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2008年4月に作成された記事

2008年4月29日 (火)

ピナ・バウシュ ヴッパダール舞踊団「フルムーン」        

 先月3月29日に観たピナ・バウシュ ヴッパダール舞踊団の「フルムーン」(新宿文化センター)。
 ピナ・バウシュの舞台をライヴで観たのは、今回が初めて。
 素晴らしすぎて言葉にできないと思っていると、きっと永遠に書けないだろう。
 というわけで、あの舞台の全容を書き記すことは不可能だけれど、私なりの言葉で片鱗を記しておく。

 とにかく、今まで観てきた舞踊をはじめ、古典芸能、音楽、演劇などなど、どんなものとも比較できない衝撃を受けた。
 故・米原万里さんの本に、『打ちのめされるような凄い本』というタイトルの書評本があるけれど、ピナ・バウシュの舞台が正に「打ちのめされるような凄い舞台」だった。
 きれいだった、美しかった、見事だった、おもしろかった……など、エンターテインメントを観てよく使うような言葉が、どれも当てはまらないし、当てはめたくない。
 でも感動したというのでは、あまりにありきたりで、だから「打ちのめされた」としか言いようがないのである。

 と言っても何のことやらわかりませんね(笑)。

 私が観た「フルムーン」は、水がテーマ。
 右手に巨大な岩があり、そこにダンサーが駆け上がったり、滑り落ちたり、水をかけたり。
 ペットボトルの水をダンサーが振り回すと、水がきれいな弧を描いてきらめいたり。
 水ははじめ、舞台の後方の真ん中から、一筋の糸のような細い雫となって滴り落ちているのだが、やがて大量に振り出す。土砂降りの大雨の中をダンサーたちが踊る。

Philippe_vollmond

画像は、ドイツの公式サイト からお借りしました。
Vollmond 2006年Foto:Laurent Philippe 

 こんな感じで水の中で踊ったり、かけ合ったり。 
 水しぶきが照明の光に反射して、美しい。

 今回の来日公演のもうひとつの演目の「パレルモ パレルモ」は、廃墟の瓦礫(本物)の中を踊るそうだ。
 「春の祭典」という演目では、本物の土の上で踊る。
 水や土、瓦礫といった負荷をかけることで、リアルな動きを目指しているのだとか。

 そういった舞台装置や演出も素晴らしいのだけれど、ダンサーが素晴らしい。
 技術的にも水準は相当高いのは言うまでもないけれど、一人ひとりがとても個性的なのだ。古典バレエのように、プリマ、プリンシパルを中心に、その周りを群舞……というのとはまったく違い、中心になるダンサーはおらず、それぞれが主人公という感じ。
 よって、同時にいくつものドラマがひとつの舞台で繰り広げられており、目で追うのが追いつかないぐらい。
 ダンサーの年齢、国籍、容姿もこれまたいろいろで、それぞれのキャラクターに合ったダンスシーンが用意されている。
 というような、実に自由で多様な世界なのだ。

 そして、特にストーリーというものはないのだけれど、そこにはドラマがあり、激しく感情を揺さぶられる。
 女と男が踊っているかと思うと、離れる。
 誰かに引き剥がされる(離される、というより剥がされるといった感じなのだ)。
 女と男が抱擁していると、女の髪を、別の男がやって来て、口でくわえて引き剥がす。
 そんな「身体の会話」(松岡正剛氏による。下記にリンクはってあります)といったものが展開される。

 こんなふうに言葉で説明してしまうと、なんだかたどたどしく、もどかしいのだが、これを素晴らしい身体能力をもった個性的なダンサーたちが繰り広げるのだから、それはそれは魅力的。

 出会っては別れる、という私たちの人生を俯瞰して描いているようにも見えるけれど、普通の日常では得ることのできない深い感情が湧き起こり、こういう感情を味わうためにこそ、芸術ってものは存在するんだなあ……と思った。
 そして、そこにまで至る芸術というのは、そうそうない……とも感じる。
 だから、たまたま出会ってしまうと、打ちのめされる。
 人生にそう何度も出会えるものではない。
 バッハの「マタイ受難曲」やモーツァルトの「レクイエム」を聴いた時の感動と近いかも知れない。
 その深い感情とは、世界の根源に触れたような感じ、とでも言うべきか……。

