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2011年11月 4日 (金)

3.京都旅行----5月5日

 京都旅行、最終日について写真を中心に簡単に書き記しておきます。

 この日のメインは、源光庵。
 地下鉄烏丸線北大路駅からタクシーで向かった。曹洞宗の高僧の隠居所が始まりだったとか。
 昔の人はなんと優雅な隠居場所をつくっていたことか。
 まあ、長生きして隠居できる人の数も限られていたのだろうが。
 広間から見渡せる庭が素晴らしい。お天気もよくて、鶯なんぞが鳴いており、別世界へ誘われるかのような空間。

               
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 迷いの窓(角窓)と悟りの窓(丸窓)とが並んでいる。なんと哲学的な……。
 そのふたつの窓からそれぞれ庭の緑が見える。
 こういう日本人の美意識、最近特にしみじみといいなあと思う。

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 近くに光悦寺という寺もあって見学したかったのだが、時間切れで果たせず、残念だった。

 

Img_2257  帰りがけに、偶然見つけたKloreというパン屋さん。
 店の佇まいから何となく私の嗅覚が働き、美味しいに違いないと思い、いくつか購入。
 私の好きなハード系のパンが充実していて、フルーツ入りのライブレッド(うろ覚えだが、たぶんそんなパン)や葱入りの調理パン、柚子をアレンジしたパンなど、京都らしいパンがいっぱい。
 これは大事に東京まで持って帰ってから食べたけれど、とても美味で大当たり!
 この辺りはそれほど賑わっている観光街でもなく、どちらかというと静かなこじんまりとした街だったけれど、本当に食のレベルが高いなあと感じた。
 この街のこじんまり感は、個人的に非常に気に入って、住んでみたいような気にもさせられた。

 その後、有名な今宮神社を参拝、神社を出たすぐ側にある、これまた有名なあぶり餅の一文字屋へ。
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 ちぎった小さな餅が串にささっているだけで、さほど期待していなかったのだけれど、これがまた予想に反して旨いっ。程よい甘さと醤油の味で、ひとり15本分はあっという間に食べてしまう(1本はほんと小さいのです)。

 それから、京都市中心部に戻り、お昼は念願のイノダコーヒで。
 昔、ここのコーヒーが好きでよく通販で購入していたのだけれど、お店に行くのは初めて。京都旅行を計画した時から、絶対に行きたいと思っていた。
 幸運なことに気持ちのよいテラス席に案内される。
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 伊藤まさこさんがガイドブックの中でおすすめしていたナポリタンを頼んでみる。連れ合いも同じナポリタン。

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 これがまた格別の味わい。本格派イタリアンとは別の独特な美味しさ。かといって昔の喫茶店とは比較にならない。これ一皿で、十分満足なランチだった。
 食後はもちろんコーヒー。オリジナルブレンドのアラビアの真珠。

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 お店の従業員の方も、白い上着をぱりっと着こなして、プロっぽい感じで、さすが老舗の貫禄。気持ちのよい時間が過ごせた。

 そこからまたまた老舗のタワシ屋、内藤商店にて、かねてから思案中のほうきをさんざん迷いつつ、思い切って購入。
 ある意味、この内藤商店のあり方にいちばん京都らしさを感じた。
 小商いの仕方とか職人さんのあり方とか、実に実にいろんなことを考えさせられたので、そのことに関しては、別枠で書いてみたいと思っている。

 さて、いよいよ京都旅行も終わりに近づいてきた。
 長い柄のほうきを握りしめたまま、錦市場へ向かい、あまりの活気に圧倒されながら、迷路のような市場を見て歩く。
 住んでいたらあれこれ試してみたいお惣菜がたくさん並んでいた。
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 お惣菜はさすがに新幹線で持ち帰れないなあとあきらめ、パックのしば漬けだけ購入。
 連れ合いおすすめの蕎麦屋でところてんの黒蜜がけをおやつに食べ、そして、ついに京都旅行は終わり。
 京都駅で連れ合いと別れ、連れ合いは三重へ、私はうっすらと被爆した東京へ戻りましたとさ。

 どこも美味しかったなあ。美しい!とか、美味しい!ばかり、書き連ねてしまったけれど、本当なのだから仕方ない。
 
9784163707006_3  今回は、『京都てくてくはんなり散歩』(伊藤まさこ著/文藝春秋)という本を参考にしたけれど、伊藤まさこさんのおすすめスポットは確かになかなかよかった。センスよいです。
 ただし、この本の地図はちょっとわかりにくいので、地図に関してはもうちょっと実用的なガイドブックを参考にした方がよいかも。

 

 京都は味わい深い。
 すっかり虜にされた感あり、また行きたいです。

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2011年8月28日 (日)

2.京都旅行----5月4日

 京都旅行っていつの話?!という感じですが……爆発的忙しさが小爆発くらいになったのに、全然書けませんでした。
 ブログも習慣というか、書く習慣が途切れると、ほんっと書かなくなるものですねえ。
 今さら感いっぱいですが、なんとなく落ち着かないので----このままいくと年を越しそうなので----備忘録的に記しておきます。
 ううーむ、ほんと今さらですが、興味のある方は読んでいただけると幸いです。

 さて、2日目は自然を散策しようということで、パワースポットの鞍馬山&鞍馬寺へ。
 鞍馬寺は、牛若丸(源義経)伝承説話の地、天狗伝説で有名。
 まずは、路面電車みたいに小さくて可愛い叡山電車鞍馬線で終点の鞍馬まで。
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 鞍馬に近づくにつれ、車窓は緑でいっぱいになり、わくわくしてくる。
 さて、お昼のことは何も考えていなかったのだけれど、鞍馬駅に着いたら、パン屋さんの販売車が出ていて、いろいろ売っていて賑わっていた。
 一目見るなり、これは美味しいに違いないと感じた(パンは見た目で美味しさがわかる!)。
 ホットドッグ、バケットのフレンチトースト、シュークリームなどを買って、その場ですぐに食べた。それがまた、観光地だから適当に売れば何でも売れるし、といったものではなく、本当に美味しかったので、そういうレベルの高さは京都ならではだなと思った(しかし、このパン屋さんの店名は忘れた……)。
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 階段を少し上がって、ケーブルカーに乗って、鞍馬山の途中まで登ることにした。






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 ケーブルカーから鞍馬山の景色を眺める。→








 
 
