音楽

2016年12月29日 (木)

さよならボウイ、さよなら2016年

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2016年もあともう少しで終わる。なんと最後の更新は2015年の夏だった……ぎりぎり滑り込みセーフの更新。
ツイッターが手軽で、ブログ書きはすっかりごぶさた。
こういう人、今、多いのでは?
ひとつにはiPhoneで撮影した画像の容量が大きすぎて、アップするには縮小しなくてはならず、それが面倒ということもある(設定を上手く考えておけばいいのだろうけれど、それも面倒で)。
2016年はデヴィッド・ボウイの訃報で始まり、プリンスも星となり、何か書こうと思っている矢先にヨーロッパではテロが相次ぎ、仕事も忙しくなり月日が過ぎてしまった。

そしてクリスマスにはジョージ・マイケルや、キャリー・フィッシャーの訃報も。
今年は、きらきらしていた人たちが本当に次々と星に還っていく。

ボウイに関しては、思いがありすぎる。
20くらいの頃、この世界は今まで自分の周りを取り囲んでいた小さな世界だけではないぞ、何かとてつもなく魅力的なものがあるのだ、という感慨を抱かせてくれたアーティストである。
当時、世間では、レッツ・ダンスのポップなイメージが溢れていたが(80年代前半ですね)、個人的にはベルリン時代のアルバム(写真)と、その時代のボウイが好きである。
レコードをかけるプレーヤーはもうないのに、このレコードはジャケットが素晴らしくて、思い出もあるので、処分することができないでいる。

それから、海外のメジャーアーティストとは違う感慨で訃報を聞いたのは、ブンブンサテライツのヴォーカリスト、川島道行さん。

人生は有限なのだという、当たり前のことをかみしめつつ、年の瀬を迎えています。

ツイッターは手軽に書ける分、自分の書いた足跡も辿りづらく、泡のようにどんどんと消えていく。使い分けできればよいのだろうけれど、時間もないし。
しかし、ほとんど放置状態のこんなブログでも、過去の記事を検索でたどり着いて読んでくれる人が未だにいることを思うと、いろいろと考えてしまう。
せめて、年1ではなく、月1くらいの頻度で書けたらなあと思いつつ、どうなるかわからないが……。
このブログを書き始めた頃と比べると、世界も日本も随分変わったなあと思う。
より難しい社会情勢になったと感じる。
そんななか、どんな言葉を紡げばよいのか迷う気持ちもある。

とりあえず、たまたまここにたどり着いた方、どうか2017年がよい1年でありますように!


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2009年6月 7日 (日)

くちなしの丘――花の向こうに君が見えたら 

 最近、見つけたお気に入り。
 これから雨の季節に合いそうなPV。
 今日は気持ちのよいお天気だったけれど、5回は見たかな。

 それにしても、知世ちゃん、ラブリーすぎる!  
 「時をかける少女」から20余年……今でもこの透明感、少女のよう。
 彼女の声も表情も仕草も着ているものも小道具も、ぜーんぶ好きだ。        

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2008年4月 6日 (日)

桜が咲くばかり MUTE BEAT―ONE NIGHT LIVE 

 4月に入って2日(水)は、ミュートビート一夜限りの復活ライヴへ(恵比寿リキッドルーム)行ってきた。
 こだまさんは、ノスタルジーなんかないと言っていたが、やはりどうしたって感慨深くならざるを得ない。
 この20年の年月が走馬灯のように蘇えってきた。
 そして、ミュートビートの音は少しも古くなっていないことに、改めて感動した。
 包み込まれるようなダブとベースの低音、屋敷豪太さんのキレのいいドラム、ストイックなこだまさんのトランペット(失敗してやり直し、がちょっと多かったけど:笑)……古くなるどころか、今、よりいっそう輝いている。

