社会問題

2011年4月11日 (月)

原発やめろ!!!!デモ----高円寺にて

 10日、日曜日、高円寺のデモへ行ってきた。
 こんな事態になる前から原発は反対だったけれど、署名くらいしかしてこなかった自戒の意味も込めての参加。
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 とにかく凄い人の数。ぱっと見たところ20代〜30代が多かった。子連れの家族もいっぱい。
 一昔前の、シュプレヒコールをあげながら、毛筆風の書体で「原発反対!」というコワイ感じではなく、上の青年みたいに「お洒落」な出で立ちで。
 これがいいと思う。日常の延長線上にある原発反対。
 レイヴパーティーやロックフェスにいそうな風貌の若い人たち。
 それに反して、上の年代(50代〜70代)は少ない感じで、やはり大手メディアの情報頼みで、こういったデモも知らないだろうし、原発の怖さもネット上でやり取りされているような情報は掬いとれないのかも。
 その辺の差が、今回の都知事選の結果につながっているのでは……。
 ドイツの反原発デモの写真なんかを見ると、ほんとに老若男女という感じだものなあ。高円寺のデモにも年齢高めの人もいたけれど、意識の高い一部の人、という印象。
 とはいえ、これだけの規模のデモは初めてだろう。
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 前を見ても、後ろを見ても、壮観だった。
 これだけの人々が反対していることに希望を感じた。
 終わる頃はすっかり暗くなり(平和なデモなのに、いったいどこから集めてきたんだという程の数の警官が:笑)、私もたっぷり4時間以上歩いたことになる。
 サウンドデモの音もカッコよかった。ランキンタクシーの「放射能 差別しない……」の歌詞は、20数年前にレゲエのクラブで聞いたことを思い出し、感慨深くも複雑な思いにかられた。
 あの頃、チェルノブイリがあって原発のことを考えている人はいっぱいいたのに、バブルの波に飲み込まれてしまった感がある(自分も含めて)。

 これが次につながっていくことを希望しつつ、福島の人たちに一日も早く安らぎが訪れることを願いつつ、そして原発にも穏やかな冷たい眠りが訪れることを祈りつつ、今夜はおやすみなさい。

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2011年2月 5日 (土)

アルジャジーラ

ドラマだけでなく、世界のニュースにも目を向けたいこの頃。
YahooやMSNを見ると、沢尻エリカがどうのこうのとか、そんなのがトップに来る日本っていったい……。

アルジャジーラ ALJAZEERA  Anger in Egypt  
インターネット時代、大手のメディアのニュースを待つより早い。
きっとエジプトの一般の人が撮ったであろう画像が次から次へと。
これはもう誰にも止められない。

エジプトの若者からのメッセージ

エジプトがこんな状態であったとは知らなかった。
情報過多と言いつつ、知らないことが多すぎる私……。

「日本の若者の諦めたような静けさも、何か不気味ではある」と私がこのブログに書いたのは、もう5年前。ハードワークーー低賃金で働くということ
それから状況はさらに悪くなったが、諦めたような静けさは続いている気がする。
といって、若者を責めても始まらない。

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2009年4月19日 (日)

『正社員が没落する』

 最近読んだ新書2冊を紹介します(青字部分は引用箇所です)。

 『グローバル恐慌』

ユーロ圏内においては。二〇〇八年九月末から10月にかけての時期がカネの縮減過程、そして11月以降がモノの世界へのその影響の本格的な波及プロセスだったといえるだろう。
 
 ということだそうで、リーマンショックの直後は一部のところだけの影響に見えたけれど、じわじわと世界のあちこちに影を落とし始めている。
 アメリカのサブプライムローン問題から、それがどのように証券化されたかなどの流れがよく説明されている(ローンを証券化して商品にするというのが、私にはどうしてもわからなかったのだが、この本を読んで大枠は理解できた)。
 経済を扱った本の中では、「素人」でも比較的読みやすく、例えが上手い文章だった。
 少しは経済を勉強してみるか、ということで読んだのだが、細かい話はやはり結構忘れちゃったかも(……ではタメなんだけど――グローバルに考える前に、自分の経済をもっと考えろ、と言われてしまいそうだ……うぅ)。

 なので、こちらの方が内容的にはより身近であった。

『正社員が没落する』

 『反貧困』の著者で派遣村を主催した湯浅誠さんと『貧困大国アメリカ』の堤未果さん、ふたりの対談集。
 怖いタイトルだけれど、きっと編集者が目を引くようにタイトルを付けたのだろうという感じで、中味はいたずらに危機感を煽るのではなく、地に足が付いたしっかりした内容。

