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2007年6月に作成された記事

2007年6月24日 (日)

年を重ねること

 今日は、しっとりと雨降り。梅雨の時期はやはりある程度雨が降らないとね……。
 さて、雨が降るといわれていたお天気のよかった先週末は、連れ合いのお誕生日を我が家で開催。
 本当の誕生日は、その週明けのポール・マッカートニーと同じ生誕日だったのだけれど、平日なので、少し繰り上げてのお祝い。

 彼は、はるばる大阪からやって来るのだが――正真正銘、遠距離恋愛ってやつで、若い頃だったら持続させるのは無理だったかも――朝、東京に着いたらそのまま京橋へ向かい、イデミ スギノ という伝説(?)のケーキ屋さんに並んで、ケーキを買ってきてくれた。
 神戸で名を馳せていた有名店だったらしいのだが、東京へ進出。昨年、NHKの「仕事の流儀 プロフェッショナル」に出演してから一気にブレイクし、開店を待って並ばないと買えないそうだ。関西出身の彼は、以前からそのお店をよく知っていたらしい。私も「プロフェッショナル」を見ていたので、ワクワク。
 というわけで、お誕生日の本人が、1時間かけて並んでケーキを買ってきてくれるという、どっちが誕生日がわからない感じ(笑)。
 Img_0878 おいしいケーキは、見た目も宝石のように美しい。
 
 カシスのムースとバニラやチョコレート、オレンジのリキュール(たぶん)の香りがするムース。いろんな味が層になっていて、口に入れた時、それらがスーッと溶け合い、絶妙なハーモニーが! などと、つい大げさな表現をしたくなるほどのおいしさ。
 繊細で、奥行きがあるというか……。
 

 使用されているフルーツもフレッシュ。
 写真にはないけれど、一緒に買ってきてくれた杏とココナツのパウンドケーキがこれまた絶品だった。ケーキは、西荻のアテスウェイなんかもいい線いっていて甲乙つけ難い感じだけれど、パウンドケーキは今まで食べたなかで一番おいしかった!と言える。
 ぽそぽそした感じがなく、しっとり、だけど油っぽくはなく、ふんわり。
 先の2つのケーキもそうだけれど、どれも空気がほどよく入っていて軽やかなのだ。
 そして、杏のほんのりすっぱい味を生かした甘さ。
 パウンドケーキなどの焼き菓子は、なんとなく1ランク下のものという位置付けがあるけれど、いやはや、とんでもない。
 イデミ スギノの焼き菓子は、次元が違う。こういうシンプルなものの方が、他との比較が際立つと思う。
 そして、先日友人がおすそわけしてくれた、ダージリンのファーストフラッシュを煎れて、午後のお茶のひと時。おいしいスウィーツとお茶は、人を幸せにしてくれる。

 さて、夜はいよいよ私の出番で、いつもパンやパスタになりがちなので、この日は玄米に合うディナーを計画。
 Img_0886 まずは、前菜としてカプレーゼと冷奴のイタリア風(お豆腐に、わさびを乗せ、オリーブオイルと塩で食べる)。
 それから、野菜のオーヴン焼き。かぼちゃ、ズッキーニ、人参、玉ねぎ、ニンニクなど、オリーブオイルを垂らして、何でも丸ごとオーブンで焼いてしまう。焼けるまで時間がかかるので、220度に熱したオーブンの前で料理をするのは、この季節、なかなかの重労働。
 だけど、労力をかけただけのことはあって、刻んだり炒めたりしないので、野菜の旨みが丸ごと凝縮されていて、新鮮で濃厚な味に。特に、人参に化学変化?のようなものが起きていて、お芋や栗のようなほくほく感というか、甘さが発生していて、ふたりで驚いた。Img_0887
 味付けは、バルサミコを垂らすだけ。シンプルな料理なので、バルサミコは8年もののいいのを選んだ。 
 メインは、チキンソテー with 玄米ごはん。Img_0888

きゅうりの漬け物のように見えるのは、丸焼きしたズッキーニを切ったもの。

 

