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2008年11月24日 (月)

禍々しく悲しい出来事も、美しい出来事も

 11月もあと1週間。
 この秋は、「文化」づいていて、ラファエル前派のミレイ展、デンマークのハンマースホイ展など、素晴らしい絵をたくさん観たし、10月にはスチューアト・ダイベックと柴田元幸氏のトークショーにも行ったし、今月は菊地成孔さんの抱腹絶倒(!)なトークショーに2回も……。
 どれもこれも報告したいのだけれど、なかなかまとまった時間が取れない。
 ちょっと書いておこうかな……が、私の場合、書き始めると、気づくと数時間経っていたりして、休みの日に済ませるべき用事が全然片付いていないこともしばしば。
 だったら、簡単にすればいいのだけれど、ただどこ行った、あそこ行った、よかった……では、自分のための備忘録にしかならず、ブログにして公にする意味もない。
 と、ブログも楽しいけれど、悩ましい。

 ところで、先週の17日の月曜の朝のこと。
 消防車のサイレンの音が響き渡る中、駅に着くと、総武線が止まっていた(中央・総武線の事故や遅延の多さはふだん乗っている人はよくわかると思うが)。
 この西荻窪駅の総武線のホームで人身事故だという。
 総武線を諦めて、中央線のホームへ上がってみるが、中央線もストップ。
 ホームは人で溢れている。この駅で事故というわりには、ひっそりと静まり返っており、何が起きているのかどうなっているのか、さっぱりわからない。
 やがて、間もなく総武線が動き始めるというアナウンスが流れたので、どうせもう遅刻だから総武線でゆっくり行こうと思った。
 階段を降りると、総武線へのホームの上がり口には黄色いテープが貼ってあり、ただならぬ気配を感じる。
 消防隊の人や警察の人が未だ行き交っていた。 
 でも、「お客さまの救出作業が終了しました」というアナウンスが流れ、電車が動き始めたらしく、私はホームに上がった。
 この時点でも、本当に「お客さまが救出された」のか、何もわからない。
 皆、中央線に行ってしまったので、ホームは人気がなく、静かだった。
 刑事さんらしき人や駅員さんが何人かいて、手にポリ袋を持っている人も。
 私がいつも乗車する、進行方向後方へ歩いて行くと……そこには、担架が置かれており、黒いビニールで覆われたものが縛り付けてあった。

 ああ……と思った。
 「お客様の救出」なんか、されていなかった(この言葉遣いからも、現代の日本は、果てしなく死を隠蔽する社会なのだなあと改めて思った)。
 担架の上の黒いビニール袋の生々しさに、胃の奥がきゅうと締め付けられるような感じがしたのだが、なんというのか、警察や駅員さんの静かでてきぱきとした、整然とした動きが――語弊があるかも知れないが、和やかにすら見えたのが――とても印象深かった。
 まあ、てきぱきしてくれないと困るわけだけれど、そのシステマチックな流れになんとも言えないものを感じた。
 いかにも、手馴れた感じ……とでもいうのか。

 後で、ネットで調べてみると、男性が線路に飛び込んだのは、8時25分頃。
 西荻8時26分発の上り電車――私も早めに出社するときには、時々乗る時間の電車だ。
 その日は、46分の電車に乗る予定だったのだが、もし26分にしていつもの場所で待っていたら……。
 そんなことを思うと、見知らぬ人の死がやけにリアルに迫ってくる。何の関わりもないのに、悲しい気持ちになった(どこのどなたか存じ上げないが、ご冥福をお祈りしたい)。
 年間自殺者3万人と言われて、ああ厭な国だねとふだん思ったりしているが、それが妙な実感を伴なってくる。

 厄落としのつもりで、仕事の帰り、花園神社の酉の市へ行ったら、凄く混雑していてちょうど私の後ろを通っていた車椅子の車輪に踵を直撃された。とても痛かった。
 今日は早く帰った方がいいのだろうと思い、すぐに神社を出た。

 「死」を穢(けが)れとは思わないが、穢れとは「気が枯れる」ということからも来ているらしく、確かに、本当に気が枯れそうだった。
 月曜の朝から、事情もわからず駅で30分くらいうろうろして、その後、ホームのあの光景を目の当たりにしては……素早く隠蔽されたので、別に現場を直に目撃したわけではないのだが、それでも……。