 そして、前回にもUpしたけれど、鞍馬山のパワースポットと呼ばれる鞍馬金堂前にある六芒星へ。並んで、ひとりずつここに立って、手を合わせる。

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 鞍馬は、ここだけでなく、鞍馬山全体が自然のエネルギーに満ちた場所という感じがした。
 そこから徒歩で下山。いろいろなコースがあって迷ったが、由岐神社という古い神社を見て行くことにした。
Img_2206  巨大なご神木。写真だとスケール感が今ひとつ出ないけれど、天を貫くような高さで、見事だった。
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 神社の階段から見上げると、ちょうどご神木がこんなふうに門の真ん中に見える。というか、この木を崇めるために由岐神社が建てられたことがわかる。
 私たちは逆から来たので、後でこの風景に気づいたのだけれど、由岐神社目指して登っていくコースを選べば、こうしてまず門の向こうに巨木が見え、少しずつ近づき、その脇の階段を上がり、神社へ……という素晴らしい道程になるのだ。
 由岐神社は、桃山建築の割拝殿形式で重要文化財。
 ひなびた感じの味わい深い神社だった。

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 鞍馬の自然を堪能し、夜は街へ。
 この日も先斗町で晩ご飯を食べることにする。
 お店がたくさんあるので、あれこれ迷いに迷って、結構どこも混んでるし、うーん、どうしようという時に、ふとメニューにあった「新生姜とコーンのかき揚げ」というのが目に留まり、妙にこれを食べたい!という気がして、入ってみると、たまたま席が空いていた。
 京町家すいしん というお店で、ここが大当たり!
 外観はよくあるタイプの古い町家を居酒屋にしたお店なのだけれど、頼んだ料理がどれもこれも素晴らしく、はずれなし。
 京野菜のスティック、新生姜とコーンのかき揚げ、穴子の天ぷら、湯豆腐(豆乳の湯豆腐)、鮎の塩焼き、〆は鯛釜飯!(もっと頼んだ気もするけれど、さすがに3か月以上経つと、忘れるなあ……)
Img_2233  水槽に鮎が泳いでいて、連れ合いと「あ、さっきの鮎かな」と言っていると、目の前の板前さんが「琵琶湖の鮎は、大きくならないんですよ」と教えてくれた。
「この鮎、小さいね」と、食べながら私たちが言っていたのをしっかり聞かれていたらしい……!
 私たちはちょうど板前さんが立ち働くカウンター席で、この板前さんがさっぱりした感じの男前で、動きが小気味よく、寡黙なのだけれど、何か聞くとちゃんと丁寧に答えてくれる。
 そして、これだけのクオリティの高さにも関わらず、値段はお手頃で、今度京都に来る時も絶対またここにしよう!と言い合う(前の晩の川床のお店より安いのに味はこちらの方が勝っていたと思う)。
 京野菜に琵琶湖の鮎……味がいいのはもちろんだけれど、とりあえず放射能のことを心配しなくてよさそうな食材であることが、この時期の私には何かとてもありがたい気がした。
 決して老舗の名店というわけではなく、チェーン店(後でHPを見て知った)なのにこれだけのものが出せるのは、やはり京都だなと思う(東京では考えられない)。
 京都へ行かれる方、自信をもっておすすめします! 

 2日目も充実の1日、鞍馬の自然に触れ、お昼のパンも夜の先斗町すいしんさんも美味しくて、幸せだった。
 京都は奥深い!(また続く)

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2011年6月12日 (日)

鞍馬寺金堂のパワースポット

 京都旅行記を引き続き書きたかったのだけれど、爆発的に(?!)忙しくなり、しばらく更新できそうありません。
 鞍馬山のてっぺんにある鞍馬寺金堂のパワースポットの写真だけ載せますので、ご覧ください。

 この「六芒星」の中心がパワースポットなのだそうです。
 ここに立って「福島原発が静まりますように」と、お祈りしてきました。

 写真を通して、皆さまにも鞍馬山のパワーが少しでも降り注ぎますように!

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 土日に休日出勤するわけではないのですが、自宅で資料読み……。
 落ち着いたら、また京都旅行の続きを書きます。

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2011年5月23日 (月)

1.京都旅行----5月3日

 

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 5月3日〜5日、京都に行って来た。
 連れ合いは三重から、私は東京から新幹線で向かい、京都で待ち合わせ。
 駅を通過したことは何度もあるのに、なかなか訪れる機会がなかった。
 ちゃんと旅行したのは、大昔に行った中学の修学旅行以来! 
 修学旅行なんて所謂名所をさーっと通り過ぎるだけだから、京都は実質的に初めてと言っていいかもしれない(でも修学旅行の時も、10代の子どもながら、なんかいいなと思っていた)。

 このタワーも当初はいろいろ批判されていたようだけれど、年数を経て、今ではレトロな雰囲気でいい感じ。すっかり京都駅の風景に。
         
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 初日は、まず詩仙堂に行く予定で、叡山電鉄に向かっている途中で、本願寺を発見。こんな駅の近くなんだと、寄ってみる。
 すると、行く前から見られたらいいなと思っていた井上雄彦の親鸞の屏風絵がタイミングよく公開中。ラッキーだった。
 墨だけの絵で、力強く素晴らしかった。
 井上雄彦は、描く絵も本人自身の風貌も含め、漫画家というより「絵師」のようだ。

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 本願寺はとにかく巨大。
 かつて寺がいかに権力を持っていたかが伺い知れる。
 今も近くには、数珠など仏具関連のお店がたくさんある。

 そこから、10〜15分ほど歩いて、叡山電鉄に乗り、一乗寺駅下車。
 まずはお昼を食べようと、うろうろすると、すぐに雰囲気のよさそうなフレンチのお店を発見。              
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レストラン ラ ベルベーヌ
 数種の葉ものが入ったグリーンサラダ、上質なオリーブオイルの香りがするポタージュ、オレンジのソースが添えられた魚(鯛だったかな……ちょっと記憶が曖昧)と、デザート&コーヒーに至るまで、バランスがよくて美味しかった。
 街自体はとてもこじんまりしているのに、こんなお店がすぐに見つかって、しかも美味しいとは、さすが京都。