 といって、シリアスなだけではなく、品のよい色気とユーモアのあるところが、私は好き。
 女性が男性にブラジャーを何度も何度も外させて「もっと早く」と急かしたり、「水は100℃で沸騰する。ミルクは目を離すと、必ず吹きこぼれる」といったようなセリフを言って会場を笑わせたり(ちゃんと日本語のセリフだった)。
 人の滑稽さを出しながら、痛み、悲しみ、喜び……など、さまざまな感情を、身体で、ダンスで、時に言葉を使いながら表現している。

 さて、この演目は「フルムーン」なのだけれど、舞台に月は現れない。
 あるのは、水、水、水……と巨大な岩だけ。
 「今夜は満月だから、ワインを飲んで酔いたいわ」(うろ覚えなので、正確ではないが)という女性ダンサーのセリフの中にだけ、月――フルムーンが現れる。
 でも全体を通してなぜか、不思議と「フルムーン」な印象がするのだ。
 衣装も、女性はシンプルな裾の長い柔らかなドレス、男性はゆったりめのパンツにシャツ、もしくは上半身は裸といったスタイルで、とてもセンスがいい。

 終わった後、一緒に観た連れ合いが「現代の日本で、ピナ・バウシュの舞台と拮抗できるものが舞台でも文学でも音楽でもあるだろうか?」というようなことを言った。
 私も、今まで自分が書いてきたこと、あるいはこれから書こうとしていることがいかにつまらないものであるか……というのを顧みて考えてしまった。
 つまらない……というより、 痛みを伴なわないから、深くならないのだな、と思った。
 それはどういうことか、まだ上手く説明できないのだけれど。
 それから、連れ合いによると、十数年前に観た時より躍動感に溢れ、より素晴らしくなっていたそうだ。

 カーテンコールの拍手では、ピナが登場した。
 黒づくめの衣装に、髪を後ろでひとつに束ねた、お馴染みのシンプルなスタイル。
 その佇まいは、控えめなのに神秘的で強いオーラを放っていた。
 ピナが舞台を続ける限り、私は観続けようと思った。

 さて、観てからしばらく経った今、さらに思うのは……。

 ピナは、現代人というのは自由なつもりでいるけれど、実はそうじゃないっていうことを表現したいのではないかということ。
 現代に生きる人間は、本当は凄く不自由で、強迫観念的で(実際にピナの舞台では、繰り返しの動作がよく用いられる)、孤独なのではないかと。
 昔の人は、時代やお上の命令に翻弄されていた。
 結婚相手だって自分で選べる人は少なく、個人の意思など尊重されなかった。
 でも、むしろ、そういう方が潔く自分の人生を受け入れることができたのかもしれない。
 何でも自分で決めたつもりだけど、本当に決めるというのはどういうことなのかわかったものではないし、失敗すると「自己責任」と厳しく責め立てられるのも辛い。
 
 そんな現代人の悲哀や痛み、滑稽さを身体で表現したいのではないかと。 
 だから、それには、古典バレエでは表現が追いつかず、独自のダンスを創作する必要があったのだ。

 とあちこちに考えが及び、やはり上手くまとめられない。でも、まとめる必要もないのだろう。
 とにかく、ピナの舞台を体験できたことは、記念すべきこと。
 「打ちのめされる」ということは、今までの小さな自分が崩されることであり、ある種の清々しさ(快感と言ってもいいかも)をもたらしてくれる。

 ほんのちょっとだけれど、ここ で「フルムーン」の動画を少しだけ見られます。
 もっと深く知りたい人は、松岡正剛の評論 とか、浅田彰の評論とかもどうぞ。


<追記>
 「今夜は満月だから、ワインを飲んで酔いたいわ」と記したが、後日、連れ合いが買ったパンフレットで確認すると、それは「今夜は満月だから酔っぱらいはだめよ」であった。
 逆ではないか(笑)。
 自分の記憶の変容が面白いので、このまま残しておくことにする。

