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2009年4月に作成された記事

2009年4月19日 (日)

『正社員が没落する』

 最近読んだ新書2冊を紹介します(青字部分は引用箇所です)。

 『グローバル恐慌』

ユーロ圏内においては。二〇〇八年九月末から10月にかけての時期がカネの縮減過程、そして11月以降がモノの世界へのその影響の本格的な波及プロセスだったといえるだろう。
 
 ということだそうで、リーマンショックの直後は一部のところだけの影響に見えたけれど、じわじわと世界のあちこちに影を落とし始めている。
 アメリカのサブプライムローン問題から、それがどのように証券化されたかなどの流れがよく説明されている(ローンを証券化して商品にするというのが、私にはどうしてもわからなかったのだが、この本を読んで大枠は理解できた)。
 経済を扱った本の中では、「素人」でも比較的読みやすく、例えが上手い文章だった。
 少しは経済を勉強してみるか、ということで読んだのだが、細かい話はやはり結構忘れちゃったかも(……ではタメなんだけど――グローバルに考える前に、自分の経済をもっと考えろ、と言われてしまいそうだ……うぅ)。

 なので、こちらの方が内容的にはより身近であった。

『正社員が没落する』

 『反貧困』の著者で派遣村を主催した湯浅誠さんと『貧困大国アメリカ』の堤未果さん、ふたりの対談集。
 怖いタイトルだけれど、きっと編集者が目を引くようにタイトルを付けたのだろうという感じで、中味はいたずらに危機感を煽るのではなく、地に足が付いたしっかりした内容。

異常な高コスト社会
ヨーロッパでは、子どもが増えても家計負担は倍増しない。児童手当が大きいからです。住宅もある程度は政府が低家賃住宅を供給している。住宅は基本的なサービスだという発想がある。しかも大学の授業料は無償。(湯浅)


 湯浅さんのエライところは、正社員を引きずり下ろすという意見には組しないところ。
 全体を見て、冷静にきちんと検証している。
 だから、ワーキングシェアや正社員の給与を引き下げて分配という意見には要注意とのこと。
 つまり、日本は上記のようにヨーロッパと比べるとバカみたいな高コスト社会で、ここが変わらず、給与だけが下がると、正社員だろうと何だろうと生活がたちゆかくなるということ。
 住宅の高さ(買うにしても借りるにしても)と教育費の高さは、ほんと問題だと思う。  
 それから、日雇い派遣などひどい働き方を許容してしまうと、どんどん底が落ち、正社員だったら逆に「正社員なだけでもありがたく思え」とばかりに、過剰な働き方を押し付けられることになる(正社員は残業代もなく、過労死寸前とかすでにそういう企業も多くある)。
 タイトルの「正社員が没落する」は、そういう意味なのだ。
 そして、正社員 VS 非正規 の対立、足の引っ張り合いは、本当の問題から目を逸らすための、経営者や政府にとっての願ったりの構図になりかねない、という指摘も鋭い。

医療保険は民間が引き受けたほうがいい(年次改革要望書について、堤)

 
という案が出ているとかで、ええー日本もついにとびっくりしたのだが、これは本当に怖い。

総合的にセーフティネットを整備して安定感を持たせて、安心して消費できる内需拡大に向かう道があるのに、それを選択肢として考えない(湯浅)。

 まったくそのとおりだと思う。
 今のままでは、それほど貧困層でなくても、気分として消費に向かわない……。

私 たちが心も体も健康で、子供達は未来に希望が持てる。高齢者が安心して生きられ、労働者は誇りを持って働ける。こういった基本的なことを政府が保障してく れないなら、私たちは一票をつかって、それを支える政治家を落とすべきなんです。国が国としての責任を果たさないなら、国はいらない。税金は払わなくてい い。そう言って百万人の人が税金をボイコットしたら、国は大変なパニックになる。そうしてもおかしくないようなことを、国は今私たちにしているんです。(堤)