 その夜は、2、3度、目が醒めて、その度に担架の上の黒いビニールが目に浮かんだ。

 翌朝、おそるおそる、そのホームの同じ場所へ(そこへ行くしかないからねえ)。
 何の気配も、痕跡すらなく、またそれになんとも言いようのない衝撃を受ける。

 東京中の駅のホームには、そんな場所が無数にあるのだろう。
 「人身事故で電車が遅れております」のアナウンスを1駅でも違う場所で聞いていたら、あるいは同じ駅でも、離れた場所にいて、あの気配を感じなければ、「ちっ、またかよ」と舌打ちのひとつでもして、イラッとして終わったに違いない(という反応をせざるを得ないほど、東京で電車に乗っていると、人身事故が多いのである)。

 その後、『アキハバラ発』という本をたまたま読んでいたら、森達也さんが秋葉原のあの事件の現場を訪れたことをこう記していた。

「現場からも至近距離にある店の前に立つ店員たちの表情からも、事件の後遺症らしきものは窺えない。気配すらない。きれいさっぱり揮発している」(本書5pより)

 ああ、これだ、気配の「揮発」だと思った。
 凄惨な殺人事件と自殺を比較することはできないが、これが、すべてを飲み込んでは揮発していく東京のある側面なのかも知れないと思った。
 揮発していかないと、都市として機能していかない。しかし、そうすることによって失っているものも大きいはずだ。何を失っているのかは、よくわからないが。

 そして、週も真ん中になり、後半になるにつれ、私の中からも、月曜の朝に遭遇した出来事は日に日に揮発していっている。
 D_photo 金曜日は、午後、有休を取り、ビストロでランチを食べて、そこのお店の方と楽しい会話を交わしていたら、なんだか急速に気持ちが明るくなり、それから国立西洋美術館へ向かい、デンマークのヴィルヘルム・ハンマースホイの絵を観た。
 ああ、なんて静かで美しいのだろう。
 と、すっかり幸せな気持ちになっていた。 
 決して明るい画風ではない、寂しげでひっそりとした絵に慰められるような気がしたのは、なぜだろう?

 禍々しく悲しい出来事も、美しい出来事も、楽しい事も、たっぷり詰まっているのが、それこそが東京(都市)なのかも知れない。そんなことをふと思った。

ヴィルヘルム・ハンマースホイ展
この画像は、国立西洋美術館の公式HPからお借りしました。
「室内 ストランゲーゼ30番地」(1901)

 

 

 

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コメント

私、いろいろ自分でご縁だと思ってることがあって、神田明神は近くを通ったらできるだけ寄ってお参りしていくんですけど、例の秋葉事件の犯人はまさに神田明神下からあの交差点につっこんだんですよね。私はやっぱりまだあの交差点、怖くて神田明神側からはまっすぐに行けなくて、横周りしてしまいますよ、。


投稿: mamiko | 2008年11月25日 (火) 09:01

mamikoさん
私も電車で通過する度に思い出します。
この先も、東京にいる限りはずーっとそうだと思います。

『アキハバラ発』はいろいろな人の、さまざまな角度からの考察がなされており、自分自身の考えを整理するのにも役立つ本でした。

投稿: kate | 2008年11月25日 (火) 23:18

よくTVをみている途中で、字幕が入ることがありますね。
「人身事故により〇〇線不通」って。
これを見ると、ああ、どなたか自殺なさった方がいるんだ、と
胸が痛みます。
そこに行き会った方のことまでは考えていませんでしたが、
私も、東京に行ってそういうことに出会ったら
できれば避けて通りたくなる場所になると思います。

自殺する理由はさまざまでしょうが、その前に
誰でもいいから親しい人のことを思い浮かべてほしいです。

投稿: ローズ・マダー | 2008年11月29日 (土) 17:43

ローズ・マダーさん
先日も、お店でランチを食べていたら、隣の席の人たちが、仕事上の知人が自殺していたらしいという話をしていました。
奥さんはもとより、浪人生と大学生の子どもが残されたということで、その人は「なぜ」と嘆いていました。
とまあ、よその人の会話を小耳にはさむと、こんな話題です。

「残される人を思う」という余裕もなくなってしまった結果なのかも知れませんが……。

投稿: kate | 2008年11月30日 (日) 00:41

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