心と体

2014年8月16日 (土)

眼鏡のとよふくさんで、眼鏡生活に

 ここ最近、自分の生活の中でのいちばんの変化といえば、「眼鏡生活」になったことだろうか。
 思えば、10代の頃から強度の近視&乱視で眼鏡がなかなか合わず、20代からコンタクトレンズにして、はや20数年余。初めてコンタクトレンズを入れた時は、すごく救われた気持ちで、若い頃はよく見えたし、コンタクトなしの人生は考えられなかった。
 それが40代を超え、後半に入り……軽く老眼も入り始め、つらい感じになってきたので、コンタクトレンズをつくりなおし、ついでに自宅用の眼鏡も新調しようと思っていた矢先、SNSで「とよふく」という眼鏡屋さんを知った。
 この検眼だけでも体験する価値ありとのこと。
 普通の眼鏡屋さんとは違う、眼鏡はここだなと直感的に思い、昨年の2月、千葉の佐倉にある(うちから片道3時間はかかったと思う)、そのとよふくさんへ予約をしたうえで行ってみた。

眼鏡のとよふく

 ネットであれこれ情報を仕入れてはいたが、なかなか衝撃の体験であった。
 検眼をしてくれる豊福さんが、先生と呼びたくなるような方で。
 何でも、コンタクトレンズは眼と身体にとても負荷がかかっているから、頼り過ぎていると、身体がぼろぼろになるよ、ということから話が始まった。
「実は、確かに五十肩になってしまって……」などど話すと(肩痛も昨年始めから酷くて、今やっと軽減してきたところ)、
「それくらいで済んでいるならいい方ですよ。女性なら婦人科系に病気が出るよ」
 と言われたので、「はい、すでに3年前に子宮筋腫の手術をしました」と答えた私。
 コンタクトレンズは眼だけでなく、眼から来て、脳と身体全体に、凄く負担をかけているということを知らされたのだ。
 西洋医学的には因果関係がつかめない、という話になるのだろうが、眼の悪かった私自身、いつも眼から来る身体や心の負担を感じ、いろいろつらい感じがしていたのは事実で、凄く腑に落ちる話だと感じた。
 コンタクトレンズをしていて、老眼も入り始めているのに、近眼も進んでいるようで、また常に充血するようになり、このまま視力がなくなってしまうのでは……という不安も時々あったのだ。
 10年くらい前には、網膜に小さな穴が空くという惨事もあり(それが酷くなると網膜剥離!)、レーザーで治療し、なんとか今に至るまで大事には至っていない。
 というわけで、話が進むにつれ、「主にコンタクトレンズで、自宅用の眼鏡を」などという適当な選択はもうないのだと、検眼前のこのやり取りで、私は悟った。

 検眼は本当に今まで経験したことのないもので、輪っかを見て、上だの左だの言うのではなく、棒の先を追いかけたりして、動く視力を重視するのだ。動体視力と両眼の視力の出方を時間をかけて、丁寧に丁寧に測っていく。
 そうなのだ、眼は両眼で見るものなのだから、同時に測るのは理にかなっている!
 はじめのカウンセリング的な話から、検眼、フレーム選び、フレームの調整(これをまたそれはそれは丁寧にしてくれる)まで、すべて含めると、たっぷり半日。4時間弱くらいはお店にいた。
 とりあえず、眼に負担をかけないよう、仕事のため近くを見るためだけの手元用(PC用と言っていい)をつくって、慣れたら、遠く用もつくるのがおすすめということになった。

 眼鏡はその後、10日〜2週間くらいで宅急便で送ってくれる。事前にフレーム調整しているので、そのままかけても、違和感なし。
 コンタクト人間だったので、初めはとよふくさんに言われた通り、慣れなくて変な感じだった。
 それに初めは、手元用の眼鏡だから、遠くは見えない。それも不安。しかし、数日で慣れてくると、眼が楽なのだ! それに近くはちゃんと見えているし。
 コンタクトレンズ時代は、仕事中、1日に何度も目薬をさし、それでも充血が取れず、つらかった。
 眼が楽だと、遠くが見えなくてもいいやという感じになる。
 これを境に、目薬も、コンタクトレンズを外した後の洗浄も不要になった。
 さらに2か月くらい経ったところで、再びとよふくさんに行き、遠く用(お出かけ用)の眼鏡も作った。これも手元用よりは遠くが見えるが、1.2などの視力は出していない。