当たり前に生きられる権利を守ってくれない政府を、税金を払ってまで支える必要はないんです。(堤)


 そういう考え方をしてもいいんだよなあと目からウロコな言葉。
 日本人は何でもすぐしょうがないとあきらめたり、自虐的になりがちなのかも。
 税金をボイコットする方法ないものか……。
 サラリーマンは自動的に引かれてしまうから、あれを自営業者のように確定申告制にしたら、税金への意識も変わるかもしれないんだけど。一度でも確定申告ってものを経験すると、結構シビアになると思う(私も過去、何度もやりました。シビアになります)。

「貧困の人たちをどう救おう」ではなくて、「雇用とは何か」について国全体で考え直さなければいけない。(堤)

 こういう風に、感情的にならず問題をきちんと見据えているところがよかった。
 また、この本を読んで、雇用保険がどんどん削られていることも知った。
 知らないうちに、いろんなことが変わっていて、その変わり方はたいてい悪い方に変わっているようだ。
 この中でもふたりが語っているが、日本人なんて、正規にせよ非正規にせよ、それほど裕福な層はいない、ぎりぎりの人が多い……ってことなんだなあ(ふぅ)。
 

 今の状況を整理して冷静に考えてみたい人におすすめの本です。

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2009年4月12日 (日)

東京で最も美しい場所

 今年はお花見できないなあと思ったら、むしょうに悲しくなり、実は先週「ひとりお花見」を決行!
 外出の用事がある日、朝、パンとコーヒーを入れた水筒と薄手のピクニックマットを用意しバッグに詰めて、平日のお昼時にこっそりと新宿御苑へ。
 ここの桜はやはり素晴らしい。
 公園の空間の広がりと、桜のバランスが見事。
 木の下が桜のドームのようになっているような場所を選んで、マットを広げてお昼。
 お昼の後は、ちょっとだけ仰向けになってみた。
 Sakura2_2 満開の桜の向こうには、雲ひとつない、いかにも春らしい少し薄いブルーの空。
 寒くもなく、暑くもない心地のよい気候。
 梢に止まる野鳥。時折吹く風に舞う花吹雪……本当に天国かと思った。

←携帯で撮ったので、天国的な美しさはまったく再現されず……。

 そこにいる人は、皆、穏やかな笑顔。
 お昼は近くにある礼華にしようかなと思ったのだけれど、やはりお花見にはお弁当ですね。

 昔、若い頃、新宿御苑に桜を見に来たことが一度あるはずなのだが、それほど記憶に残っていなかった。それが数年前に来たら、あまりに美しいので驚いたのだ。
 どうして感じ方がこんなに違うのだろう?と。
 年を取って、美しいものへの感度が上がる――ということもあるのでしょうか。
 桜の季節の新宿御苑は、東京の最も美しい場所だと思う。
 
 三重にいる連れ合いにも見せたかったなあ、美しいものをひとりで見て、共有できる人がいないのはつまらないな……などと思いつつも、後ろ髪を引かれる思いで公園を後にして、仕事に戻った私。
 来年は、花見酒ともっとご馳走のお弁当も用意して、心ゆくまで楽しみたいなあ。
(もちろん、お休みの日にゆっくりと!) 

Sakura1
 桜の絨毯になっていたところもきれいだった。

 

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2009年4月 5日 (日)