異常な高コスト社会
ヨーロッパでは、子どもが増えても家計負担は倍増しない。児童手当が大きいからです。住宅もある程度は政府が低家賃住宅を供給している。住宅は基本的なサービスだという発想がある。しかも大学の授業料は無償。(湯浅)


 湯浅さんのエライところは、正社員を引きずり下ろすという意見には組しないところ。
 全体を見て、冷静にきちんと検証している。
 だから、ワーキングシェアや正社員の給与を引き下げて分配という意見には要注意とのこと。
 つまり、日本は上記のようにヨーロッパと比べるとバカみたいな高コスト社会で、ここが変わらず、給与だけが下がると、正社員だろうと何だろうと生活がたちゆかくなるということ。
 住宅の高さ(買うにしても借りるにしても)と教育費の高さは、ほんと問題だと思う。  
 それから、日雇い派遣などひどい働き方を許容してしまうと、どんどん底が落ち、正社員だったら逆に「正社員なだけでもありがたく思え」とばかりに、過剰な働き方を押し付けられることになる(正社員は残業代もなく、過労死寸前とかすでにそういう企業も多くある)。
 タイトルの「正社員が没落する」は、そういう意味なのだ。
 そして、正社員 VS 非正規 の対立、足の引っ張り合いは、本当の問題から目を逸らすための、経営者や政府にとっての願ったりの構図になりかねない、という指摘も鋭い。

医療保険は民間が引き受けたほうがいい(年次改革要望書について、堤)

 
という案が出ているとかで、ええー日本もついにとびっくりしたのだが、これは本当に怖い。

総合的にセーフティネットを整備して安定感を持たせて、安心して消費できる内需拡大に向かう道があるのに、それを選択肢として考えない(湯浅)。

 まったくそのとおりだと思う。
 今のままでは、それほど貧困層でなくても、気分として消費に向かわない……。

私 たちが心も体も健康で、子供達は未来に希望が持てる。高齢者が安心して生きられ、労働者は誇りを持って働ける。こういった基本的なことを政府が保障してく れないなら、私たちは一票をつかって、それを支える政治家を落とすべきなんです。国が国としての責任を果たさないなら、国はいらない。税金は払わなくてい い。そう言って百万人の人が税金をボイコットしたら、国は大変なパニックになる。そうしてもおかしくないようなことを、国は今私たちにしているんです。(堤)

当たり前に生きられる権利を守ってくれない政府を、税金を払ってまで支える必要はないんです。(堤)


 そういう考え方をしてもいいんだよなあと目からウロコな言葉。
 日本人は何でもすぐしょうがないとあきらめたり、自虐的になりがちなのかも。
 税金をボイコットする方法ないものか……。
 サラリーマンは自動的に引かれてしまうから、あれを自営業者のように確定申告制にしたら、税金への意識も変わるかもしれないんだけど。一度でも確定申告ってものを経験すると、結構シビアになると思う(私も過去、何度もやりました。シビアになります)。

「貧困の人たちをどう救おう」ではなくて、「雇用とは何か」について国全体で考え直さなければいけない。(堤)

 こういう風に、感情的にならず問題をきちんと見据えているところがよかった。
 また、この本を読んで、雇用保険がどんどん削られていることも知った。
 知らないうちに、いろんなことが変わっていて、その変わり方はたいてい悪い方に変わっているようだ。
 この中でもふたりが語っているが、日本人なんて、正規にせよ非正規にせよ、それほど裕福な層はいない、ぎりぎりの人が多い……ってことなんだなあ(ふぅ)。
 

 今の状況を整理して冷静に考えてみたい人におすすめの本です。

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2008年6月15日 (日)

絶望の闇のナイフ

 昨日の日記 の補足です。
 加害者の携帯への書き込みを、時系列に沿ってある程度きちんと読んでいくと、また違った印象が生まれてくる。
 映像ディレクターの方による日記に、掲載されています→殺人鬼の絶望的な孤独
 一部の抜粋を読み、全体を判断してしまうことの怖さ、報道の怖さを感じた。
 決して許されることではないが、彼の感情に共感できる人は多いのではないか。
 しかし、それも、この事件を起こしたからこそという残酷な皮肉……。

 そのブツ切れの短い言葉が、ただただ、ひたすら哀しい。

 昔は、ぼーっとしている人には、お嫁さんを世話してくれる人がいた。
 そんなに誰も彼も恋愛して、結婚していたわけではない。
 今はぼーっとしていると、恋愛市場においても「負け組」となってしまう。
 恋愛市場だの、「モテ」だの言っても、しょせん、消費を煽るための幻想のような気がするのだが……。
 その価値観にまんまと乗せられないことが大事ではないかと。
 とはいえ、そういう圧力は強大であり、なんというか、女も男も大変な時代である。

