ぶ、社会派ドラマ。菊地成孔が音楽担当ということで見始めたのだけれど、音楽のみならず、脚本もキャスティングもよいし、香港のロケも迫力あった(写真:NHKの公式HPの写真館から)。
 外資系ファンドだの監査法人なんていう経済的なテーマで、ちゃんと人間ドラマにもなっているところが凄いのだけれど、この「チェイス」も国税査察官の話。
 大金を儲けながら税金を逃れようとする経営者たちとそのための手引きをするコンサルタント、それを追う国税査察官。
 「あっちの世界とこっちの世界は関係ないと思っていたけれど、実はつながっていたんだ」という主人公の国税査察官の言葉が重い。
 彼の妻は、ある企業が資金を上手く調整するためにリースされた、不備のある飛行機に乗ったために事故死してしまうのだ。
 この企業は膨大な違約金を手にする……誰かの法外な利益は、実は誰かの悲劇のうえに成り立っている、という構図。

 「ハゲタカ」でも、「人生にはふたつの悲劇がある。金のない悲劇と、金がありすぎる悲劇だ」や「日本は地獄だよ。生ぬるい地獄」というようなセリフがあったが、どちらのドラマも名言集が作れそうなほどだ。

 国税査察官は江口洋介、天才脱税コンサルタントはARATA(動いていると、時々、小沢健二似?と思うことがある。同じ系統の顔かも)。
 そのふたりが知らずにすれ違う瞬間。
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 ARATAは、このドラマの中では左手が義手(その理由はまだ明かされていない)で、謎の女・麻生久美子と絡むときは、それが妙に危うく艶めかしくもあり、NHKドラマで一見堅いテーマに見えて、案外とエロティックな雰囲気が……。
 こういうのこそ、R指定にすべきでは(笑)。
 エンディングに流れる、菊地成孔が歌う曲もそこはかとなくエロい。
 脱税と国税査察官の話なのにエロティック。意表をついてくれる。いいぞ、NHK。

 今、土曜の夜の一番の楽しみ。
 と、何だかんだと言って、ドラマ好きな私です。

 

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2009年11月22日 (日)

BBCドラマ「ミストレス」に夢中!

 BBCドラマ「ミストレス」 (MISTRESS)が面白い(日本ではCATVのLaLaTVで放送/現在、シーズン1と2と合わせて12話まで放送)。
 イギリス版「SEX AND THE CITY」(以下、SATC)と宣伝されていて、イギリスでもそんな二番煎じみたいなドラマつくって……海外ドラマは見始めるときりがなくなるからなあと、初めは見ていなかったのだが、試しに、ある日唐突に1話だけ見たら、ストーリーの前後関係がわからないにも関わらず、あまりの面白さにびっくり、そのままのめりこんでしまった。
 SATCより、もうちょっとシリアスで、見応えたっぷり。
 よくわからないまま見続け、再放送の折りにひととおり見ることができた(途中、録画に失敗し、ところどころ抜けてはいるので、人間関係でよくわからないところもある)。

 以前、このブログでも女性の年齢のことや大人の(つまり、若くはない)女性が魅力的に描かれた作品が少ないと書いたことがある(ドラマの中の若くない女性たち  キョンキョンと亀梨クンから「デブラ・ウィンガーを探して」まで―女性の年齢について 参照)。
 そういう意味では、このドラマでは正に若くはない、大人の女性たちが主人公で、それが実に魅力的で、リアルな女性像となっている。

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 左から~トゥルーディー(=シャロン・スモール)。夫をアメリカの911で亡くしたが、本当は生きているのではないかと思いつつ、シングルマザーとしてふたりの娘を必死で育てている。夫がいる間は専業主婦だったらしいが、ケーキづくりの腕を活かして、手づくりのお菓子を近所のデリカテッセンへ卸す仕事を始めている。
 心配性でなかなか新しい人生を踏み出せないのだが、そこがまたよさでもあり、やさしい心の持ち主。
 ジェシカ(=シェリー・コン)。恋愛や結婚の決まった型にとらわれたくない自由主義者。職業はイベント会社の敏腕プランナー。快楽主義者ではあるが、自立していて強い。インド系の血が入っているらしく、登場人物のなかで一番美人で強いのがエスニック系の女性、という設定がイギリスらしい(あ、アリーMyラブもそうだった)。
 ケイティ(=サラ・パリッシュ)は、医師。キャリアウーマンだけれど、なぜか恋愛では安定した関係を結べない。自分が看取ったがん患者と不倫関係だったが、その息子とも危うい関係になり、転職先の病院で恋人ができたにも関わらず、元上司とまた不倫に……おいおい、それはいくらなんでもよろめき過ぎでは?!と言いたくなるし、恋愛関係に何かトラウマがあるのか、問題を抱え込みがち。でも、確かには弱い面もあるが、言い訳をしないし、責任は自分で取るし、ぎりぎりのところでは孤独と向き合えるところもある。
 一番右端、シボーン(=オーラ・ブレイディ)は、弁護士。夫とはすれ違いが多く、他の男性と関係を持ち、そこから思わぬ波紋が(彼女はこのドラマ出演時すでに46歳くらいなのだけれど、美しい! アイルランド系の人だそうです)。美しく仕事もできるのに、いやそれ故か、人生は波乱気味。でも決して折れることなく、「修羅場」での態度がお見事。覚悟を決めた女は強いというか、カッコいい。