柳宗理のステンレス・ケトル――一生ものの台所道具

 長年使っていたやかんの持ち手がぐらぐらしてきたのと、白い湯垢がこびり付いて汚かったので、新調した。
 選んだのは、柳宗理のステンレス・ケトル。
 コツコツ、コツコツ溜め続けたクレジットカードのポイントを商品券と交換、それと現金をいくらかプラスして「私の部屋」で購入(そしたら、楽天ではもっと安かった……しゅん)。
 今まで人にはすすめていたくせに、自分では使っていなかった(やかんって、なかなか壊れないので)。
 それでですね、これが使ってみると、ほーんとにいい使い勝手なのです!
 さすが柳宗理。
 見た目がシンプルで邪魔にならないし、まあ失敗はないだろうぐらいの選択だったのですが、見るだけと、実際に使ってみるのでは大違い。
 使って初めて知るよさというのがあるなと思った。
 ステンレスの厚みがちょうどよいのか、お湯がしゅんしゅん沸き立っても、ステンレス特有のチリチリ感がなく、注ぎ口のカーブが絶妙で狭い口のもの(例えば、湯たんぽなど)へ注ぐときも注ぎやすいし、底が広く平たいのでお湯も早く沸く(グッドデザイン大賞受賞)。

 電気湯沸かしポットを持っていないうえ、最近は冷たいお水は飲まず、必ず白湯にしているので(沸かしては、保温ポットへ)、私がお湯を沸かす頻度は相当なもの。
 それこそ休みの日などは、1日中お湯を沸かしているかも(笑)。 
 使用頻度の高いものは、やはりいいものを使うと、ぐーんと効率が上がるし、家事も楽しくなる。
 使う人のことを考え抜かれた道具だなあと、感動すら覚える。
 柳宗理の実父は、民芸運動の柳宗悦だそうで、納得です。

 ボールとかざるとかも、これから少しずつ揃えていきたい。きっと一生ものの台所道具となるに違いない。

Img_1745_2  















 ツヤ消しのステンレスもいい感じ。
 このフォルム、美しい。
 なんかちょっと絵画的な美しさがあるような……大げさですか?
 やかんは台所にずっと置きっぱなしなので、「いい感じの存在感」が大切だと思う。

追記★このエントリーで、ちょうど200個目の記事になりました。2006年の桜の季節にスタートしたので、3周年記念です。別に、何のイベントもありませんが……。


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ベランダから見える桜

 

Img_1747

 この季節になって、越してきた団地の庭に大きな桜の木があることを知る。

 この週末が満開。
 あいにく部屋の窓から見えるわけではなくて、ベランダに出ないと見えない位置にある。
 でも、今年はお花見にも行かず終いで終わりそうなので、ベランダからでもこんな立派な桜が見えるのはちょっと嬉しい。

 越してきて、ちょうど3か月。

 今はただ暮らすということそのものが楽しいというか、嬉しい。
 湿度がなくカラッとしていること、2月の極寒の時期でも室内は暖かいことや給湯パネルがあってお湯の温度調節ができることなど、それから空が見えること、そんなことが嬉しい。
 とにかく、深く眠れるようになったのと、TVや音楽の音に過度に敏感にならなくて済む(前のアパートは筒抜けだったので、他の部屋の音も気になるし、自分が出す音にも気をつかった)ことによる、ストレスの軽減――が何より、心身によろしい。
 団地と言えば、子どもがいっぱいというイメージだが、ここはバリアフリー対応のせいか、お年寄りがとても多い。なんとなく寂しい雰囲気ではあるが、ひっそりと静かで私には合っているかも(笑)。