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 お腹も満腹になったので、そこから詩仙堂へ。
 造営したのは石川丈山(1583〜1672)という愛知出身の人で、幕府に仕えた後、京都に移り、この詩仙堂で漢詩などを学ぶ日々を送って生涯を終えたそうだ。
 「清貧」と言われていたらしいけれど、現代人の私たちから見れば優雅このうえない隠居生活だ。
 庭が素晴らしい。これぞまさに侘び寂びの世界で、先に見た本願寺とは180度違う趣。
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 開け放たれた詩仙の間から見た庭。
 緑が美しい。部屋を装飾するのではなく、こんなふうに自然を取り込んで来た日本人の美意識は素晴らしい。

Img_2139 池の鯉は、このように墨色の鯉で統一されていて渋い。
 水に溶け込むような鯉は、まるで一枚の墨絵の世界。

 Img_2143 新緑のもみじ……紅葉した姿もいつか見てみたい。
 庭はそれほど広くはないけれど、敷地の高低差が生かしてあるので奥行きのある印象を受ける。
 
 こんなひなびた建物が17世紀からあって未だに人々を癒しているのに比べて、原発なんて40年だよ、40年しか持たないで、あの始末だよ……と連れ合いに思わず語ってしまうのであった(小声でしたが、今の私の心の叫び!)。  

 
 この後は、知る人ぞ知る京都の本屋さん、Img_2154恵文社 一乗寺店 へ。
 あちこちで紹介されているので、まあついでに、ぐらいの気持ちだったのだけれど、入ってみてびっくりですよ、もう、ここは!
 棚のつくりが半端じゃない。
 文学、ノンフィクション、エッセイ……なんていうありきたりなジャンル別じゃなくて、豊かな連想ゲームのように本が並んでいる。
 そこに雑貨だとか小さな美術品も一緒に並んでいて、誰かの贅沢な書斎を覗いているみたい。
 料理本のコーナーは、実用書というくくりではなく、レシピ集とともに食のエッセイなどが並んでいて、その隣のギャラリーのコーナーには地元の陶芸家がつくった器や、ホーローのポットが置いてある(もちろん買える)という、そういう有機的な流れが感じられる。
 本好きな連れ合いも興奮、「昔のリブロみたいだね」なんて言い合う。
 お店の外観は上の写真のように雑貨屋さんのような佇まいで、電球色の灯りが温かい感じ。スペースも広くて、いいなあ。
 今、大手ばかりになりつつあり、雑誌と漫画で稼ぎ、新刊が並んでは消える東京の書店ではほんとに考えられない。
 こんな書店が自分の住む街にあったらと妄想してしまう。
 連れ合いは文庫を一冊購入、私は荷物が重くなるので本は我慢。
 と、堪能したところで、ちょっと疲れたし、ここからほど近い<つばめ>というカフェでひと息。Img_2152

 コーヒーを頼んだら、私の好きなアラビアのブラック・パラティッシュで、嬉しくなった。

 

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 <つばめ>という店名は、映画の「かもめ食堂」をちょっと連想させる。
           

 

 

 

 




 

 夜は先斗町へ。小さな路地がめくるめく感じで続く。

Img_2157_2  この狭い小路にお店がびっしり。東京だと新宿のゴールデン街を連想するけれど、バーではなく、それぞれがどこもしっかりした料理屋なのだから、驚く。
 







 お店は決めていなかったので、あれこれ迷いつつ、鴨川を川開きしたばかりで、川床で食事ができるという<魯 ビン>というところにする。

Img_2162  川床のお食事は、こんな感じ。映っているのは、向かい側の隣のお店だけれど。
 まだちょっと寒かったかな。
 鴨川も変な柵とかなく、皆、川縁に座って和んでいる。
 ワインとパンとチーズを持参して、川縁沿いのディナーなんていうのも今度はいいかも知れない。

 
 ちなみに雰囲気満点でしたが、このお店はさすがにちとお高い(和食のコース)……でした。

 
 京都の夜を堪能して、宿へ……で締められると優雅なのだが、ここからもうひと旅あった(笑)。
 実は京都で宿がとれなかったので、連れ合いが勝手を知る名張のビジネスホテルを予約し、そこへ向かったのだ。
 震災後、もしかしたらキャンセルも出たのかもしれないが、なんかもう面倒になったので、京都でなくてもいいかと。

  さて、初日はこんなふうに「めくるめく」感じで、あっという間に終わった。
 タクシーの運転手さんやお店の人によると震災後から外国のお客さんはめっきり減ったそうだ。
 しかし、東京から来た私から見ると、どこに震災の影響が?!と言いたくなるほど、凄い人で、大にぎわいという印象(確かに外国人は少ないようだけれど)。
 東京ではすっかり日常の一部となっている東日本大震災の義援金ボックスやお悔やみや応援の張り紙は、京都では、お寺とコンビニだけだった。
 それだけで、少し「震災モード」な日常から離れることができ、また余震もまったくなく(ていうか、本震もなかったわけだし)、私の心はだいぶ軽やかになった。

 説明するのが難しいのだが、そういう「震災モード」から逃げたいというわけでもなく、ただ、少し違うモードの場所に行きたかったのは事実。

 で、実際に、「震災モード」ではない様子を見て、別に複雑な感情も湧かず、その「他人事」な感じに、むしろほっとした(私自身も、東北や福島の人から見たら他人事のように見えるのだろうけれど)。
 物理的な距離は心理的な距離に比例するなあと。
 実際、放射能の飛散も距離に比例しているわけだし。
 日本全体が悲壮感に包まれていたら困るしね、という、そういう意味でのほっとした感があるのだ。
 だから、「がんばろう、東北」より「がんばってほしい 西日本」と言いたい気がする。

(しかし、どこにいても心配している人はしているので、ひとくくりに言えないが……ほんとにこの話、特に原発関連はややこしい)

 と、あれこれ考えてしまいつつも、やはり思い切って京都に来てよかったなと思いつつ終えた1日目の夜であった。(続く)


 

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2009年11月 1日 (日)

奈良は広かった……

 11月に入ってしまい、すでに先々月のこととなってしまいましたが……。
 9月のシルバーウィーク――と最近は言うらしい――には、連れ合いの住む三重県へ行きました。

 着いた当日、少し車を走らせて連れて行ってもらったのが、伊賀牛を美味しく食べられる名張の三太夫 というお店。ここがとても印象的だった。
 古い豪農(?あるいは大きな商家?)を改築したお店で、入り口には本物の火が焚かれている松明の灯かりがゆらゆらと。
 薪能でも始まりそうな雰囲気であった。
 まるで時代劇のなかに紛れ込んだようで、こういう空間は東京では味わえない。
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 上質な伊賀牛と新鮮な川魚のアマゴ。
 あと、秋の野菜もいろいろ。
 炭火焼というのは油を使わず、その素材そのものだけでじっくり焼くからヘルシー。
 ふだんは牛肉はほとんど食べないので、こういう機会にはじっくり味わう。