 お酒は、スパークリングワインと赤ワインをほんのちょっとずつ(ふたりとも、お酒は弱いので)。

 と、もっともらしくつくっているようだけれど、実は今回のレシピは、すべてOlive Bar―有元葉子のオリーヴオイルレシピから。
 レシピブックはいろいろ持っているけれど、やはり有元さんのレシピが一番活躍する。
 野菜がたくさんとれて、シンプルで手早く、だけどちょっとお洒落な感じに仕上がる。ワインを楽しみながら食べられる玄米と料理とか、冷奴をイタリアン風に食べるとか、自分の守備範囲のなかからは、なかなか出てこないものを教えてくれる。

 デザートは、私が伊勢丹で買って用意しておいた、とっておきのもの。
 ピエール・エルメのマカロン。高いので、ひとり1個ずつだけ(笑)。
 オリーブにホワイトガナッシュという、これまた類いまれな組み合わせ。ほのかなオリーブの香りがちゃんとホワイトガナッシュを引き立てていて、こちらも天国的な味わい。  
 料理はオリーブオイルがテーマだったので、よい締めくくりだったかも。

 さて、プレゼントは、「テス」のプレミアム・エディションのDVD(私も特典映像を見たかったので/笑)。
 彼には 「今まで一番嬉しい誕生日!」と喜んでもらえたようで、何より。
 料理もプレゼントも、それほどお金をかけなくても、楽しめるということかも。 
 まあ、若い頃よりは、料理も少しは手早くつくれるようになったし、ふだんは離れて暮らしていてもこの人は安心できる、信じられるという勘が働くようになったのも、今までの経験があるからこそ、だし……年を重ねるのも悪いことばかりじゃないなと思う。
 だから、やはりお誕生日は、いくつになってもお祝いしたい。 
 そして、秋には、私もまたひとつ年を取る……。  

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ピアノ・レッスン――映画にまつわるちょっとシリアスな思い出

 好きだとか影響を受けたとか、そんな言葉では言い尽くせないような映画に、まれに出会うことがある。
 私は最近、しきりとある1本の映画のことを思い出している。
 Piano
 オーストラリアのジェーン・カンピオン監督のピアノ・レッスン
 原題は、THE PIANO(1993年/日本公開は翌年だったかも?)。
 未婚の母であるスコットランドの女性エイダが主人公(ホリー・ハンター)。彼女は話すことができず(子どもの頃に話すことを自らやめてしまった)、ピアノと幼い娘(アンナ・パキン)だけの小さな宇宙に生きている。
 当時(明らかにされていないが19世紀末くらい?)、本当にそんなことがあったのかどうか、海を越えて、未開の地ニュージーランドの農夫(サム・ニール)の元へ嫁ぐことになる。もちろん、ピアノも一緒だ。しかし、夫はピアノを運ぶことを拒む。

 海辺に置き去りにされるピアノ――という、現実にはあり得ないシーンが、とても美しかった。

 そんな経緯もあり、エイダは夫になかなかうちとけることができず、夫の方も性的に不能だったりして、ふたりの距離は開くばかりになる。
 そこに現れるのが、夫とは対照的な野性的な魅力をもった男性ベインズ(ハーベイ・カイテル)。ベインズは、エイダのピアノを引き取り、彼女に「黒鍵の数だけ自分にレッスンをしてくれたら、ピアノを返す」と約束する。ピアノのレッスンを重ねながら、やがてふたりは自然と引き寄せられるように関係をもつようになる。
 彼は、エイダをまるでピアノを弾くように愛する。かたくなだった彼女の心と体は少しずつ溶けてゆく。
 一方、母親を愛しているが故に、ベインズに母を取られてしまったかのように感じていた娘は、母親の不貞を義理の父親に密告してしまう。そして、そこに待っていたものは……。

