コミック

2006年11月23日 (木)

残酷な神が支配する2――これはイアンの物語

 以前、萩尾望都の『残酷な神が支配する』という漫画について書いたことがある。→こちら
 そのことについて、最近また新たに思ったことを。 

 先日、ネット上でふとしたきっかけで、この作品について詳しく述べられているHPを発見した。思わず、目からウロコというか、膝を打ってしまう意見があったので、興味のある方はぜひ。ここ→残酷な神が支配する
 つまり、これは、ジェルミを中心としているように見えて、本当はイアンの物語なのではないか、ということ。否応なく巻き込まれてゆき、イアンも自分自身と深く向き合わざるを得なくなるから。
Moto2_5 それはある程度わかっていたけれど、このHPを読んで今思うのは、ジェルミを救おうとするイアン、という単純な図式で捉えていたのだけれど、実はジェルミの存在によって支えられている――というと、ちょっと語弊があるかもしれないが、イアンの方がジェルミを必要としていた、という捉え方もできるのではないだろうか?ということ。
 と思うと、ますますこの物語が深まってゆく……。

 保険調査官として登場し、たびたびイアンに親身になってアドバイスをするリンドンについても、このHPでは語られている。
 「愛や同情は助けにはならない。愛していればいるほど苦しみは過剰になり倍になり、二人をおそう」
 という、真っ当な彼の言葉。そう、彼はしばしば、専門家に任せなさい、でないとあなた自身が潰れる、というようなことを忠告する。
 このHPの方も、リンドンの言うことは、しごくまともで理解できるのだけれど、自分は冷静さに欠けるのか、読むのが辛かった、と。
 私もそうだ。リンドンの言うことは極めて冷静で正しく現実的なのだが、でも、その先に何かあるのではないか、その先にあるものを見たい、と願ってしまうのだ。
 また、ジェルミの虐待シーンが惨いので読むのが辛いという側面もあるけれど、たぶん読み手に、根源的な問い――人は人を救えるのか、愛するということは何なのか――を突きつてくるから、辛いのだと思う。
 
 ジェルミは、愛を拒絶する。
 その点も、読んでいてかなり辛いところだったことに気づく。
 いくら手を差し伸べても、振り払ってしまう。
 せめてジェルミが苦しみながらも、救いの手を求めている姿が見えれば、ほっとできたのだと思う。人は壊れてしまうと、愛を乞うこともできなくなるのか、というのが辛かったのだ。
 
 そして、『残酷な神が支配する』は、ジェルミの虐待を巡る苦難の物語であると同時に、イアンの内面への旅の物語でもあったのだ。

 現実は、たぶん、誰かひとりに救いを求めるというより、いろんな人との関わりのなかで少しずつ助けられていくものなんだろうと思う。
 私も、いろいろな人に、少しずつ助けられ救われて、今があるような気がする。
 一方、果たして、私自身は誰かの支えになっているのだろうか? 誰かを助けたことがあるだろうか? 傷つけられたことは覚えているけれど、誰かを傷つけ忘れてしまったこともたくさんあるのではないだろうか? などと自分を振り返りると、なんとも心許ない。
 そんなことを思いつつ……『残酷な神が支配する』は、私の心に奥深く住み着いてしまったようだ。

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2006年9月18日 (月)

残酷な神が支配する――「その絶望には いまだ名前がないのだ」

  Hagio萩尾望都の『残酷な神が支配する』(小学館)を先日、持っていなかった巻を取り寄せして、ようやくすべて読了した。「プチフラワー」にて連載9年にも及ぶ、萩尾望都、渾身の大作(全17巻、現在は文庫化されている)。2001年にすでに完結しているので、今さらという感じだが、素晴らしい作品なので、紹介したい。

 母親の再婚相手の男性グレッグ――イギリスの一見紳士的な、しかも資産家――に、性的な虐待を受け続ける16歳の少年ジェルミの物語(ジェルミはアメリカ人)。
 「残酷な神が支配する」とは、アイルランドの詩人W・B・イェイツの文章の一節から。残酷な神は、もちろん、その男性のことである。
 