 

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2008年4月25日 (金)

バター不足の、その向こうに見えてくるもの

 先日も書いたけれど、カルピスバターが買えないという、ちょっとグルメ嗜好の人が困る話ではなく、本当の本当に、バターがない。

 荻窪にあるグルッペという自然食糧品店から、毎月特売のお知らせやら何やらが届くのだが、その中に、こんな一文があった。

 バターが品薄です。
 
飼料高騰のため、乳牛を手放す酪農家が増えています。
 
市場に出回る生乳・乳製品の絶対量が減り、特にバターは現在大変品薄状態です。
 グルッペで扱っている
 よつ葉バター
 
群落バター
 も、メーカーさん側の在庫がつきかけています。

 ということらしく、最後に、購入の際に数量制限をかける可能性があることが記されていた。

 農水省の生産調整もあったうえに、そういった事情もあるのかと、なんとなく状況が見えてきたような気がする。
 飼料不足というのは、グローバルな問題なのだろうが、いずれにしろ、生産者がやっていけないこの日本のあり方は、深刻だ。
 
 バター以外の生産の現場でも、いろいろ大変なことが起きている。
 ものを作ったり、食べものを育む人たちにしわ寄せが来ている。
 買う側も、安さばかりを求めていたそのツケがそろそろ回ってきたようだ(中国産冷凍餃子事件がいい例)。
 バターがないことで、その奥にいろんなことが見えるような気がする。
 
 そう言えば、生活クラブ生協が提携している平田牧場(豚肉を扱っている)は、飼料も同じ地元から、ということを取り組んでいるらしい。 
 輸入するよりずっとコストがかかるらしいが……利用する側もその分のコストは払って当然と思う。


<追記>
 などと思っていたら、この記事を書いた後、酪農家の方のこんなブログを発見(他にも一般の方、お菓子屋さん、さまざまな人がブログで書いている)。 
 やっと現場の方の声を聞くことができた。
 やはり、凄くいろいろなことを考えさせられる(フランスは食糧自給率130%、なんていう数字の前でさらに考え込んでしまう)。
 バター不足については、こんな現実も背景に。
「既に報道されていますが、原因は主に牛乳不足といわれています。牛乳の消費がここ数年ずっと伸び悩んでおり、2006年には北海道で牛乳を廃棄する光景が見られました。そしてかなりの数の牛が殺処分になりました」
 このブログの「バター不足について」(2008年4月12日)からの一文です。
        ↓
ベーベ工房の牛とチーズの千夜一夜

 人間に「食べられるために殺される」ならともかく、牛乳のだぶつきのせいで牛が殺されていたなんて……なんともやりきれない思いがする。

 そして、牛乳は体によくないという、実はあまりはっきりとした根拠のない最近の健康情報ブームのことも述べられている。
 私も少しはそういう情報に耳を傾けていたわけで、胸が痛む……。

 まあ、バターなんか食べなくても死なないという意見もあるかもしれないが、現代の日本人の食生活においては、もう切り離せないものになっている。
 パン、お菓子、料理と、あらゆるものに使われている。
 というか、とにかく高カロリーでも私はバターが好きなのだあ~!

 食糧がなくても生きていける人は、ひとりもいない。
 その根本のところがないがしろにされているこの国は絶対おかしいし、変えていかなくてはいけないのだと思う。
 まずは個人としては、国産のものを買って支えるという方法があると思うが……。
 こうも国の政策が変だと困る。

<さらに追記>
 とある本を読み、デンマークは食糧自給率は300%を超えていることを知る。 
 300%……!!!。この本 です。

 その他、福祉、教育、エネルギー、医療などなど、いろいろなことが語られており、日本人でいるのが悲しくなる情報満載(笑)の本でございます。
 北欧が何もかもいいわけでもないんだろうけれど、こういう社会のあり方が実現できる国もある、ということは知っておいて損はない。

