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2007年7月28日 (土)

アンリ・カルティエ=ブレッソン――知られざる全貌

 先週末は、アンリ・カルティエ=ブレッソン 展<知られざる全貌>を東京国立近代美術館へ観に行った。
 ブレッソンは、1908年、フランス生まれ(来年でちょうど生誕100年)の写真家で、マグナム創設のメンバーのひとり。
 私は中学生くらいの頃から、ロバート・キャパとかの報道写真家の写真――特にモノクロ写真――に強く惹かれる傾向があって、そういう写真集を図書館でよく食い入るように眺めていた。理由はよくわからないけれど、例えば、戦争というものも、話で聞くより、よりリアルに感じられて、写真のなかに自分が入り込んでタイムスリップしているような気分を味わうのが好きだったのだろう。

 ところで、ブレッソンの名前はあまり意識したことはなかったのだけれど、いろんなところで見ていてとても印象に残っている写真のいくつかが、ブレッソンであることを知るようになって、この展示会はぜひ行かなければと思った次第。
 最近は、どうもへたれ気味で(笑)、美術館という所へ足を運ぶことがめっきり減っていたのだけれど、今回は行って本当によかった。
 言うまでもないけれど、やはりオリジナルプリントは素晴らしい。白黒というより、グレーの階調が無限に展開されている感じ。
 

 1930年代~1970年代の写真が多く、正に20世紀というひとつの世紀を駆け抜けていったような人生。
 2004年に95歳で亡くなったブレッソンは、20世紀の、戦争と激動の時代を記録するためにこの世に生を受けたかのようである。
 無名の庶民――貧しい人から豊かな人まで、世の中を動かした人、偉大な思想家や作家や詩人や画家を写真に収め、その舞台はヨーロッパだけでなく、アメリカ、アジア……と、本当に広い「世界」だ。
 肖像写真では、カポーティの若い頃の写真が素晴らしくて、しばらくその前から動けなかった。その人の本質というものを、なぜたった一枚の写真で余すところなく表現できるのか、ひたすら感嘆……正にこれが写真を観る醍醐味。

 そして、ブレッソンが凄いと思うのは、社会の「決定的瞬間」を伝える報道的な役割を担っていると同時に、その写真がとてつもなく芸術的であること。
 構図が完璧なまでに見事なのだ。それは、ブレッソン自身、絵が好きで、自らデッサンなどをよく描いていたことと大きく関係していると思う。
 とにかく、デジタルカメラなんて存在しない時代、きっと一枚の写真を撮るためにシャッターを押す重みは今と随分違ったのだろう。

 とまあ、ブレッソンの素晴らしさは私などが語るまでもないのだけれど……。

 この60年代のカナダの街角で笑っている少年たちは今、もう中年のおじさんだなあとか、ここに確かに存在している1930年代のメキシコの娼婦たちのなかで、今生きている人は何人いるだろうか?などなど、思いつつ観ていると、感慨深い。
 時は流れて人は必ず死ぬけれど、写真というものは、その瞬間を永遠に閉じ込め、記録する。
 そんなことを思うと、なんだか不思議な気分になり、あと100年もしたら今成人している人たちのほぼ全員は間違いなく死んでいるのだな……と思ったり。

Img_0932_1  数多くの写真のなかでも、気に入ったのがこれ。
 会場で売っていたポストカードを複写したものです。
 ○C(クレジット)/アンリ・カルティエ=ブレッソンです。
 時は1938年、フランス。
 ふたつの戦争の狭間の時代で、川辺のピクニックを楽しむ男女。
 この4人の背中の存在感!

 この写真を元に、短編小説でも書けそうです(書けないけど)。
 そして、どんな時代でも、人々はこんなふうにささやかな愉しみを見出して、生き抜いてきたのだと思うと、感動する。
 オリジナルプリントで観ていると、手前のおじさんが注いでいるワインが美味しそうで、1938年がつい昨日のように感じられた。

 8月12日まで開催されています。おすすめです。
 膨大な写真のもと、その全貌を知ることができます。

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コメント

おはようございます。

アンリ・カルティエ=ブレッソンの事は、知りませんでした。
以前、プロラボにつてめていて、雑誌社・プロカメレマンの方などと、お仕事をともにしましたが、代理店のお仕事の写真ばかりでしたので、とても新鮮に感じました。

ところで、新入社員のときに研修で、自分で写真を撮ってきてくださいとのことで、このようなポーズをとりました。・・・・公園のベンチにすわっている、若いおかあさんたちの構図です。
気付かれないように、そっと近寄ってとったので、発表会の時
指摘され、写真を撮るのは難しいと(ど素人ですからあたりまえですが)思ったことを思い出しました。

投稿: 小麦 | 2007年7月29日 (日) 07:42

小麦さん
ブレッソンの写真集は、きっと図書館などにあると
思うので、ぜひ一度ご覧になってみてください。
感動しますよ!

投稿: Kate | 2007年7月29日 (日) 13:50

kateさん

ありがとうございます。
図書館で見てみます。
情報ありがとうございます。

きっとプロの方の思いが伝わってくると思います。

ところで、余談ですが、プロは本当にたいへんですね。
プロラボに勤めていた時に、つくづく感じました。
プロとして、生活をしていけるのは、ピラミッドの一握り
その中でも、商品などでなく、思いを写真にして
生活をしていける人は、皆無に等しいとおもいました。

投稿: 小麦 | 2007年7月29日 (日) 14:38

人々の話し声や間柄を想像したくなる写真ですね。

>そして、ブレッソンが凄いと思うのは、社会の「決定的瞬間」を伝える報道的な役割を担っていると同時に、その写真がとてつもなく芸術的であること。
>構図が完璧なまでに見事なのだ。それは、ブレッソン自身、絵が好きで、自らデッサンなどをよく描いていたことと大きく関係していると思う。

この写真も、白と黒のバランス、水の上にかかったもや、男女の座る位置、軽食を入れた皿や男の人の持っているワインボトルなんかから、話が広がっていきそう。

8月12日までか・・・近代美術館は高校の頃よく行ったけど、この期間内に行けるかな?
行きたいのは山々なんだけどなあ。

以前旧軽井沢の土屋写真店(でよかったかな?)に行ったときも、こんな雰囲気の外国人の大人や子供の写真がポストカードになっていて、何枚か買ってきた記憶があります。
そのときの写真をちょっと思い出しました。
女の子が数人で座っている写真とか。小さい男の子の写真とか。
外国人が今より圧倒的に多かった戦前の写真ですね。
セピア色で、それだけでドラマを感じてしまう何かがあったように思います。

投稿: ローズ・マダー | 2007年7月31日 (火) 01:31

ローズ・マダーさん
こんにちは。
本当にざわめきが聞こえてきそうな写真がたくさんありました。

あと、祈りを捧げているインド女性たちのサリーの
布の質感とかも凄かったです。
ドレープがたっぷり出ているせいか、彫像のようにも見えて、
なんだか神々しい姿でした。

ところで、旧軽井沢と言えば、『本格小説』の世界ですね!

投稿: Kate | 2007年8月 1日 (水) 20:13

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