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2008年8月に作成された記事

2008年8月31日 (日)

ラデュレ、その後の評判

 先週は毎日、スコール状の大雨、雷の日々。 
 カーテンを閉めきった部屋が雷で銀色に光り、すぐ屋根の上でゴロゴロと魔物が暴れている……というようなホラーな深夜もあった。
 そして、さっきも突然の雨と雷。
 さすがに地球温暖化とやらが気にかかる。
 昔――私が子どもだった頃――は暑さも雨も、もう少し穏やかだったと思う。

 そのうち洗濯物の乾燥機も必要かも。
 こんな気候が続くと、フルタイムで仕事しながら、洗濯のタイミングを計るのは難しく、またそれが何日も何日も乾かないというのは凄いストレスだ。
 部屋干しをすると、雑菌が増えるというし。というわけで、今日は洗濯デーでした。

 オリンピックも終わり、またNHKで「デスパレートな妻たち」の放映が再開されると、やはり私は嬉しい。どうも今ひとつ、オリンピックにはのめり込めないのだなあ。

 そして、開会式はそれなりにきれいだなとは思ったけれど(ちとプロパガンダチックではあったが)、閉会式にまで人が宙を飛び回っているのを見ると、さすがに、チャン・イーモウさん、もうお腹いっぱいだよ~と言いたくなった。塔に張り付く「人間炎」は、凄い、を通り越して笑えた。チャン・イーモウの表現というより、国側からの要望だったんだろうなと思うが。

 次の開催地、ロンドンのパフォーマンスが始まったときは、なんかちょっとほっとした。ダンサー一人ひとりが違う動きをしているのが新鮮に見えた。あと、なかなか来ないバスを待つとか、そんな風に自国をちょっとシニカルに表現するところとか。やはり群集で一糸乱れずというのは、見る方に圧迫感を与えるのかも。

 

 ところで、銀座三越にオープンしたラデュレのことを前の日記で書いたけれど……。
 実は、夏休み中、「赤い風船」を観に行った時、ちょっと偵察してみたのだ。
 案の定、階段のところにずらりと並んでいて、1時間待ちとのアナウンスが。もちろん、そんな暇はないので、試してみるのはあっさり諦めた。
 テイクアウトのショーケースのところは比較的空いていて、これも順番待ち?と思いつつも、ちょっと見るだけならと思い、コーナーにこっそり入って見ていたら、すかさずお店の人が飛んで来て、
「お客さま、テイクアウトをご利用ですか。そうしますと、順番待ちになりますので……」
 というようなことを丁寧に言われたのだが、顔は笑っているけれど目は笑っていない店員さんのその雰囲気とか、まるで監視されているかのような感じとか、ぴりぴりとした空気とか、なんか馬鹿馬鹿しくなって、「あ、そうですか」とそのまま帰って来た。
 というわけで、実際に体験しそこなったので、あれこれ言えないが、まあ、いろいろと大変らしい。

 ラデュレの口コミ一覧 というサイトが面白いので、暇な人はどうぞ。
 面白いというと、不謹慎かも知れないけれど、辛口のコメントが多い。
 パリ本店の味とまったく違うという怒りにも似た声があった。
 店長に尋ねたら、「ラデュレでやっているというより、その指導のもと、三越の2階の料理人が作っているもので、パリのものとははっきり言って違います、とのこと。なのでこれ以上工夫する気はないし、本場の味を食べたければパリへ行ってください」(パリ本店ではなく三越の味 上記の口コミ一覧より)というようなことを言われた方もいるそうで、ちょっと笑ってしまった。開き直っている?(笑)

 「よかったです」という意見もあるけれど、オムレツが2400円(!)というのや、紅茶はポットの中にティーバッグが入ってる、というのを知ってしまうと、並んでまで行く気は……。

 「素人」が一度だけ行ってみた感想で、レストランの評価をするのはどうか?という見方もあって、私もネットなどで、自分はいいと思っている店がけなされていると、ショックだったりするけれど……このラデュレの場合はどうなのでしょうか。
 思うのは、やはり今の一般の客(特に女性客)を甘く見ないほうがいいということだ。
 皆、結構確かな目と舌を持っているし、海外で、「自分のお金で」しっかり食べ歩きしている人も凄く増えている。本国で本物を味わった人はだませない。
 20年前の日本だったら、パリの老舗のお菓子屋さんが来たというだけで、喜ばれたかもしれないが、今はもうそういう時代じゃない。

 それにしても、エルメだって、ほとんど(全部?)のスイーツは日本で作られているわけだけれど、とてつもなく美味しい。
 青山のサロンにも行ったことがあるけれど、接客、味、お店のインテリアと、すべてが私にとってはほぼパーフェクトだった。

 また、新宿伊勢丹には、それこそフランスの有名どころのショップがいろいろ入っていて、夢のような味と空間を提供してくれている。
 美味しくて当たり前と思っていたけれど、それは当たり前じゃなくて、やはりプロデュースする側の努力やセンスが反映されているのだなあと思う。ただ日本に持ってくればいいというものではないんですよね。