(ネタバレですが――
 エイダがピアノをどれほど愛していたか理解していたからだろう。夫は、斧を振り上げ、エイダの指を切り落とす……という、極めて残酷な代償が待っていた。
 恐ろしいシーンである。
 その後、エイダは夫と別れ、ベインズと娘、そしてピアノを伴なって、新しい土地へ行くことになる。
 その道中、船に乗せたピアノが海へ落下する。ピアノを縛っていた紐に、彼女もからまり引きずられ、ピアノと一緒に海へ沈んでゆく。
 エイダはピアノと一緒に沈んでしまう、死んでしまうのだ、と思った瞬間、彼女は見事に紐をすり抜け、浮上し、海面から顔を出し、深呼吸をする。
 海底に沈んでゆくピアノ。

 すべてのシーンがあまりに象徴的で、なんだか「よくできすぎている映画」という気がしつつも、初めて観た時の気持ちの、胸騒ぎというか心のゆらぎのようなもの、上手く言葉にできない「痛み」のような感覚は、未だにはっきり覚えている。
 映画館の暗闇のなかで、ひとり、スクリーンに向かいながら、「私もいつか必ず離婚するだろう」と、直感したのだ。
 「ピアノ・レッスン」を観た頃、結婚生活はこのままでいいのだろうか?と、悩んでいた時期だった。
 できれば先送りにしたいような、直面したくない直感だったが、それは頭で考えてというより、天から降りてきたような確信的なものだった。

 指を1本、失うこと。
 自分の分身であったピアノを海底に捨ててしまうこと。
 そんな代償を私も払うのだろうかと怯えた。

 私はかなりその代償を払うのを恐れていたらしい。離婚したのは、それから5年以上経ってからのことだ。
 離婚を後押ししたものは、他にもあるけれど、あの時、「ピアノ・レッスン」を観ていなかったら、どうだったろう……。
 私は直感したとおり、「指を1本失うくらい」の代償を払うことになり、それは今でも続いている。
 後悔はまったくしていない。でも、好きな映画は繰り返し観る方なのだが、「ピアノ・レッスン」は、その後1回くらいしか見返していない。
 Piano2マイケル・ナイマンの音楽も素晴らしく、サントラ盤は一時期よく聴いていたが、映画そのものを見返すのはなんだか怖いような気がするのだ。
 
 だから、おもしろいとか楽しいとかきれいだとか、心地よさだけではない、心をえぐられるような、と同時に思い出深い映画だ。

 思えば、私はピアノにひきずられながら、随分長い間、海底に沈んだままだったような気がする(もう人魚か?!っていうくらいだ)。
 
 最近、ようやく海面を照らす光に導かれ、浮上できたように思う。
 やっと、深呼吸ができたような……。
 安定した仕事に就けたのも大きな要因だし、今年になってから私のことを大事に思ってくれる人とも出会えたのも大きい。
 離婚後も、出会ってはやっぱり違う、また違った(そもそもこのブログは、そういうすったもんだのあれこれで始まっている/苦笑)……の繰り返しだったけれど、やっとこれからの人生の「連れ合い」と呼ぶに相応しい人に巡り会えたように思う。直感としてそう思う。
 あの日の直感も正しかったので、自分の直感は正しいと信じることにしている。

 だからもう悲しむことも、過去を振り返る必要もないんだよと、自分で自分に言い聞かせているのだけれど、それでもやはり、あの映画を観た日のことは忘れられない。
 いや、忘れる必要もないのだろう。そういう、「ちょっとシリアス」な思い出と共に生きていく。それでいいんだと思う。だからこそ、今が幸せに思える。

 指を切られ、義指をつけたエイダ。彼女がピアノを弾くたびに、義指がコツコツと鍵盤に当たる音がする。 
 でも、それこそが、かけがえのない彼女自身の音なのだ。 

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2007年6月10日 (日)

天国的な鳥

                             

Img_0866_1

 今朝、東京地方は雷鳴と激しい雨だっだのに、午後からすっかり晴れた。
 窓を開けると、雨に洗われた空気が澄んでいて、とっても芳しいので、近所の善福寺公園へふらっと散歩に出かけた。
 夕方の陽射しがいい感じ。

 












Img_0873 Img_0867Img_0870

 

 今が盛りの紫陽花を見ながら、季節は巡っていることを実感する。

 

 