 というわけで、実際の女優さんたちも、ドラマの設定年齢も、40代真っ只中という感じで(ジェシカだけ少し若い?)、女性の多様な生き方を見せてくれる。
 特に、シボーンは、今まで描かれてこなかったタイプの女性だと思う。
 結婚10年経ってもなかなか子どもに恵まれない。また、妊娠だけがセックスの目的となってしまった夫に――今日は君は排卵日じゃないから、などと夫に言われる――違和感を抱いているシボーン。
 ある時、思い切って夫婦で検査を受けに行くと、夫が無精子症ということが判明。それにショックを受けた夫は、ますますシボーンを避けるようになり、すっかりセックスレス状態に。
 この時点で、シボーンの夫は自分が原因で妊娠させられないが故に、拗ねているようにしか見えず、しっかりしろよと言いたくなるのだが、それにしても、こういうリアルなテーマをよくぞここまで踏み込んで描いたなと思う(男性にとっては、アイデンティティの崩壊にも近い状態をもたらすのだなあとか。男性はあまり見たくないドラマかも:笑)。
 夫とますますぎくしゃくし、女として見てもらえなくなったシボーンは孤独と焦燥感にかられ、職場の同僚と関係を持つ。 
 そして、彼との子どもを思いがけず妊娠、迷った末に出産し、夫も認めるのだが……ふたりの間の溝は埋まらず、シボーンは満たされない思いを抱え、今度は行きずりの男と関係を持ち、そこから思わぬ恐ろしい展開が……。
 相手を転落させるためだけに冷徹に周到に迫ってくる男というのが、本当にヨーロッパとかにはいそうで、それがまた資産家でインテリ風でもあったりして、この人物像ほんとに怖かった。
 この辺はミステリー風な展開にもなっており、ドラマの見せ場でもある。
 また、トゥルーディーの、911で亡くなったはずの夫も実は……という展開も用意されている。
 話はシボーンに戻るが、彼女は自分が外で関係を持つことによって、逆に夫との関係もなんとか保てるのではないかと考えるのだが、人間とはそう簡単に割り切れるものではないことを知らされる。
 と、文章にしてしまうと、キャリアはあっても、なんだか節操のない傲慢な女性に思われてしまうかも知れないが、このドラマでは実に魅力的な人物になっているところがポイント。
 内面ではさまざまな葛藤を持ち、内省的に描かれているので、嫌悪感は感じられない。 それに、こういったパターンは男女を逆にしてみれば別に珍しいことではない。
 むしろ、女性にも欲望はあるということを忠実に描いているのだ。

 先日、湯山玲子さんのトークショーに行ったのだが、その時、日本には「女から誘う文化がない」と言っていたのが印象的だった(湯山さんはこんな人、公式HPはこちらへ湯山温泉 )。
 つまり、誘われるのを待つしかないんですね、女は。
 それでなくても、草食系男子とやらが増殖中の昨今、ますます……。
 で、湯山さんはこういうことはテレビドラマなどの大衆芸能がやるべきことで、テレビがさぼった、テレビの功罪だとも。
 現実とはずれた女性像を日々見せられていたら、いつしかそっちのことを本当のことだと思ってしまう、と。
 例えば最近のテレビドラマではこんなシーンが……働くシングル・アラフォー女性が、夜、ひとりになった時ほろりと泣く(会場では皆、笑)、今時、若い女性が3高男を求めて婚活をヒステリックにする……とか。
 あるいは、洗剤のCMで、専業主婦らしき女性が昼間洗濯ものをたたんで、うわあふっくらと言っているとか。今時、働く女性が増えて、洗濯なんか夜するというのがデフォルトでしょう(会場では一同、頷く)、などなど。
 さらに、「女から誘う文化」――ここのところを描けば、最大のマーケットにもなる、とのこと。
 また、日本では誰も言わないが、「恋愛体質」とか言ってることの本質は、所詮、性欲のきれいごと!というお話にも目からウロコというか、納得する部分も大いにあって(笑)。
 その辺りのきれごとじゃない面を「SATC」をはじめ、この「ミストレス」などは、きちんと、でも洗練させて描いているわけなんだなあと思った。

 湯山さんも海外ドラマの話をされていた(SATCとグレイズアナトミーなどについて。うう、また見るドラマが増えるのか……)。
 SATCなどは、何人ものクリエイターが集まってさまざまなリサーチをしたり、エピソードを集めたり、そこれそハリウッドの頭脳集結!みたいな感じで、ものすごい労力をかけてつくられているのだとか(見ている側は、さらさらとあっという間に楽しく見てしまうのだが)。
 あれは男性が認めたくない新しいストーリーでしょう、とも。
 最近私が考えていたこととリンクして、ちょっと嬉しかった。

 誰かを探したり、結ばれたり、という時期はとうに過ぎて、一度誰かと結ばれたはずなのに壊れてしまい、道は平坦ではなかった――だからこそ、そこから先の景色を見たい、という「若くない女性」の気持ちにぴったりとはまるドラマだと思う。
 ミストレスというのは、愛人という意味らしいが、そうやってさまざまな過程を経て、年を重ねるにつれ、相手もすでに誰かのものであったりと、一筋縄ではいかない、一時でも愛人という立場になることは誰にでもありうる、という意味合いが込められているらしい(後述―実は、このMISTRESSには、他にも広義な意味があるらしいので、調べてみます)。
 