 どうせなら、ラデュレも伊勢丹にプロデュースしてほしかったな。
 でもエルメとかぶるしねえ。

 などと、つい熱く語ってしまった。
 たかがスイーツ、されどスイーツ……。

 やはりラデュレくらいの老舗は、パリに行くしかないのでしょう。三越店も怖いもの見たさ(?)で行ってみたいような、みたくないような(笑)。

 さて、明日から9月。私は、またひとつ年を取る月でもある。原因不明の腕の引きつれと腫れも無事直りつつあるし(いったい何だったのか、結局わからず。人の体って不思議)、新たな気持ちでやっていきたいものです。

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2008年8月24日 (日)

ルドゥーテのバラ

 Rose3 6月に行った、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムにて開催されていた薔薇空間 について。
 展覧会の構成の中心は、ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテのバラの絵。
 ルドゥーテはベルギー生まれで、フランスの宮廷画家として植物画をたくさん描いた(1759~1840)。
 ちょうどマリー・アントワネットがいて、フランス革命やら何やら、激動の頃のフランスにいたということになる。
 当時は、写真がなかったので、このような緻密で正確な植物画が求められ、ルドゥーテのような人はアーティストではなく、職人的な立場だったのだろう。
 それにしても、ルドゥーテの作品を見ていると、アーティストと職人の境界とは何だろう?と思ってしまう。
 それほどに、彼のバラの絵は、なんと言ったらいいのか、強烈だった。
 彼は自分自身を主張するつもりはなく、ただただバラを正確に描き写したのだろうけれど、そこにはルドゥーテだけにしか出せない個性が強力に現れていた。
 美しいバラには刺があるとはよく言ったもので、ルドゥーテのバラも「美しい」とだけ言って終わりにできない吸引力というか、とてつもない迫力があった。
 原寸大で、花だけでなく葉っぱの葉脈一筋一筋、茎の刺一つひとつ、あるいは虫食いに至るまで省略されることなく、完璧に再現されている。
 うなだれたバラはうなだれたまま、蕾は蕾のまま。
 開花したバラの真ん中から、さらにまた新しい茎がにょっきりと伸びてバラが咲く……ということがごく稀にあるらしいのだが、そんな不思議な生命力を放つバラも描かれていて、なんだか「エイリアン」のようだった。
 絵のバラが、そこから立ち上がって、こちらに向かってくるような、「美」というより「妖気」さえ感じられ、本当にバラの香りが漂ってくるかのようだった。
 そして、こんな空間には『ポーの一族』のエドガーとアランがふらりと現れそうでもあり(笑)。

  また、Bunkamuraの展示の仕方も素晴らしく、ディフューザーで数種類のバラのアロマを噴射していたり、バラの種類ごとにわかりやすくバックのパネルの色が変えられていたり(白、ピンク、濃いピンク、ペパーミントグリーン辺りの色だったと思う)、庭の東屋を模したような展示があったり。
 3DCGムービーでは、バラが蕾から花開いて萎れるまでや、雨に打たれてやがて晴れて風にそよぐまで……などが、ルドゥーテのバラで表現されていて、何回も観てしまった。Rose2_2
 また、誰が書いたのかわからないが、解説もよくて、「まるで初々しい乙女がはじらうような姿」(右の白いバラ→)とか「ヨーロッパの夏の、黄金のような一日がこの絵に閉じ込められている」「甲冑の騎士に守られた王女のような」(うろ覚えなので、正確ではありません)とか、とても詩的だった。初々しい乙女なんて言われると、本当にそんなふうに見えてくるから不思議。
 美術展では、解説は適当に読み飛ばしてしまうのだけれど、今回は一つひとつ丁寧に読み込んでしまった。

 200年ほど前に、遠いフランスで描かれたバラを、この東京で浴びるほど観られる幸せ。
 繊細できれいな和みの展覧会みたいなイメージだったのだけれど、圧倒されっぱなしの絵画展だった。

 展覧会の詳細やバラの絵は、こちらのHP薔薇空間 でまだ見ることができます。

 展覧会は、およそ8割以上が女性。残りの2割の男性は、1割が女性に連れられて、1割くらいの方がひとりで自らの意思で……という感じ。
 こうしてまた女性ばかりが美しいものをたっぷり見て、心の財産を増やしていくのであろうか。

 さて、残念だったことは……。
 観終わって、久々にちょっと贅沢してドゥ マゴでお茶でもしようかと思ったら――テラス席にも本物のバラがたくさん植えられていてきれいだった――お目当ての「薔薇空間ケーキセット」はすでに完売とのこと。
 なんでも「フランボワーズとバニラのムースをホワイトチョコでコーティングし、薔薇を可愛くあしらってみました」というケーキだったらしく、展覧会の半券で割引になったそうだ。うー残念。
 しょんぼりして、ドゥ マゴは諦めて、もういつもいつもこのパターンなのだけれど、セガフレード・ザネッテイにてカプチーノとなった。