 仕事も、あまり恵まれない環境にいる人には、何だかんだと世話を焼いてくれる人がどこからともなく現れたりしたものだ。
 現に私自身が、そうやって周囲に助けられてやってきたのだから、本当だ。
 何も50年前とかの話ではない。
 本当にここ10年くらいで、日本は変わった。
 仕事、家族、人間関係、地域など、あらゆる絆から切り離されて生きている、ぎりぎりの若い人が大勢いる。

 それにしても、絶望を、ナイフにではなく、もっともっとたくさんの言葉に託すことができていたら……と思わずにはいられない。

 

<唐突に追記>
  藤森かよこさんの日記
 ちょっと泣きそうになってしまった。
 と同時に、こういう大人がいてくれることに、安心する(私も大人のひとりのはずなんだが)。
 なんか、私自身が励まされてしまった。 
 もうね、犯罪心理学とかいう人の分析は聞きたくないってば。


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2008年6月14日 (土)

失われた生きる喜び

 6月8日の秋葉原の事件について。
 加害者について、事件について何もかも知りたいような、もう何も知りたくないような相反する気持ちにかられている。

 真っ先に思い浮かべたのは、雨宮処凛さんの著書。
 過酷な状況で生きる若者のことが克明に綴られている。
 ネットの「マガジン9条」でも、秋葉原無差別殺人、の巻 という一文を書いているので、これを読めば、あの加害者の置かれた状況など、詳しくない人でもだいたい想像がつくのではないかと思う。

 しかし、そういった外部の要因だけとも思えない。
 今後、社会的、心理的な分析が山ほどされてゆくと思うので、いちいち述べないが、彼は生きる喜びのようなものを感じたことがほとんどなかったのではないか?と私は思う。
 厳しい人生だけれど、その中にも喜びや美しい瞬間はたくさんある。
 きっと、彼の両親は、学校の勉強という数値で図れるものにしか価値を見出さない人間だったのではないか。

 文学や芸術、音楽、おいしい食べ物、自然……人生の中で引き出しや愛する世界が多いほど、挫折したとき、そういったものが支えになるし、また人と人を結びつけるものにもなる。そういうつながりで、「友だち」もできる。
 ただゴロンとそこに存在し、「友だちがいない」「彼女がいない」とすねて、嘆かれても――つまりは、「俺を愛してほしい」という叫びなのだろうが――他人にはどうしようもない。 
 そのためには、それなりのコミュニケーションをとらなくてはならない(彼はそのとり方がわからなかったのだろうけれど)。

 父親が部屋着のような軽装で、自宅の庭先で謝罪の記者会見を開いているのを見たとき、妙な違和感を覚えた。
 この親もまた、世界や他者との関わり方が欠落しているのではないか?というような。

 外界の物事に感応し、他者に共感し、コミュニケーションが取れること。
 人生に喜びを見出し、生き抜く力は、そこから生まれる。
 何よりも大切なことであり、これは学校の授業では教えてくれない。
 今回の加害者に関わらず、こういった力を失っている人が多いような気がする。
(かくいう私も自信はないが……)
 幼少期の頃に接する親や周りの大人から学んでいくしかないのだけれど、大人そのものが精神的に貧困な場合、どうすればいいのだろう?
 今まで日本は、なんとなくお金でごまかせる部分も多かったけれど、経済も貧困となった今は、何もかもが剥き出しな感じだ。

 多くの人を殺し、傷つけた彼は、誰よりも自分を抹殺したかったのではないだろうか。
 この事件とは別に、自殺者が多いのも、地続きのことのような気がする。 
 
 GDPの低そうなイタリアとかキューバとか、なんか皆、そこそこ楽しそうにやってるような気がするけれど、貧しくても「食べて笑って歌って踊って」みたいにならんものかねえ(と、イタリアのこともキューバのこともよく知らず、極めてアバウトなこと言ってますが……)。

 なんにせよ、彼個人だけの問題ではなく、今の日本を象徴した事件であることは、間違いない。
 しかし、だからといって、許されることではなく、彼のまきぞえになった被害者の方々は本当にお気の毒である。

 

 以下、参考までに。

 評論家の東浩紀氏は、あくまで社会的な側面から、一種のテロとして見つめていて、これもひとつの的を得た分析だと思う。
絶望映す身勝手なテロ

 平川克美氏がブログで秋葉原の事件で、よくわからないことという日記を書かれており、この事件をどう捉えるべきかの手がかりになる。
 内田樹氏のブログにリンクが貼ってあったので、すでに読まれた方は多いかもしれないが。