 さて、この「ミストレス」、ストーリーの面白さだけでなくファッションやインテリアなどもなかなか素敵。
 シボーンはエレガントなキャリアウーマンといった感じで必見。
 SATCのような華やかさとはまた違う、シックな装い。弁護士という仕事柄、スーツが多いのだけれど、中に着ているブラウスがちょっと甘い雰囲気のパフスリーブだったり、セクシーなノースリーブだったり(湿度の低いヨーロッパだからできるファッションだなあ)。
 トゥルーディーが、キャス・キッドソンのバラ柄(私は同じ柄 のトートバッグを持っている!)のドレッシングガウンを着ていたり。これをふざけて婚約者の男性が羽織ったりするのが、後のエピソードに微妙にリンクして ちょっとドキドキしたり。
 インテリアを見るのも楽しく、ケイティの家は一戸建てらしいのだけれど、1階のリビングが一面ガラス張り。そこでバスローブ姿でコーヒーなんぞ飲んでいるケイティ。演出としては ドラマティックなのだけれど――恋人がそのガラス越しにいきなり立っているとか――そこから出入りできるらしく、この家にはあえて玄関はないのか? 防犯はだいじょうぶなのか?とか、あれこれ想像してしまう。
 弁護士に医師という、ハイクラスな職業ではあるけれど、そこはまあドラマということで、多少の華やかさも必要なので、それほど厭味ではない(皆、仕事はしっかりしている描き方で、そこもリアリティあり)。
 こんな風に、身に付けているものから部屋の様子までよくできていて、見ていて本当に楽しい。
 あと、トゥルーディーは結構ぽっちゃり体型で親しみが湧き(彼女は表情の変化が巧みで、素晴らしい演技力! もちろん4人とも演技力◎)、ケイティは長身、エラもちょっと張っていてゴツイ感じだけれど魅力的!といった風貌で、現実離れした美人ではなく、ふたりともいかにも今のイギリスにいそうな感じ。で、ジェシカはチャーミング、シボーンはエレガントと、4人がそれぞれ個性的なのだ。
 このドラマはそんなに長く続かず、次のシーズン3で終わってしまうらしいが、早く見たい。 

 それにしても、男女間の心理描写が丁寧に出ているけれど、「ミストレス」も、「SATC」と同じく通奏低音のようなテーマは女同士の友情。
 男女間の恋愛劇だけにせず、ここにポイントを置くのが現代的なのかも。
(女同士ってほんとよく喋るよねえ――洋の東西を問わずって感じだ。女性の方が長生なのは、お喋りに秘密があるのかも知れない!)
 
 と、日本ではまだ全然話題になっていないので、いち早く書いてみた。
 いち早くもないかも知れないが、ググってみる限りでは一般の人のブログなどには少ししかあがってきていないようなので(まだCATVでしかやっていないから)。
 きっとそのうち日本でも評判になると思う。DVDも出たら、買ってしまいそうだ。
 ちなみに、英語のセリフが凄く聞き取りやすく(さすがBBCドラマ)、しっかり字幕を読んでいるのだが、あまり読んでいる感じがなく、まるでネイティブになったかのような錯覚も楽しめる(笑)。英会話を勉強したい人にもおすすめ。

(LaLaTVさん、新シリーズの前にまた再放送してください!) 

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2009年3月15日 (日)

ありふれた奇跡

 今、何が楽しみと言って、それはもう、木曜の夜10時のドラマありふれた奇跡
 脚本は山田太一。さすがベテランというか、味わい深いドラマで、見終わるとほっこりと元気が出る感じ。
 St0101主人公は、加奈(仲間由紀恵)と翔太(加瀬亮)。ある日、駅のホームで、ふたりが飛び込もうとしている男性(陣内孝則)を助けたことから、他人同士だった3人とその家族を巡って、ドラマが展開する。

←公式HPからお借りしました。

 互いに知り合っていくうちに、加奈も翔太も自殺未遂の経験があることがわかってくる。
 加奈は、若い頃の自分の過ちで妊娠できない体になっていて、家族にも言えない悩みを抱えている。
 翔太は勤めていた会社で上手くいかず、営業成績を上げるため自分で商品を買い込み、借金をつくってしまった。精神的にぼろぼろになり、自宅で死にかけていたところを家族に発見され、今は左官屋の家業を手伝っている。
 駅のホームへ飛び込もうとした男は、火事で妻と娘を失い、仕事もやめてしまっている。
 昨日まで当たり前にあったものを、ある日、突然失うこと。
 ちょっとした過ちで、一生取り返しのつかない事態になってしまうこと。
 頑張っているのに、もがけばもがくほど、穴に落ちていくこと。
 不運だったり、不器用だったり、弱かったり、を山田太一はそういう人たちを主人公にし、光を当てる。
 そして、そういう人たちの、一人ひとりの内面を、生活を丁寧に丁寧に描く。
 つつがなく日々が送れている時って、それが当たり前で壊れない「ありふれた」ものだと思ってしまいがちなのだけれど、実は「奇跡」にも近い、凄いバランスのうえに成り立っているものなのかも知れない。

 でも、シリアスな出来事だけではなく、必ずユーモアが散りばめられている。
 特に、左官屋の翔太の家族がいい。おじいさんと父親との男3人所帯で、飾り気のない温かさがあある。

「戸をちゃんと閉めろよ。寒いじゃないか」「こっちは出たり入ったりしてるんだから、しょうがないじゃないか」
「ぽん酢もうないよ、醤油でいい?」
「なんだよ、コロッケ食いながら日本酒飲んでるの? キャベツくらい刻めよ」
「おまえ、晩メシは?」「弁当買ってきた」「どこにある?」「鞄の中」「鞄の中に弁当なんか入れるなよ」「だって、男ひとりで弁当提げて帰って来るの惨めじゃないか」
 