 ちなみに、ルドゥーテはこれだけの作品を残しつつも、晩年は散財癖のせいで、貧乏だったとか。きっと美しいものや美味しいものが好きで、ついつい贅沢しすぎてしまったに違いないと、私は勝手に思っている。でもまあ、今となってはどうでもいいことで(本人は大変だった思うが)、描かれたバラだけが気高く後世に残り続けている。

Rose  実物の絵を限りなく再現したという高品質印刷の画集、Les Roses バラ図譜
 14,700円と高価ですが、あんな素晴らしいルドゥーテのバラが手元に!と、逆に安く感じられます。
 と言っても、私は買っていませんが……中はじっくりと見ました。
 素晴らしい出来栄えの画集です。



 
 

 
 

 

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2008年8月23日 (土)

ドラマのなかの「若くない女性たち」

 なんなんだ、この寒さは……着るものがないぞ!
 夏休み明けの1週間は、校了があったり、病院へ行ったり、暑くなったり寒くなったりで、ちょっとばかり疲れた。
 というわけで、今日も爆睡後、扇風機も回さなくてすむ涼しい空気のなか、熱々の紅茶でパンを食べながら、録画しておいた「SEX AND THE CITY」をだらだらと見続ける。ああ幸せ。

 さて、今シーズンはこれといって見るべきドラマもあまりないのだが、なんとなくいつも「四つの嘘」 (木曜日・TV朝日)を見ている。
 すでに死んだ人(それもちょっとワケあり)が語り手となる……というのは、「デスパレートな妻たち」のパクリでは?!という感じで、主人公の女性たちも全員40代(アラフォーってやつですか)、シングル、バツイチ、主婦といろいろな立場の若くない女性をリアルに描きたいのだろうけれど、見ているとたまにイラッとくるのはなぜなのでしょうか?
 脚本の大石静と、私は相性が悪いのかも知れない。
 というか、専業主婦を凄くステレオタイプな、小うるさい嫌な女に意地悪く描いていて、何か恨みでもあるのかしらんと思ってしまう。
 それを寺島しのぶが、またイラつく感じに演じているので、本当にイラッとしてしまうという(笑)。
 日本のドラマでは、若くない女性の本音やその姿をリアルに描くといっても、「SEX AND THE CITY」みたいにお洒落でキレのある感じのものはないし、「デスパレートな妻たち」みたいにシニカルで現代的なものもあまりないし、スペインのペドロ・アルモドバルの「ボルベール<帰郷>」とか「オール・アバウト・マイ・マザー」にあるような、女性のたくましさと、そのなかに潜む色気や芳醇さ……みたいなものもないし(これは、比べる対象のレベルが高すぎるかもしれないけど)、なんかいつも上滑りな印象だ。
 私が、日本の「若くない女性」を表現したなかで一番グッと来てピンと来るのは、ドラマではないが、大島弓子の『グーグーだって猫である』だ。
 あのマンガで描かれているような「若くない女性」(大島弓子自身の姿だけど)もいるということに、世の中は気づいてほしい。
 女性同士で持ってるもの、持ってないものを比較して競い合ったり、妙にずるかったり、焦ったりする中年女性ばかりじゃないのだよ(まあ、余裕しゃくしゃくというわけでも、全然ないのだが)。
 少なくとも、私の友だちにそういう人はいない(と思う)。
 やはりマンガの水準に、映像も文学も追いついてないのかなあと思うと、寂しい。
「グーグー」の映画は楽しみ。小泉今日子が主演、40代になってさらにパワーアップしてくれて嬉しい限り。小泉今日子は映画の舞台挨拶で「40代の、1人で生きているさみしさや気楽さを知ってるという役を演じましたが、それは今の私の姿なのだと思います」と言ったそうだ。
 などと、いろいろ考え始めると、とりとめがなくなってしまうが。
 なんて文句言いつつ、ついつい毎回見てしまう「四つの嘘」だけど、永作博美はわりと魅力的なので。魔性の女――ちょっと笑える言葉だが――という役どころになっていて、へたな人がやると本当に笑えてしまうけれど、永作博美だとそれなりの説得力がある。ろくな仕事もなく、あれこれと生活苦を抱えているけれど、どこか超然とした雰囲気。
 そして、ブランドものとは無縁な、いつも白っぽいナチュラルな服装に白い日傘でさらっとしているのに、妙に男性を引き寄せる魅力があるのだ。
 10年くらい前のTVドラマ「青い鳥」では、豊川悦司の相手役は夏川結衣で、永作博美は実家の食堂の手伝いかなんかやっていて白い上っ張り姿に白い三角巾(!)で、やけに野暮ったかったのが嘘みたいである(豊川悦司とは幼馴染みだったのだが、彼は夏川結衣に走り、振られるという役!)。

 

