ドキュメンタリー

2009年8月 2日 (日)

金髪のヨハネス

 7月4日に再放送された、BS20周年ベストセレクション「金髪のヨハネス」というドキュメンタリー番組を見た。
 1997年の放送だが、この手のものはだいたい見るほうなのに、なぜ見なかったのかな?と思ったら、当時、BSを見られる環境にいなかったことを思い出した。
 12年後の今、見られて本当によかったと思う。

 ナチスドイツがつくりだした、秘密組織レーベンスボルン(生命の泉)。“金髪”、“青い目”、“長身”という特徴を持つ、アーリア系人種による国づくりを 進めていたナチスドイツ。
 レーベンスボルンは、ドイツ人男性とアーリア系女性との婚外交渉により生まれた子どもをドイツ各地の施設で育てるというナチの人 種政策によりつくられた組織だ。
 現在ドイツのミュンヘンで暮らすヨハネス・ドリガーさんもこの政策によって生まれた子どもの一人。ドイツ人兵士の父とノル ウェー人の母との間に生まれたが、生後すぐに親から引き離され、レーベンスボルンの施設に送られた。本当の親の存在すら知らないまま生きてきたドリガーさ ん。
 両親のその後の人生を辿ろうとするヨハネスさんを取材したこの番組は、丹念な取材と緻密な構成が評価され、ギャラクシー賞選奨を受賞した。この番組を 振り返り、知られざるレーベンスボルンの実態と国の政策によって翻弄されたドリガーさんの自己回復の試みについて考える。

NHK 番組案内より

 アウシュヴィッツをはじめ、ホロコーストに関しては多くのことが公開されているが、この秘密組織、レーベンスボルンについては、あまり知らされていない。
 090704_m1_2 日本人ではこの番組で初めて知ったという人が多いのではないだろうか。
 私も、当時のナチス・ドイツでは、ヨーロッパから金髪、碧眼の子どもをさらって……という話はどこかで読むか聞くかしたことがあったが、これほど大きな組織で行われており、さらうだけでなく、生ませるという計画まで実行されており、その後、そういった子どもたちに大きな影を落としたことにまでは思いが及ばなかった。


レーベンスボルンに連れて来られた子どもたちの写真。
涙をいっぱいに浮かべている小さな子もいて、見ているのが辛かった……。


 この番組に登場するドイツ在住のドリガーさんは、自分の中に何か大きな欠落感を抱えており(幼少期の記憶が抜け落ちている)、それがわからないまま生きてきて、ある日、レーベンスボルンの出身であることを知らされる。
 そこから、自分の根源を知るため、父と母を探す旅が始まる。

 ノルウェー人の母親は生まれてすぐ息子とは引き離され、息子のヨハネスはレーベンスボルンへ(名づけたのも母親ではなくこの施設)、父親はあちこちの戦地へ飛ばされ、消息を絶つ。
 ドリガーさんは、施設を転々とさせられ、戦後はドイツ人家庭の養子に迎えられ育つ。

 過酷な出自を知っていく過程ではあるが、しかし、いくつかの真実がドリガーさんの心を救う。
 自分は単なる政策によって生まれた子どもではなく、両親が愛し合っていたこと、ドイツ兵だった父はノルウェー人の母と結婚するつもりでいたこと、母親は息子にずっと会いたがっていたが、養父母に止められていたこと、母親は晩年に至るまで自分の姉に息子のことを話していたこと(あいにく、母親は彼が訪ねる1年前に亡くなっていたそうだ)。

 番組では、レーベンスボルンで育った子どもたちの調査をした育児学者も登場し、恐るべき実態が語られていた。
 その施設で育った子どもたちは、一見、ちゃんと成長しているように見えるのだが、普通の子どもとは異なることがすくわかったとのこと。
 人に怯えるといった情緒の不安定さや生育の遅れに加え、著しい言語能力の遅れが目立ったそうだ。
 家庭を知らず、生まれた時からこういった施設で育ち、親との1対1の親密な関係なしに生きていると、言葉を失うのか……と改めて、その事の大きさ、深さに慄然とする。
 また、「さらわれた」子どもたちも多くいた(この場合、金髪、碧眼であったことが悲劇に)。
 ノルウェー(北欧に優秀なアーリア人種が多いと考えられていた)、ポーランド、チェコなどからいきなり連れ去られ、親と引き離され、親しみ馴染んだ文化からも切り離され、突然母語で話すことを禁じられ、ドイツ語を強制されれば、そうなるのも当然という気もする。
 自我ができあがった大人ならまだしも、幼い子どもである。
(約20万人の子どもがレーベンスボルンにいたが、ドイツ敗戦後、母国へ戻れたのはたった4万人ほどらしい)
 