 また別に、ちょっと心救われる思いがしたのは、『カラマーゾフの兄弟』の新訳をされた亀山郁夫氏の日記。
Cafe Karamazov←6月10日と12日を!
 ドストエフスキーの作品と絡めて、生命について根源的なことを言及されており、やはりテレビにひょこっと出てくる評論家(もどき?)の言葉と比べたら、深く重く、そして清々しい。
 やはり、文学の役割、必要性を感じるのであった。
(と言いつつ、私は『カラマーゾフの兄弟』未読なのですが。近いうちに挑戦したい。『罪と罰』は、大島弓子のマンガで読み、感動した記憶があるのだが……)

>秋葉原事件は、21世紀にはいって日本が根本から変わりつつあることを示す象徴的な
>事件として記憶されるような気がする。6.8事件として。
 Terrible,but (6月10日)より 

 という一文が印象的だ。

 きっと、ああ、あの事件がきっかけだったかも、と振り返って思うことがたくさん出てくるのだろう。これから……。
 心に与える不安感は量り知れないが、社会のシステムにも影響を与えるに違いない。 
 ちょっとでも挙動不審な者は職務質問され、街の至るところに監視カメラが置かれ、ネット上にも監視の目が光り、あやしい者は警察に密告され……。 
 そんな、ますます息苦しい、「社会主義国」のような社会が到来するのかも知れない。
 すでにそうなりつつあるし。
(厳しい監視も死刑も犯罪の抑止にはならないと思うんだけどな……事件の起こる背景を考えないと意味がない)

 さて、最後に、最近たまたま手にした『ダライ・ラマ 死と向き合う智慧』 という本に、ダライ・ラマのこんな一説があった。

 

 私は常々、人生、生きられるのは百年だと考えています。
 
地球の歴史に比べれば、あっという間のできごとです。
 ですから、このごく短い人生を、せめてほかの人々に苦しみを与えないようにして過ごすべきです。
 
破壊的なことがらに手を染めず、建設的なことをして――少なくとも人に害を及ぼしたり迷惑をかけたりせずに――生きるべきです。

 そうすれば、旅人としてこの地球に滞在する短い期間にも、意味があるのではないでしょうか。

 

 苦しみを与えられてきた民族の、一番上に立つ人の言葉だから、なおさら重い。
 本当に短い人生なのに、人間は何をしているのだろうか?
 私も旅人のひとりとして、できるだけ、ほかの人に苦しみを与えないようにして生きたい。

 

 

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2007年9月24日 (月)

「生きさせろ!集会――反-貧困」

 先週9月21日金曜日、「生きさせろ!集会――反-貧困」というシンポジウム(紀伊國屋ホール)に行ってきた。
 パネリストは、若者のワーキングプア問題を取材した生きさせろ!――難民化する若者たちAk_  の著者・雨宮処凛さんとNPOなどの活動をしている人たちと小熊英二さん。

 雨宮さんをはじめ、派遣ユニオンなどを立ち上げている人たちの話はおもしろかった。
 グッドウィルという派遣会社などが不当な天引きをしていたが、それを訴え、取り戻す活動をしている人たちだ。日雇い労働者の雇用保険を実現させたりと、実際に今の法律を変える力を持っていることには、感動した。
 派遣、日雇い、パート、アルバイト……どんな人でも、ひとりでもユニオンに加入できて、何か問題が発生した時は、一緒に交渉してくれる、企業は個人の交渉には応じる義務はなくても、組合など、団体で交渉(いわゆる団交)を求められた場合はいかなる場合も応じなくてはならないなど、私も初めて知ることがたくさんあった。
 そうか、世の中ってそうだったのか……じゃあ、私も某大手企業であんな目に遭わされたけれど、ユニオンを通して交渉することぐらいはできたんだ……などなど、長い間、プレカリアート(不安定雇用の労働者)だった私は、悔しい思い出が蘇えってくる。
 知らないということは、恐ろしい。雨宮さんもそんなふうにいろんな真実を知ったことが、本を書くきっかけになったそうだし。

 そのほか、「貧乏人大反乱集団」「高円寺ニート組合」「素人の乱」など、ユニークな活動をしている松本哉さんの話には、皆、爆笑。
 お金がないと楽しめない今の日本はおかしいと、高円寺の駅前で集会をしたり、六本木ヒルズの前や山の手線(!)内で鍋パーティーをしたり。
 警察に一応、デモの許可を取りに行ったら「おまえ、そんなことするな。家で寝てろ」と警官に言われたとか、デモなんか10人くらいですからと言ったら、当日何百人も集まってしまったとか、で、次のデモは本当に小人数ですからと言って、本当に数人だったらしいが、警察が警戒して機動隊が出たとか……もう、笑ってしまうしかないエピソードが山盛り。
 デモと言っても、踊ったり歌ったり、「放置自転車を撤去するな!」とか「家賃高すぎる!」とか、そんな具体的な(笑)内容。
 松本さんは、企業が仕組んだ大量生産、消費のなかに取り込まれたくない、貧乏人が甘く見られているから、ちょっと脅かしてやらないと、いうようなことを言っていて、痛快だった。