 なんて感じで(記憶だけを頼りに書いています)、日常の会話がポンポンと交わされているのを聞くと――それがまた、風間杜夫(翔太の父)と井川比佐志(翔太の祖父)なんていう名優ふたりのかけ合いなものだから、面白くて心地よくて、ずーっと聞いていたいような、ずーっとこのドラマの中に浸っていたいような気持ちにさせられる。
 そういう家庭なので(母親は家を出たのだが、後にいろいろと絡んでくることに)、翔太は救われている。会社勤めの時の借金もおじいさんが肩代わりしてくれた。
 ふだんは口うるさいけれど、ぎりぎりの瀬戸際では助けるのだ。
 その代わり、左官の仕事に関しては、土壁をやりたいだの何だの夢みたいなことを言うんじゃねえ、芸術家じゃないんだ、ビルのコンクリートをしっかりやるんだ、と諭し、現実の社会に向き合わせる。
 山田太一は、そんなふうに登場人物の仕事をきっちりリアルに描く。そこが私は好きだ。
 加奈の方は、外国製の業務用厨房機器(大型高温オーブンとか)を扱う会社で働いている。管理栄養士の資格を持っていて、客の前で、調理をしながらデモンストレーションをしている。と、仕事の内容の設定が細かい。
 この人たち、恋愛で右往左往するのはいいけど、仕事はだいじょうぶなのか……と言いたくなるような若者向けドラマ(『ラストフレンズ』とかそうだったなあ)とは一線を画する。
 まずは仕事だよ、人間は――という感じで、恋愛で上手くいかなくても、人生どん底でも、皆まずは職場へ向かうのである。そこで、無理に笑顔をつくったり、密かにため息をついたりするのである。
 そして、その仕事さえもなくなる時がある……ということまで描かれており、今の社会情勢を映しながら、そんな中でどういう気持ちで生きていったらいいかという、山田太一なりのメッセージがしっかりと込められている。
 また、お金のことも、きれい事だけではなく、描かれていて、今の私には興味深かった。お金が介在することで、微妙な力関係になっていったりとか、あればそれなりに人生が開ける感じになったりとか。
 やっぱり山田太一は「世間」をよく知っている大人だと思った。

 さて、この愛すべきドラマも、今度の回でいよいよ最終回(もっと早くここに書けたらよかったのですが……今頃、すいません)。
 子どもの生めない加奈と不況で左官の仕事が途絶えている翔太は、どうなっていくのか?
 どちらの家族も、本質は温かいのだけれど、決してものわかりはよくなく、若い人たちとは違う価値観でぶつかってくる(そこもよい。抑圧するだけでも、やさしいだけでもない親や祖父母)。

 それにしても、風間杜夫と岸部一徳の女装姿はインパクトあるなあ(ふたりは、以前から女装クラブの知り合いで、そうやって日々のガス抜きをしている!)。

 テーマ曲はエンヤで、これがまたぴったり。
 そこも上手に取り込んでというか、エンヤに敬意を払って、翔太はアイルランド好き、自宅の部屋にはウィリアム・モリスの壁紙がちょっとだけ貼ってあったり、会話にさりげなくケルト神話のエピソードが出てきたりと、アイルランドやイギリステイストが!
 その辺のディティールも素晴らしい。

 ところで、このドラマを見ていると、村上春樹がエルサレム賞の授賞式で語った、
「高く堅牢な壁とそれにぶつかって砕ける卵の間で、私はどんな場合でも卵の側につきます。そうです。壁がどれほど正しくても、卵がどれほど間違っていても、私は卵の味方です」(内田樹氏のブログより こちら)
 という言葉を思い出す。
 山田太一も、卵の味方なんだなと思う。

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2008年8月23日 (土)

ドラマのなかの「若くない女性たち」

 なんなんだ、この寒さは……着るものがないぞ!
 夏休み明けの1週間は、校了があったり、病院へ行ったり、暑くなったり寒くなったりで、ちょっとばかり疲れた。
 というわけで、今日も爆睡後、扇風機も回さなくてすむ涼しい空気のなか、熱々の紅茶でパンを食べながら、録画しておいた「SEX AND THE CITY」をだらだらと見続ける。ああ幸せ。

 さて、今シーズンはこれといって見るべきドラマもあまりないのだが、なんとなくいつも「四つの嘘」 (木曜日・TV朝日)を見ている。
 すでに死んだ人(それもちょっとワケあり)が語り手となる……というのは、「デスパレートな妻たち」のパクリでは?!という感じで、主人公の女性たちも全員40代(アラフォーってやつですか)、シングル、バツイチ、主婦といろいろな立場の若くない女性をリアルに描きたいのだろうけれど、見ているとたまにイラッとくるのはなぜなのでしょうか?
 脚本の大石静と、私は相性が悪いのかも知れない。
 というか、専業主婦を凄くステレオタイプな、小うるさい嫌な女に意地悪く描いていて、何か恨みでもあるのかしらんと思ってしまう。
 それを寺島しのぶが、またイラつく感じに演じているので、本当にイラッとしてしまうという(笑)。
 日本のドラマでは、若くない女性の本音やその姿をリアルに描くといっても、「SEX AND THE CITY」みたいにお洒落でキレのある感じのものはないし、「デスパレートな妻たち」みたいにシニカルで現代的なものもあまりないし、スペインのペドロ・アルモドバルの「ボルベール<帰郷>」とか「オール・アバウト・マイ・マザー」にあるような、女性のたくましさと、そのなかに潜む色気や芳醇さ……みたいなものもないし(これは、比べる対象のレベルが高すぎるかもしれないけど)、なんかいつも上滑りな印象だ。
 私が、日本の「若くない女性」を表現したなかで一番グッと来てピンと来るのは、ドラマではないが、大島弓子の『グーグーだって猫である』だ。
 あのマンガで描かれているような「若くない女性」(大島弓子自身の姿だけど)もいるということに、世の中は気づいてほしい。
 女性同士で持ってるもの、持ってないものを比較して競い合ったり、妙にずるかったり、焦ったりする中年女性ばかりじゃないのだよ(まあ、余裕しゃくしゃくというわけでも、全然ないのだが)。
 少なくとも、私の友だちにそういう人はいない(と思う)。
 やはりマンガの水準に、映像も文学も追いついてないのかなあと思うと、寂しい。
「グーグー」の映画は楽しみ。小泉今日子が主演、40代になってさらにパワーアップしてくれて嬉しい限り。小泉今日子は映画の舞台挨拶で「40代の、1人で生きているさみしさや気楽さを知ってるという役を演じましたが、それは今の私の姿なのだと思います」と言ったそうだ。
 などと、いろいろ考え始めると、とりとめがなくなってしまうが。
 なんて文句言いつつ、ついつい毎回見てしまう「四つの嘘」だけど、永作博美はわりと魅力的なので。魔性の女――ちょっと笑える言葉だが――という役どころになっていて、へたな人がやると本当に笑えてしまうけれど、永作博美だとそれなりの説得力がある。ろくな仕事もなく、あれこれと生活苦を抱えているけれど、どこか超然とした雰囲気。
 そして、ブランドものとは無縁な、いつも白っぽいナチュラルな服装に白い日傘でさらっとしているのに、妙に男性を引き寄せる魅力があるのだ。
 10年くらい前のTVドラマ「青い鳥」では、豊川悦司の相手役は夏川結衣で、永作博美は実家の食堂の手伝いかなんかやっていて白い上っ張り姿に白い三角巾(!)で、やけに野暮ったかったのが嘘みたいである(豊川悦司とは幼馴染みだったのだが、彼は夏川結衣に走り、振られるという役!)。