 成長後も追跡調査をしてみると、成人後も情緒不安定で、仕事も転々としている者が実に多かったそうだ(番組では語られていなかったが、たぶん、成人後、自殺した人も相当数いたのではないかと私は想像する。事実はわからないが……)。
 つまり、ナチスが夢に描いた、アーリア人種だけによる優秀な民族の大量生産――まさに工場でモノを生産するかのような計画である――は、まったく逆の結果を生んだのだ。
 レーベンスボルン――“生命の泉”というネーミングが、あまりにも皮肉である。

 ……という事実を知らされると、レーベンスボルンの子どもたちに限らず、これはもう理屈抜きに、ひとりの人間が大人になり、人生を歩んでいくためには、家庭というものの存在がどれほど大きいか、ということがわかる。
 実の両親が何らかの事情でいないとしても、その子を心の底から愛してくれる人や環境があればよいのだと思う。
 そして、何より、子どもにとって一番の栄養は、食べものだけではなく、心穏やかに過ごせる、自分はここにいてよいのだという安心感、安定した環境である。

 ところで、このドリガーさんの人生には、さらに悲しい事実があった。
 彼にはふたり娘がいたのだが、長女は20歳の時に妊娠したまま自殺、その後、次女は幼い息子を置いて家を出てしまったという。
 彼は、この家族の悲劇に自分の生い立ちが関わっているのではないかと考えたのも、自分の根源を探る旅の動機のひとつであったという。
 それはまた、残された幼い孫を育てていくためでもあった。
 ドリガーさんの妻の話によると、友だちのようなとてもよい父親だったが、自分の心の内をさらけ出さないところがあるということだった。
 ドリガーさんは心に蓋をして生きてきたのであり(というより、そうしないと生きられなかった)、それが第三者(特に実の娘)にとっては心の壁と感じられ、核心に入っていけないもどかしさ、虚しさに感じられたのかも知れない。それが、自殺や子どもを置いて家出ということにどう結びつくのか、そう簡単に因果関係を説明できるものではないだろうが。
  それに、そういう人間になったのにも彼個人のせいではない。
 なんと人生とは残酷なものか……。
 辛いこともあったけれど、その後は幸せに暮らしましたとさ――とはならないのである。
 前述の育児学者も、単に言葉を話せるようになることではなく、心の内を話せることこそが重要なのです、というようなことを語っていた(レーベンスボルンの子どもたちの言葉の遅れについて)。

 そして、ドリガーさんは旅の最後、父親の最後の記録として残されているラトビアの地を訪れる。
 未だに当時の塹壕がそのまま残る雪原の荒野を歩きながら、父をはじめ多くの兵士たちがどれほど辛く、絶望的な思いを噛み締めながら虚しく死んでいったのか……。
 そうしたことに思いを馳せることができ、ようやく彼は自分の根源について納得するのである。
 今の日本では手軽に使われ、やや手垢の付いた言葉になってしまった感があるが、「癒される」という言葉はこういう時のためにあるのではないだろうか。
  そして、それは自分の根源を探るという、深くて暗い井戸の底に下りていくような孤独な作業と背中合わせなのだと思う。

 人生は残酷ではあるが、美しくもある。
 ホロコーストの生存者、『夜と霧』を記したV・E・フランクルの、もうひとつの著書『それでも人生にイエスと言う』というタイトルの言葉を思い出す。
 ドリガーさんはこの旅によって、不条理な人生になんとか「イエス」を言えたのではないだろうか。

 再放送終了後、この番組について、その後の補足があった。
 ドリガーさんは、番組後、ドイツで『金髪のヨハネス』という本を出版、昨年の5月に他界されたそうだ。
 それから、番組の中で、5歳だった孫のマティアス君。
 ドリガーさんが長期間出かけるというと、大泣きして悲しんでいた。
 きっと、母親に置いていかれたことが甦ったのだろう。
 そしてその泣きじゃくる姿が、汽車に乗るとどこかに連れ去られるのか?と、怯えて泣き叫んだというドリガーさんの幼少期の頃とそのまま重なり、胸をつくシーンであった。
 で、そのマティアス君が現在は、身長180cmの高校生となり、おばあさん(ドリガーさんの奥さん)とにこやかに寄り添っている写真が映し出されたときは、ああ、よかったなあと、なんだかちょっと泣けてきたのだった。