 

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2008年4月20日 (日)

バラとバター

 先週の金曜日は、朝から春の嵐で通勤が大変だった。
 ずぶ濡れというわけではないけれど、なんとなく湿っぽい服のままで仕事をすることほど厭なことはない。
 やけに疲れた気がして、帰りにはロンロンに寄って、自分を甘やかす。
 デザートにPASTELのなめらかプリン、そして青山フラワーマーケットでバラを買う。
 吉祥寺店2周年記念とかで、3本で787円というバラのセールをしていたので、迷わずそれにした。

Img_1393  こうしてデジカメで撮影してしまうと、どれも同じように見えてしまうのだけれど、実は3種類のバラ。
 左側の大ぶりのは、現物はもっと白に近い淡いピンクの「羽衣」(前に買ったアンブリッジローズのこと?)、下の方は、1本に小さなバラがたくさん咲いている「チュチュ」、右奥は薄いピンクに内側は黄色っぽく色合いが変化している「ベビーロマンティカ」。
 色の違いを出せないのが残念。
 とにかく、同系色で3種類のバラがあるというのは、なんとも贅沢な眺め。
 いい具合に花開いてきたのに、明日はもう仕事かあ……このバラを見ながら、部屋ですごしたい(笑)。 

 とにかく、これが1000円以下で楽しめるなんて、青山フラワーマーケットはいい花屋さんだなあと思う。
 自分で花を好きに選んで取れるとか、手で提げられるような袋に入れてくれるところとか、さりげないことだけれど、今までになかったお店のあり方だ。


 ところで、バターが店頭から姿を消している。
 どうやら最近の牛乳余りを懸念して、農水省が生産調整のお達しを出したら、今度はバターに回す分が足りなくなってしまったらしい。
 調整するのはいいけど、どうしてバターとか加工品までなくなるような事態になるのかなあ……。
 特に残念なのが、カルピスバター。
 カルピスを作る際に余る牛乳で作られるバターらしいのだが、クリーミィで爽やかで、とーっても美味しいのだ。
 はじめはプロ向けのバターだったのだが、そのおいしさが広まって市販されるようになったらしい。
 料理研究家の有元葉子さんがすすめていて、私も愛用していたのだが、ある日、そのカルピスバターがどこにも売られていないことに気づいた。
 そのうち、よつ葉バターとか他のメーカーのものも次々店頭から消えたので、生活クラブ生協で扱っているものを頼んだら、ちゃんと届いたけれど……。
 ちなみに、いつも豊富な品揃えの吉祥寺の三浦屋でさえ、バターはごくわずかで、きっと苦労して買い付けたのであろう、一瓶500円以上もする超高級発酵バターがいくつかあっただけ(そんなの、ふだんの朝ごはんのトーストにガシガシ塗れないよ~)。
 どこのメーカーのものも品薄らしい。
 で、カルピスバターはもう幻か……と思っていると、なんといつもお昼のパンを買いに行く、職場の近くのパン屋さんで売られていた!
 そう言えば、ここはたまに、カルピスバターのバケットサンドを売っていたのだった(カルピス味のバターではありません、という注意書きがしてあるのがおかしいのだが)。
 保冷バッグと保冷材を持って出勤し、お昼にパンと一緒に買って、こっそり職場の冷蔵庫にしまっておき、密かに持ち帰った。
 でも、いつも愛用していた「無塩」タイプがなかったので、「加塩」なのだが。
 職場で何をやっているんだか……なのであるが、いつ買えるかわからないから。
 生活クラブのバターも届いたばかりなのに、出費がかさむ。

 とりあえず一応は豊かと言われている今の日本で、何かが「買えない」――それも基本的な食品――という事態に直面すると、かなりうろたえてしまう。
 製菓関係の方は、どうしているのでしょう?
 それにしても、日本の生産者にとっては、踏んだり蹴ったりというか、今は酪農家だけでなく、お米や野菜とかの農家も大変なんだろうと思う。
 というわけで、100%、というわけにはいかないけれど、私はできるだけ日本の生産者を支援するという意味でも、生活クラブ生協のものをはじめ、国産のものを食べるようにしている。