 帰りがけに、このお店の使用済みの炭を紙箱に入れたものをもらった。
 消臭材になるらしい。リユースの素晴らしいアイデア(早速、冷蔵庫で活躍している)。

 
 さて、その次の日は、名張から電車で1時間半くらいかけて奈良へ。
 といっても、あまり計画も立てず、午後からふらりと出かけたという感じ。
 着いてみてから、奈良の広さに圧倒される。
 着いてすぐ、お腹が減っていたので、釜飯のお店に並んでいる間に、時間がどんどんと過ぎ……釜飯は美味しかったのだけれど、それから春日大社に行って、すでに夕方近く(笑)。
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 春日大社のご神木。
 イチョウだったか? なんの木が忘れたけれど、木の根元は空洞で、一見死にかけているように見えるのに、上の方の枝には緑が……。さらに、剥き出しになった根っこが山のように盛り上がり、木は3本くらいに別れて生きている。
 本当に神々しい木だった


 
 ドラマの「鹿男あおによし」によく出てきたのは若草山かなあと、てくてく登りながら行ってみるも、おお、なんとすでに閉園。
 夕方から夜は、カラスのねぐらになるらしく、ヒチコックの「鳥」の世界であった。
 また、てくてくと山を下ると、夕陽が赤く奈良の街に沈んでいくところで、「万葉」という言葉が浮かんでくる景色だった。
 寺も5時でどんどん閉まっていくので、結局そのまま街をぶらぶら歩き、ぜいたく豆本舗という、とてもよいセレクションのお土産さんを見つけ(こういうのを探す嗅覚はやたら働く私)、奈良半日の旅はお終い(笑)。
 でも、駅の近くの商店街でたまたま見つけたイタリアンのお店がヒット。Img_1845
 お店もお洒落だし、美味しかった。

食後のカプチーノ! 食後は本当はエスプレッソを飲むべきなのだとか。でも、カプチーノ好きなもので、つい頼んでしまう。→

 それにしても、この旅に出る前に、あまりに忙しくてなーんにも計画を練ることができなかったのが悔やまれる。仏様も全然拝めず……。
 何も考えずに来て、着いてみてから奈良って素晴らしい土地だなあとしみじみ思った(そんな当たり前のことを何を今さら、という感じだが)。
 なんというか、空気感がとてもよい。伊勢神宮は研ぎ澄まされた、ぴりぴりするくらいの清澄さを感じたが、奈良はもう少しゆるやかで穏やかな、のほほんとした感じ。
「うー、あれも見られなかった、これも見られなかった。計画性がなさすぎた……」とくよくよしている私に、連れ合いは、
「釜飯も食べられたし、春日大社も見られたし、充実の1日だよ~」と。
 そう、私は貧乏性というか、 後悔癖があるというのか……これは人生全般についてもいえるかも。
 よかったところをクローズアップして見るという視点は、私も持ちたいところだ。

(その後、最近、奈良のガイドブックをいろいろ目にする機会があり、歴史的な見所以外にもよさそうなカフェなどもたくさんあることを知り、奈良ホテルのラウンジでお茶するのも素敵だったんだなあ……とか、また地団駄を踏みそうになっている私:笑)。

 

Img_1820  来年、奈良は遷都1,300年祭。
 また行きたい(京都にもじっくり行きたいし、行きたいところがたくさん)。
 今度はある程度ちゃんと「計画」して行こうと話し合った。
 広いし、あちこち行くのは距離があるので、テーマを決めて今回はこことここ、と絞り込んで回るのがよさそう。
 
 鹿クンに、またすぐ来るからねと約束をしたい……のに、これがなかなかこっちを向いてくれないんだな!



<追記>
 乗り継ぎの名古屋駅では、新幹線のホームにある立ち食いスタンドで、かき揚げ入りのきしめんを行き帰りに食べられたのも嬉しかった。前回も食べたけれど、本当に旨い!
 私は関東の生まれ育ちだけれど、食べものはいつからか関西風が好きになっている。醤油で黒っぽい汁のうどんなんて、食べたくない!

 

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2008年11月16日 (日)

三重への旅<3>――赤目四十八滝

 さて、三重を訪ねてから早1か月。
 すっかり間が空いてしまったが、最後の報告を。

 最終日の10月13日は、連れ合い宅の所から比較的近場の赤目滝へ行って、そのまま駅に向かって私は帰ることになった。
 ネットがつながっていなかったので、何の下調べもせず、軽ーい気持ちで車を走らせて……ところが、着いてみてびっくり。
 そこには、びっくりするような荘厳な渓谷が果てしなく広がっていたのだ。
 以前、私は映画の『赤目四十八瀧心中未遂』(車谷長吉作)を観たことがあるが、肝心の滝の場面はあまり鮮烈な印象はなく(主人公の男が、ボロアパートで臓物の串刺しの内職をしているシーンの印象の方が強くて……)、記憶にはっきり残っていなかった。
 映画を観ていた時は、まさか自分がそこに行くことになるとは思ってもみなかったし、「赤目瀧」という名称がフィクションめいていたので、実在の場所ではないのかも、なんて思っていたし(またまた地理に疎いのがばれてしまうが!)。
 それは越してきたばかりの連れ合いも同じで、職場の人にこの滝のことを聞いても、たいした反応は返ってこなかったので、そこそこの観光地、くらいにしか思っていなかったそうだ(地元の人は、あまり興味ない?)。

 

Img_1622_2  ふたりともその程度の予備知識しかなかったのが、かえってよかったらしく、とにかく、着いてみたら、眼にするものすべてが新鮮で、清冽な印象を受けた。本当に素晴らしいところだった。
 滝が四十八本、1か所に並んでいるわけではなく、役4kmの渓谷に沿って、いろいろな形状の滝が四十八ある。