 

Satc  SEX AND THE CITYといえば、映画公開に先駆けて、WOWOWで今までのTVドラマ版をすべて放送していたけれど、全部はさすがに録画しきれなくて(長く録画したものを分割してCD‐Rに落とすとか、そんな高度なことは未だにできないっ!)、後半だけ見た。
 ほとんど全部の回を見ているけれど、再び見始めると、結構また夢中になってしまう。
 再度見て思うのは、やはりよくできたドラマだなあということ。
 キャリー、サマンサ、ミランダ、シャーロットは実在の人物としか思えない。
 ファッションも毎回くるくるといろいろなものが現れて楽しい。
 あんな優雅なシングル女性はごく一部で、自分はそうでない方の一部なんだけど、まあ、これは娯楽作品ということで、許せる感じだし。
 きれいな服や靴やお店がいっぱい出てくる、高級スイーツみたいなドラマや映画も、たまにはいいじゃないかと思うのだ。
 玄米菜食ばかりじゃストレス溜まるしね。
 と言って、そういうふわふわした部分だけでなく、押さえるところは押さえているドラマだし。30代半ば~40代の女性を主人公にして、こんなにウケたドラマは今までなかったのではないかなと思う。
 ドラマの後半は、キャリーがロシア人の現代美術アーティスト(彼の描き方がスノッブでこれまた秀逸!)と恋愛をしてパリへ行くのだが、その辺りがとても面白い。
 マンハッタンでは女王様のような気持ちで生きていたキャリーも、パリに行くと、しゅんとしてしまう。
「あなた、フランス語できないのね」とか何とか言われて、相手のフランス人が一応英語で会話してくるのだけれど、そのうちフランス人同士で会話を始めてしまったりすると、のけ者感を味わい、急に孤独な気持ちになるのだ。
 そして、コラムニストの仕事も捨ててしまったキャリーは、パリで居場所を失う。
 若ければゼロから新しい地で新しい人生を切り開くということも不可能ではないけれど、やはり30代も後半にさしかかると、そうもいかない(そうもいく人もいるとは思うが)。
 キャリーはNYで築いてきたものが大きすぎた。仕事、人間関係、自分で買ったアパート……そう、人生のすべてがNYにあったのだ。
 問題は、ロシア人の恋人がそこまで相手のことを考えていないことだ。高名なアーティストでとてもロマンティックなんだけれど、自己中心的で、キャリーのことは彼にとって最終的にはアクセサリーのような存在なのだろうと思う。
 このドラマが優れているのは、そういった互いの恋愛観のズレみたいなものを丁寧に描いているところ。現実にはよくあることなんだよねえ。好きなんだけど、なんか上手くいかないってことが……。
 それにしても、パリのアメリカ人というのは、とっても居心地悪そうな感じがする(「パリ、恋人たちの2日間」という映画にもそんな描写があった)。
 「英語(やアメリカ文化)は世界共通言語」というのが無意識的に当たり前になっているところに、そうでない世界や文化に触れて、初めて自意識がぐらつく大国アメリカ人……みたいな(笑)。
 このパリのシーンで、CARRIEという名前をかたどったネックレスをなくしてしまうところが象徴的。
 自分の居場所がないということは、自分の名前がないということ。

 ところで、今回のWOWOW放送のものは字幕版だった。
 今までは吹き替えで見ることが多く、吹き替えの声優さんの方が役に合っているような気がして好きだったのだけれど。
 キャリーは、サラ・ジェシカ・パーカーの声だと妙に鼻にかかった声なので、吹き替えの声優さんの落ち着いた声の方が大人っぽいなとか、シャーロットも案外と声がハスキーなので、吹き替えのちょっと高い可愛い声の方がイメージ……と初めは思っていたのだけれど、見ているうちにだんだんと慣れてしまった。 
 アメリカ人は、シャネルを「シャネーイル」みたいな感じで発音するんだなとか、字幕では単にドーナツとかグレーズド(砂糖のかかったシンプルなドーナツのこと?)となっているけれど、実際のセリフでは「クリスピー・クリーム」(日本にも来て、今、大行列の店)になっていたりするのがわかって面白かった。