Satc  SEX AND THE CITYといえば、映画公開に先駆けて、WOWOWで今までのTVドラマ版をすべて放送していたけれど、全部はさすがに録画しきれなくて(長く録画したものを分割してCD‐Rに落とすとか、そんな高度なことは未だにできないっ!)、後半だけ見た。
 ほとんど全部の回を見ているけれど、再び見始めると、結構また夢中になってしまう。
 再度見て思うのは、やはりよくできたドラマだなあということ。
 キャリー、サマンサ、ミランダ、シャーロットは実在の人物としか思えない。
 ファッションも毎回くるくるといろいろなものが現れて楽しい。
 あんな優雅なシングル女性はごく一部で、自分はそうでない方の一部なんだけど、まあ、これは娯楽作品ということで、許せる感じだし。
 きれいな服や靴やお店がいっぱい出てくる、高級スイーツみたいなドラマや映画も、たまにはいいじゃないかと思うのだ。
 玄米菜食ばかりじゃストレス溜まるしね。
 と言って、そういうふわふわした部分だけでなく、押さえるところは押さえているドラマだし。30代半ば~40代の女性を主人公にして、こんなにウケたドラマは今までなかったのではないかなと思う。
 ドラマの後半は、キャリーがロシア人の現代美術アーティスト(彼の描き方がスノッブでこれまた秀逸!)と恋愛をしてパリへ行くのだが、その辺りがとても面白い。
 マンハッタンでは女王様のような気持ちで生きていたキャリーも、パリに行くと、しゅんとしてしまう。
「あなた、フランス語できないのね」とか何とか言われて、相手のフランス人が一応英語で会話してくるのだけれど、そのうちフランス人同士で会話を始めてしまったりすると、のけ者感を味わい、急に孤独な気持ちになるのだ。
 そして、コラムニストの仕事も捨ててしまったキャリーは、パリで居場所を失う。
 若ければゼロから新しい地で新しい人生を切り開くということも不可能ではないけれど、やはり30代も後半にさしかかると、そうもいかない(そうもいく人もいるとは思うが)。
 キャリーはNYで築いてきたものが大きすぎた。仕事、人間関係、自分で買ったアパート……そう、人生のすべてがNYにあったのだ。
 問題は、ロシア人の恋人がそこまで相手のことを考えていないことだ。高名なアーティストでとてもロマンティックなんだけれど、自己中心的で、キャリーのことは彼にとって最終的にはアクセサリーのような存在なのだろうと思う。
 このドラマが優れているのは、そういった互いの恋愛観のズレみたいなものを丁寧に描いているところ。現実にはよくあることなんだよねえ。好きなんだけど、なんか上手くいかないってことが……。
 それにしても、パリのアメリカ人というのは、とっても居心地悪そうな感じがする(「パリ、恋人たちの2日間」という映画にもそんな描写があった)。
 「英語(やアメリカ文化)は世界共通言語」というのが無意識的に当たり前になっているところに、そうでない世界や文化に触れて、初めて自意識がぐらつく大国アメリカ人……みたいな(笑)。
 このパリのシーンで、CARRIEという名前をかたどったネックレスをなくしてしまうところが象徴的。
 自分の居場所がないということは、自分の名前がないということ。

 ところで、今回のWOWOW放送のものは字幕版だった。
 今までは吹き替えで見ることが多く、吹き替えの声優さんの方が役に合っているような気がして好きだったのだけれど。
 キャリーは、サラ・ジェシカ・パーカーの声だと妙に鼻にかかった声なので、吹き替えの声優さんの落ち着いた声の方が大人っぽいなとか、シャーロットも案外と声がハスキーなので、吹き替えのちょっと高い可愛い声の方がイメージ……と初めは思っていたのだけれど、見ているうちにだんだんと慣れてしまった。 
 アメリカ人は、シャネルを「シャネーイル」みたいな感じで発音するんだなとか、字幕では単にドーナツとかグレーズド(砂糖のかかったシンプルなドーナツのこと?)となっているけれど、実際のセリフでは「クリスピー・クリーム」(日本にも来て、今、大行列の店)になっていたりするのがわかって面白かった。

 というわけで、SEX AND THE CITYの映画も観に行ってしまおうかな(今日から公開だそうです)。
 あの4人が、皆40代を迎えてどうなっているか確認しておきたいしね。

 

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2008年8月20日 (水)

残暑の鰻

 夏休み明けは、いきなり忙しい。
 校了を控えながら、同時進行で次号の準備に追われる。

 今日はわざわざ午前中、有休を取って病院へ行くも、MRIでは腕には何の異常もなく、整形外科の診察をすすめられる。
 K総合病院の整形外科は異様に混むらしい。
 MRIと血液検査、合計1万円ほどが無駄になったなあ。
 そして、診察巡礼(?)も終わらず……。
 とりあえず、血管の異常とか内科的な危機状況ではないので、ちょっとはほっとする(ほっとしていいのかどうか? まあ、そんなに激しい痛みでもないし)。
 仕事が一段落ついたら、整形外科に行ってみるか。

