演劇

2007年9月23日 (日)

文楽初体験――菅原伝授手習鑑

 先週の15日は、友人のKちゃんに誘われて文楽へ行った。
 場所は、国立劇場。
 前日の金曜から、ちょうどタイミングよく東京へ出張で来ていた連れ合いも一緒。
 ふたりとも、文楽は初体験。
 私は以前、NHKで人間国宝の故・吉田玉男さんの番組を見てから興味が湧き、一度本物の舞台を見たいと思っていたのだ。 
 Kちゃんは縁あって、この日出演する人形遣いの吉田幸助さんという方と親しくしているので、私たちも開演前、楽屋に案内してもらい、ご挨拶する。
 こういう伝統芸能の楽屋を訪ねるのは初めてで、ちょっとわくわくした。
 行き交う人々は、きりりとした着物姿。人形遣いの人は細身の着物、凛々しくてカッコいい。
 070915_154001_2 幸助さんの好意で、本物の人形を触らせてもらう。背中の方から左手を入れ、右手で操り棒のようなものを動かす。左の写真は、楽屋で触らせてもらったそのお人形です。
 さて、演目は「菅原伝授手習鑑」――と書くとえらく難しそうだけれど、菅原道真が主人公で、権力争いに許されぬ恋やら殺人やら親子の情やら絡めた、結構どろどろした話(文楽って、だいたいどろどろしている)。

 途中で一度休憩をはさんで4時間という長丁場で、初体験だったわりには、途中で眠りに落ちることもなく(笑/初めての人はだいたいどこかで寝るそうです)、堪能した。
 一体の人形を3人がかりで動かすという、正に3人がひとつにならないとできない技。
 人形は想像していたよりかなり大きく、着物も歌舞伎役者が着るのと変わらないような、本物のいいもの。なんというか、不思議な世界だった。
 まるで人形に魂が入っているかのような、と言うとありきたりな表現だが……。
 人間がやってしまった方が簡単そうな気がするのだけれど、それをあえて一役に人形遣いを3人も使い、人形で演じるという、そのよじれた表現方法に、江戸の美学みたいなものを感じた。
 なにせ、歌舞伎より文楽の方が歴史が古いそうなので、その発祥など調べるとおもしろいかも。
 それにしても、女の人形がやけに妖艶である。
 今度はもっと濃密な心中ものなどを観たい。

 終わった後は、青山のタヒチというエスニック料理のお店で、幸助さんも交えて飲み会。
 何年ぐらい修行されたんですか?とか、いろいろインタビューし、貴重な話を伺う。

 帰宅後、連れ合いと、菅原道真は平安の人で、ちゃんと平安風な着物を来ていたけれど、他の登場人物はどう見ても江戸時代っぽい着物を着ていた……なぜだろうか? 
 幸助さんに聞けばよかったね……と言い合う。
 それから、これも素人の感想だけれど、話そのものも、平安より江戸の匂いが濃密だ。 
 まあ、江戸時代に生まれた芸能だから、それはそうなんだろうけれど。
 衣装の時代考証は適当だったということか?
 未だによくわからない(笑)。

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2006年12月10日 (日)

トーチソングトリロジー

Torch_read 先月のことになってしまうけれど、十数年ぶりくらいで芝居を観た。
 「トーチソングトリロジー」(パルコ劇場/11月29日)。
 あるツテでいい席が取れるとのことで、同じ職場の一回り下のAさんと一緒に行くことになった。
 行ってみようと思ったのは、ストーリーに惹かれたのと新進気鋭の若手俳優・長谷川博巳が出演するため。テレビには出ない人なので、いつか生の舞台を見たいと思っていた。
 主演のアーノルドは、篠井英介。NYのナイトクラブで働くゲイの役。
 そのアーノルドに、バイセクシュアルのエド(橋本さとし)、年下の美しい恋人アラン(長谷川博巳)、エドの婚約者ローレル(奥貫薫)、アーノルドの養子になるデイビッド(黒田勇樹)、そしてアーノルドの母親(木内みどり)が、さまざまに関わってゆく。

 人を愛するということ、人と関わることの困難さと喜び、喪失感とどうやって向き合っていくか。

 とにかく、篠井英介さんが素晴らしかった。幕が開き、ナイトクラブのドレッシングルームで客席に向かってひとり語りを始めるのだけれど、その瞬間に、一気に引き込まれる。
 DRESSING ROOMと書かれた移動式の台の上で、舞台道具と言えば椅子くらいなのに、そこはNYのナイトクラブのドレッシングルーム以外のどこでもない空間となる。
 ドレス姿の篠井英介さんは本当に艶やかで美しかった!(美輪明宏の後継者は彼?!)