 さて、第3部に登場した小熊英二さんの話が、これまた滅茶苦茶おもしろかった。
 子ども向けの本(『日本という国』)以外は、難しそうな著書が多く、とっつきにくい印象だったのだけれど、話すとなると、ぐーっと敷居を下げて、誰にでもわかる言葉で語ってくれる(聴き手の心を掴み、場の空気を自分のものにしてしまう感じ!)
 日本の福祉制度は国民のために始まったものではなく、戦争で被害を被った人たちへ仕方なく始めた保障制だとか、年金も国の借金をなくすため始まったものだとか(次から次へと自動的に徴収できるが、支払うのは何十年も先で済む)、だから今の状態は「あたりまえ」な事態なのだとか……なんかもう、目からウロコな話ばかり。
 戦後から高度経済成長を経て、ここ30年くらいの日本の繁栄・安定は奇跡のようなもので、このような状態をあたりまえと思わない方がいい、基準としない方がいいということ。
 むしろ、世界標準になったと思うべきで、ヨーロッパ先進諸国では、今の日本のような状態は30年くらい前からあったとのこと(イギリス、フランスがいい例だと思う)。
 とはいえ、この状態がいいわけはなく、こういった社会が続くと、まず犯罪が増え、治安が悪くなる。仕事もない若者が絶望し、犯罪に走り薬物に依存するようになる。
 若い人たちが、犯罪者になるか、自殺するか、薬物中毒か売人になるしかないような社会(10年くらい前のイギリス映画『トレインスポッティング』なんか、正にそういう社会のなかで生きる若者を描いていたなと私は思った。日本では、トンがったトレンディな映画、みたいな紹介のされ方、見方をされていたような気がするが……まあ、確かに音楽も映像もカッコよかったけど)。
 だから、次の首相は誰になるかわからないけれど、福田さんか誰かを連れてきて、若者が薬の売人になるのと首都圏青年ユニオンの活動家になるのと、どっちがいいですか?と聞いてみればいいんですよ……などなどの話が続いたのであった(メモを取っていなかったので、言葉はこのとおりではなかったかも知れないが)。
 実に明快でわかりやすい。
 で、小熊さんは、松本さんのような活動、生き方は、江戸時代的でおもしろい、また他の皆さんの活動、庶民から生まれたこういった自発的な活動(派遣ユニオンとか自立生活サポートなど)は、日本の近代史ではほとんど例がなかった、とも言っていた。

 学者の言うことは所詮、机上の空論という意見もあるし、確かにそういう人も多いけれど、小熊さんは違う!と思った。
 歴史や世界の情勢などから俯瞰するということは、大切だなと思う。

 でもって、小熊さんはカッコいいんだなあ。
 すっかりファンになった。

 あと、参考までに、雨宮処凛さんの記事が読めるサイトマガジン9条 雨宮処凛がゆく! を紹介します。彼女の文章もわかりやすく、おもしろいです(意外とそれが大事だと思う)。
――やたらと若者には「再チャレンジ」を強要し、「再チャレンジの機会があるのにしない奴はダメ人間でそういう人が生きるも死ぬも『自己責任』なので放置」というようなスタンスをとっていたくせに、自分のこととなると話は別のようだ。/9月19日の「再チャレンジしなかった安倍、の巻」より――には、笑った。
 と言ってる間に、その安倍も消えたし、今後どうなっていくのか。

 とかくぼやいているだけの私は、こうやって動いている人たちを目の当たりにして、なんだか驚いている。
 酷い社会だけど、希望はある……のではないかと。

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2006年4月12日 (水)

ハードワーク――低賃金で働くということ

 英国ワーキングクラス・シリーズというわけでもないのですが、また英国のノンフィクションを紹介します。タイトルはハードワーク――低賃金で働くということ 。日本での発行は、2005年6月。
 これも昨年のブログのTea Roomで書いたものの再Upです(2005年12月11日付)。
 ちょうどこれを書いていた昨年、フランスでは移民の若者による暴動が起きていた。で、さらに今年に入り最近になってからは、CPEという雇用政策が打ち出された。26歳未満の若者の雇用であれば、2年間の試用期間中、企業は理由なく解雇できる、などというとんでもないものである。これを聞いた時、フランスって進歩的な顔をしてるせくして酷い国だなあと思った。でも市民による抗議運動が繰り広げられていて、ついに政府はこのCPEを撤回したそうだ。こういうニュースを聞くと、さすがフランス!と思うのだけれど、まだまだ問題は山積み。
 先日NHKで「地球特派員2006~フランス移民暴動の試練・グローバル化と下流社会」(リポーター/姜尚中)という番組をやっていたけれど、これから挙げるイギリスの『ハードワーク――低賃金で働くということ』と同じ光景が繰り広げられていた。いや、むしろイギリス以上にひどいかも。移民は公然と差別されており、何しろ、その「ハードワーク―低賃金労働」すら奪われているのだから。シテという郊外の低所得者用団地の荒廃ぶりは凄まじかった。そこに、失業した父親と職のない息子と娘がいて、家政婦をしている母親の収入と失業保険で食いつないでいるとか、シテに住んでいるだけで就職試験の面接をしてもらえないとか……。
 というわけで、そういった社会の不穏な空気をいち早く読み取って伝えてくれたこの本は素晴らしい(けれど、書かれいることそのものは辛い……)。