 こだまさんはMCで、「日々の暮らしを大切に」と繰り返し言っていた。
 昔も「日常! 輝け、日常!」と言っていたっけなあ。
 この日、話の前後関係は忘れてしまったが、こだまさんが「……桜が咲くばかり」と言っていたのが印象的で――人生いろいろあるけれど、自然は無常にも巡って来る、みたいに私は聞こえた――確かにリキッドルームのある明治通り沿いは桜が満開でとてもきれいだった。

 音楽とは直に関係ないかもしれないが、こだまさんは昔はわりとスタイリッシュだったと思うのだが、最近はそれに抗うかのようなファッションが多い(笑)。
 いつだったか、吉祥寺でトランペットケースを抱えた彼を見かけたことがある。
 確か、頭に白いタオル、迷彩柄のジャンパーだった。
 ファッションとかお洒落とか流行とかすべてを突き抜けてしまったような姿は、彼の音楽にそのまんなつながっているような気がした。
 吉祥寺の雑踏の中をすり抜けるように早足で歩く姿はどこか近寄りがたく、昔から面識があって懐かしかったにも関わらず、声をかけそびれてしまったこともよく覚えている。

 それはさておき……こだまさんは、復活も再結成も何もないと言っていた。
 そのことが、とても納得できるライヴでもあった。

 ライヴとはまったく関係ないが、この日深夜に帰宅すると、生協の食材が玄関前に山積みになっていた。
 この日、出かけることを忘れて、たくさん頼んでしまったのだ。
 半分泣きながら夜中の0時半に、冷凍の鶏胸肉を冷凍庫にしまい(まだ夜は肌寒いのでドライアイスだけで凍ったままだった。よかった!)、青菜を水につけ、卵をしまい……「日々の暮らしを大切に」するのも大変だ。
 昔はここまで生活に手をかけることもなくて、若い頃は平日であろうが何だろうが、ライヴにはほいほい出かけたものであったなあ、など、そんなこともいちいち懐かしく思い出してしまった。
 また、その後の自分の疲れ具合にも、20年の歳月を感じてしまった(笑)。

 
 あと2日は、プーさんなど児童文学の翻訳などで、日本の児童文学界に多大な貢献をされてきた石井桃子さんが101歳で亡くなった日でもある。
 桜の季節に逝かれるのは、なんとなく石井桃子さんに相応しい気がする。 
 石井桃子さんには、たくさんのものをいただいたいなあと思う。
 ご冥福をお祈りします。
(日を改めて、また詳しく書こうと思う)

  
 そして、先週土曜日3月29日は、ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団の舞台(『フルムーン』)を、この日に合わせて大阪からやって来た連れ合いと一緒に観た。
 あまりの素晴らしさに打ちのめされる。
 観た後、「表現(芸術)とは何か?」みたいなことを、結構、大まじめに話し合った。

 今までずーっと観たい観たいと思いつつ、機会に恵まれなかったのだが、ようやく観ることができた。
 自分の人生を、ピナ・バウシュ体験前・体験後……と分けて考えてみたいほどだ。
 これはまた日を改めて、書けたら書く……ということで(私なんかの言葉・知識では伝えられないのだが)。

 

 というわけで、先週末からなんだか濃い1週間で、お花見をする間もなく、今日は近所の公園の桜がはらはらと散り、さっきを窓を開けていたら、部屋のなかにまで花びらが舞い込んできた。 

 

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2008年3月16日 (日)

上田現さんを偲んで

 先週の9日、日曜日、レピッシュの元メンバーだった上田現 さんが亡くなった。
 私は、上田さんが病気だったことを知らなかったので――公には、腰痛のため療養中としていたが、肺がんだったのこと――、翌日の月曜日、職場で立ち上げたPCのヤフーのニュース画面に出てきた時は、びっくりした。