 というわけで、SEX AND THE CITYの映画も観に行ってしまおうかな(今日から公開だそうです)。
 あの4人が、皆40代を迎えてどうなっているか確認しておきたいしね。

 

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2008年6月21日 (土)

私だったら絶対はじめからマー君なんだけどな――       ドラマいろいろ最終回

 昨日、最終回を迎えたラストフレンズ。
 後半にさしかかるにつれて、ストーリー展開のためだけの出来事が多くなり、こじつけっぽくなってしまった。
 シェアハウスなのに、皆、自分の都合で相談もせずに、出たり入ったりで、部屋のシェアの費用はどうなってるのだ?とか、仕事はどうしてんの?とか、タケルは宗佑にあれだけの暴力を振るわれてなぜ警察に届けない?とか、DV男の部屋にひとりで訪ねて行くなんて危険なことをなぜわざわざするかね?(瑠可と美知留、それぞれ別に来訪)とか、ストーリーが進むにつれ、ドラマ全体が現実感を失い、細かいことが気になり、すべてがちぐはぐな感じに……。

 特に、宗佑の自殺はどう捉えるべきなのか?
 彼が死んでくれて、丸く収まりました、というのではあんまりだ。
 それに、ああいうタイプは自殺はしない。
 するとしたら、思い切り相手にシコリを残す形をとるだろう。
 永遠の復讐を果たすために。

 ああいうテーマをもってきた場合、どういう結末がいいのだろうか?
 優れた映画だと、無理矢理ハッピーエンドにはせず、でも主人公の視線がふっと開かれるようなところまでは描いて、後は観る人に委ねるようなゆるやかなものが多いが、民放のTVドラマだと、なんらかわかりやすい結末が求められるのだろう。
 でも、そんなに大甘にしなくたっていいと思う。
 今時の視聴者は、もっと見る目ができていると思うのだが?
 他のサイトなどちらっと見ても、あの最終回は不評の模様……。

 今までになかったテーマを描いていて、はじめはぞくぞくするくらい怖くて面白かっただけに、非常に残念だった。

 一方、予想以上によかったのが、Around40
 略して、「アラフォー」とかいうのだけは、馴染めないけど。
 理由は特にないけれど、生理的にやな感じ(話が逸れましたが)。
 このブログではまだ一度も書いていなかったが、欠かさず見ていたので、最終回の今夜、一気に。
 はじめは、40歳、40歳と騒ぎすぎ!と思ったけれど、結構、ちゃんと地に足のついたドラマになっていた。
 40を目前にして、焦ったり立ち止まったりする、Around40な女性たちのお話。
 天海祐希が精神科医(緒方聡子)の役で、まあ、専門職であれだけ経済的にも自立していれば(というか、フツーの男性よりよほどリッチ)、別に焦らなくてもいいんじゃない?という気がしないでもなかったけれど、それほど厭味になっていなくて、だんだんと感情移入できた。
 以前も、
天海祐希は女性建築家の役をやっていて、強いけれどさっぱりとした男前な感じで、働く女性をいい感じに演じられる女優さんだなと思う。。
 もっと若い頃は、大味な感じだったけれど、最近はいい感じ。
 それから、大塚寧々が演じるのは、虚構の世界をはったりで生きていくような女性誌の編集者、奈央。
 「ライフスタイルプロデューサー」(笑)みたいな男と、ついうっかり結婚してしまう(結局、破局するが)。
 その成りゆきを側でじっと見つめている幼馴染みのマー君(筒井道隆)は、
奈央は本当の自分の幸せでなく、人から幸せそうに見えることが大事なんだ」
というようなことを言う。
 鋭い言葉だと思う。
 女性誌の世界というのは、「人から幸せそうに見えること」がすべての世界と言ってもいいのだから。
 このマー君は、地味な店だけれど、味のいい料理を出す洋食屋をやっている。
 大橋貞夫がマー君の名前なのに、マー君と呼ばれているのは、昔、無理なダイエットをしていた十代の奈央に美味しいマカロニグラタンをつくってあげたことから来ている。
 マカロニグラタンのマー君。 
 確かにマカロニグラタンは素朴だけれど、お腹も心もほかほかになる温かくて美味しい料理。
 女性たちは、嬉しいことがあると、また、辛いことがあると、マー君の店にやって来て、ワインを飲んだり美味しい料理を食べたり、マー君に愚痴を聞いてもらったりしている。
 正に「癒し系な男性」。 
 マー君はふだんは寡黙で、粛々と料理をつくっているのだが、いざとなると言うべきことは言うし、やるべきことはやる。
 そんな実に実にいい男なのに、なぜか女性にはあまり意識されず、恋愛市場から半分降りているような形になっている。
 私は、初回から、なんということだ! なんで皆、気づかないんだ、私だったら絶対はじめからマー君なのに!と思っていた(笑*筒井道隆が、昔から好きだったせいもあるけれど)。
 何しろ料理が上手だし(ていうかプロだし)、存在そのものが滋味に富んでいるというか。
 マー君、いい味出してました。
 最終回は、昔から想いを寄せていた
奈央と店を一緒に切り盛りすることになったから、よかったけど。
 