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ハードワーク――低賃金で働くということ

 Photo著者は、イギリスのガーディアン誌の女性ジャーナリスト、ポリー・トインビー。イギリスは、サッチャー政権以降、所得格差がますます広がり、固定化されたとのこと。もちろん、イギリスは昔から階級社会だったけれど、ワーキングクラスは結束力があり、組合などを通し、それなりの権利を勝ち取ってきた。でも、そういったワーキングクラスの力も弱まり、福祉も削減......させたのが、やはりサッチャーらしい。「サッチャー政権以来、英国は後ずさりしてきた」のだそうだ。失業と低賃金労働を往復する貧困層が実に3割を占める社会だそうで。そこで、ポリー・トインビーは、身分を偽り「40日間、時給4,1ポンド(約820円)の最低賃金で暮らす」という体験取材をする。その記録が本書だ。イギリスは想像以上に厳しい国だなあと感じる。前回の石原由美子さんの『英国ワーキングクラス直伝――逆成功のルール』にも、ワーキングクラスの実態がよく描かれていたけれど、あそこに出てくるのは元気でしっかりと人生を歩んでいるワーキングクラスだった。でも、トインビーが伝えてくれるのは、「ワーキングクラスなりの成功」からも外れた、本当に最低賃金の人々の苦しい実態。シングルマザー、病気で前の仕事をリストラされた人、移民......などである。長くなるが、いくつか引用してみる。

恵まれた立場にいる人たちは何世代にもわたって、「実力本位」という言い訳に頼ってきた。貧しい家庭の子どもでも、賢ければ出世できる――これが本当なら、不平等な現実にも目をつむることができる。誰にもチャンスは平等にある、と信じ込むことができれば、恵まれた人たちも良心を傷めることなく、自分たちの暮らし方が正当化できた。しかし、この方便が通用しなくなってきた。なにしろ、中流階級へと続くはしごがはずされてしまったのだ。P13

「実力本位」という理想が消えたために、すべてが変わってしまった。――ある種の肉体労働が「単純作業」でも、はしごの一段目にすぎいと思えば、低賃金でも当然と納得する気にもなる。しかし低賃金労働者がはしごを何段も上る例など、いまやほとんどないことが明らかになった。たまに一段上ることがあっても、すぐに滑り落ちてしまう。失業状態と低賃金のあいだを、不安定に往復するだけだ。まさに、社会的進歩が停止したといわざるをえない。P15

たしかに最近は、身なりで懐具合を見わけるのがむずかしい。飛び抜けた金持ちや、飛び抜けて貧しい人はそれとなくわかることもあるが、衣料品の安売り店が普及したおかげで、低所得者もそれなりの服装が整えられる。毛布をかぶって道ばたに座るホームレスの人たちは、日常生活から明らかにはずれて突出しているので、いやでも目について心が乱される。しかし、けんめいに働いても貧しさから抜け出せない何百万もの人々は誰も目を止めない。社会的正義がおこなわれていないという事実は、こざっぱりした身なりに隠されているから、バスや地下鉄のなかで愕然とさせられることもめったにない。しかしじつは、毎朝職場へ急ぐ人の五人にひとりは時給六ポンド(1200円)以下、週にして240ポンド(4万8000円)以下しか稼げていない。これでは週刊誌に紹介されるようなレストランで食事をすることも、カリスマ美容師の店でヘアカットをしてメッシュを入れることもできないではないか。P15~16

私たちは、孫子の世代に向かって、この状況を正当化することができるだろうか。人間は生まれつき、公平と不公平を見わける素朴な感性を持っていると思う。その感性に照らして、現在の状況は公平ではない。P20

