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2010年5月23日 (日)

「チェイス」最終回

 NHKドラマの「チェイス」は、昨夜で最終回を迎えた。
 回を追うごとに、天才脱税コンサルタント村雲の出自が明らかになり、金をめぐっての大きなスケールの社会的な話が、結局のところ、母に愛されなかった子ども……という、極めて個人的な物語に収斂していく描き方が見事だった。
 ARATA演じる村雲は、悪の化身のようでありながら、完全に悪の存在としてと突き放しきれない、哀しい人物になっていたのも秀逸。
 とにかく、国税査察官の春馬を演じた江口洋介とARATAの演技が素晴らしかった。
 江口洋介はまあ、ずっと好感度俳優で人気は高かったけれど、ARATAはこのドラマでぐっと評価が高まり、出演作品の幅が広がるに違いないだろう。
 大森南朋が「ハゲタカ」の主演でブレイクしたように(その前から演技派として、いろいろ活躍はしていたが、地味だった)。

 そして、あっと息を呑むラスト。
 結局、村雲が死んで、やや感傷的になる査察官の春馬――であったが、この事件の最大の鍵を彼から託されたことを知るやいなや、国税局からの電話にその事実を伝える。
 この展開も鮮やかで、モチーフとして度々出てきた木彫りの黒いバラが上手く使われていた。
 で、春馬は瞬時に夢(悪夢)から引き戻され、現実へしっかりと着地するのである。
 なぜなら、「地べたを這いずり回るようにして働き、人様の税金で生活している犬」(他の場面でのセリフ~正確ではありません)であるという、苦い自覚と覚悟をした人間(=大人)だからである。
 そこで、画面は唐突に音楽もなく終わり、菊地成孔のあの官能的で甘いエンディグのテーマ曲も一切なし(ちなみに、その曲名が「退行」というのも実に見事と言うほかない)。
 それがかえって印象的だった。

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         死をもってでしか安らぎを得ることのなかった村雲…

 と、大人(父性)とか社会とかお金とか、そんなものを考えさせる、日本の中では数少ないドラマだった。
 ただし、宙ぶらりんで辻褄の合わないところも所々あったが。特に母親と地元の警察署長と、事件との関わりなど……そういう点では、「ハゲタカ」の方がドラマとしての精度は高かったように思うが、でもこの「チェイス」には少々の矛盾点などどうでもよくなってしまうような、ひりひりとした痛みで人を虜にさせる力があった。
 
 ついこの前観たクリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」がそういう要素の詰まった、社会的なことと個人をつなげる凄い映画で、公開時からあちこちで話題になっていたみたいだが、私も圧倒された――ので、これはまたいつか。
 いやほんと、凄い映画ですよ。凄いをやたらと連発してしまうけれど。

 7月からは、この枠で「鉄の骨」という企業(建設業界)の談合をテーマにしたドラマが始まる。
 原作をぱらぱらと読んだことがあり、これはNHKドラマになりそうな、と思っていたら、ほんとにドラマになるのであった。さすが、目の付けどころが鋭い。これも期待できそう。
 7月といえば、中旬には入院するので、HDDの空きを何とか作って録画しておかなくては!

 恋愛ものより、社会派ドラマ(というかNHKドラマ?)が面白いこの頃である。

 

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コメント

Kateさん、こんばんは。
こちらのブログで激賞されていたので、「グラン・トリノ」を観てみました。すさまじくも圧倒的な映画、おそろしく複雑な感情を喚起させられる傑作でした。ご紹介に感謝します。

まず、この映画でのイーストウッド(ウォルト・コワルスキー)の佇まいが、老年に入った僕の父に非常に似ていて、胸を突かれました。次に、以前観たアルモドバル監督の「抱擁のかけら」もそうでしたが、優れた映画は、何気ない場面でも常にサスペンスフルなんですね。例えば、隣に越してきたモン族のお婆さんとイーストウッドがちょっと視線を交わす、ただそれだけで胸がどきどきするわけです。一瞬後には何が起こるか分からない。そんなスリルが、いわゆる「山場」以外の全編に漂っているのが、優れた映画なのだと思います。

逆に言えば、山場が先読みできてしまう映画やドラマは、いくらその山場がどぎつい演出・演技であっても、実はあまり怖くないのです。どきどきしない。先が見えているから。    

そして、「グラン・トリノ」全編を観終わって思ったのは、この作品においては、モン族がアメリカ、それもアメリカの若い開拓者精神を担っているということです。そこには、無法者やならず者もいる。しかし、「若い」。白人は老い、彼らにできる最良のことは、「若さ」を持つ者たちを守り育て導くことだけなのです。それは悲劇的ですが、しかし、アメリカの理念は引き継がれていく。それで良い。もって瞑すべしなのです。最後に歌い手が、イーストウッドから若者に代わり、デュエットもしなければ、イーストウッドが再び歌うこともない理由だと思います。

素晴らしい映画を教えて頂いたことに、あらためて感謝します。ありがとうございました!

投稿: 灯 | 2010年5月28日 (金) 22:29

灯さん
「グラン・トリノ」ご覧になったのですね。
こんな立派なコメントを書かれてしまったら、私の記事はもういいかな?という感じが(笑)。
でも、忘れないうちに書きたいです。

なるほど、ラストのあの曲はそんなふうにも解釈できるのですね!
気がつきませんでした。
菊地成孔さんも『ユングのサウンドトラック』の中でいろいろと書いていましたが、その解釈も目からウロコでした。

投稿: Kate | 2010年5月29日 (土) 00:09

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