 この日は、晴天。木々と滝の飛沫で、マイナスイオン(というものがあるのかどうか、よくわからないが)、たくさん!という感じ。

 「赤目」という名前の由来は、不動明王が赤い目の牛に乗って現れたという伝説から来ているそうだ。
 また、国の天然記念物に指定されているサンショウウオの保護地区でもあり、そのせいでこの自然も美しく残されているのかも。 と思うと、不気味なような、愛嬌があるような、のんびりやのサンショウウオがこの地の守護神なのかもしれない。


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  滝には、それぞれ名前が付いている。これは「行者滝」。

 滝が落ちていく滝壺は、水がエメラルドグリーンに輝き、魚が泳ぐ姿がちらりと見える。
 そして、底の方から、水晶を抱いた龍がゆらゆらと現れてきそうな、そんな神秘的な空気が漂っている。

 
 また、メインの道から外れて、細い急な階段があって、滑らないようにそろりそろりと登っていくと、天然の岩穴がそのまま祠になっていたりする。
 こういう所に来ると、自然に神様が宿ると信じたかつての日本人の精神性が凄くよく、肌で理解できる感じがする。

 渓谷を登って、すべての滝を見て、また降りて帰って来ると、たっぷり3時間はかかるらしく、1時過ぎにのんびり出かけた私たちは、「うわあ、こんな凄い所だと思わなかった」と何度も言いながら、3分の1くらいの地点で引き返した。
 それでも、行ってよかったと思う。

 「布曳滝」。
 「高さ30メートル。名のとおり、白布を長々とたらした優美な姿の滝。水が掘り込んだ滝壺の深さは何と30メートル」なんだとか

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 しばらく歩くと、布曳瀧という見事な瀧があった。高さは三十釈はあろうか。一条の布を掛けたように落ちる瀧は、深い青緑の瀧壺にまっしぐらだった。山陰になっているところで、ここばかりは水の流れもゆっくり底鍋を巻くように、蒼い色を湛えていた。底は見えない。私の古里の川にも、こういう淵があった。底には横に洞穴があって、「そこではな、きれいな橋姫が機を織ってはんねやで。」と祖母が言うていた。 
 布曳瀧のすぐ上には、瀧ヶ壺という深い淵があった。ここから落ちる水が、すぐ下の布曳瀧へ一挙になだれ落ちているのである。投身するなら、ここだなと思うた。ここから布曳瀧の瀧壺へすべり落ちれば、間違いなく途中の岩に頭蓋骨は摧かれるだろう。岩走る速い水の流れだった。
『赤目四十八瀧心中未遂』(車谷長吉/文春文庫)より

 Akame__2    
 あの赤目瀧がどのように描写されているか、知りたくなって、原作の方も読み始めている。
 矛盾した言い方だが、闇の輝きのような、不思議な魅力を放つ小説だ。
 主人公は、兵庫の尼ヶ崎に流れ着くようにしてやって来て、世捨て人のように暮らし、この赤目瀧を訪れ、同行したとある女――しかし、それほど親密ではない――と、心中したいと思う。
 最近の小説は、場所などあえて無名性な感じで描いているものが多いけれど、こんなふうに土地に密着した物語も味わい深い。でも、時代は昭和50年代。確かに現代では書けないだろうなあと思う。

 というわけで、次来た時は四十八滝すべて制覇するぞ、赤目滝リベンジ!を誓って、その日は赤目滝を後にした。時間ぎりぎりの中で食べた、土産物屋さんで出している山菜うどんが美味しかったのも、印象深い(ラーメンより、蕎麦より、うどん好きな私!)。

 それにしても、観光地として派手に宣伝されていなくても、日本にはよいところがたくさんあるんだなあ。よいところ、というか、ディープな場所が……。
 ここを小説のモチーフにした車谷長吉も凄いと思う。
 そして、日本は本当に水が豊かな国なのだなあと実感した(アニミズムと一神教の違いなんかも、しみじみ感じてしまうのであった)。
 隣接した場所に滝が四十八も流れているのだなんて、凄いことじゃないか。

 とにかく、こんなディープな聖地のような地に、車で30分(くらいだったかな?)の場所に、連れ合いが住んでいるというのも不思議というか凄いというか、なんというか。
 東京から遠く離れて……を、新幹線と近鉄線の乗車時間以上に実感してしまう。
 今回は、伊賀方面と合わせ、なかなか興味深い「観光」ができたと思う。

 東京にいると、慌ただしく日々が過ぎていくが、今も赤目滝では、あの清冽な滝が枯れることなくこんこんと流れ続けているのだ――ということに思いを馳せると、どこか、心の中が、しんと静まり澄んだようになる。

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2008年11月 2日 (日)

三重への旅<2>――伊賀街道を訪ねて

 「三重への旅①」の続きです。
 最初の夜のこと。夕食を食べるため適当に決めたイタリアンの店が、名張から車で20~30分くらいの伊賀というところだった。
 私はもちろん、連れ合いも初めての場所だが、意外と面白い土地で、古い建物がたくさん残っている。そのイタリアンの「リストランテ チッタ」というお店も、古い町家づくりの日本家屋をレストランに改装したところで、なかなかよかった。

 というわけで、二日日は、この伊賀を訪ねることにした。

 Img_1589 来てみれば、歴史のある街で、伊賀街道といって、昔は栄えていたらしいことがわかる。
 今も古い街並みが残り、古い家屋をそのまま店舗にしているはきもの屋さんだとか、和菓子屋さんやすき焼き屋さんなどがあるが、さすがにかつての賑わいはなく、日曜にもかかわらず、ひっそりとしていた。

 左端のミニ屋根みたいのが「うだつ」。火事の時の火除けの役目。うだつが上がる、上がらない、というのはここから来ている。なんとも優美なうだつ。やはり、うだつは上げたいもんですな。

 趣のある古い看板はそのまま出ているけれど、もう継ぐ人もいないのか、戸を閉め切った店が多くて、ちょっと寂れた感じも。
 こういう古い町を活かしながらもっと活気があればいいのになあと、他所から来た人間が言っても何も始まらないのだが……。

 ガイドも何も見ずに出かけたのだが(連れ合いの家のネット配線がまだ済んでいなかったため、インターネットにもアクセスできず)、これまた意外な展開、この伊賀は、松尾芭蕉の出身地でもあったのだ。
 ラッキーなことに、この日は生家の見学料が無料だった。ここだけは、さすがに見学客で賑わっていた。
 Img_1607 また、少し離れた場所に愛染院というお寺がある。
 芭蕉翁故郷塚(写真)が建っていて、そこには芭蕉の遺髪が納められているという。