 そして、池のところに、この世のものとは思えない鳥が一羽、飛来していた。
 スーッと急降下してきては、水面に一瞬もぐる。小魚でもつかまえているのか?
 そして、また一瞬にして、空高く舞い、羽ばたき、水面へ急降下。
 池には、そこだけさざなみが……。
 そのなめらかな繰り返しの動き、一連の流れがあまりにも優雅で美しいので、池の手すりの脇に立ち尽くしてしばらく見とれていた。人間のくれる餌をねらって、地べたを這いずり回っている鳩の群れとは大違いだ(私は鳩が嫌いなもんで/笑)。
 ツバメに似ていたけれど、ツバメは水中の魚を食べるだろうか? 
 野鳥に詳しくない私は、あいにく、この鳥の名前がわからない。
 職場に野鳥の本があったら、今度調べてみよう。
 なんだかいいものを見たなーと思った。
 あんなふうに小さくて美しい生き物は、人間には決してつくり出せない。
 完璧なものというのは、すべて自然のなかにあるのだな、きっと。

 鳥を撮影しようかと思ったけれど、私のコンパクトカメラでは、ただの「点」にしかならないので、あきらめた。でも、どんなに優秀な一眼レフカメラがあっても、あの天国的な流れは伝えることができないだろう。Img_0875  

鳥は写っていないけれど……。
蓮の花が、ぼちぼち咲き始めていた。








 さて、今夜の晩ご飯は、ナプレのランチに着想を得て、グリーンピースとアスパラガスなど季節の野菜を使ったアンチョビ風味パスタにするつもり。

 ……と、身辺雑記風のブログ日記を始めると、日々のなかであったちょっとしたこと――今日であれば、善福寺公園で遭遇した鳥のこととか――を書き留めずにはいられなくなるので、これはこれできりがないなあ(笑)、なんて思うこの頃。

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ゴーヤーの季節に、一編集者がちらっと思ったことなど

 先週、仕事であったちょっといいこと。
 コラムの執筆をお願いした絵本作家の方に、こちらで依頼したテーマについて、
「とてもいいテーマで、そのようにあの絵本を読んでくださってとても嬉しい」
 というようなことを言っていただき、コラムも快く受けていただいた。
 今は、本をまるまる1冊つくる仕事ではないので、こういうちょっとしたやり取りが、何よりの喜び。
 編集というか出版という仕事は、利益も出にくいし、自分自身もそれほど厚遇されていないけれど、こういう嬉しさは他の仕事ではなかなか味わえない(他の仕事もたくさんしているので、わかる)。
 逆に、そういうところで喜びを感じられないと、やっていられない、とも言える。
 まあ、そこで自分だけで喜んでばかりもいられず。
 そこから先に広がる読み手のことを考える……というのが、本当は大きな課題なんですけどね。
 でも、やっぱり上記のような会話は大きな励みになる。

 最近は、もっと若い頃に料理本の編集関係に行けばよかったなあとよく思う。
 食べることが好きで、料理には興味しんしんだけど、自分でレシピをつくるような才能はないし、カリスマ主婦(笑)にもなれそうもないけど、裏方の編集だったら、合っていたのではないかと……。まあ、どうだったかわかりませんが。
 なんせ、一番初めに入った版元が、どちらかと言えばサブカル系だったからなあ。奇抜なアイディアというか、突出した才能のない自分と会社の間にズレを感じていた。でも、そこではおもしろい人にたくさん出会えたし、編集者の人間性というか、根本みたいなところを教えてもらったので、それは今でも感謝しているのだが。

Img_0864 <今夜の土曜の晩ご飯>
ゴーヤーチャンプル(ゴーヤ-、厚揚げ、葱、炒り卵をゴマ油で炒めて、酒、黒酢、醤油で味付け)
めかぶ
きゅうりとミニトマトとシソのサラダ
うるめ丸干し
玄米 わかめの味噌汁