 ちなみに、「金髪のヨハネス」とは、少年の頃、輝くような金髪だったことから。
 しかし、番組に出てきた当時50代前半の彼の髪は、金髪ではなく薄茶色になっていた。
 金髪、碧眼、長身のアーリア人が優等民族。そんなアーリア人が世界を支配する。
 本気でそんなことを考えていたのか、今から思うと悪い冗談のようだが、当時のナチスはそれを真剣に計画していたのだ。
 そんな愚かな戦争や歴史に翻弄されてきた人々の痛み、苦しみや悲しみは、繰り返し伝えられるべきである。伝えることのできる人々も、どんどん少なくなっていくのだから。
 NHKは今後も、そういったことを伝えるための素晴らしいドキュメンタリーを作り続けてほしい。

(ピナの喪を明けることにしたので、またいろいろとスローペースで書いていきます。もちろん、愛するピナのことも引き続き……)

| | コメント (9)
|

2009年3月 4日 (水)

揺れる大国 プーチンのロシア

 3月1日2日とNHKで2夜連続で放映された揺れる大国 プーチンのロシアという番組を見た。
 第一夜は「プーチンのリスト~強まる国家資本主義~」。
 ソ連崩壊後、一気に押し寄せた資本主義、市場経済、そのなかで現れた新興財閥。その姿を、リーマン・ショックの少し前から取材していたので、興味深かった。
 大混乱の中、この機会を虎視眈々と狙っていたかのように強気で現れてきたのが、ロシア政府。プーチン首相は、ロシアのエネルギー関連などの基幹産業を握り、外貨を貯め続けていたという。その巨額の資金を企業に振り分ける「プーチンのリスト」というものがあるらしい。
 これは、困った民間を政府が助けましょう、なんていう慈悲の心に満ちたものではなく、助けるから国の言うことを聞け式の「国家資本主義」の始まりなんだという。
 一部の人間だけが富を得るのもいやだけれど、 「国家資本主義」なんていうのも、聞くだけでいやーな、こわーい感じがする。

 第二夜は「失われし人々の祈り~膨張するロシア正教~」。
 ソ連崩壊後、激動する社会に翻弄される人々、増える失業者――社会保障制度がほとんど機能していない(ように見えた)ロシアでは、教会が大きな役割と力を持ち始めているという。革命後、徹底的に否定され排除されたロシア正教が復活し、人々の拠り所になっているのだ。
 日本だと、NPO法人のもやい などがやっているようなことを教会が全部やっている(日本も、もやいがやっているようなことの多くは、国がやるべきことなのだけれど)。
 ホームレスに食事を配ったり、地域でコミュニティ活動をしたり、24時間体制の電話相談をやったり。
 教会だけが救いだ……と語るおばあさんたち。
 で、このロシア正教を大きく後押ししているのが、プーチン。
 うーん。何から何まで、すごーく巧みな企みを感じさせる、プーチン。
 あの冷たい表情の奥で何を考えているのか、東洋人の私にはまったくわからない。 
(給付金を貰うの貰わないのとやってるどこかの国の代表とは、一枚も二枚も……いや、百枚くらい上手だ)

 超格差社会をつくっておいて、人々の絶望を宗教に向かわせ(寄付も集まるし)、教会を保護し、教会に救世主になってもらう(政府はできるだけ何もしない)、その教会を保護しているのだから、プーチンも崇められる……というような。
 ロシア正教が悪いとは思わない。そういうのもひとつの社会のあり方だと思う。でも、プーチンにはなんだか底知れぬものを感じてしまう。まだまだ何か企んでいそうな気配。

 それから、佐藤優さんが、ロシアの男は皆ウォッカでダメになると本に書いていたけれど、まったくそのとおりであった。
 NHKの番組でも、アルコールが元で死亡するのが年間10万人とか?!(問題を抱えた人の数字だったか……どちらかは失念)
 ウォッカをあおって、凍死しちゃう人がいっぱいいるそうだ。過酷だなあ。
 ロシアの男でアルコール依存症でない人を探すのは難しい、くらいの勢いだった。
 番組の中でも、廃墟で酒をあおっている男が凍傷になりかかっていて、「教会に来なさい。病院に行くんですよ!」とか諭されているのだけれど(そういう夜回りみたいなことも教会がやっている)、「いやだあ、そんなことよりウォッカをくれぃ~」などと言っていた。
 冬場は-20℃なんていうのがザラなロシア。
 社会は180度変わっちゃうし、仕事は失う、家もない、家族に見捨てられるわ、寒すぎるわじゃ、確かに人間、自暴自棄にもなるし、壊れるし、ウォッカでも飲んでいないとやっていられないのかもしれない。