 そして、そこの小さな庭園にあったのがこんなの。 Img_1606_3

 連れ合いと「こんなところになんでバナナの木があるんだろー、風土に合わないよねえ」と不思議がっていたのだが、生家を訪ねてわかったのだ。
 これが芭蕉なのであった。バナナの木ではない!
 ちょうど花が開き始めていて、垂れ下がっている巨大な楕円形のは蕾(!)らしく、これがどんどんと皮が剥けるように開いていくらしい。
 上部にある緑のバナナ状のもの(というか、ほとんどミニバナナ)が、実。
 ユーモラスというか不思議というか、グロテスクでもあり(笑)。
 こんなのをペンネームに使っていたとは、芭蕉先生、モダンじゃありませんか。
 で、確かにバナナ科の植物であることに間違いはなく、唐から渡ったものだそうだ。
 でも、この実は食べられないそうだ。食べられないのに、なんでこんなふうに、いかにも食べられそうな形状をしているのか?
 見れば見るほど、不思議な植物である。
 私は、水芭蕉と混同していて、あんなふうな白い花だとばかり思っていた(ああ、教養がないっ!)。
 なんと、こんな異国情緒な木だったとは。

 という大発見に驚きつつ、街の方へ出て、みのむし珈琲店(これも芭蕉の句が由来の店名)という、店主おじいちゃん、お客さんはほとんど地元のおばあちゃん、というほのぼのした珈琲屋で、ホットケーキとブレンドで一服。
 そこに置いてあったガイドブックをめくって、夕食のため、伊賀の鉄板焼きのステーキのお店を予約。判断の基準がないので、ガイドブックにあった「創業25年」というので決めた。
 長く続いているのは、きっとおいしいからだろうと、ほとんど勘で。

 それから、辺りをドライブ。Img_1613
 この日の夕焼けを車内から。
 ちょっとヴィム・ベンダースの「パリ テキサス」チック。
 周りにビルがないので、空が広い

 
 さて、この勘で決めたHIROというステーキのお店、選んで大正解!
 伊賀牛というのは、神戸牛、松坂牛と並んで、この辺では昔から有名なブランド牛なのだそうだ。
 ふだんは牛肉なんてほとんど食べないのだが、いやあ、やはりいいお肉は美味しい。
 鉄板でさっと焼いて、ブランデーをかけて燃え上がる炎を演出――上等な牛肉はプロの手で料理されたものを食べるに限るなあと思う。 
 ステーキの前には、サラダも出て、お肉のほかに野菜の鉄板焼きもあり、最後はお肉の脂でガーリックライスをつくってくれる(このセットで、あとフルーツ少しとコーヒー付きでひとり4,000円とは、お値段も良心的)。
 とってもバランスのよい流れ。でもって、食べ終えた後に気づくのは、お肉から始まって最後はガーリックライスで結構なボリュームだったはずなのに、全然胃にもたれないということ。Img_1616_2

 このお店の息子さんは東京の大学生だとか。でも継がせる気がはないとご主人は言う。
 鉄板の前に立ち、肉を25年間も焼き続けて、息子を東京の大学に行かせるなんて、たいしたもんだなあと思う。 

 というわけで、予定も立てずにふらっと出かけたわりには――この辺のアバウトさ(笑)が私も連れ合いも同じ感じ――楽しくておいしい日帰り旅行となった。
 期待していなかっただけに、驚きがあり、新鮮だった。
 東京から離れてみるのも、よいものです。

 次回、さらにディープな「三重の旅③」へと続きます。

 

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2008年10月19日 (日)

三重への旅<1>――三重は「つ」だけではない

 先週の3連休は、連れ合いが引っ越しした三重へ行ってきた。
 関東の人間だと、三重ってどこ?という人が多いが、恥ずかしながら私もそのひとりであった。
 地図を見るまで、はっきりとした位置をつかめなかったくらい。
 東京からだと確かに大変な道程。名古屋まで新幹線で行って、近鉄に乗り換え、さらに1時間40分ほど。
 というわけで、ざっと4時間近くかかる。

 名古屋では、新幹線のホームにある立ち食いのきしめんが美味しいらしいので、おじさんやおにいさんに囲まれて、お昼代わりに食べてみた。かき揚げを頼んだ。しこしこのきしめん、カラッと揚がったかき揚げは、桜海老ではなく、ちょっと大きめの小海老が入っていて、確かに美味しかった。おつゆも薄口でいい感じ。立ち食いで500円を高いとみるか、安いとみるか……私は味に見合った金額だと思うので、大満足。
 名古屋もそうちょくちょく来られるわけではないので、ちょっと駅の周りをぶらぶらして、駅ビル(だったのかな?)の地下にコメダ珈琲店というコーヒー屋さんを見つけ、入ってみた。
 生クリームが乗ったプリンやデニッシュだとか、ホットドッグとか、ソーダ水とか、懐かしい感じのメニューがいろいろあった。私はチーズケーキとアイスコーヒーにした。噂どおり、コーヒーにはピーナツの小袋がついていた。
 他にもお店はたくさんあって、名古屋コーチンの入ったきしめん、妙に美味しそうなカレーうどん、などなど、庶民的で美味しそうなものが結構あって、今度はあれを食べよう、これを食べようなどと、きょろきょしてしまった。でも、次回もまたホームでかき揚げ入りのきしめんを食べてしまうような気がするが……。
 ところで、コメダ珈琲店のウェイトレスの若い女性たちは皆、きびきびと動き、とても感じがよかった。
 途中で朝ご飯用に、近鉄乗り場近くのベーカリーでパンも買ったけれど、お店の人の感じが、東京と微妙に違う感じというか、やっぱりきびきび、丁寧な印象を受けた。
 気のせいでしょうかね?
 これといって自分のツボにはまるイメージは今までなかったのだけれど、結構、名古屋、好きかも。
 これからも、乗り換えが楽しみ。

 

Img_1571  さて、近鉄線はこんな可愛いらしい色合いのシート。景色もぐっと近くに見え、どんどんと田舎の風景になり、川あり、山ありで、旅の気分になれる。
 新幹線はトンネルも多いし、退屈だけど、近鉄線は楽しい。
 途中で一回乗り換えがなければ、もっとよいのだが(時間帯で乗り換えなしの場合もある)。
 このままずっと下って行くと、伊勢神宮のある宇治山田駅に着く。