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 さて、手元用が、左の四角っぽいの。実はこのフレームは今ひとつだったと思う。私の顔は丸いフレームの方が似合う。色もブラウン×青系で、寒色系。細いしゅっとした顔の若い青年がかけたら似合いそうな眼鏡なんだな〜(笑)。まあ仕方ない。
 で、遠く用は右の赤とピンクの。これは自分の眼鏡という感じでしっくり来ている。赤とピンクの配色がマカロンみたいな色合いで気に入っている。  
 どちらも、yuge takanori さんという、日本の眼鏡デザイナーのフレーム。
 とゆふくさんでは、フレームも、チタンなどが使われていて、国産で安全な素材を使った、技術のしっかりしたものを選んで仕入れているそうだ。
 2つ合わせて、オフシーズンに短期のヨーロッパ旅行に行けそうなくらいの金額は飛んだが、必要な買い物だったと思う。

 というわけで、この2つの眼鏡を作ってから、映画を観る時、一度だけ手持ちのコンタクトレンズを入れたが、独特のこそばゆいような異物感と圧迫感があり、映画が終わったらすぐはずしてしまい、それ以来一度もコンタクトレンズは入れていない。
 映画は遠く用の眼鏡をかけて、前の方に座れば、ちゃんと観られることがわかった。むしろ、コンタクトレンズより楽だ。

 コンタクトレンズとの違いは、遠くまでぴかぴかに見えなくても平気なこと。
 これは、とよふくさんの視力の出し方が絶妙なのかもしれない。
 コンタクトレンズだと異物を入れているせいか、曖昧な見え方だといらいらするのだが、とよふくさんの眼鏡だと気にならないのだ。
 コンタクトレンズの出し入れ、毎回の洗浄、保存、目薬などなどからも解放された。
 考えてみれば、現代に生きる多くの人、特にデスクワークの人は、近くをどう負担なく見るか、の方が大切。
 アフリカの広い草原やサハラ砂漠で遠くのものが見えないと生命に危険がある生活をしているわけではないのだから。
 
 失ったものといえば、おしゃれをしても、眼鏡のイメージがまずくるなあ、限定されるなあくらいで、それもこの年代になれば、まっいいか、という感じで。

 また、東日本大震災以来、コンタクトレンズを入れている自分は、災害に遭遇した時、コンタクトレンズをどうするか不安だなと思うようにもなっていた。一時期、眼鏡とコンタクトレンズの保存容器を持ち歩いていた時もあったが、毎日持ち歩くのも面倒だったり、忘れたり。
 しかし、眼鏡生活になったので、安心だ。もし家に帰れなくてどこかで寝ることになっても、眼鏡を外せばいいだけ。起きたらまたかけるだけ。
 また、あまりぴかぴかに見えない生活に慣れたので、外してもそんなに怖くない。コンタクトレンズの時は、かなり視力を出していたので、いきなり外すと落差があり、怖かったのだ。
 眼鏡にしてから、はっきりと見えなくなり、故に人の視線も気にならなくなり(それほど気にする方でもなかったが)、いろんな方面で、心身がゆるやかに解放された感じだ。電車に乗って座れた時など、外して眼鏡ケースにしまってしまうくらい。

 というわけで、長年コンタクトレンズを使い続けてきた人は、角膜そのものも疲弊してくるので、いつかやめ時を見つけるべきだと思う。特に老眼が入ってくると、負担が大きい。

 と眼で困っている人に宣伝したいのだが、ネットで話題になってしまったせいか、つくりたい人が増え過ぎて、今は予約を打ち切りにしているとのこと。
 残念だけど、あの検眼の技術は短時間で育成できるものじゃないから、仕方ないかなあ。1人ひとりを丁寧にきちんと対応しているプロの姿勢だと思う。
 こういったブログなど、とてもよくまとまっているので、もしかしたらこういう記事のせいかも!