 それにしてもロシア正教の教会がバックグラウンドになって(一部の教会だと思うが)、少年たちに銃撃戦を教えている風景には、複雑な思いにかられた。
 その他、お年寄りの年金も激減して、ゴミ溜めのような部屋で暮らしていたり(昔は年寄りを敬い、皆で助け合っていたのに、誰も助けてくれない)、ソ連時代は厚遇されていたのにいきなり放り出された科学者たち……などなど、挙げていけばきりがない。

 社会主義から資本主義、超格差社会、そしてまた国家資本主義、封印されていたロシア正教の爆発的な広がり、内戦などの問題もあるし、昔から今に至るまでロシアは、ダイナミックに変化していく国だなあと思う。
 例えば、安定している福祉国家の北欧より、今のロシアなどの方が優れた文学などが書かれているのではないか?とも思うのだけれど、どうなのだろうか?
 翻訳されるのは英語圏ものが主流だから、これまた全然わからない……。

 と、日本もやばい状況で、よその国を心配している場合でもないのかもしれないが、世界は今、グローバリズムとやらで、怖いくらいつながっているからねえ……私も少しは勉強しなくてはと思うこの頃。

 私の入っている医療(&生命)保険、アメリカのかの某AIGグループの日本支社のやつ。
 昨年度の赤字は8兆だとか9兆だとかで、今、経営再建中だとか、連日ラジオのニュースで流され聞くたびに憂鬱になる。
 今すでに婦人科系の持病がしっかりあるので、他の医療保険には入れないのだ(この前試しに加入の申し込みをしたら、断られた)。
 だから、健康なうちに加入していたこの保険だけが頼り。
 それも、近々治療する(手術とか入院にまで至る)可能性があるので、頼むから、再建してくれ~と祈るばかり。
 少なくとも、私が給付金を申請するまで持ってくれと思う(と自分中心に)。
 こんなところで、自分とアメリカ経済の破綻が直につながるとは。
 10年前に入った時は、トリプルAの安心度とかいうふれこみだったのに。

 ――と、かくも世界は変わるものだということを、ロシアが一番極端な形で見せてくれるわけで、社会とか国家とか、確かなものは何もないんだと……「平和」な日本で生まれ育った私はひしひしと感じるのであった。

 NHKの「揺れる大国 プーチンのロシア」は今月末にもまた次のタイトルで放送される予定だそうです。
 引き裂かれた祖国で ~グルジア紛争の傷跡~(仮)
 国家よ 軍よ 強くあれ ~膨張する愛国心~

 
 

| | コメント (4) | トラックバック (0)
|

2007年3月25日 (日)

元教育大臣オッリペッカ・ヘイノネン フィンランド学力世界一の秘密――「下流志向」な日本と比べると……

 先月2月12日にNHKの未来への提言という番組で「元教育大臣オッリペッカ・ヘイノネン――フィンランド学力世界一の秘密」(聞き手:東京大学教授 佐藤学)という特集をやっていた。
 ヘイノネン氏は若干29歳で教育大臣に就任(現在42歳という若さ!)、フィンランドの教育改革を推し進めてきた人だ。経済協力開発機構(OECD)の国際的な学習到達度調査(PISA)で、フィンランドは世界一の成績をあげたのだ。
 ヘイノネン氏は、まず真っ先に「大切なことは機会の平等」ということを語っていた。
「教育は投資、国の競争力に関わる問題」とも。
 90年代の初め、フィンランドは失業率20%だっだが、教育水準の底上げを図り、ノキアなどのIT産業は目覚ましい発展を遂げ、現在は世界トップクラスの経済国になったそうだ。
「国民全体の教育レベルが上がって、世界に通用する人材が育成できる」
「教育こそが、国全体の競争力を高める」