 さて、津を過ぎて、ようやく名張駅に到着。連れ合いのマンションは駅からすぐ。それでも窓から、山脈が見え、こんな夕焼け空が広がっていた。東京の朝の雨が嘘みたいだ。

 夜は、車で伊賀市の方まで行って、食事をした。Img_1573

 ところで、つい先日、「クワイエットルームにようこそ」(WOWOW)という映画を観た(いろいろな意味で、凄い映画だった)。
 その中に、こんなセリフがあった。

夫「三重に転勤になったよ」
妻「えっ、三重? 三重って何があるの?」
夫「……つ」
妻「つ?」
 
 「つ」って、津市のことですね(笑)。

 まあ、私も実際に行くまでは、お伊勢さんのある県か……くらいにしか思っていなかったのだけれど、それがなかなかどうして、三重は奥が深いのである。
 何があるのかは、また次回、ご報告します。

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2008年2月 3日 (日)

西への旅③おまけ編~ぼてじゅうとツマガリ

 西への旅、最終回です。
 最後の日は新幹線の時間もあり、これといって大がかりなことはせず、結果的には「食べる」ことに終始した一日に(笑)。
 Img_1322_2 午後にゆっくり起きて、やはり大阪はお好み焼きということで、お昼は梅田の地下街にあるぼてじゅう へ。
 
 東京にも支店があるらしいのだけれど、私は初めて。
 食事時にお好み焼きをひとりで食べるという発想は、東京ではあまりないと思うのだけれど、梅田のお店では、おばさんや若い女性がひとりで、うどんか何かを食べるような気軽な感じで、お好み焼きを食べていた。

 私は「もちチーズ」(ソース&マヨネーズ)を、連れ合いは季節限定の「牡蠣入り」を頼む。
 ここでは、お店の人が焼いてくれて、それを目の前のホットプレートの上に置いてくれるから、楽チン。
 でも、ホットプレートの上にあるから、冷めないし、焼いている感じもちょっぴり味わえる。
 「もちチーズ」はボリュームたっぷりで、これ一枚でお腹がいっぱい。

 それから、連れ合いの即興的な提案で、関東では買えないツマガリ というお菓子屋さんへ行くことになる。
 昨年のホワイトデーに連れ合いからここのクッキーを送ってもらって、それ以来私は大ファンになったのだ。
 阪急電車に乗って、甲陽園へ。
 阪急電車はチョコレート色の車両が可愛い。Img_1323

 甲陽園は「ツマガリ」の街といってもいいくらいで、グーグルで「甲陽園」と検索すると、ツマガリが一番トップに出てくる(笑)。
 甲陽園は高級自宅街で、東京近郊だと東急田園都市線とか東横線の辺りと雰囲気が近いだろうか。
 駅前には、パンのビゴの店と高級食材のスーパーがあった。
 さて、ツマガリは、地元で愛されているお店らしく、周りは閑静な住宅地なのに、このお店は大賑わいで、店に入りきらないほどお客さんが溢れ返っていた。
 2階にイートインできるスペースがあるので、そこでケーキを2つも食べる。
Img_1325  
←ブラマンジェとツマガリという名前のミルフィーユっぽいケーキ。

 
食べ終わった後は、お土産にクッキー類を買う。
 1個ずつ好きなものをカゴに取って選ぶのだけれど、あまりに種類がありすぎて、困ってしまうくらいだった。
 ここのクッキーは素材がよく、サクサクと軽く、種類も豊富で、とにかく美味。

 ツマガリを出た後は、ビゴでもパンを少し買う。
 というわけで、最終日は食べてばかり(初日もそうか…)。
 大阪に戻り、名残惜しくも、7時過ぎの新幹線で帰京。
 あっという間の3日間だった。

 さて、帰りの新幹線では心穏やかに過ごせますように……と祈ったのだが。
 後ろの席は、出張帰りのサラリーマンらしく、ビールを飲み始め、だんだんと盛り上がっていく。
 特に、私の席の真後ろのオジサンがよく足を組み変えるのだが、その足が私の座席にゴンとぶつかること、数度。
「だから、オレはねっ……」
「だから、東京工場はさあ……」
 と途切れ途切れに聞こえる言葉。
 あまりの典型的なオヤジっぽさに、なんとなくイッセイ・オガタのひとり芝居を聞いているような気分になる。
 それでも、隙をねらって(?)、私は束の間、熟睡した。
 しかし、私が目を覚ましても、オジサンは酔っ払い続けていた。
 おとなしく寝てくれないかなあと思うのだが、妙にテンションが高い。
 どうやら東京まで乗っているらしいことがわかる。
「あ"あ
"ぁ~っ、帰ったら風呂入って早く寝るぞぅ」
 などと呟いていたが、同じ会社の連れが品川で降りてからは、ひとりになり、さすがに静かになった。
 行きも帰りも新幹線は、ちょっと「とほほ」な感じであった。

 東京駅に着いて、中央線に乗ると、一気に現実というか、いつもの日常に引き戻され、ここで改めて、「ああ終わっちゃったなあ」と思い、急に寂しくなる。
 がらがらに空いた車両は、妙に寒い。 
 そして、西荻に着いたら、さらに寒かった。
 伊勢神宮の辺りがとりわけ寒かったのではなく、全国的な寒波が来ているようだった。
 その日は家に着いても、新幹線で熟睡したせいか眠くならず、翌日は午前中休みにした安心感もあり、荷物を片付けながら、洗濯機を2回も回した。
 
ゆっくりお風呂に入ったあとは、冷蔵庫に残っていたミネストローネを温め、ビゴのパンを少し食べて軽い夜食をとった(パンを買っておいてよかった)。
 結局その晩は午前3時頃まで起きていたのだけれど、ベッドに入るまで、なんだかまだ旅が続いているような気がしたのだった。
 「旅」というほど大げさなものではないんだけれどね、いい「旅」でした。
 食いしん坊な私のツボにはまる、各名所(名店?)を案内してくれた連れ合いに感謝しつつ……。

――おしまい――
 
 

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2008年1月27日 (日)