 
 天海祐希演じる緒方聡子(なんか、凄く賢そうな名前:笑)は、よく
「私の幸せは私が決める」
 と言っていた。これもいい言葉だなあと思った。

 自分の幸せを、世の中のモノサシで図ろうとするからいろいろ辛くなるんじゃないかな。
 生活するのに困るくらいお金がなかったりすると確かに辛いけれど、後は「世間様」はどうだか知らないけれど、
「私の幸せは私が決める」と思えたら、少しは楽になれるかも知れない。
 ドラマのストーリーとしても、
今は目の前にいる患者さんのために尽くしたいという目的をまず優先させ、恋愛や結婚より仕事を選ぶのだが、それが無理のない感じでよかった。
 だからといって、この先ずっと
恋愛や結婚を諦めるわけでもない。
 今、仕事を優先させると、40だから子どもはもう生めないかも知れないが、それはそれでいい、と言う聡子は潔くて、ちょっと勇気づけられた。
 人生、何もかも手に入れることはできないのだから、とりあえず目の前にある大切なことを大切に地道にやっていく、というメッセージ。
 他のキャラクターも、このままでいのだろうか?と
焦り、突然十数年ぶりに働き始める主婦の瑞恵(松下由樹)とか、緒方聡子の恋人役に、収入も地位も彼女より低い臨床心理士の岡村さん(藤木直人だから、ま、イケメンではある)とか、なかなか現実的な設定だった。
 若い子ばかりの浮わついた恋愛ものや、大人というとやたら不倫に走るような、そういうのではなく、こういうリアルなオトナの女性をテーマにしたドラマを見たいと思う。
 

 そして、
ちょっとうろ覚えだが、テーマソングにこんなフレーズがあった。

「隣の芝生が青く見えたら 自分の庭に花を植えよう」
――竹内まりや「幸せのものさし」
 

 そうだよねと、時折、口ずさみたくなりますよね。

 

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2008年5月10日 (土)

そういう人に限ってそれができない

 昨日(木曜夜)もドラマ「ラストフレンズ」を食い入るように見てしまった。
 ああ、そっち(DV男の元へ)行っちゃダメだってばと心の中で叫ぶのだが、彼女は行ってしまうんだな、これが。
 うう、もどかしい……。

 幸せな子ども時代をすごせずに生きてきて、大人になった今は、どんな人よりも幸せになって、好きな人に甘えられたらいいのに、そういう人に限ってそれができない。
 甘えるどころか、人のために尽くしたりする。
 それも、自分を殴り支配するような人間に……。
 美知留が正にそういうタイプだ。
 危うくて痛々しくて、見ていられない。

 一方、タケルは自分が傷ついてきたことで、被害者意識を持つよりも先に、同じ匂いのする人間を見抜いてしまい、そういう人にやさしさを注ぐ。
 今回、一番感動したのは、タケルが「宗佑にまだどうしても惹かれてしまう」と言う美知留を、頭ごなしに否定せず、静かに受け入れるところだ。
 人間というのは理屈だけで動けない。
 決して幸せにしてくれる相手ではないと頭でわかっていても、離れられないこともある。
 そんな不条理な生き物なのだ。
 はい、それは共依存ですね、などと助言したところで、当事者は聞く耳を持たないだろう。

 そして、瑠可の、美知留への秘めた想い。
 相手に自分の気持ちを伝えられないということは、伝えて傷つくことより苦しい。
 この前も書いたけれど、上野樹里ちゃん、瑠可の屈折した想いをよく表現していて、よい!
 あのツンツンとした少年っぽいショートカット、誰かに似てるな、誰だろう?と思っていたら、「星の王子さま」だった。
 赤いバラの世話をせっせとしていた切ない王子さまに、よく似ている。

 DV男・宗佑のトラウマは何なのか、気になるけれど、明かされないほうがいい。
 「約束を守らなかった」ことを執拗に問いただすという、強迫神経症的な描き方だけで十分だ。
 これ以上いろいろ生い立ちの説明など入って、ありがちな「トラウマ解説ドラマ」になってほしくないし(そうなりそうな気もするが)、そういうのでわかったつもりになるのも空しい。
 以前、私もかつて、すごーくいやな人間に出会うと、にわか精神分析医めいたことをしたりしていたが、結局、納得できる答えはどこにも見出せなかった。
 人間なんて、そう簡単なものではない。
 第一、自分のことだって、どれだけわかっているんだか知れたものではない。

 ところで、「歪んだ甘い時間」も若い頃は、それなりに刺激的だったりドラマティックだったりするかもしれない。
 しかし……うっかりそのまんま結婚してしまい、子どもを産み、年を重ねていったとすると……どうだろうか。
 甘い時間など、とうになくなり、そこにあるのは、歪んだ日常だけになるのかも。
 その頃には、もうそこから逃げ出すことはできなくなる。

 連休明けで、くたびれ気味の週末なのに、1本のTVドラマからいろいろ考えてしまった。

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2008年5月 1日 (木)

歪んだ甘い時間──ラストフレンズ

 この春からのドラマ、ラストフレンズ が面白い。
 面白い……と言うと、語弊があるかな。
 面白いというより、とても怖い。
 DVがテーマと聞いて、興味本位で扱っているのではないかな? 出演者も若い役者さんばかりだし、と思ったが、きちんと描かれているので感心した。
 思わず、吸い込まれるように見てしまう。
 ジャニーズのアイドル・錦戸亮がDV男(もちろんストーカーとセット)を演じちゃっていいのかな? ちょっと迫力ないんじゃない?と思ったけど、一見やさしげで華奢な男が暴力男に豹変する方が怖いので、彼で正解だったと思う。
 DVのほかに、性同一障害なども扱っていて、これも日本のドラマのテーマとしては新しい。
 あと、のだめのイメージの強かった上野樹里ちゃんがシリアスな役をしっかり演じていて見事だったり、正に「ディーセント」な役の瑛太がやたらよかったり(「篤姫」の肝付尚五郎役も私のお気に入り)、行きつ戻りつのDV被害女性役の長澤まさみもはまっていて、なかなか見応えのあるドラマになっている(エンディングの宇多田ヒカルの曲が胸に沁みる)。