 と、意図がとても明快で、「子どもたちの未来のために」とか何とか曖昧な言葉で語らないのが印象的だった。
「不況を抜け出すには、人という資本に投資すること」が何より大事だと判断したそうだ。と言って、グローバリゼーションのための競争に奔走している感じはなくて、温かみのある教育態勢――何より若いヘイノネン氏そのものが、心が深く温かみのある人物!――というのも、非常に印象に残った。
 フィンランドは、スパルタ式の詰め込み教育ではなく、教育現場に大きな裁量権を与え、教師のやり方を尊重し、各学校で独自のカリキュラムで自由に教えられるようにする、という方式を採用した。それによって、教師の意欲が上がったとのこと。厳しく管理すると、モチベーションが下がりダメになるという。
 また、教師の社会的地位も高い。なれるのは志願者の1割程度で、修士号を取得しないといけない。その他、クラブ活動は他の先生が受け持つ、残業はほとんどなく、研修などに積極的に参加できるシステムになっているなど、日本の教育現場の人たちはどう思うだろう。日本からもいろんな人が視察に行ったり、フィンランドの教育システムについて本も出ているけれど、道は遠し……という感じ。すぐに、競争に勝つための学力、と短絡的に考えて、ゆとり教育から一転、何かとんでもないことを考えそうで心許ない。
 さて、フィンランドでは、どんな地域でも平等にと、国内すべての学校にPCを潤沢に設置したのも、ヘイノネンさんが、これからのIT社会の到来を見据えての早くからの措置だった。
 なぜノキアなどが進出できたのか、その鍵となるようなヘイノネン氏の興味深い言葉を記しておく。

○変化が激しく情報があふれる時代に対応できてなくはいけない。
            ↓
○未来が予測できない時代。人々が一生の間に何度も仕事を変えるような時代。めまぐるしく変わり、周囲に膨大な量の情報があふれている。
            ↓
○変化に適応して、生き抜くために自分で自分を導いていかねばならない。
            ↓
○そのためには、自分自身を知らなければならなない。自分の内側から新しいことを学ぼうというモチベーションが生まれなければいけない。

○新しい出来事に対処する能力は、将来思わぬ問題が起きた時、解決する能力になる。

○他者と協力する力、周囲とコミュニケーションする力(つまり言葉)が重要。
 フィンランドは昔からスウェーデンやロシアなどから侵略を受け続け、小さな国がそういう中で生き残るには、周囲とのコミュニケーションが欠かせなかった、という歴史的背景もあっての理念だそうだ。

 そして、教育の根本は「リテラシー=情報を読み解く力」、これがすべての基本となるそうだ。
 確かにそれをしっかり身につければ、、学校を卒業した後、将来思わぬ問題が起きた時に自分や状況を分析する力になるだろうし、職業の場でも、大きく関わっていくことだと思う。
 日本では、若い人たちのワーキング・プア問題がさかんに取り上げられるようになっていて、私もこのブログで書いたことがある。→こちら を参照。
 その時は、社会が悪いというような物言いをしていたが、社会、というより教育の問題が大きいかも知れないと今は思う。
 正に、日本の教育は、上述のヘイノネン氏が掲げていることと逆の状態だから。つまり、「変化に適応できずに生き抜くことができず、自分で自分を導くことができない。そのためには、自分自身を知らなければならないのに、自分を語る言葉を持っていない」という状況を生んでいると思うのだ。
 そして、「自分の内側から新しいことを学ぼうというモチベーションなどまったくない」というわけで、内田樹氏の著書のタイトルどおり『下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち』という現象が生まれてしまったのだと思う。
 私などは、大まかに括ると詰め込み教育の世代なのだろうけれど、その弊害はあるにしても、その中でかろうじて情報を読み解く力はある程度は培われた気がする。

 その他、フィンランドでは家族の収入に関係なく平等な教育と食事(給食費も学費もすべて無料)が与えられるという。日本もそれくらいしてもいいんじゃないかなあ。一部の突出したエリートを輩出させるより、「機会の平等」の方が日本人の国民性に合っていると思うのだけれど……どうなんでしょう?