 Img_1518 今夜の晩ご飯は、丑の日に食べそこなった鰻の蒲焼き。
 そんな贅沢しなくてもと、食べなかったのだけれど、やはり今頃になって急に食べたくなって、生活クラブ生協でまだ注文できたので、頼んでみた。
 鰻は今、産地が心配なのだけれど、これは静岡産。
 もちろんほかほかの白いご飯を炊いて(今後は、白米と玄米、半々くらいでいこうと思う)。あおさのおつゆと、お新香がなかったので、きゅうりとみょうがを軽く塩もみして、トマトを加えたサラダ。
 おいしくいただきました。レトルトだけれど、柔らかくていい味。
 夏は、やはり鰻を1回は食べたいもの。

 これから男子200メートル決勝を見る予定。
 ボルトというジャマイカの選手が凄いらしい。

<追記>
 さて、男子200メートル決勝を見たところ。
 そのボルトが、皆の期待どおりに、気持ちいいくらい他の選手を大きく引き離して1位を走り抜いた。そのうえ、世界新記録だそう。
 ボルト選手は、走る前や、勝った後の仕草というか動きにも華がある。
 そして、走っているときは、まるで野生動物のように、弾むように走るのだなあ。実に美しい。
 これはさすがに、オリンピックにさほど興味なしの私でも目が釘付け。 

 

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2008年8月17日 (日)

夏休み後半の「ぐるりのこと」

――夏休み日記――
8月14日(木)

 あまりに暑いので、夕方まで様子を見て遅くなってから外出。
 吉祥寺の無印良品で、お粥の炊ける小さな炊飯器を購入。
 漢方の先生に鼻水が止まらないと言ったら、気をつくるために、朝は生姜と乾燥の西洋人参を入れたお粥を食べるようすすめられたので。
「いつもフルーツとコーヒーとパン?……ためため、そんなの」(中国の人は、濁点を言いにくいのか、だめ→ため、と私には聞こえる)
 内心、めんどくさーと思うが、最近はお粥機能の付いた炊飯器があるから、朝炊けているようにセットしておけばいいのよ、と仲介してくれる方にも言われ、買うことにした。
 夏休み中はサボっていて、でも一度だけ朝、食べてみたら、美味しくて、お腹にほっこり収まるというか、確かに「気」が充実する感じ。来週から続けてみよう。
 その時、玄米ばかり食べていて胃がんになった人もいるから、玄米の食べすぎはダメとも言われる。オソロシイ。胃に負担をかけすぎるらしい。
 玄米菜食のマクロビオティックにもちょっと関心があったが、やれ陰だ陽だとノイローゼになりそうだったので、どうかなあ……と思っていたが、やはりあまり極端なのはよろしくないらしい。
 因果関係をはっきりさせたわけではないので、玄米はダメとも言い切れないが、これさえ食べていればOKというものはない、ということかも。


Img_1514  「お粥!」と言ってるそばから、冷たいアイスコーヒーで一服(家では鉄瓶で沸かした白湯を飲んでいるから、外に出た時くらいいいよね、と)。
 途中で買った「新潮」を読む。
 連れ合いにすすめられていた水村美苗さんの「日本語が滅びるとき」が掲載されているので。
 しかし、先にミランダ・ジュライの「マジェスティ」という短編を先に読んでしまう。
 この人が監督した映画「君とボクの虹色の世界」(なんて妄想的なタイトル!)も観たことがあるけれど、面白いのだ。
 小説も、面白い……ウィリアム王子に、やはり妄想的に恋をする47歳のイケてないシングル女性の話。訳者の岸本佐知子さんの解説もいい。
 文芸誌を買うなんて、実に珍しいこと!

 コーヒーを飲んだのは、吉祥寺のCafe moi 。白木のインテリアで北欧テイスト。
 でも、一杯550円のコーヒーはひとりで飲むにはちょっと贅沢しすぎ(夏休みだけ)。
 水のグラスのほんのりブルーがきれい。

Img_1517








8月15日(金)猛暑日
 午前中、阿佐ヶ谷のK総合病院でMRI検査。
 すっかり病人の気分に陥るが、そのまま新宿へ出て、クレッソニエールでランチを食べて復活。おいしいものがあって、人が元気に楽しそうにしている所は、自分も元気になる。
 できれば、病院とは縁遠くありたいものだ。
 それから、丸の内線に乗って銀座へ行き、「赤い風船」を観る。
 そのことはまたいずれ。

8月16(土)~17日(日)
 そして、この土日は、金曜の外出疲れで、ずっとおうち。
 というわけで、あっという間に終わりましたとさ。
 今日は涼しくて楽だった。このまま秋になる……わけないよな。
 読み始めた水村美苗さんの「日本語が滅びるとき」がやたら面白い。
 手記のようなものなのだけれど、これはまるで小説。
 『本格小説』の、あの序章の続きのような。
 異国のなかの母語ということがテーマのひとつ。
 ふだん、何の緊張感もなく、日本で日本語を使っている多くの日本人。
 しかし、世界にはそうではない人々がたくさんいるということ。
 果たしてタイトルの意味は? 日本語は滅びる? もう滅びているのか……まだわかりません。それにしても、水村美苗さんは素晴らしい。
 
