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2009年7月 5日 (日)

Pina Bausch:A Coffee with Pina

 7月は、ピナの死を悼んで、ピナのことだけを書くことに決めました。
 東京の片隅で生きる一ファンなりの哀悼の意です。喪に服します。
 いろいろなニュースや情報が日々めまぐるしく飛び交い、消費され、忘れられていくなか、せめて個人発信のブログくらい、自分の大切なものに対してこだわりたいと思うのです。

 と言っても、舞台もそれほど観ておらず、あまり偉そうなことも言えず、ついついYouTubeの画像をリンクしてしまうばかりなのですが。
(だって、やはりダンサーは動いていないとね……)

 と、思わずリンクしてしまったのも、ヴェンダースがピナの映画制作に入っていたというのを知って。
ビム・ベンダース×ピナ・バウシュ。夢のコラボで世界初3Dダンス映画製作!
 この記事は5月、つい最近ではありませんか。
 本当に、体調不良を訴えてから、あっという間に風のように去っていってしまったという印象です。
 上記の映像はその関連のものらしいですが、カフェに座っているピナの存在感が素晴らしく、手をちょっと動かしただけで、周りの空気が変わるようです。
 でも制作に時間がかかりすぎ、未完になってしまったそうで、ヴェンダースは自分のサイトのトップページでピナへの追悼文を寄せています。
 そこに掲載されている、煙草を手にしているピナがあまりにも素敵。
 嫌煙が世界的に広がるなかでも、きっとピナは煙草を吸い続けていたんだろうな。
 ピナは途中で逝ってしまったけれど、これはぜひ完成させてほしい。

ヴェンダースのサイト

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コメント

Kateさん、こんばんは。

ピナ・バウシュの訃報は、彼女が旺盛な創作活動を行っている真っ只中での出来事でしたから、取り残されたような、割り切れない気持ちでいっぱいです。現在のヨーロッパ芸術の精髄が、ふいに途切れてしまった。そんな不条理なことは・・・。

ピナの舞台は、それを観る人それぞれにとっての「とても個人的なものの核」に触れるものなので、その舞台を愛する人は、深く愛する人でしかあり得ないと僕には思えます。ちょっと好き、とか、悪くはない、といった受け取り方は、ピナに限って言えばあり得ない。そう感じる人は、まだピナと出遭っていなかった人なのだと僕には思えます。ですから、Kateさんが、ピナを深く愛していたことは、まぎれもない真実です。僕はそう信じています。

ピナは死後も自作が世界中で上演されることを願ったそうですが、とりあえず今、急に残された人たちは、ピナの不在に深いとまどいを感じないではいられないでしょう。何か決定的に重要なものが失われてしまった、と。

何か決定的に重要なものが失われてしまった・・・そう声にならない呟きを呟きながら、 僕も割り切れなさ(喪の作業)に向き合っています。

投稿: 灯 | 2009年7月 6日 (月) 20:49

灯さん
こんばんは、喪中のKateです。
本当に「喪失感」という言葉がぴったりですね。

繰り返し堪能した人、出遅れてちょっとだけ観た人、ついに逃した人、ピナに惹かれていた人は皆それぞれの思いで、その死を悼んでいるようです。
これだけ多くの人に惜しまれる芸術家はそうそういないのではないか。
失ってみて、より一層その偉大さに気づく……という感じです。

灯さんのコメントで、出遅れた私でも、彼女を愛していると言ってもよいのだなと、思うことができました。
ありがとうございました。


投稿: Kate | 2009年7月 6日 (月) 23:29

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