 結局、引っ越し騒動記は書く暇もなかったが、まあ、引っ越しの大変さは誰が経験しても同じだと思うので……。
 ひとつだけ、あれが引っ越し騒動の峠だったなと思える敷金の立ち会いについて書いておく。
 敷金鑑定人(敷金バスター )を依頼したと言ったら、管理会社のオヤジは明らかに不満を露にし、夕方の立ち会いじゃ暗くて見えないから昼にしろ!と、いきなり前日、電話がかかってきた。
 立ち会いの時間はもう、1か月も前に連絡してあったはずなのに。
 おまけに、「そういう人(敷金鑑定士)が来たって、引くものは引くんだから」と、やけに強硬姿勢。
 なーんか厭な雰囲気である。
 当日、私の到着より案の定先に来ていて、敷金鑑定人の前でも、開口一番、「何も無謀な請求をしようってんじゃないの、だからこうして確認するわけなんだから」云々かんぬんとまくしたてられた。
 だったら、契約書にあれも請求します、これも請求します、と違反なことを記さなければいいのに。
 あれこれ見て、壁紙が汚れてる、汚れてると何回も言われたが、室内で煙草の一本も吸ったことはなく、ある時期を境に、本当に部屋全体が急速に煤けていったのだ。
 結局、壁紙の汚れより、こちらの不注意でぼこっと小さく開けてしまった穴2か所と、フローリングの傷(確かに表面の木が少し削れていた)を大きく言われた。
 フローリングの傷は、部屋が狭くてTVの置き場がなかったので、キャスター式の台に乗せて移動していたので、そのせいと思われる。
 敷金は家賃2か月分を払っていたが、1か月分+1万円を請求、手元には1か月分弱が戻ってくることで、どうか?ということになった。
「あれこれ言い合いしたくないから、これで妥協しませんか」
 と言うし、立ち会ってくれた敷金鑑定士さんも、まあ妥当なところでしょう、とのことで、私もそれで妥協した(自分の不注意による修繕代+クリーニング代他若干、という感じか)。
 それだけかかるのは、フローリングの修理で、職人さんの日当が高いそうだ。

 敷金鑑定士さんには2万円弱を払った。
 あとでその人と話をした。
「契約書にいろいろと不当なことが書いてあったので、お願いしたんですけどね」
「ええ、こちらもそれで伺いました」
「やはり鑑定士さんが来てくれたから、ああいう対応になったんでしょうか?」
「いやあ、そこは何とも言えませんねえ」
 ということで、頼まなかったらどうだったのか、今となっては確かめようもないが、まあ、一応それなりにプロに頼んだ甲斐はあったのかも知れない。
 自分でも納得できたので、もやもやすることもなかったし。
 敷金の返還分も、約束の期日にちゃんと振り込まれていた。
 払っている分にさらに加算されて請求する悪質なパターンもあるというから、まあ、よかったのだろう。 
 それにしても、管理会社の横柄な振る舞いやものの言い方など、もう本当に民間の賃貸は厭だと思った。
 日本の住宅事情は悪すぎる――という話をし出すときりがなくなるので、やめておくが。

 ここの住まいに関しては、そういうストレスがないのも嬉しい。
 しかし、URの団地の管理も一部民営化を求める声など国から出ているらしく、団地の自治会などは反対しているそうだ……というのも住み始めてから知った。
 私も反対だ。
 何でも民営化すりゃいいってもんじゃないよ、まったく。

 というわけで、週末も過ぎてゆく――平日、ほとんどいないことがもったいなあと思う。

Img_1732  近所の玉川上水の風景。
 かの太宰治が心中した川。こんな川で死ねるのか?と思うのだが、当時は水量も多く激流だったそうだ。
 そう、ここ三鷹は太宰ゆかりの地。
 『人間失格』など、晩年の作品のいくつかは、三鷹で書かれたものだ。
 今度、太宰治の記念館にも行ってみよう。
 
 私も何かインスピレーションが湧かないものか。


Img_1733
 バスに20分弱乗らないと駅に出られないし、周りにはお店も何にもないけれど、こんな風情の、武蔵野の面影があるのはなかなかオツなもの。

 部屋も周りの環境も、これからしばらくの間、ひとり暮らしの私を支えてくれることだろう。

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2009年4月 4日 (土)