目で悩んでいる人は必見!伝説のメガネ屋さん「眼鏡のとよふく」に行ってきた

「眼鏡のとよふく」訪問記

見る、ってどういうこと?『眼鏡のとよふく』に行ってきた。

世界が在りのままに観える!感動眼鏡☆

 私自身は、これらのブログにあるような、感動!とまではいかなかったけれど、とにかく眼が楽になってよかった、という感じ。
 そして、上記に書いた日々の生活のなかでの安心感が生まれたということが大きい。

 以前は、あまりに眼がつらいので、レーシックとかやってみてよく見えるようになったらいいのかな……と思ったこともある。
 思い余って、網膜の穴を見つけてくれた井上眼科病院(東京では有名な大きな眼科の病院)の先生に「屈折矯正手術とかどうなんでしょうか」と聞いてみたことがあるか、「あなた何言ってるの?」みたいな感じで、まったく取り合ってくれず、ああやっぱりやらない方がいいんだなと直感的に思ったことがある。
 まあ、網膜にどんな小さなものでも穴が空いた人はできなかったと思うのだが、何にせよ、そういうのに手を出さずに済んで、とよふくさんに出会えたのは、幸運だったと思う(今、レーシックで失敗した人、合わなかった人の被害がたくさん出ているらしい)。

 参考までに、奈良の眼科医が書いているブログ記事を。コンタクトレンズと眼鏡のピントの合わせ方の違い、屈折率など、専門家が説明してくれているので、わかりやすい。
ある奈良県の眼科医が目について書いたブログ

 これから後半の人生は、眼鏡との長いおつきあい。
 この眼鏡を使いながら、眼を大事にしていきたい。

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2007年8月 5日 (日)

猛暑の夏をすこやかに

 夏真っ盛りな週末。
 洗濯ものが干すそばから乾いていくので、洗濯機を何回も回し、梅雨の間洗いそびれていた長袖のカーディガンを洗い、毛布を洗い、台所の木綿のカーテンを洗い、フェルトの室内履きまで洗い……さすがに疲れた。

 最近は、暑くなっても冷たい水を飲まないようにしている。
 以前は、「水信仰」に近いような状態で、水をたくさんたくさん飲んでいた。
 コントレックスなんていう高いミネラルウォーターなんかも。
 それで痩せたかというと、全然!で、むしろ私の身体はむくみ、弱っていたらしい。
 漢方の先生には、冷えの入った状態で湿と熱のこもった身体だと診断された。
 後に、東洋医学系の本を読むと、水(と冷たい飲み物)の飲みすぎは身体によくないと、ほとんどすべての本に書かれてあった。
 ヨーロッパのモデルが「1日1リットル以上のミネラルウォーターを飲むのよ~」なんて言ってるのを鵜呑みしてはいけない。日本と湿度が違うし、体質も違う。
 ちなみに、炭水化物を抜くダイエットも東洋人には向いていない。
 腸が長い東洋人は、肉食はなるべく避けて(腸の滞留時間が長くなるので、腐敗して、毒素を身体に撒き散らすため)、排泄を促す穀物、野菜を中心に取るべきなのだ。
 水信仰に浸っていたときは、炭水化物も控えめにしていたから、今、思い出すとオソロシイ。一時、確かに多少は痩せたけれど、すぐリバウンド、疲れやすくて冷えやすい身体になってしまった。
 そのうえお風呂もシャワーばかりで、湯船に浸かることが少なかったし。
 最近は、余程疲れている時や時間がない日以外は、半身浴をするようにしている。
 
 一見、いつも食事に気をつかっているように見える私だけれど、過去にこういう間違った食事法をしていたため、元からあまり丈夫でなかった身体がさらに弱り、ついには婦人科系の持病を持つに至ったと思われる(食事だけでなく、度重なる心労などなど、ストレスの影響も大きいと思われるが……)。

 で、水の代わりに何を飲んでいるかと言うと、白湯。

 そして、つい先日、こんな一文に出会った。

Kaenai ――苦労も忍耐もすっかり報われる至福の日々を、鉄瓶をちゃんと用意しておいてくれた。白湯を口に含めば、すぐわかる。とろ~んと甘い。甘露が舌の上でころころ転がるかのように、ふうわり優しい。口当たりはビロードのなめらかさ。白湯がこんなにおいしいなんて、生まれて初めて知った。
買えない味 (平松洋子著/筑摩書房)より