 若い人はあまり馴染みがないかもしれないけれど、レピッシュと言えば、80年代後半~90年代初めのバンド・ブームの頃、とっても人気のあった元気なバンドだ(過去形にしてしまうのも、失礼かもしれないが……私個人の中での捉え方なので、悪しからず)。
 スカのリズムに、シュールな日本語の歌詞をのせて歌うユニークなバンドで、私もファンだった。
 そのシュールな歌詞は、だいたい上田現によるものが多かった。
 メンバーを脱退し、最近では、元ちとせさんなどのプロデュースを手がけていた。

 その昔、もう十数年も前のこと。
 レピッシュの仕事をしていた知人のライターのツテで、レピッシュのライブの後、打ち上げに参加させてもらったことがある。
 私はライターの知人というだけで、何の関係もなかったんだけど(笑)、マネージャーさんとかも嫌な顔もせず、太っ腹だったなあ。
 私みたいな、あまり関係のない女の子が他にも何人かいたりして。
 で、のこのこ付いて行って、ちゃっかりと、霞町のレッド・シューズで、高いお酒を飲んだのであった。
 バンドの打ち上げって、今でもあんな感じなのか、あの頃はまだ時代に勢いがあったのかな……確かにバンド・ブームだったし。
 その時、知人が上田さんを紹介してくれた。
「現ちゃん、私の知り合いなんだけど。ファンのKateさん」
「こんにちは。上田です」
 と挨拶をして頭を下げたと思ったら、次の瞬間、
(私は「はじめまして」とかなんとか言ったのだと思うけれど)
 現ちゃん(笑)は、
 「はい、さよーなら」
 とその場からそそくさと立ち去ってしまった。
「現ちゃん、照れ屋だからねえ」
 とその知人が言ったかどうか、もう記憶は曖昧だけれど、本当に嫌な感じは全然しなくて、不思議なおかしみがあったことを思い出す。

 その後、自分の興味は、テクノとかの方に行ってしまったのだが、レピッシュのアルバムだけは大事に手元に残してある。

 上田現、享年47歳。
 いい音楽をたくさん残したから充実した人生だったと思うけれど、若すぎる。 
 こういうことがあると、同じ40代として、つくづく人は有限の時を生きているのだなと思い知らされる。 

 梅の写真で、哀悼の意を。
 この梅、花びらが白とピンクと、きれいに2色に分かれています。不思議。
 上田現さんが亡くなった9日の日曜日、善福寺公園へ満開の梅を見に行き、たまたま撮影したものです。
 お悔やみに紅白の梅というのもどうかな……と思ったのですが、それは「現ちゃん」のことだから、むしろ喜んでくれるかもしれません。
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 ご冥福をお祈りします。


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 美しい空だった3月9日、初春の黄昏前。
 ちょうど、この頃、上田現さんは永遠の眠りについたのだと思います。 
 ――善福寺公園にて。


――笑っている人が好きさ
もちろん私も笑ってるよ
だけどうごめく人ゴミの中で
はずかしいね 大の男が泣いてしまいました

私は繭の中
  身を守るレインコート 
     身に着け

ずっと繭の中
 身を守るレインコート 
    びしょぬれ

「爆裂レインコート」
(胎児の夢)より

作詞・作曲 上田現


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2008年2月20日 (水)

FLOWERから20年……

 ちょっと凄い情報を発見。

 

MUTE BEAT   ONE NIGHT LIVE

 これはもう行くしか……。
 それにしても、あのバンドに出会ってから、かれこれ20年とは、感慨深いというか何というか。
 赤いチューリップが咲き乱れる写真がジャケットの、FLOWERというアルバムをよく覚えている。

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2006年11月25日 (土)

初冬の味と本と音と

 寒い日のお楽しみは、熱い紅茶と本と……。
 今日は、この季節しか出回らない貴重な紅玉で焼きりんごをつくってみた。
 この前、つくった時は、焼きすぎてりんごの原型を留めずグズグズのジャム状になってしまった(泣)。今回はまあまあの出来栄え。酸味があっておいしかった。
 芯をくり抜いて、中にバターひとかけとメイプルシロップとシナモンを入れて、アルミホイルにくるんでオーブンで焼くだけ、という自己流レシピ。
 2つ焼いて、1個は熱々のを食べ、もう1個は冷蔵庫で冷やして、明日の朝のお楽しみ。
 