 さて、これから、岡田クンの番組J-WAVE Growing Reed
 菊地成孔さんのマイルス話です。
 少し日が経つと、上記のHPに当日の話の一部が掲載されるはず。

 明日から仕事(いきなり出張校正だし)、お粥を食べて元気にいきたいものです。

 

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2008年8月14日 (木)

「ぐるりのこと。」――リリー・フランキーさんは菩薩のようであった

 13日の水曜日は、新宿武蔵館のレイトショーで、映画「ぐるりのこと。」 (橋口亮輔監督)を観た。 

Download_img1  「ハッシュ!」がよかったので、期待を裏切られないだろうと思ったけれど、そのとおりだった。
 ある夫婦の日々を、1993年から、2001年にわたって描いたもの(2001年までに設定したのは、監督なりの理由がある。サイトのインタビューを読んでみてください)。
 法廷画家の夫・カナオは、リリー・フランキー、妻・翔子は木村多江。
 なんでもきちんとしていないと気がすまない几帳面な翔子は、生まれたばかりの子どもを亡くしたのをきっかけに、少しずつ心が壊れてゆき、鬱になる。
 その妻を側で見守る・夫カナオ――を演じたリリー・フランキーが本当によかったのだ。
 肩の力がいい感じに抜けていて、テーマ的には結構重いのだけれど、笑わせてくれて、現実の生活って、問題を抱えていても泣いてるばっかりじゃなくて、笑ったり食べたりいろいろあるよね、と。
 とにかくリリーさんは本業は俳優でもないのに、素晴らしかった。俳優ではないからこそなのか? 40代の中年のオッサンなのだけれど、母性みたいなものがあって、なんだか菩薩のようであった。
 鬱の妻を、無理に励ますでもなく、責めるでもなく、ただそのまま、ありのままを受け止め、寄り添う。その眼差しのやさしさ。
「どうして、ちゃんとできないんだろう」と泣きじゃくる妻に(木村多江のリアルな演技も真に迫っていてよかった)、「そんなに何もかも上手くいかないよ」というようなことを静かに言う夫。
 後に明かされるが、彼もまた複雑な過去を持っていて、一見静かな受け身の男性のように見えるが、「逃げない」ことを心に決めた、つまり覚悟を決めた本当に強い人なのだ。 
 そして、法廷画家として、さまざまな事件の裁判の現場に立ち会ってもいる。
 映画では、現実にあった事件の裁判のシーンが出てくる。
 バブル崩壊、地下鉄サリン事件、その前後の数々の殺人事件。
 こうした映画を通して、俯瞰するような目線で見ると、この日本に生きるということは、どんな人だって鬱ぐらいになって当たり前……のような気もする(実際、監督自身、鬱になったそうで、その経験が映画に活かされている)。

 主人公のふたりが私と同世代ということもあり、また私が結婚したのもちょうど1993年で、その後の挫折に至る道――結婚(1999年に離婚)も 仕事も何もかも上手くいかなくて、私もちょっとした鬱状態だったと思う――を思い出すと、まるで自分のことを振り返って見ているようでもあり、妙に胸がざ わつき、激しく感情移入してしまった。

 やがて、妻の翔子は出版社の仕事もやめ、美大出身だった経験を生かして、お寺の天井画を描き始め、少しずつ再生していき、カナオとも笑い合うようになる。Download_img3_2
 その日本画の、四季折々の花の絵がとても美しい。
 世界は哀しい出来事や事件に満ちているけれど、そこにばかり焦点を合わせ、不安い煽られていてもよいことはない、現に花はこうして咲いているし、世界はもっと豊かなはず――そんなメッセージを感じた。

日本社会が大きく変質したバブル崩壊後の90年代初頭に立ち返り、自らの人生と世界を重ね合わせ、「人はどうすれば希望を持てるのか?」を検証したと言 う。
彼が導き出した答えは、「希望は人と人との間にある」ということ。
そうやって苦しみを乗り越えた実体験を反映させ、橋口亮輔はささやかな日常の中にあ る希望の光を、1シーン1シーンをいつくしむ丁寧な演出で浮き上がらせる。
――公式サイト<イントロダクション>より

 日本の社会のありようと、もっと小さな個人とか夫婦のこと――人と人のつながりの大切さ――をとても深く丁寧に、ユーモアいっぱいに描いた慈愛に満ちた作品で、そう、そういうことを私も言いたかったんだ!と、今の私の気持ちを代弁してくれるような映画だった。
 やはり、TVドラマにはない深さ、底力のようなものを感じた。
 希望とは?と問われたら、こういう映画がつくられ、たくさんの人が観に来ていることが「希望」なのかも知れないと思う。

 

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私の「ぐるりのこと」

――夏休み日記――
 8月11日(月)