 とにかく、社会が回っていくためには必要な労働――介護、清掃、給食調理――といった仕事が、ハードなのにことごとく低賃金なのだ。特に、老人介護は、それなりの技術を要するし、精神的負担も大きいのに、フルタイムで働いても、満足に生活できる月給は得られないらしい。これは、日本でも同じだ。企業買収に携わる人々が年収何千万も得る一方で、こういう仕事に就く人々がかくも不遇なのは、なぜなのだろう?
「しょせん、恵まれた立場のジャーナリストの短期間のお気軽な体験取材」などと批判する人もいるみたいで、確かにそうかも知れないが、私は彼女の取り組みは立派だと思う。最低賃金の仕事を体験するだけでなく、本当にその賃金だけで生活し、その収入に見合った公営住宅で暮らしたのだ。
 マスコミなんて、不安を煽り立てる報道ばかりしがちで、自分たちがいる恵まれた立場からは動こうとしない人々がほとんどなんだから。それと比べたら、トインビーは偉い(日本にも、そういうジャーナリストは少数ながらいるけれど)。だから、彼女の本は実感がこもっている。そして、他者に対して感情移入し、共感できる感受性が素晴らしい。
 で、最低賃金で暮らしてみた結果は、どんなに頑張っても赤字だったそうだ。耐え切れなくなって、こっそり外食したりしたことも白状している。また、彼女にあてがわれたランベス地区の公営住宅のひどさも、ショックだった。イギリスって福祉国家じゃなかったのか、そうかサッチャーのせいでこんなに変わったのか......と。政府からは完全に見放され、管理されていないので、エレベータが止まっていたり、ゴミが散乱していたり、ヤクの売人の溜まり場になっている部屋があったり、強盗事件が多発......と、その荒みようは、日本人にはちょっと想像しがたいほど。そういう悪環境で生まれ育った子どもは、悪い仲間に取り込まれ、犯罪に走るケースも多くなるというのは必然かも知れない(それでも、本書の後半では、その公営住宅も改革の対象になりつつあるのがわかってくるが)。

――今回、私が経験した職場の仲間の多くは、時代遅れのヒエラルキーのせいで、能力以下の仕事を押しつけられていた。彼らを、病院なら病院の、全体像の一部に組み込むべきだろう。ピラミッドの最下層と見るのではなく、なめらかな全体を構成する煉瓦のひとつと見るのだ。P90

 と、病院のポーター(車椅子の人を案内したり、移動させたりする仕事)を経験した彼女は言う。これは、今の日本のフリーター、ニート問題にもあてはまることだと思う。

スムーズに職を移るのは、本当にむずかしい。あいだに給料の入らない期間がはさまるからで、懐具合を心配せずに転職できる人はあまりいないと思う。P91

 これも本当に実感! 私も派遣をたびたび変わった経験があるので、身に沁みてわかる。条件が悪くても、貧しければ貧しいほど、そこから身動き取れなくなるという、悪循環に陥ってしまうのだ。

 そして、トインビーがいいのは、こんなふうに正直なところだ。

少なくとも私には、シンプルライフにあこがれたり、節約の喜びに浸ったりする趣味はない。「消費拡大主義」(コンシューマリズム)以前の古き良き時代を懐かしんだこともない。昔からショッピング大好き人間だ。ただ、この喜びがもっと平等に享受されればいい、と思ってはいる(ブランド全盛に眉をひそめる人は、ブランド品などなにもない安い店で買い物をしてみるといい。聞いたこともない怪しげな包装の食品や洗剤を買うのは、不安なものだ)。外食したり、映画や芝居を観たり、自宅に友人を招いてパーティをするのも好きだ。ワイン、ドレス、休日。ときには外国の都市に飛んで、長い週末も楽しみたい。物質主義に侵された現代社会を嘆くこともない。人間は元来物質主義的な存在で、だからこそ動物と違って、進歩のために努力するのだと思っている。地球という星を損なう行為を懸念することをべつにすれば、快適な暮らしになんの文句もない。「土への郷愁」はまったくないし、富める暮らしより貧しい暮らしのほうが自然に近いとか、倫理的に優れていると思ったこともない。英国には昔から、高等教育を受けた人たちが貧しい暮らしにあこがれる風潮がある。持ち物が少なく、困難な選択に迫られることも少ない暮らしが一見「単純素朴」に思えるからだろう。私が低賃金労働の職場で出会った人たち(大半が女性)には、選択の余地がほとんどなかった。P95~96

国には公共サービスの補助的作業を民間に委託して「効率」を買ったつもりかもしれないが――国としてはこんなひどい労働条件を押しつけるわけにはいかないが、民間企業なら大目に見られる。p124 