 Img_0515さて、今読んでいるのは、水村美苗の『本格小説』(上) (下)
 カバーの絵はウィリアム・モリス。
 水村美苗というと、夏目漱石の『明暗』の続編・『続明暗』だとか、英語交じりの横書きの小説などがあり、敷居が高い感じがして、なかなか読む機会がなかった。でも、ここ最近、私の周りでこの『本格小説』を高く評価する人が多いので、手にしてみた。
 正統的な恋愛小説というものも久しく読んでいないし。
 というわけで、読み始めてみると、本当にこれは読みやすい!……というのが、賞賛の言葉になるのかどうかわからないけれど、ぐいぐい引き込まれる。
 舞台は昭和の軽井沢、身分違いの恋という、ブロンテの『嵐が丘』を彷彿とさせるストーリーなのだけれど、全然陳腐じゃないし。
 言葉の力だけで、別の世界へ連れて行ってくれるという、この感覚、久しぶりのような気がする。『本格小説』というタイトルにも納得。

 しかし、凄く長くて、文庫版上・下、各600ページ近くある。 
 ここのところ、自宅でも仕事のための本を読むことが多く、引き込まれると言いながらも、実は上巻の「本格小説の始まる前の長い長い話」がまだ終わっていない! だって、この序章だけで、すでに230ページほど。最近のちょっとした小説1冊分くらいあるのだ。
 だから、まだ話の中心に辿り着いていないのだけれど、序章であることを忘れてしまうくらいおもしろい。この部分は、著者自身の自伝的物語と捉えてよいのだろうか。
 平日の夜はベッドの中で眠るまでのひと時はこの本を読むことにしている。眠る前は、評論とかはあまり読みたくないので、ちょうどいい感じ……なのだけれど、おもしろくて、つい読みすぎて、ふと気づくと1時間くらい経っている……ことも、しばしば。
 それでも、このペースだと、完読するまでに年末年始にかかってしまうかな……。
 年明けにでも、また全体の感想など、書くかも知れません。 

 Sg2そして、今いちばんお気に入りの音楽は、シャルロット・ゲンズブールの新しいアルバム“5:55”。父・セルジュ・ゲンズブールとのアルバムから、なんと20年ぶり。
 当時のアルバムも素晴らしかったけれど、バックの音がチープだったような記憶が(笑)。でも今回の“5:55”は、レディオ・ヘッドのプロデューサーが協力しているらしく、奥行きがある感じ。ちょっと息が洩れるようなウィスパー・ボイス、フランス語訛りの英語の歌詞と、20年経っても少女のようなシャルロットの世界は変わっていなかった。
 どこにも出かけたくない寒い休日、部屋にこもって聴くのにはぴったり。
 でも、そうか、シャルロット・ゲンズブールもレディオ・ヘッドが好きなのか……と思った。
  「フレンチ式しあわせの見つけ方」という映画で、CDショップの試聴器で、たまたま同じ曲を聴いていて目が合い恋に落ちる――シャルロットと相手はジョニー・デップ!――というシーンがあったのだけれど、その時の曲がレディオ・ヘッドだったのだ。
 カメラがふたりの周りをくるくる回り、下手すると安っぽくなってしまうのだけれど、そうはならず、不思議に美しいシーンだった。
 「本格小説」的恋愛なき現代においては、こんな日常のシーンが最もロマンティックだと思う。ま、これも映画で、現実にはありそうでないシーンですが。ジョニー・デップがそこら辺にいないのと同様に(笑)。

 寒くなると、読むことや聴くことに没入できるし、りんごも美味しいし、この季節、結構好きです。

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