 と今夜は「和」な感じ。
 自炊率は高いのだが、何かと洋ものに傾きがちなので、ちょっと気をつけたいと思っている。
 乳がんの人の朝食を調べたら、ほとんどの人がパン食だったという話をある本で読んだ。パン食にすると、バターだのチーズだのと乳製品や油脂が多くなるから。
 私は乳がんは今のところだいじょうぶだけれど、子宮系の病気をすでに抱えている身としては、無視できないデータだ。実際、漢方の先生にも、乳製品は取らないように言われているし。やはり、日本人の遺伝子には、こってりした乳製品は合わないのだろう(特に大人には不必要な栄養)。
 健康オタクにはなるつもりはないけれど、ある程度は自制したり考えたりしないといけないなと、若さをとうに過ぎた年代の女性としては思うわけで。
 そうしたうえで、たまにはクリームたっぷりの甘いケーキやこってりイタリアンを、楽しむときは大いに楽しむ、というのがいいバランスかも知れない。

 だけど、ゴーヤーの苦味ってのは旨い。大好きです。
 夏は、高山なおみさんレシピのゴーヤーとひき肉のスープ風カレーをよくつくる。
 ビバ、ゴーヤー!

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2007年6月 8日 (金)

金曜の昼下がり

 今週、校了したので、今日は午後半休を取って、青山の美容室へ。
 ヘアスタイルが最近マンネリ気味だったし、軽やかにしたかったので、夏に向けてちょっとだけイメージチェンジ。

 美容室の前には、ナプレでランチ。本当は、マディという雑貨屋さんの横にあるカフェに行こうと思ったのだけれど、なんとビルの取り壊しで閉店しているのだそう。がっかり。最近、好きな店がどんどん消えていく。
 Img_0857 ナプレでは、グリンピースと帆立のフィットチーネを頼んだのだが、他のテーブルに運ばれてくるピザを見て、ああ、やっぱりナプレなんだからピザにすればよかったなあと、後悔……ここは、石釜焼きのピザで有名なお店。ピザはかなりの大きさなので、柄にもなく控え目にしてしまったのだ。
 理想は、ふたり以上で行って、交換し合いながら食べること。
 でもフィットチーネもわりとおいしかった。
 それにしても、この店は客の話し声がやけにうるさい……なんでだろう?と思って見渡してみると、1時過ぎで、近くで働いている人たちじゃなくて、遊びに来ている人がほとんどなので、皆、浮かれモードなんだなあ。女性同士というのがやたら多いので、まあ、皆、食べながらよく喋ること喋ること。
 お店のウェイターも若いバイト君たちという感じで、覇気がないし、いつまでも水を持ってこないし、呼んでもなかなか気づかないし、帰りも「ありがとうございました」と言ってくれないしというか誰も気づいていないし(笑)、なんか全体にわさわさした感じで、ちょっとうんざりした。ランチはやっぱり神保町が馴染むなあなんて、小うるさいことをひとりで思っていた。

 店内は、自然光が降り注ぐ気持ちのよい雰囲気なんだけど(ナプレ↓)。

Img_0855_1

 美容室のあとは、表参道の地下に新しくできたカフェでアイスチョコレートを一杯。
 セルフサービスだけど、インテリアがパリっぽく(笑)、地下にあるわりには閉塞感もなく、落ち着く感じ。コーヒー、カプチーノなどドリンク類は、260円から。ああ、こんなお店が、自分の勤め先の近くにあればなあと思う。
 毎日、東新宿という都会の僻地みたいなところに通っているので、表参道に来る時は、おのぼりさん気分。東新宿は、ランチ状況もきわめて貧しいので、違う場所でランチできる時は、どこで何を食べるか、まるでこの世で最後のランチを食べるかのごとく、慎重にかつ張り切って店選びをしてしまう。
 そして、このカフェのなかに、JEAN FRANCOISというおいしそうなベーカリーも入っているのも発見。 すかさず週末用にパンを買う。ガレット・マングー(マンゴの甘いパン)やチーズとトマトを巻き込んだのとか、ビターなショコラを入れたパンとか。
 おいしいパン屋さんを見つけると、やたら嬉しい。