 イギリスは、そうやって民間へ、民間へと委託するようになり、民間は利益をあげるため、フルタイムで人を雇わず、短時間のシフトで多くの人を雇うようになった。そんな細切れ労働では皆、食べていけないので、2つも3つもかけもちをしている人が少なくない。早朝の清掃の仕事をして、昼間も働いて、夜また清掃......というような。特に、子どもの世話をしなければならない女性がそんな過酷な働き方を強いられているそうだ。
 日本もすでにその道を歩んでいるような気がする。

懐に余裕がないため、あらゆる行動が制限された。飢えない程度に食べることはできたが、楽しみ抜き、アルコール抜きの食事は味気なかった。しゃれた店が視界から消えてはじめて、現代に生きるほとんどの人同様、私にとってもショッピングがどんなに重要だったか気づかされた。劇場や画廊、レストラン、ブティックなどが並ぶ、何度も通ったなじみの道が、私の地図から消え失せた。どこを歩き、どんな建物の前を通りすぎても、すべてが境界の向こうにある。ほかの人たちのもので、私のものではない。スターバックスのソファが私を誘ってくれることもないし、本屋やレストランはもちろん、街角の小さなカフェでさえ私にとっては存在しない。世間並みの楽しみを与えてくれるあらゆる場所に、「立ち入り禁止」の大看板がかかっているようなものだ。ほかのすべての人たちが生きている消費社会への「立ち入り禁止」。過酷なアパルトヘイトだ。客を呼び込んで、買って、買って、買ってと誘うために明るく照らされた入り口が、英国民の三分の一にとってはぴしゃりと閉ざされている。こうして排斥されてみると、都会の町並みは険悪な顔を見せる。同じショッピングでも、懐と相談しながら貧しい食料を買いそろえるのは楽しくないし、回を重ねるごとにつらさが増してくる。P300

 ここを読んだ時は、胸が痛くなった。そう、世の中すべてが貧しければ、まだ我慢もできるけれど、自分の目の前にはきらきらした消費の世界が広がっているのに、自分には無縁......というのは、本当に辛い。私自身、今はようやく安定した収入の仕事に就けたけれど、どん底も味わった。クリスマスの季節はデパートの前を通るのすら苦痛だった。自分だけ世の中からポツンと切り離されているみたいで、孤独な感じがした。食事や遊びに誘われても、断わざるを得なかった。何も身動きがとれなかった。
 と言っても、私の場合、自分自身の生き方の下手さ加減のせいもあったし、ある程度やりたいことをやった結果だとか、離婚したとか、運の悪さのせいにできる部分もある。
 でも、そうではなく、生まれた階級とか人種のせいでずっとずっとそういう生活だったら、どうだろうか? フランスの移民の若者の暴動は、きっとそういうことだ。今辛くても、希望があれば人間はなんとかやっていけるのだと思う。先の見通しが立たない、いつまでもこの悪い状況のまま、という、やるせない閉塞感が絶望を生むのだ。彼らが、ブルジョアの象徴である車に火を放った気持ちは、痛いほどわかる。日本も同じような道を進んでいるけれど、フリーターの若者たちはまだ親にパラサイトできる率が高いから、深刻さが見えてこない。でも、親の資産も無限ではない。尽きる時が来たら......。フランスやイギリスも深刻だけれど、日本の若者の諦めたような静けさも、何か不気味ではある。
 なお、トインビーによると、欧州の中では、やはり北欧諸国やオランダは所得格差が少なく、イギリスにあるようなもろもろの社会問題も比較的少なく、高い税率にも国民は納得し、成功しているらしいので、何かしら違うやり方があるはずだと言っている。ブレアもアメリカ寄りなのがけしからん、とのこと。結局、そういうことになるのか......。なんせ、アメリカは格差社会のうえ、イギリス以上に福祉も社会保障も貧弱だそうで。そう言えば、アメリカの医療ドラマ『ER』でも、「保険に入っていないから、病院にはかかれないの!」なんていうセリフがよくあったなあ。国民健康保険などなくて、自分で選択して民間の保険に入らないといけないのか? 弱者切り捨て、すべては自己責任ということなのか......。

 この本を読むと、アフタヌーンティー、ガーデニング、田舎でのスローライフという「光」の部分のイギリスのイメージは大きく覆される。社会の底辺で見えてくるイギリス社会の過酷な現実。若い頃、イギリスで暮らすのが夢だったけれど、今は思わない(ある程度のお金を持って、観光するのが一番だ)。日本も格差社会になりつつあるけれど、ヨーロッパほど階層ごとに断絶してないから、今のところは、それなりに文化的にはいろいろなものを享受できるし。ご飯はおいしいし。地震はあるけど、世の中、まだまだ安全だし(と過信するとダメ?)。まあ、日本もアキハバラ、ワンダフル!なだけの国でないのは当然で、どの国にも光と陰はある。とにかく、アメリカに追随すると、ロクなことにならないのは事実かも知れない。

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