 暴力の後に訪れる、彼の後悔と許しを乞う甘い言葉。
 そして、「あなたには、私しかいないのね」と泣く彼女。
 殴られながら、血を流しながら「ごめんね」とあやまる彼女。 
 激しい暴力と、その後の「甘い時間」は非日常的でドラマティックで、ジェットコースターのような感情の浮き沈みが麻薬のようにふたりを縛り付ける。

 しかし、そんなものは幻想なのだ(渦中にいると、見えなくなるんだよね)。

 激しいののしり合いや暴力の代わりに、ご飯を作り、皿洗いをし、ああ疲れたねと言い合って、今日もスーパーにバターが売られていないことを嘆き(笑)、ほうじ茶を啜り、さあ寝ようかね……なんていう日常だったら、そんな「甘い時間」は訪れない。

 そんな「歪んだ甘い時間」がない日常こそが本当なんだ。
 穏やかな日々の暮らしが、人の心にも体にも栄養を与えてくれる。

 ふたりでも、ひとりでも日常は大切にしたい。

 さて、私は連休の谷間の明日も仕事です……。
 午後はお休みを取ったので、あともうひとがんばり。

「輝け、日常」

*それにしても「人はみんな孤独」……そんなセリフが決して感傷的なものでなく、胸に刺さる言葉として、民放のドラマの中で聞けるとは。 なんか、バブルの頃より、不景気になってからのドラマの方が私は好きかも。バブル当時のドラマも、それはそれで、いろいろ分析すると面白いのだが。

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2008年2月 3日 (日)

最高気温3℃の日曜日、「鹿男あをによし」のことなど

Img_1333  東京は朝から雪。
 予報が出ていたので、雪降りの週末にそなえて、昨日はまたまた、たっぷりのミネストローネをつくった。
 外に出なくていい日の雪は好きだ。
 これといって何もなくても、家でぬくぬくしているだけで、幸せだなあと思えるから。
 これが、ただ寒いだけだと、この幸せ感が薄いのはなぜなんだろうか?
 さらに、風が強い日など、幸せどころか、不機嫌になる私である(コンタクトが痛くなるから)。
 今日は節分なので、ひとりでひそかに豆を撒き(笑)、生活クラブから冷凍で届いた太巻き寿司(恵方巻き)を温めて食べるつもり。


 ところで、今シーズンのTVドラマは鹿男あをによし がお気に入り。
 万城目学の小説が原作。
 私はまだ未読、原作を読んだ人は、ちょっと軽いかなと言っていたけれど、なかなかおもしろそうではある。
 そのうち読んでみたい。
 
 タイトルどおり鹿が重要な役を努め、舞台はもちろん奈良。
 重要な三角地点として、奈良の他に、京都と大阪。
 物語には、日本古来の伝説や土地の歴史がふんだんに散りばめられている。
 ファンタジー小説と呼んでいいのかな?
 また、やむを得ぬ事情で東京から出てきた青二才(?)がよその土地で教師をするというのは、夏目漱石の『坊っちゃん』を彷彿とさせる。Img_1339
 

 鹿から不思議な使命を授かる「鹿おとこ」こと、小川先生→

 「のだめ」の千秋からうって変わって、ちょっとユルイ感じの玉木宏がいい。

 何より、舞台が東京ではなく、奈良、というのがよい。
 恋愛が主なテーマでないのもいい。
 主人公がカッコよくないのもいい。
 主人公が下宿している、古い町家を改築したような小料理屋の造りがいい。
 そして、「地震の頻発」という、人の不安や揺らぎを上手く扱っているのは、やはり普通のドラマにはなかなか表現できないテーマで、この辺は「文学」が原作だなあと思う。
 というわけで、くたびれてくる木曜の夜あたりに見るには、ぴったりのドラマである。

 さて、ここに挙げたこのドラマのいいなと思える条件を、バブル期~90年代くらいまでのトレンディドラマ(笑)の条件と比べてみてほしい。
 すべて正反対である。
 あの頃のドラマは、舞台は絶対に東京で、主人公はカタカナ職業で、いつ仕事をしているのかと思うくらい恋愛にうつつを抜かしていて、どうやって家賃を払っているのかというような小奇麗でスタイリッシュなマンションに住んでいた。
 今はそういうものが並んでいたらギャグにしか見えないだろう。
 
 でも、未だにそういうものを追い求めている人は多いのかな……とも思う。
 女性誌なんか見ていると、そんな感じがする。
 上昇志向で、都会志向。
 だけど、私はそういうのはもう疲れる……と思う。
 今は仕事の都合で東京にいるし、まあ、生まれも育ちも東京なのだけれど、東京中心みたいな価値観、経済のあり方というのは、どうなんだろうかと疑問に思うことが多い。
 今住んでいる東京の中央線沿線もこよなく愛しているのだけれど、人の多さやめまぐるしさに、時折激しい疲労感に襲われることがある。
 地方は地方で大変なのだろうけれど、「鹿男あをによし」を見ていると、奈良に移住したくなるなあ(勝手な感想ですが)。
 特に、先日、伊勢神宮へ行ってから、ちょっと、というか、かなり価値観が変わったような気がする。  

 というわけで、お疲れ気味の方には、「鹿男あをによし」がおすすめ(もちろん元気な人にも:笑)。
 今シーズンのイチオシドラマです。

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