 ゆっくり起きて、ご飯を食べてから、午後、阿佐ヶ谷のK総合病院へ。
 道を間違えて、反対側へ行ってしまい、汗だくになる。
 左腕の謎の腫れを診てもらう。お医者さんも原因がわからず、「悪性のものではなさそうだけれど」と言われつつも、血液検査を受け、金曜日にMRIの検査を受けることになる。
 MRI検査かあ……6、7000円はかかる。今回の血液検査と初診料だけで、3500円も払っているのに。
 総合病院でかかった時間は、2時間半くらいだったか。
 うんざり……と思うが、『ルポ 貧困大国アメリカ』を思い出し、やはり日本の医療はりっぱと思う(過疎の地域はまた違うと思うが)。
 上記の検査、アメリカだったらいくらか、そもそも保険適用になるのか。
 最近の大きな病院は受付~診察までの流れが凄く合理化されているし、待合室なんか少し前は固い灰色のビニールの長椅子で何時間も待ったものだけれど、この頃は間接照明で、椅子も座り心地よくなったりしている。
 K総合病院で、今回担当してくれた先生は、とても感じがよかったし。
 こんな環境で、モンスターペイシェントだなんて、バチが当たる。

 病院デーにしてしまおうと、そのまま新宿へ行き、眼科でコンタクトレンズの再診。
 やはり病院は疲れる。たいしたこともせずに、晩ご飯を食べて寝る。

 8月12日(火)
 朝、ちゃんと起きて、PCの前に待機。
 午前10時と同時に、12月8日の「菊地成孔とペペ・トルトメント・アスカラール」のチケットを2枚取る。なんと1列目!(のやや端)が取れてしまう。
 本当は、真ん中のもうちょい後ろがよかったのだけれど、Bunkamuraのチケットセンターでは扱いがなかったのか、もっと素早い人がいたのか。
 最近、連れ合いと私の間で、菊地成孔さんは「アイドル」なのだ。
 Liveはふたりとも初めてなので、楽しみ。
 フェリーニばりの「人生は祭りだ!」を実践している日本人は、菊地さんのほかにそうおるまい。
 そうそう、17日の(日)のJ-WAVEの岡田准一クンの番組のゲストは菊地さんで、マイルス・デイビスについてのトークだそうです。
 我が麗しの岡田クンとイカした不良中年男菊地氏が同時に出るなんて、どうしましょう――夏休み最後の夜を彩るお祭り、ひとりでささやかに盛り上がろう。

 この日、午後はローションとリンスを手づくり、溜まっていたアイロンかけ、などなど家事を片付けていったのだが、鼻炎がサクレツ、鼻水が止まらず、非常に苦しかった。
 でもそのまま、Kちゃんとお食事。西荻のBarでビール、その後、石釜焼きの美味しいピザとワインで楽しい時間をすごすも、鼻をかみっぱなしであった。

  帰宅後、シャワーを浴びて、倒れるように眠る。
  お酒のせいではなく、鼻のかみ疲れという感じ。
  ええい、忌々しいっ。

 8月13日(水)
 昨日よりは少しマシな感じがするけれど、依然として鼻の調子が悪い。
 パンと紅茶、目玉焼き、ラタトゥイユの残りなどでご飯を食べつつ、「あなたには言える秘密のこと」を観る。静かなよい映画。
 ベッドパッドやシーツをガンガン洗うが、どんどん乾くのが嬉しい。
 どうしようかなあと鼻を気にしながら悩むが、家にいるのもつまらないので、「ぐるりのこと」を観るため、意を決して新宿へ行くことにする。
 早めに出て、受付を済ませ、その後、タワーレコードへ行き、前から聴きたかったクラフトワークの「ツール・ド・フランス」を買う。
 東急ハンズへ行って、包丁を研ぐための紙ヤスリという地味な買い物をして、明日のためのパンを買って、セガフレード・ザネッテイへ行ってひと休み。
 私の左隣では、女性が男友だちに、自分の彼氏に対する文句を呪いのように話し続けていた。
 右隣は、若いカップル……なのに、一言も話をしないので妙な感じがしていたら、女の子がしくしく泣き出した。
 私は、その真ん中に座って、コーヒーとレモンチーズケーキをおいしくいただきながら、現在、自分がこういう恋愛ストレスにさらされていない幸せを噛み締める。
 皆さん、修羅場ですなあ。でもまあ、若いうちはそういうのも人生の勉強。

  そして、新宿武蔵館へ。映画「ぐるり」のことは、この後の日記に。

 それにしても、深夜0時に帰宅しても、ブログを書ける体力がある夏休みっていいなあ、これが夏休みだよなと思いつつ、鼻炎もすっかり治まり、レモンのお酒を飲んでいる。
 そろそろ寝ます。皆さん、よい夢を(見ている頃でしょう)。

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2008年8月10日 (日)