西への旅②伊勢神宮編

 1月14日(日)は、伊勢神宮 へ行った。
 連れ合いは二度目、私は生まれて初めて。

 大阪からは、近鉄特急に乗って2時間弱、宇治山田駅下車。
 駅に着くと、曇り空で風もあり、空気が冷たい。
 さて、宇治山田からバスで15分くらいのはずだったが、なんと1時間半!近くもかかってしまった。
 その日はまだ新年の参拝客も多く、そのうえ成人式もあり、大渋滞だったのだ。
 走っているより止まっている時間の方が長いというありさま。
 ここまで来て、伊勢神宮へ辿り着けないのでは――神社はきっと遅くなったら入れないだろうし――という不安がよぎった。
 他の乗客も同じようなことを思っていたらしく、「運転手さん、途中で下ろしてもらえないの?」と言う人も出てきたが(もちろん、バスは神宮直行なので下ろしてもらえない)、なんとか無事到着。3時過ぎだったろうか。
 ちなみに、バス亭の目の前は、戸を閉ざした「赤福」のお店だった。
 観光バスが数え切れないほど並び、人がわらわらと出てきては、神宮へ向かう光景は、なかなか壮観。
 日本中のすべての人が神宮へ向かっているかのような錯覚に陥る。
 甘酒を飲んで少し体を暖めてから、神宮へ向かう。
 バスに乗っている間も、神宮に近くなるにつれ緑が増えているのには気づいていたが、すでに森閑とした気配が漂う。

 とにかく広く、外宮と内宮と、さまざまにあるらしいのだが、日帰りですべて回るのは無理だし、初めてだし、とにかく内宮に入って天照大御神をお参りできればいいね、ということになる。
 Img_1307 というわけで、すぐに神宮の中へ。
 鳥居をくぐると、すぐに五十鈴(いすず) 川にかかる橋がある。
 橋からの景色を眺めた途端、得も言われぬ気持ちに包まれる。
 そこから、すでに異次元へ誘われるような感じで、明らかに空気が違うのである。
 曇り空だったのが、いつの間にか陽も差してきて、川にきらきらと反射してる。川の水は冷たく澄み渡っていた。



 清々しい空気、そして天を目指してすくすくと伸びた巨木に心を奪われる。
 どうしたらあそこまで高くなれるのか?という杉の木が、一本や二本ではない、歩いていると次から次へと現れる。

 

 内宮に鎮まる天照大御神――だが、お参りできるのは手前まで。
 でも、それがかえって神秘的な感じで、よいなと思った。Img_1310_2
 賽銭箱の向こうには、白い布がかけられていて、風にはためいていた。
 白い布一枚が、何か境界を現しているかのようだった。
 その白さが印象的で、染織家の志村ふくみさんが、伊勢神宮では白い布を奉納するための儀式があることをエッセイのなかで書いていたけれど、きっとそのような布が使われているのだろうと思った。

←階段を登り切り、鳥居の向こうにお賽銭箱 (一般の参拝者はここまで)、そして白い布……その向こうに、天照大御神。

 お参りする時は、あまり一方的にお願いすることは控えているけれど、今回だけは、はるばる遠方から来たわけだし、お伊勢さんだし……と、いろいろお願い事をしてしまう。 
 でも、このはるばる来たという、遠さがいいんだな、ありがたいんだよなとも思う。
 自宅から徒歩5分だったら、こんなありがたみはないだろう(実際に近所に住んだら、また全然違う感覚だろうけれど)。


 
 ちらりと見える社の一部。Img_1311  
 社は壮麗な造りではなく、簡素で質実剛健というのか、周りの自然と溶け合っている建物。
 削り出したばかりのような丸太が使われていたりする。

 





 歩いている間中、心身ともに軽く、とても気持ちがよかった。
 心身の邪気が抜けて、浄化されるような感じ。
 連れ合いも同じように感じたと言う。
 完全に現実世界からは切り離されている感覚で、伊勢神宮中に漂う清浄感と神々しさ――それは巨木や川、そして空気そものもなど自然を通して感じられるもの――は、初めての経験だった(かろうじて近いものは、イギリスのSt.Albansという田舎の、人里離れたバラ園とその周辺の自然で感じた感覚だろうか)。
 古来から、お伊勢さんを目指して人々がやって来たのもよくわかるような気がした。
 土地そのものにパワーがあるに違いない(パワースポットというのか)。
 ルルドの泉なんかもこんな波動があるのかもとか、いろいろ思ってしまった。
 だから、神様が祭られることになったのだろう。
 そこ(聖地)に行くと、病気が治るというエピソードもあながち迷信と言えないかも。
 やはり人は、時にはこういう神聖な場所へ行くことが必要なんだなと思う。 
 伊勢神宮は、神様を拝む場所でもあるけれど、自然に畏怖し、自然を敬う場所でもあるのだ。
 日本にはこういう波動の高い場所が、多いのではないかと思う。
 簡単に一言では書けないが、自然と融合した日本人の宗教観というようなものは、誇るべきものなのだと思う(今はほとんど失われつつあるが……)。

Img_1316  名残惜しいけれど、お守りを買って、神宮を後にする。
 暮れかかった空に、山が黒いシルエットになって浮かび上がっていた。






 

 

 そして、外へ出て、おかげ横丁へ出ると一転、聖から俗へ。Img_1319
 「なんだかよくできてるよねえ」と連れ合いと言い合う。
 ちなみに、おかげ横丁の一番手前の入り口も、今は閉ざされた「赤福」。
 お伊勢さんのおかげでたくさん商売をさせてもらっていたはずなのに、随分とばち当たりなことをしたな……と思う。
 しかし、その場で食べると美味しそうなものはいっぱいあるけれど、お土産は他にこれといったものがないのも確か。「赤福」が営業していたら、絶対に私も買っていると思う。
 Img_1317 名物の手こね寿司とうどん(柔らかく茹で上げたうどんに、甘辛い汁をからめたもの)のセットを食べる。
 それから、松坂牛を使った「福まん」などを買い食いしているうちに、どんどん暗くなって、どんどん風も強くなる。やはり周りを森に囲まれているせいか、凄く寒い。
 店じまいがどこも早いので、私たちも引き上げることにする。


 帰りは、バスでちゃんと20分弱くらいで、宇治山田駅に到着した。
 その夜は、途中で買った奈良の柿の葉寿司を夜食につまみながら、日本の聖地巡りをしてみたいねえと、ネットで「パワースポット」なんかを検索しつつ、話し合う。

 今でも、あの空気の清々しさを思い出すと、何とも言えない気持ちになる。
 何より、そんな時間と場所を連れ合いと共有できたことが、かけがえのない思い出だ。

 *来週末は、最後に「西への旅③おまけ編」です。 



 

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