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2008年6月15日 (日)

絶望の闇のナイフ

 昨日の日記 の補足です。
 加害者の携帯への書き込みを、時系列に沿ってある程度きちんと読んでいくと、また違った印象が生まれてくる。
 映像ディレクターの方による日記に、掲載されています→殺人鬼の絶望的な孤独
 一部の抜粋を読み、全体を判断してしまうことの怖さ、報道の怖さを感じた。
 決して許されることではないが、彼の感情に共感できる人は多いのではないか。
 しかし、それも、この事件を起こしたからこそという残酷な皮肉……。

 そのブツ切れの短い言葉が、ただただ、ひたすら哀しい。

 昔は、ぼーっとしている人には、お嫁さんを世話してくれる人がいた。
 そんなに誰も彼も恋愛して、結婚していたわけではない。
 今はぼーっとしていると、恋愛市場においても「負け組」となってしまう。
 恋愛市場だの、「モテ」だの言っても、しょせん、消費を煽るための幻想のような気がするのだが……。
 その価値観にまんまと乗せられないことが大事ではないかと。
 とはいえ、そういう圧力は強大であり、なんというか、女も男も大変な時代である。

 仕事も、あまり恵まれない環境にいる人には、何だかんだと世話を焼いてくれる人がどこからともなく現れたりしたものだ。
 現に私自身が、そうやって周囲に助けられてやってきたのだから、本当だ。
 何も50年前とかの話ではない。
 本当にここ10年くらいで、日本は変わった。
 仕事、家族、人間関係、地域など、あらゆる絆から切り離されて生きている、ぎりぎりの若い人が大勢いる。

 それにしても、絶望を、ナイフにではなく、もっともっとたくさんの言葉に託すことができていたら……と思わずにはいられない。

 

<唐突に追記>
  藤森かよこさんの日記
 ちょっと泣きそうになってしまった。
 と同時に、こういう大人がいてくれることに、安心する(私も大人のひとりのはずなんだが)。
 なんか、私自身が励まされてしまった。 
 もうね、犯罪心理学とかいう人の分析は聞きたくないってば。


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コメント

Kateさん、こんばんは。秋葉原事件についてのエントリー、興味深く拝見しました。個人的に思ったことは、犯人が一色のオブセッションに取り憑かれていたであろうこと(kateさんが書いていらっしゃるように、視野がとても狭い印象があります)、おそらくは犯人がネットの掲示板でもらっていたレスのいくつかに対して、犯行実行の「責任」のようなものを感じていたであろうこと、です。

この事件については、音楽家の菊地成孔さんのコメントにも、奇妙なリアリティを感じました。犯人が「この犯行を実行することは、自分にとって利益になる(得をする)」と考えていたことには、おそらく間違いないでしょうね。いかに他人から見て不合理なことであろうと、人は自分にとって不利益なことはしないものですから。
http://www.kikuchinaruyoshi.com/dernieres.php?n=080613201755

最後に感じるのは、工場から刑務所では、全く同じタイプの規範が支配する、より劣悪な環境への移行に過ぎないのになあ、という嘆息のようなやるせなさです。

投稿: 灯 | 2008年6月16日 (月) 00:21

灯さん
コメントありがとうございました。
いろいろな人の記事を読んでリンクをはりながら、また教えていただいた菊地成孔さんの独特な視点の、街論を含んだ文章も読んでみたりして、それぞれご自分の仕事・人生から、それぞれの考え方を提示されていて、それが本当にその人らしくて、興味深いです。

……と、世界はかくも多様であるわけで。
彼も、そのことに気づく機会があれば救われたのかも。

菊地さんの「サヴァイヴァルに必要なのはナイフではない」という一文が印象的でした。

投稿: Kate | 2008年6月16日 (月) 00:59

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