
この春に読んだ印象的な本の感想です。
スウェーデンの児童文学。リンドグレーンとかではなく、現代に生きている作家のものを読んだのは珍しいかもしれない。
アニカ・トール著
<ステフィとネッリの物語>
第1巻『海の島』
第2巻『睡蓮の池』
第3巻『海の深み』
第4巻『大海の光』(菱木晃子訳/新宿書房) ウィーンのユダヤ人家庭で生まれ育ったステフィとネッリはふたり姉妹。
物語は、ナチスが台頭していたウィーンを離れ、スウェーデンの島へたったふたりきりで疎開するところから始まる。
戦時下、さまざまな悪状況が重なり、両親は収容所へ。
ステフィとネッリは別々の家庭に引き取られ、そこで生き抜いていかなくてはらない。
言葉や文化の違い、戦争……その中で思春期の女の子が生きていくことはどれだけ大変なことか。それでも、ふたりはあちこちぶつかりながら成長していく。
と、戦争中、健気に生きる前向きな少女たち……みたいな常套句でまとめてしまうと、どうもこの物語の本当のよさが伝えられない気がする。
私も読む前は、ナチス時代の話か……と、正直「またか」という気持ちはあったのだけれど、読み始めると想像以上によくて、激しく感情移入してしまった。
なんというか、十代の女の子の気持ちがとても細やかに描かれていて、時代を越えた普遍性があるのだ。
というわけで、この4月に(ずいぶん前の話ですが!)スウェーデン大使館にて、著者のアニカ・トールさんの講演会を聞きに行く機会があったので、その時のお話から。
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この物語は、私の母親の体験が元になっています(補足:アニカ・トールさん一家もユダヤ人です)。
母は、1938年、ドイツのライプツィヒでクリスタル・ナハトがあった年、12歳を迎えたのです。
その後、ふたりのいとこと共にスウェーデンの島へ。
親戚は南半球やブラジルへ、残った人たちは皆亡くなりました。
母といとこたちは、スウェーデンが受け入れた数少ないユダヤ人の中の一部で、当時スウェーデン政府はハンブルグ・ウィーン・プラハなどから500人のユダヤ人の子どもを受けれていました。
上限は16歳~18歳、最年少は2歳。
そのことを15年前に知り、文献を読み漁り、いろいろ調べました。
「ステフィ」はまだ恵まれている方で、だいたい子どもたちは家の手伝いや無給の仕事をやらされたそうです。
この物語ははじめ、児童書として出版されましたが、娘や息子が読んでいるのを 親が読むようになり、やがて戦争を知っている当時を生きた人たちも読むようになり、 全世代的な本になりました(補足:スウェーデンではドラマにもなった。ドイツでも読まれていて、一番栄誉あるドイツ児童文学賞も受賞)。
ただし、残酷すぎること、複雑すぎることは語りきることはできなかったので、スウェーデン政府の難民政策についての大人向けの物語を書くことを構想中です。
今、さまざまな公文書、覚書き、手紙、ノンフィクションなどをあたっているところです。
限定された時代・場所ではあるけれど、抵抗する人々の姿には普遍性があるので、
国境だけでなく、読者の年齢も越えて読まれているようです……。
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といったところが、だいたいのお話。
やはり、物語の背景(当時の状況)を丁寧に調べているのだなと思った。

余談だが、会場となったスウェーデン大使館がとても素敵だったので、そのことも少し。
何しろ、大使館の中に入る機会などめったにないので、知り合いもなく、ちょっとためらいつつも、レセプションにまで参加!