夏休みの始まりは「ミス・ポター」と共に

 今週末から、来週いっぱいまで夏休み。
 ようやく一息、といったところ。
 今日は比較的穏やかな気候で、アパートの隣の部屋から鼾も聞こえず(いつもそれで眠りが浅い)、上階のどかどかと傍若無人な足音も聞こえず、聞こえてくるのは蝉の鳴く声ばかりで、静かな夏だなあと思いつつ、扇風機をつけたり消したりしながら、11時半まで爆睡。
 起きてからも、久々にクーラーなしで過ごしている。
 そういえば、蝉は暑すぎても鳴かないのだとか。
 今まで蝉の鳴き声をあまり聞かなかったので、どんだけ暑かったのかと思う。
(その証拠に、今日は本当に蝉たちがここぞとばかりに狂ったように鳴きまくっている)
 特に、この前の雷と豪雨の前の湿度の高さは異常だった。
 その後の、午後いっぱい鳴り響いていた雷の音は爽快だったが(意外と好きなのだ)、帰りは総武線がストップ、身の危険を感じるほど混んだ中央線に押し込まれて、死ぬかと思った。

 蝉すらも夏バテするような暑さなのに、長期のバカンスもなく、あくせく働く日本人のひとりではあるが、まあ、1週間でもありがたい。

 しかし今年は、連れ合いがこの猛暑のさなか、会社の転勤、自宅引っ越し、引き継ぎ等がちょうど私の夏休み中にあり、会えず……。
 というわけなので、今年は、行きそびれていた病院各種――眼科・婦人科の検診、原因不明の左腕の引き攣れ感を診てもらいに総合病院へ――そして、映画三昧にしようかと思っている。
 映画は、「赤い風船」と「ぐるりのこと」を観に行きたい。
 あとは、HDDにたまっているのと。
 お正月にうっかり消去して空になったのも束の間、瞬く間にパンパンにたまりつつある。

 オリンピックは、開会式がチャン・イーモウの演出だというので、一応見てみた。
 巨大な絵巻物が広がり、そこに映し出される立体的な映像が凄かった。
 人が筆となってダンスをしながら墨絵を描いたり、活版印刷がうねったり、オールを漕ぎながら大航海の様子を表現したり、太極拳風の踊りがあったり、天女が舞ったり、最後は花火で、夢のように美しかった(言葉ではあのスケール感は表せないが)。
 さすが、チャン・イーモウ。
 しかし、きっと競技はあんまり見ないんだろうなあ。
 どうもスポーツは、TVの時間に合わせるのが苦手。
 かと言って、映画のように録画して見ては臨場感ないし。

 Potter

 ところで、今日は「ミス・ポター」 を観た。
 ピーター・ラビットの作者、ビアトリクス・ポターの映画。
 湖水地方の映像がきれいで、これは映画館で観ておけばよかったなあと思う。
 女性が表に出られない時代、年齢を重ねてからピーターの絵本を出したり、あれこれ苦労していたのは知っていたが、契約したウォーン社の編集担当者と婚約していたことは知らなかった。
 母親が「そんな商売人との結婚は許しません!」と言うのが笑えた。
 商売人ってねえ(笑)……ポター家は貴族ではなかったけれど、上流階級だったんですよね。
 今の私たちの目で見れば、彼はポターの才能を開花させた有能な編集者で、そのうえ紳士で、実家も全然貧乏じゃないんだけど。
 格差社会もここまで極まっていると、わかりやすいというか(笑)。
 
 そして、その婚約者は病気で急死してしまうという悲劇が……。
 しかし、その苦難を乗り越えて、自立して家を出て(女が結婚もせず、ひとりで家を出て生きることは本当に大変な時代だったのだ)、ウィンダミアに移り住み、ピーター・ラビットの印税で農場を次々と買い取り、農業(豚を育てたりと、畜産も!)と創作に励み、後に地元の弁護士と結婚する。
 正に、労働と創造の豊かな一生。
 ポター役のレネエ・ゼルウィガーがよくて、ブリジット・ジョーンズより、こういう役の方が似合うんじゃないかな(ちなみに、その婚約者役はユアン・マクレガー)。  
 観ていたら、なんだかクリームティー(イギリス独特のお茶とスコーンのセット)が食べたくなりました。
 エルメのような高級スイーツではなく、素朴なスコーンにジャムとクロテッドクリーム!とそして熱い濃い紅茶。

 それにしても自由に生きるためには、お金=才能が必要なんだよなあ。
 こういう時代に表現することを目指した女性に、私は興味がある。
 ヴァージニア・ウルフとか、少し現代に近づくけれどアガサ・クリスティーとか。
 ビジネスの世界には入れてもらえなかったけれど、表現の世界で羽ばたいた女性は結構いて、皆、興味深い生き方をしている。

 その他、ポターの描くピーターや動物たちが動いて飛び出したりするシーンもよかった。
 アクション映画の過剰な演出は食傷気味だけれど、こんな可愛らしい感じのCGは好感がもてる。
 ピーター・ラビットとポターに敬意を払っているのがよく伝わってくるし、とにかく観た後は、ウィンダミアへ飛んで行きたくなります!

 

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