 なぜジェルミは、受け続けた虐待のことを人に相談し助けを求められなかったのか……ジェルミの苦しみを克明に描きながら、周囲の大人たちの身勝手さが浮き彫りにされてゆく。
 
 ジェルミの母親、夫を亡くしたサンドラは精神的に自立しておらず、その寄る辺のなさをすべて息子のジェルミにぶつけていた。息子を大事にしているように見えて、サンドラはジェルミに依存している。夫の身代わりであり、恋人。
 「お父さんが死んじゃったんだから、サンドラを支えるのは僕しかいないんだ」と思い込むジェルミ。実際に母親は、息子に「サンドラ」と、自分のことを名前で呼ばせていた。ある種の精神的な近親相姦状態。
 ジェルミは、そんな母親のあり方は、自分への愛なのだと信じきっている。だから、グレッグにセックスを強要されても(それも鞭で打つという、サディスティックな暴力も含んでいる)、我慢する。彼に、「いいかい、このことはサンドラには内緒だよ。ばらしたら、サンドラとは別れる。そうしたら、サンドラはさぞ悲しむだろうね」と脅迫されていたからだ。
 サンドラは、自分の息子を夫代わりにした挙げ句、なおも実質的に庇護してくれる相手を求め、イギリスの資産家であるグレッグと結婚する。
 ここで、萩尾望都が上手いのは、そのサンドラを決して醜くは描いていないこと。容貌も美しく、人当たりも柔らかく、本当に息子を愛しているように描いているのだ。読者もそう思い込んでしまう。

 さて、アメリカからイギリスに渡り、大きな環境の変化もあったうえ、グレッグからの惨い虐待で心身ともに決定的なダメージを受けたジェルミは、次第に自分自身を肯定できず、自己破壊衝動にかられていく。
 無関心を装う大人たち、そのなかで壊れてゆくジェルミ。
 追い詰められたジェルミは、ある恐ろしいことを計画し、それが大きな悲劇を生む。

 そのなかで唯一、救いの手を差し伸べるのが、グレッグの長男イアン。
 初めは、ジェルミに対して疑心暗鬼だったり、長男としての単なる責任感でジェルミに近づいていくのだが、それがいつしか愛情――それも恋愛感情を含んだ――へと変化してゆく。
 このイアンとジェルミ、ふたりの葛藤の描き方が圧巻。
 少年時代に傷を受けた、いわゆるアダルトチルドレン的な人間は、他者を信用できず、心を閉ざしてしまうから、その暗い森へ分け入るのは大変なことなのだ。舞台も、暗い森が暗喩のように度々出てきて、とてもドラマティックだ。
 そして、感動的なのは、イアンは決してそこから逃げないこと。自分の父親の醜さを直視し、ジェルミを好きになってしまうという自分のセクシュアリティに戸惑い悩み迷いながらも、ぶつかっていく。
 時として、ふたりのやり取りは、生きるか死ぬかのぎりぎりのところまでいってしまう。
 「向こう側」に行きそうになりながら、なんとか踏みとどまり、「こちら側」に戻って来る、という感じで、本来ならば心理学者がやるべき危険なことをイアンが引き受けている。
 Img_0434_1もちろん、イアンのすすめで専門家にカウンセリングも受けるのだが、それだけではなかなか回復しないのだ。

 「おまえの痛みに 目をつぶらない」

 というイアンの言葉には、ちょっと泣きそうになってしまった私。
 もしかしたら、こんなふうに無条件で相手のすべてを受け入れ許すことが、本当の「母性的」な愛情なのかも知れない。 イアンは性別としては男だけれど……。同時に、ジェルミを強引にでも社会へ出すという役割も果たし(どんなことをしたかは後述)、「父性的」な側面も併せ持つ人物だ。

 ――と、あまりの大作であり、シリアスなテーマであり、登場人物も多数でいくら書いても書き切れない。
 グレッグのような人物がいる一方、イアンの元恋人のやさしいナディアや親身になってくれる心理学者オーソン先生、ジェルミの通う寄宿学校の同級生たちなど、魅力的な人物も多数出てくる。
 