 それからさらに、日本のいじめ問題はこういうことが理解されていないから起こるのだ、と思わせられるヘイノネン氏の言葉。

○人はそれぞれ違う。人は自分と異なる人を受け入れ、コミュニケーションを取ることができる。そのことは自分の強みになることを気づくべき。
          ↓
○他人を理解するには、自分を知らなければならない。

○自分が価値ある存在であることを自覚できれば、他の人もまたかけがえのない存在であることを理解できる。
          ↓
○――といったことを教えるのが、教育の役目。

○他人を傷つけたり、他人を脅威と見なすような自己中心的な人間にしない。

 これにはいたく共感。この反対をやるとモラル・ハラスメント的、ということになるのだと思う。つまり、他者に対して攻撃的な人というのは、実は他者を脅威と感じているからなのか……なるほど納得!

 後半、ヘイノネン氏は、現代の状況と大人である自分たち世代が果たさなくてはいけない役割についてこう締め括っていた。

○現代は、変化のスピードが速すぎて多くの人が精神的にまいっている。走り続けることに疑問を抱く人が多い。

○あまりにもたくさん選択肢があることが人々の重荷になっている。そして、生きていく道しるべがない。

○次世代の大人になる力が弱まっている。変わらないものはある、という大切なことを教え引き継いでいくのは、私たちの責任。
          ↓
○彼ら(今の若い人たち)の時代を築くチャンスを与えること。

 日本は、若い人にチャンスを与えず、自分の取り分をきっちり確保し自己保身に走る「大人」が多いってことだなあ。だけど、長い目で見れば、それは自分で自分の首を締めるようなことでもあるわけで……。

○大切なのは、知識だけではなく、洞察力。走り続けるなら、それは失われる。

○これからの教育は、ペースを落とし、一人ひとりにより深く考えさせられることができなければ。

○自分の頭で考え、自分の心で感じたことを信じること。
            ↓
○他の人も、同じように自分の頭で考え、自分の心で感じたことを信じていることを尊重すること。

○今を生きる子どもたちには可能性がある。
 想像性を引き出し、モチベーションを高め、内なる洞察力を手にすることができれば、幸せな未来が待っている。

 最後に、「学校のためではなく、人生のために」という言葉があった。
 かつての詰め込み教育の弊害は、この辺にあるかもしれない。人生のためではなく、学校だけのために勉強して学校のために生きていた、というような……。それ故生きる力が弱く、次世代や子どもをちゃんと育むことができないのかも。

 と、子どもがいない立場の私があれこれ言うのは気が引けるけれど、今の若い人たちや子どもたちの状況は、シングルの私でも凄く気にかかっている。
 何しろ、世間の片隅からではあれど、一応ちょっぴり送り手側に立っている人間としては、リテラシーの著しい低下によって、受け手がいなくなるってこともあり得るわけで。というか、それはすでに始まっている気がするし……。
(ちなみに、フィンランド人は大人から子どもまで読書好きの人が多く、図書館の利用率も凄く高いらしい)

 それにしても、日本のお役人でヘイノネン氏のように深く「洞察」できる人はどれだけいるのだろうか? 

 フィンランドがすべて正しく、それをすべて真似すればいいというものでもないのだろうけれど、現代というものを見極めた上でのヘイノネン氏の理念やフィンランドの社会全体で教育を支えるという方針は、素晴らしいと思う。
 こんなふうに税金が使われるのであれば、シングル子なしの私だって、喜んで税金を払いますとも!(ま、今だってしぶしぶ払ってますけど)。

| | コメント (3) | トラックバック (0)
|

2006年7月24日 (月)

ワーキング・プア――働いても働いても豊かになれない

 NHKで「ワーキング・プア――働いても働いても豊かになれない」という特集番組をやっていた(7月23日21時放映)。

 イギリスのジャーナリスト、ポリー・トインビーが『ハードワーク――低賃金で働くということ』という本のなかで述べていた状況が、日本でもほぼ同じ形で進行していることがよくわかった(過去のブログで、この本について詳しく書いています。こちら をどうぞ)。
 ワーキング・プアとは、働く意志があるのに職に就けない、あるいはアルバイトなどの非正規雇用にしか就けず低賃金で、生活保護レベル以下の暮らしを強いられる人々のことを言うらしい。
 働いても働いても貧しい。その負のスパイラルから逃れられない。
 いつからこんな言われ方をするようになったのかわからないけれど、凄くよく言い当てている言葉だ。