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ありがとう、石井桃子さん

 4月2日、桜の季節に、児童文学の翻訳家・作家の石井桃子さんが101歳で亡くなられた。
 昨年はちょうど100歳。私が担当している紙面でも、「石井桃子さん100歳記念特集」を組めたことは、よかったなと思う。
 今を生きている日本人で、子どもの頃、多少なりとも読書体験があれば、誰でも何か一冊くらいは石井桃子さんの手がけた本を読んでいるのではないかと思う。
 海外のさまざまな良質な児童文学を美しい日本語で読めたのは、石井桃子さんの功績。
 本当にたくさんのものをいただいたなと思う。

先生の文章は、本当に密度が濃くて、しっかり芯があって、それでいてある種のしなやかさを持っている。抽象的な単語を使って書くのはお好きではないし、身に沿わないことは絶対にお書きにならない。
――雑誌「この本読んで!」(2007年春号)松岡亨子より


 私も文章を書く時は「抽象的な単語」を使ったりはしないかも。
 それは、大人になってからも児童文学を意識的に読んできたせいかな?
 といって、大人の文学では、「読みやすい」ことだけが、いいわけではないと思うので、難しいところだけれど……。
 でも、身に沿わないことは書かないというのは、これからも忘れないようにしたい。
 石井桃子さん、素晴らしい数々の本の贈りもの、ありがとうございました!
 ご冥福をお祈りします。
 I

 石井桃子さんは、プーさんの翻訳で有名だが、私はエリナー・ファージョンも好き。
 これは、昔の版のもので、西荻の古本屋で発見。
 アーディゾーニの挿画がよい! 
 今も岩波からファージョン作品集は出ているけれど、もっとあっさりした素っ気ない表紙になってしまっている。

 







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2008年4月 6日 (日)

日曜の夜のつぶやき

 豆を水に戻したけれど、煮る気力がなんとなくない。
 野菜室の野菜を使ってこの春最後のミネストローネを作ろうと思うのだけれど、お腹が空かないので、今ひとつ気合いが入らない。
 変な時間に芋けんぴなんかをつまんだせいか……。
 ましてや、ハーブソルト――ゲランドの荒塩にレモンの皮とローズマリーとニンニクをいれた自家製――で下味を付けたチキンをオーブンで焼くなんて……。

 ひとりで、パーティでもやるのか?というメニューだが、どれも冷蔵庫の掃除的な必要性から発生したメニューで、一晩で食べるわけでなく、次の1週間のベースになる。

 しかし、下準備したり、何やかやと解凍してから、作る気力がなくなる、時間がなくなる、食べたくなる……ということがままある。
 家族でもいれば、否応無しにやらざるを得ないのだが、誰も文句を言う人がいないとなると、迷いが生じる。

 ひとりだと張り合いがないなんて、言わずに、さっさとやるべし(まあ、結局やるんだけど)。ほら、もうこんな時間。
 食べるものがあるだけ、ありがたいと思う。

 だけど、こんな気持ちになることが時々あるのです。
 ひとりで日常を輝かせることは大変だ。
 やはり「誰かのため」というのがあってこそ、日常は輝くのかもしれない。

<追記>
 晩ご飯、すべて作りました。
 圧力鍋で煮た豆は、ぐずぐずになり大失敗。
 チキンは塩がきつすぎて、今ひとつ。
 時間も食材も失った気がして意気消沈。
 ミネストローネは、あと2、3日経ったらダメになりそうな野菜たちだったにも関わらず、そこそこ美味しくできたが。

  やはり料理ってその時の気持ちや体調が反映されるなあ……。
 口直しに桜の香りの紅茶を煎れた……美味しい。
 今夜は果物と紅茶くらいで済ませればよかったかのかもしれない。

 

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桜が咲くばかり MUTE BEAT―ONE NIGHT LIVE 