 興味のある方はぜひ読んでみてください! 損はしません。
 この義父のグレッグが、モラル・ハラスメント的人物。
 初めは実に紳士的なのに、だんだん本性があらわれ、サンドラがうろたえ泣いたりすると、鬼のような形相で「泣くな! うっとうしい」と怒鳴ったりする。 

 注:ネタバレですが→終盤にさしかかり、サンドラは、実は、ジェルミと夫グレッグの事実を知っていた――でも、知りながら否認していたらしい、ということがわかる。否認とは、深層心理ではわかっていながら、あまりに辛いので、なかったことにする、という、ずるい心理状態だ。自己欺瞞。
 結局、行き着くところは母親なのかも知れないと思った。現実を直視する母親であれば、ジェルミを守れたはずであり、こんな悲劇は起こらなかったはずだ。
 母親が子どもに与える影響は計り知れないほど大きい。
 ジェルミ自身、そんな母親の暗部を直視し、呪縛を乗り越えない限り、本当の再生はあり得ないのだが、そこが一番辛く、難しいところでもあるのだ。

 ところで、悪魔的人格のグレッグについては、あまり両親に愛されなかった生い立ちとか少し出てくるが、どうしてもそれだけでは説明がつかない。さすがの萩尾望都も、そこまでは突き詰められなかったのかも……。
 やはり、モラル・ハラスメント的加害者の本質的な理由というのは、第三者にとっては永遠の謎なのだろうか。

 あと、身も蓋もないけど……と思いつつ、実感したこと。
 ぼろぼろになったジェルミを救うため、イアンは彼と徹底的に向き合うのだが、そのための手段として、自分の大学進学を保留にしてロンドンにフラットを借りたり、予備校に通ったり、ジェルミにカウンセリングを受けさせたり、手始めにカルチャーセンターに通わせ美術をやらせたり、いろんなことをするのが興味深かった。
 で、こういうことができるのも、「お金があるから」なんだなあというのを実感したわけ。
 精神的に追い詰められた時、せめてものお金が「ある程度あれば」選択肢も広がるし、余裕もできる……と、自分の身に引き寄せつつ、かなり真剣に考えてしまった。
 実際、ジェルミは、イアンが助けに来るまではニューヨークに逃れ、男娼をし、薬漬けになっていたのだ。
 モラル・ハラスメント夫やDV夫から女たちがなかなか逃れられないのも、主婦がお金を持っていないから、選択肢がないゆえの結果とも言えるし……などと、ついあれこれと。
 
 ジェルミが心理学者のオーソン先生にこんなことを言われるシーンがあった。

「きみの持ち続けている その絶望にはいまだ名前がないのだ。
 誰も その名を知らないのだ。その絶望の名前を。
 きみは喪失し続ける。その喪失にも名前がないのだ」

「なぜ……ですか?」

「歴史は敗者の苦痛に名前を与えない。
 その絶望に近い名は……死だ」

 
 そして、オーソン先生は、
「どんなことがあっても 自らは死なないと約束してくれ」
 と言う。
 
 暴力――身体、精神への暴力すべて――は、人を破壊(死)へと追い込む。
 『残酷な神が支配する』は、そこを描き切った、類い稀なコミックである。

 この壮大なドラマをどんなふうに決着をつけるのだろうと読んでいくと――安易なハッピーエンドは用意されていなかった。
 でも、確かに暗い森を抜けて、ゆるやかな川の流れに身を任せるような、明るさを感じさせる結末になっていて、ほーっと安堵のため息。

 私が10代の頃、多大なる影響を受けた『ポーの一族』(萩尾望都)を読んだ時も、永遠の時を生きるバンパネラがこの世界のどこかに、実在するとしか思えなかったけれど、『残酷な神が支配する』も傷だらけのジェルミとその傷を受け止めるイアンがどこかに実在するような気がしてならない。
 30年近く経っても、萩尾望都の作品にこんなふうにまた打ちのめされるとは……驚嘆するばかりだ。

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