 表参道はどこを歩いてもきれいで、ブランドのお店は激増しているし、皆きれいにしていてリッチそうに見えて、「ワーキングプア」問題なんて遠い国の出来事みたいだ。なんて、ひとりでいると、ついあれこれ考えてしまう。
 こんな私も、誰かの目には一見「リッチそう」に見えるのかもな、とか(全然そんなことはないのだが、でもまあ、青山の美容室へ行き、ちょっと高めのパンを週末用に買うくらいのことは、かろうじてできる)。

 さて、午後休んだとはいえ、やけに盛りだくさんで家に帰った時は、ふらつくくらいくたびれていた。
 ロクシタンのヴァーベナ・フォーミングバスのお風呂につかって、今はちょっと復活気味。
 帰りがけに、Ku:nel7月号を購入した。特集は「野原ですること」。 
 クローバーの花輪の女の子の表紙は、見ているだけで和む。
 穂村弘さんの記事もあるので、あとでゆっくり読むのが楽しみ。

 こんな金曜の午後が毎週すごせたら嬉しいんだけど、そうはいきません。
 今日のんびりしたせいで、来週前半は、残業続きだろうなあ。 
 月刊のものをつくっているので、ひとつ終わったと思うと、もうすぐ次が始まり……の繰り返し。
 今は仕事的には、完全に「秋」の気分。

 というのは、まあ、とりあえず忘れて……今はまだまだ楽しい金曜の夜です。

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2007年6月 4日 (月)

ネパール・チキンカレーは月曜の夜につくるものじゃない

 今夜は、昨日つくりそこねたネパール・チキンカレーに挑んだ。
 Img_0847_1 しかし、玉ねぎを茶色になるまで炒める→トマトの角切りを入れてペースト状になるまで炒める→スパイス投入→チキンを入れてよく混ぜる→20分煮込む→じゃがいもとにんじんを入れて、さらに15分煮込む→ガラムマサラを入れて5分……という行程は、月曜の晩ご飯につくるもんじゃないなと思った(笑)。ぐったり……。やっぱり週末のものですね。
 このよく炒め続けるという過程に、アシスタントがいてくれると、とっても助かるのだけれどなあ。

上の写真は、玉ねぎとトマトを炒めている段階。まだまだ先は長い……

Img_0851_2
野菜も入って、やっとカレーらしくなった。

 カレーのスパイスセットは、 フェア・トレード団体のネパリ・バサーロ(ネパール女性たちが自立を促進するために活動しているグループ)のもの。
 数種類のスパイスが1回分ずつ、小袋に入っていて、とても便利。2回分のスパイスセットが1箱に入って500円ほど。私は、荻窪のグルッペというオーガニックなお店で購入している。
 で、このカレー、スパイスだけで、いわゆるカレールウは一切入っていない。
 玉ねぎを茶色になるまで炒める→トマトの角切りを入れてペースト状になるまで炒める~スパイスを加える、という段階のものが、カレールウ的な役割を果たすというわけ。 
 これがさっぱりとして本当においしく、胃にもたれない。
 カレーというものは、野菜を炒めたり煮込んだりしたものとスパイスをベースに、肉や魚を加える料理なんだなということが、よくわかる。もちろん、野菜だけのカレーもおいしい。
 カレールウというのは、牛脂だのなんだのと油分が凄く多く使われているのだ。

 今日は、仕事が出張校正の日で、出先から直帰してしまうので、いつもより余裕があるので、こんな料理をしていたわけだが……。
 今の職場は、入稿までが一苦労で、出校後~校了まではむしろ楽。
 以前、某月刊誌で進行管理をやっていた頃は、校了日は「嵐」のようであった。
 その代わり、今は小刻みに忙しい。

 あー、でも食べたらどっと疲れが出た。
 昨日やりそびれたアイロンかけまで、できるだろうか……。
 11時からは「ER」が始まるし。

 ところで、カレーをつくりながらJ-WAVEを聞いていたら、例の社会保険庁のずさんな管理のためとんでもないことになっている年金のことをやっていた。うーむ、気になる。
 何度もの転職、フリーランスの頃の国民年金、派遣、払いたくても払えず本当に未納の時期、さらには元夫の扶養の時期までごく僅かだがあり(これはもう記録としても、条件的にも抹消されているだろう=というか、なんだかもうよくわからない)、自分ですら混沌している。
 こんな人生を送ってきた私はどうなるのでしょうか。
 もういやだ、こんな国。やっぱり北欧に生まれればよかった。
 北欧は、平和だけどちょっと退屈という話も聞くけど、退屈で結構だ。
 そして、夏は、まる1か月間、森で暮らすのだ……。
 と、カレーを煮込みながら妄想モード。