 4月に入って2日(水)は、ミュートビート一夜限りの復活ライヴへ(恵比寿リキッドルーム)行ってきた。
 こだまさんは、ノスタルジーなんかないと言っていたが、やはりどうしたって感慨深くならざるを得ない。
 この20年の年月が走馬灯のように蘇えってきた。
 そして、ミュートビートの音は少しも古くなっていないことに、改めて感動した。
 包み込まれるようなダブとベースの低音、屋敷豪太さんのキレのいいドラム、ストイックなこだまさんのトランペット(失敗してやり直し、がちょっと多かったけど:笑)……古くなるどころか、今、よりいっそう輝いている。

 こだまさんはMCで、「日々の暮らしを大切に」と繰り返し言っていた。
 昔も「日常! 輝け、日常!」と言っていたっけなあ。
 この日、話の前後関係は忘れてしまったが、こだまさんが「……桜が咲くばかり」と言っていたのが印象的で――人生いろいろあるけれど、自然は無常にも巡って来る、みたいに私は聞こえた――確かにリキッドルームのある明治通り沿いは桜が満開でとてもきれいだった。

 音楽とは直に関係ないかもしれないが、こだまさんは昔はわりとスタイリッシュだったと思うのだが、最近はそれに抗うかのようなファッションが多い(笑)。
 いつだったか、吉祥寺でトランペットケースを抱えた彼を見かけたことがある。
 確か、頭に白いタオル、迷彩柄のジャンパーだった。
 ファッションとかお洒落とか流行とかすべてを突き抜けてしまったような姿は、彼の音楽にそのまんなつながっているような気がした。
 吉祥寺の雑踏の中をすり抜けるように早足で歩く姿はどこか近寄りがたく、昔から面識があって懐かしかったにも関わらず、声をかけそびれてしまったこともよく覚えている。

 それはさておき……こだまさんは、復活も再結成も何もないと言っていた。
 そのことが、とても納得できるライヴでもあった。

 ライヴとはまったく関係ないが、この日深夜に帰宅すると、生協の食材が玄関前に山積みになっていた。
 この日、出かけることを忘れて、たくさん頼んでしまったのだ。
 半分泣きながら夜中の0時半に、冷凍の鶏胸肉を冷凍庫にしまい(まだ夜は肌寒いのでドライアイスだけで凍ったままだった。よかった!)、青菜を水につけ、卵をしまい……「日々の暮らしを大切に」するのも大変だ。
 昔はここまで生活に手をかけることもなくて、若い頃は平日であろうが何だろうが、ライヴにはほいほい出かけたものであったなあ、など、そんなこともいちいち懐かしく思い出してしまった。
 また、その後の自分の疲れ具合にも、20年の歳月を感じてしまった(笑)。

 
 あと2日は、プーさんなど児童文学の翻訳などで、日本の児童文学界に多大な貢献をされてきた石井桃子さんが101歳で亡くなった日でもある。
 桜の季節に逝かれるのは、なんとなく石井桃子さんに相応しい気がする。 
 石井桃子さんには、たくさんのものをいただいたいなあと思う。
 ご冥福をお祈りします。
(日を改めて、また詳しく書こうと思う)

  
 そして、先週土曜日3月29日は、ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団の舞台(『フルムーン』)を、この日に合わせて大阪からやって来た連れ合いと一緒に観た。
 あまりの素晴らしさに打ちのめされる。
 観た後、「表現(芸術)とは何か?」みたいなことを、結構、大まじめに話し合った。

 今までずーっと観たい観たいと思いつつ、機会に恵まれなかったのだが、ようやく観ることができた。
 自分の人生を、ピナ・バウシュ体験前・体験後……と分けて考えてみたいほどだ。
 これはまた日を改めて、書けたら書く……ということで(私なんかの言葉・知識では伝えられないのだが)。

 

 というわけで、先週末からなんだか濃い1週間で、お花見をする間もなく、今日は近所の公園の桜がはらはらと散り、さっきを窓を開けていたら、部屋のなかにまで花びらが舞い込んできた。 

 

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