レセプションの会場となった部屋はゆったりとしていて、座り心地のよいソファがあり、ガラスの大きな器――コスタボダとかそういう、スウェーデンのいいものばかり――にキャンドルが置かれていて、こういう使い方があるのか!と感動。
はじめはワインなどが出され、別室には立食の軽食の用意が……。
スモークサーモンとかローズマリーの乗った自家製パンとか、 ミートボールにクランベリーソース添えとか、いかにも北欧!という感じのメニュー。
立食なので味はあまり期待していなかったのだが、これが本当にどれも美味!(食後のコーヒーとデザートにいたるまで)。腕のいい料理人がいるのだろうなと思う。
さすが、国の顔となる大使館。
どこからどこまでも立派で、日本にあって日本ではないというか。堅牢な造りで、インテリアはシンプルな中にも高級感があり、一流ホテルみたいだった(聞くところによると、それはスウェーデンがヨーロッパの中でも経済的にも立場的にも強く大きいからで、そうではない国は大使館の規模も小さいそうです)。
一瞬、アニカさんがすぐ近くに座ったりしたのですが、物語の感想を即座に英語で話す力もなく……(苦笑)。
アニカさんは短めのボブで、長く下がるイヤリング(ピアス?)がいい感じでアクセントになっていて、全体に紫──というか北欧のベリーみたいな色合いのグラデーションの装い、60歳になってもこんなに素敵でいられるんだと、しみじみ見とれてしまった。
とってもやさしそうな表情の、柔らかい雰囲気の方だった。
さて、物語に戻ると――。
ステフィが姉なのだけれど、子どもの頃の数歳上というのは、凄く大きい。それだけで、妹の何倍も背負うものが増えたりする。そんな、お姉ちゃんは辛いよね……的な気持ちがよく出ていた(私も姉だったから、リアルにわかる)。
でも、妹のネッリもだんだん成長するにつれ、ステフィとは違う部分での苦悩が出てくる。つまり、自我が出来上がる前に異国へ行かされたので、自分のアイデンティテイが危うくなる、という悩みだ。
また、姉のステフィは学業の重要性を自覚し、必死で続けようとするのだけれど、お金の問題にぶつかる。そういう現実的な問題もきちんと描かれているのがよかった(逆に、同級生で、すぐに妊娠→結婚してしまうパターンの少女も描かれていた)。
人生の行方をきめるのは、こんなふうに偶然のできごとだ。
自らの人生を選択する自由な意志。フランスの哲学者の言葉には、とてもいい響きがある。
でも、それは大人にのみ、通用することではないだろうか。
――『大海の海』4巻より。
姉のステフィが心の中で思う言葉。人生を自ら選択できない子どもの気持ちだ。
また、ステフィが恋愛に傷ついた時、女性の教師に言われる言葉。
――あなたがいまどんなに彼に惹かれていても、それは必ずおわりがくる。一年、二年、あるいは五年かかるかもしれない。でも、あたなは、いずれ、別のだれかのことを、いまの人と同じくらい強く想うようになる。遅かれ早かれ、だれか別の人と出会う。いま、想っている人と同じくらい強く惹かれる人に。いまは信じられないかもしれないけれど、これは真実なの――
うーん、本当に真実! こんな言葉の詰まった物語に、私も十代の頃に出会えていたらなあと思った。
この本のよさは、こういう部分が丁寧に描かれているところ。
きれい事だけじゃなく、恋愛に失敗して惨めになったり傷ついたり、そして、少女が決して美化されることなく、ずるさもよーく出ているのだ(この辺が男性作家の描きがちな少女性と違うところ)。
さて、戦争が終わった後、ふたりが選んだ人生は……。
<ネタバレですが>この物語はストーリーよりも、ふたりの気持ちなど細部に重点が置かれているので、書いてしまうと――
ふたりはスウェーデンに対する思いや名残、迷いはあれど、残された父親と共に(母親は収容所で亡くなっている)、アメリカへ渡ることを決意する。
ああ、なるほど、アメリカというのはこういう立場の人たちに可能性が開かれた国でもあったんだな、と、私は新鮮な思いで読んだ。
で、ステフィとネッリはきっとドイツ語から何とかスウェーデン語を獲得していったように、きっと英語もものにして、ステフィは希望していたとおり、アメリカの大学で医学を志すのだろうな、ということまで想像した。
こうして親と離れ、「異国」で過ごしたユダヤ人の子どもたちがいたという事実は、今まであまり詳しく知る機会がなかったので、興味深かった。
アンネの隠れ家や強制収容所などの極限状態ではなくても、多くの困難があったのは事実だ。
アニカ・トールさんの話にも出てきたが、疎開したユダヤ人の子どもたちはどちらかというと、知識階級出身の子が多く、受け入れたスウェーデンの家庭は田舎の農家などが多かったそうだから、その間にはいろんなぶつかりあいがあっただろう。
生き延びることはできても、進学などはあきらめ、その後の人生を大きく変えざるを得なかった子どもたちがほとんどだったのだろう。
でもこの物語は、辛いことも多いけれど、読後はステフィとネッリと共に、すでに大人の自分もちょっと成長したような清々しい気持ちになれる。
大人も堪能できる力作です。
*ちなみに、日本版の表紙のイラストは、日本人のイラストレーターによる描きおろし。
スウェーデン大使館にも原画が飾ってあったけれど、繊細な水彩画で素敵だった。
一方、スウェーデンはじめ、その他ヨーロッパで発行されたものも展示してあったが、ペーパーバック版みたいな感じで、ドラマの写真がそのまま使われていたりとか、テキトーな感じ(笑)。日本版が一番立派だった。
でも、簡易なつくりでも、作品の力だけでたくさんの人に読まれるというのはいいなと思った。凝った装丁が多いわりには、売れ行き低迷の最近の日本の出版状況を思うと複雑……(これも余談ですが)。
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