 長谷川博巳さんも、スレンダーでしなやかな肢体、シャープな顔立ちのなかにも少年っぽい雰囲気があって、アラン役にぴったり。もちろん、容姿だけではなく(笑)、演技もよかった。傲慢さと繊細さが同居する、若く美しいゲイの青年を巧みに演じていた。男同士のラブシーンもあり、難しい役だと思うけれど、彼が演じると素直に見られる。すっかりファンになった。

 3時間という長い芝居にも関わらず、飽きる瞬間がまったくなく、役者の底力というものを肌で感じた。
 人間関係の本質をえぐるような痛みを伴なう芝居でありながら、コミカルで笑えるところもたくさんある。
 演出も新鮮。生のピアノの弾き語りもあって本当にナイトクラブの雰囲気だったり、また、例えば、傾斜している大きなひとつのベッドの上で、2組のカップル、アーノルドとアラン、エドとローレルが並んでいるシーン。
 それは、「別々の部屋」で、「それぞれのベッド」の上で、2人ずつ話しているという状況を現していたりする。2組のカップルの会話が個別に交わされるのだが、時折、絶妙なタイミングで、その会話が絡み合う。

 終演後、Aさんと。
「たまには、いいものを観ないとねえ」
 とふたりして言い合う。私たちの職場は、プラプラしているジイサン連中のフォローとかウツになってしまった人のフォローとか、実務以外に気苦労が多くて大変なんである(どこでも多かれ少なかれそうだと思うが……それにしても、なことが日々多し)。
 劇場を出たのは、すでに10時半を回っていた。渋谷のセガフレード・ザネッテイでパニーニを食べようと向かうも、「パニーニは10時半で終わりです!」と店員さんにマニュアルチックに冷たく言われ、ショックを受けつつ仕方なく冷たいサラダとプロセッコを頼んだ。

私「なんかね、今の私の人生のテーマにぴったりはまるような気がして」
Aさん「こう、胸が痛くなりますよね」
私「アタシみたいなゲイのオカマのことなんか世間の人たちにはどうでもいいのよ、っていうセリフがあったじゃない? ゲイのオカマを40代のシングル女性と言い換えてもいいような気がしたなあ」(アーノルドのそのセリフの背景には、単なる卑下ではなく、ある悲しい出来事がある)
Aさん「そっ、そんなー、そんなこと言わないでくださいよお」(ややリアクションに困るAさん/笑)。

私「だけど、失ったり傷ついたりしても、やっぱり人は誰かを求めずにはいられない、ってことなんだろうね」
Aさん「うーん、そうですね。でも、私は今、誰も求めていないんですけどねえ……」
私「そうなの? うーむ……」(と、今度は私がリアクションに困る/笑)。

Aさん「それにしても、生の役者さんの演技って凄いですね。舞台のテレビ中継とか見ても、あまり感動しないのは、どうしてなのかな?」
私「そうなのよね、おもしろくないのよね。なぜなんだろう? ああ、そうだ、きっと、役者さんは、芝居のなかで役を演じているんじゃなくて、その役を生きているからじゃない? だから、ライブじゃないと感動できないんだよ」

 帰りの電車のなかで、そうかそうか、寄る辺のない40代シングル女性は、女装したオカマのメンタリティに近いのか……などと、プロセッコ1杯だけでちょっとほろ酔い気味の頭というか心で、ぼんやりとまた思ったり(笑)。

 後日、篠井英介さんのインタビューを読んだ。ここ→e+Theatrix!

アーティスト、たとえばミュージシャンを目指す人、絵描きになりたい人、小説家になりたい人、俳優になりたい人。みんな、なかなか大変なんですね、生きて いくのが。そういう夢追い人が、社会と折り合いをつけて、家族、自分自身とも折り合いをつけて生きていくのは本当に大変。それは、ゲイの生き方のしんどさ みたいなものとも、ちょっと共通項があって。――篠井英介

 なるほどと思った。私が昔から、ゲイの話に惹かれるのも、何かと折り合いのつきにくい自分と、どこか共通項を見ていたからかも。

 トーチソングとは、片思いや失恋をうたった歌のこと。
 忘れて前に進むことも大切だけれど、トーチソングも時にはいい。
 復讐や恨み言でない、この芝居のように美しいトーチソングであれば……。

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