カレーにご用心

 今日(正確には昨日)、ランチにカレーを食べに行った。
 野菜カレーとナンを頼む。
 何口か食べたところ、中から……きゃあ髪の毛が!
 本当に中から出てきたので、自分の毛が落ちたのではないことは確か。
 お店の人に言ったら、すぐ変えてくれたけれど、カレーってひとつの鍋で煮込むわけじゃないですか……「他の味のカレーを!」言おうと思ったのだけれど、速攻で「新しいの」を持ってきちゃったので、もういいか……と。
 でも、ずっと複雑な心境。
 しかし……それ以上に解せなかったのが、野菜カレーなのに、マトンカレーっぽい味がしたこと。本日のカレーがマトンだったので、ベースを流用したのか?
 しかししかし、インドカレーで、野菜カレーやお豆のカレーと言えば、ベジタリアン向けのカレーということでもあり(インドには肉を食べない、ベジタリアンの人が結構いるそうだから)、ベースにお肉を使っては意味ないのでは……と、????な感じ。
 肉は入っていないのに、肉臭いという妙な感じ。
 というか、私はマトンは嫌いなのだ。それを差し引いても、まずいカレーだった。
 チャイもスパイスが今ひとつぴりっと利いてない感じ。

 なんだかなあ。
 作っているのはインド人らしき(?)人だけど……フロアにいるオーナーっぽい人は日本人だし。
 メニューもネパール風何とかかんとか、なんてのもあるし、タイ風のカレーにもナンを合わせられるとか、ウェイトレスのインド人の女の子が絶望的に日本語ができないし(飾りか?)、なんとなくすべてテキトー(インチキ?)な感じ。
 もう二度と行かないと思う。
 仕事でたまに行く神保町(水道橋寄り)の、従業員全員インド人のおっさんによる活気のあるカレー屋、クラブインディア シャンティ が恋しい。あれがインドカレーだよ。熱々で美味しくて、勢いがあって、そのうえ安い(渇望)。
 そういう店は、いつもいいエネルギーが流れていて、お客さんもいっぱいいる。
 当分、あの辺に行く予定はないから、残念。
 やっぱり、東新宿だなあと(絶望的にお店が少なく、よって競争がないため、レベルの低い店が多い)。金曜の午後、がっくりテンションが下がったまま仕事に戻った。

 ランチがまずいと、仕事の気力も半減。
 それでも7時まで残業して、何となく気分がすっきりせず、帰りは寄り道三昧。
 新宿の無印良品のカフェでコーヒー飲んで(お昼を外の時は無駄遣いしないようにしているのに)、RF1でサラダを買ったり(出来合いのお惣菜もできるだけ買わないようにしているのに)、布バッグ付きのキャス・キッドソンのカタログを買ってしまったり、地味な散財(矛盾している言葉だが)をしてしまった。

 最近、カラスに襲撃されかかったり(というわけでもないのだが、説明が面倒なので、襲撃されかかったことにする)、地味に変なことが多い。
 まあ、この程度の小さな不幸で済んで幸い――と思うことにしよう。

 地味にとほほな日記ですいません。

 
 

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2009年4月 2日 (木)

明日のランチはカレー

 

 スラムドッグ$ミリオネア がアカデミー賞をたくさん取り話題になっていて、J-WAVEでサントラがよくかかっている。
 それを聞いていると、むしょうにカレーが食べたくなる。
 凄く単純な、条件反射的な連想だけど。
 だけど、どうしてかなあ、フランス映画を観ても、それほどフレンチを食べたいとは思わないけれど(強いて言えば、濃いコーヒーか赤ワインを飲みたい感じになる――それなりに条件反射してる?)、インドにまつわるものを見たり聞いたりしていると、本当にカレーを欲してくるのです。

 カレーを食べたい、というだけでなく、何かかきたてられるものがある。

 「前世はイギリス貴族かも」(冗談だけど)というのは撤回して、「前世インド人説」の方が濃厚なり。

 というわけで、今もJ-WAVEでインド特集をやっていて、私の携わる媒体でも小さなインド特集があったりして、これはもうカレーしかない!と、明日は、お弁当づくりをやめて、最近、職場の近くにできたインド人経営の小さなカレー屋でランチすることに決めた。

 インドの人々の前では、空さえも小さく感じられる……とアカデミー賞授賞式で監督のダニー・ボイルは語った。

 原作の『ぼくと1ルピーの神様』も読み始めているけれど、面白い。
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さて、明日は金曜日。
カレーを食べてもうひとがんばり。


 
 

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