 これを読んだら、鉄瓶でいれた白湯が飲みたくなるではありませんか。
 鉄瓶、鉄瓶……あ、うちにもあるじゃないか!と台所の奥で埃を被って放置されていた鉄瓶を引っ張り出す。
 うわ、汚い。中も錆びが……でも、「甘露」の白湯を私も飲みたい。それにこの鉄瓶、結構高かったんだよなと思い、使うことを決心。
 必死でゴシゴシ洗って、何回か沸かして乾かしてを繰り返しても、錆びが取れない。
 ネットで「鉄瓶 お手入れ」で検索すると……鉄瓶は決してタワシなどで洗わないでください、とある。わー、タワシでゴシゴシしちゃったよう(それも重曹も入れて)、と焦る。
 煎茶を入れて煮出せとも書いてあるので、番茶を入れてグツグツ煮出した。
 こんなことを猛暑日の昨日、繰り返していたので、汗だく、ぐったりだった。
 やはり、新しいものを買わないと駄目かもしれない……。
 鉄瓶の内側が湯垢の皮膜で覆われて、白っぽくなるのが理想な状態なんだとか。
 平松洋子さんの文にもあるように「苦労も忍耐もすっかり報われる」というのは、そういうこと。鉄瓶はお手入れが大変なのだ。

 というわけで、この夏は白湯を飲んで乗り切ろうと思う。
 白湯は、身体を冷やさないだけでなく、老廃物を促す効能もあるらしい。
 それで鉄瓶で沸かした白湯とくれば、鉄分も摂れるし、貧血気味の私には一石二鳥。

 それから、骨盤体操も欠かせない。参考にしているのは、この本。
 いつも腰痛に苦しんでいる私に、友人が骨盤にきく (片山洋次郎著/文藝春秋)という本ががおすすめだからと、わざわざ買って送ってくれたのだ(感謝!)。
 骨盤に関する本は、寺門琢己さんのを何冊か読んでいたのだけれど、対象が若い女の子で、ちょっと違うかなという印象を抱いていた。だから、この本の方が今の自分にはぴったり来る。
 やはり、骨盤が身体の中心、要なのだなあと改めて気づかされる。
 本のなかにある簡単な体操を、寝る前と起きた時にやっているけれど、それだけでもちょっと楽になったようだ。いきなり完治することはないと思うので、気長に続けてみたい。
 それにしても、片山洋次郎さんは、さすが「野口整体」をベースにしているだけのことはあって、単に身体だけを診る人ではない。
 「骨盤のねじれと孤独」という章は秀逸。骨盤がねじれていると、「孤独感が強く、周りの世界にリアリティを感じられない」のだとか。

――恒常的にこういうねじれ状態にある人は、人との距離感の撮り方が難しくなりまKotubann_2 す。コミュニケーションがうまく成り立つためには、ほどよい距離感が必要なのですが、こういう緊張状態だと、人に近づこうとすると近づきすぎて過剰な反応をしてしまう。
 そばにいてほしいのに、一緒にいると自分も不愉快になり、相手もイライラさせて二人とも疲れる。孤独感が強くて人を求めるわりに、近寄るとしょっちゅう衝突したり、間の悪いことでケンカになったりします。

――本当に孤独なときは、誰かと一緒にいることや誰かに近づこうとすることで、かえってより孤独が深くなってしまう。こういうときは独りでいたほうがいいのです。

 うーん、深い! 身体と心って、やはりつながっているのだなと思う。

 など、いろいろ言っているけれど、まあ、むやみに神経質になっているわけではなく、外に出たときは、さすがにアイスコーヒーを飲んでしまうし、身体が冷えるかなと思っても、夏の食卓に素麺は外せないし、冷やしたすいかも食べるし。 
 何事もほどほどに、という感じでしょうか。
 以前は、考えなしに、冷たいもの三昧だったから。

 それから、夏になると必ず見たくなるのが、木皿泉さんのドラマすいか
 私が通っているレンタル屋の吉祥寺のDORAMAには入っていないのだ。
 どこかにないかなあ。 

Suica_2

 

←DVDボックス、ほしい……。

 ところで、私の夏休みは、いよいよ今度の週末から。
 暑いので、早く休みたい……あと、もうちょっとの我慢。

 皆さんも、冷たいものの取り過ぎには気をつけて、すこやかに夏をおすごしください。

 

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