 番組のなかでは、交通費がないため面接に行けず、職に就けない34歳のホームレスの男性や過疎化が進み農業では食べていけない家族(秋田県)、職人としての腕は持っているのに街がシャッター街と化し、売り上げがほとんどない仕立屋さん、リストラされてガソリンスタンドのアルバイトを3つもかけ持ちしている50歳のシングル・ファザーなどが登場していた。
 どの人もまじめで、怠けようとしている人なんて、ひとりもいなかった。
 仕立屋さんは、アルツハイマーで入院している妻もいて、介護保険や医療負担がどんどん厳しくなっているのを嘆いていた。生活保護を考えるけれど、妻の葬式代としての貯金100万があると、保護は受けられない……1食の食費代は、100円と言っていた。
 「この缶詰がね、結構うまいんだよ」と、缶詰1缶と3パック99円の納豆を1パック。
 また、秋田県では過疎化がひどく、廃村になったところがいくつもあるらしい。
 お米や野菜をつくることでは食べていけない国。
 食料自給率がこんなに低いのに、これから先どうなってしまうのだろう?と、番組を見ながら暗澹たる気持ちになる。

 本人の怠惰のせいではなく、明らかに今の日本の構造上の問題、と専門家も指摘。
 働いても働いても這い上がれない層が現在10%~20%がいる(特に地方)、そういった層が社会に沈殿していくことは非常に重大な問題、とも。 
 日本人は我慢強いから、外国ほど犯罪に走ったりしない。その代わり、自殺率が年々上昇しているのかと思う。

 34歳のホームレスの男性は、見たところ健康そうだし、性格も穏やかないい人そう(に見える)。アルバイトでやってきて職業経験があまりないからと、こういう人が職にも就けず、ホームレスなんていう事態は、社会にとっても損失なのではないだろうか?(かろうじて就けたのは、時給800円の洗車のバイト)
 一文なしの専業主婦だって、DV夫から逃れるためのシェルターがあるのだから、こういう人たちを救済するシェルターがあってもよいのに。
 そういうことにこそ、税金を使ってほしいもんだ。
 もうひとりの30代のホームレスの男性は、両親の離婚後、母親が養育放棄、高校生だった彼はアルバイトに明け暮れ、就職活動もできず、そのままアルバイト人生で、30を過ぎてそのバイトもなくなり、今は古雑誌を拾ってその日暮らしだそうだ。
 これは、教育格差がそのまま後の経済格差につながるパターン。
 50歳のシングル・ファザーは「子どもたちを大学にやれないかも知れない……親の責任だ」と涙ぐんでいた。
 いや、それはあなたの責任ではなく、国の責任だと言いたかった。
 日本は、奨学金も充実していないからねえ……。

 ほんのちょっとレールから外れてしまうと、こんな現実が待っている日本。
 小泉首相が掲げてきた構造改革とは一体なんだったのだろう。

 ……などということを真剣に考えてしまった。
 こういう番組を見ると、他人事とは思えない。
 私も離婚後、つい最近まで、かなり長い間、まさしくワーキング・プア!だったから。
 この数年、アルバイト、派遣、フリーランスと綱渡りのように生きてきた。働いても働いても這い上がれなかった。
 今だって別に、全然リッチではないし、今のところ正社員ではないけれど、毎月、固定給と最低限の社会保険だけは得ることができた。
 番組でも、「30過ぎると仕事がない」という言葉が度々出てきたけれど、40代に突入してしまった私が――それこそ学歴もコネもなーんにもない!――よくもサバイバルしてきたものだと、自分のことも顧みたりして妙に感慨にふけってしまった。この年齢で「まともな職」を探すことは、本当に厳しい。厳しいというか、ほとんど不可能といっていい。

 それでもなんとかサバイバルできたのは、きっと、私が人に依存する(頼る)術に長けていたのと、それに応えて助けてくれる人に恵まれていたからだ。内田樹氏によると、そういう術もこの世界をサバイバルするためには必要な力、とのことらしいが……。
 30代の男性ふたりに関して言えば、こんなふうに「人に頼る」術もなく、人間関係をつくる余裕もなかったのか、社会や人とのつながりの輪からポツンと切り離されてしまっている印象を受けて、胸が痛む。

 思うことはいろいろあるが、自分に関しては、これ以上あまり人に頼らず、当面ひとりで生きていくためには、今の仕事を続けることが一番で、そのためには健康が一番だと思う。

 それにしても、弱いのは、貧乏なのは、努力が足りないとか自己責任だという考え方は嫌いだ。
 今、「強い人」だって、先はどうなるかわからない。いつ「弱い人」になるかわからないのだから。
 そういうことを私は忘れたくない。

| | コメント (4) | トラックバック (0)
|