 こんなとりとめのない1週間の始まり。
 と身辺雑記風に(多分、今日だけ)。
Img_0853

 

<本日の晩ご飯>
 ネパール・チキンカレー
 水菜のサラダ
 ピクルス
 チャパティ(生協の冷凍の)

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2007年6月 3日 (日)

しかしほんとうに価値あるものは、君が台所で作りだすもののなかにある。

 もう6月になってしまいました。春でもないし、まだ梅雨でもない、狭間の季節。
 この分だと、夏休みも9月の誕生日もあっという間にやってきて、今年も……なんて、思うのはやめよう。
 一日一日を大切に(笑)。でも、この時の流れの早さは、恐るべし……。

 さて、今夜は、本格的なネパール風チキンカレーをつくるつもりだったのだが、夕方から妙に体がだるくなりやる気が失せ、せっかくターメリックをチキンにすり込んで下ごしらえをしていたのに、急遽、予定変更。熱もないのに、何なのだろう……。
 Img_0845 そこで、晩ご飯は、簡単につくれて体にやさしいものにした。
 ツナごはんとラタトゥユ。ツナごはんは、玄米ご飯の上に、スライスした玉ねぎとツナ缶のツナを乗せ、レモンを絞り、お醤油をかけるだけ(有元葉子さんレシピ)。昨日、茹でておいたソラマメもツナに入れて、旬の味をプラス。
 だけど、ソラマメは鮮やかなグリーンに茹で上がらないものが、ちらほら……。
 ラタトゥユは、今くらいの季節から夏にかけてよく登場するメニュー。冬場のミネストローネみたいな感じ。出来たてのアツアツもおいしいし、冷めてもおいしい。ズッキーニとパプリカとトマトと玉ねぎをドライミックスハーブで調理。
 本当はナスがあると、おいしいんだけど、今日は、冷蔵庫にあるものでつくったので。

 最近、佐野元春の「in motion 2003―増幅」というアルバムを聴いている。
 ジャズっぽい音をバックに、佐野元春が詩を歌うように朗読しているもの。
 これが結構よくて、佐野元春が紡ぎだす独特な言葉の洪水のなかに身を浸していると、なぜだか幸せな気分。

しかしほんとうに価値あるものは、君が台所で作りだすもののなかにある。
世界でいちばんありふれたホイップクリームは君のなかで求心的だ。
味に代わりばえのしないスープもまた君のなかで求心的だ。
――“ベルネーズソース”より

 なんていう一節は、いかにも佐野元春っぽいというか、彼しか書けないものだと思う。

 ところで。
 こんなふうに、他愛のない日常を綴るのもブログのよさかなあなんて思うんだけど、どうなんでしょうか……。
 まあ、私の身辺雑記なんて、求めている人もいないだろうけれど(笑)。
 なんだか最近、映画を見たらそれだけに関してきっちり書くとか、妙に構えてしまって、そうなると、なかなかエントリーできなかったりして、書くスタイルについて迷っていた。
 と迷うほどのことはなく、好きに書けばいいんだけど。
 最近、こんなブログ→WALKING IN THE RHYTHMをよく覗いているのだが、仕事、日常、食べもののこととか、サラッと綴ってあって、こういうのはこういうので、まったく見知らぬ他人が読んでもわりとおもしろくて、新鮮。 
 読んでいくうちに、どうやら編集者であることがわかったり、同じ中央線沿線の住人であることもわかって、行く店がかぶっていたり、私も面識のある某編集者と会っていたりして、おお!と思ったり。
 初めは、女性だと思っていたので、働き者で男気があってさっぱりしていて、忙しくてもちゃんとご飯をつくって食べる人、という イメージだったのですが、途中から男性であることが判明。すると、フェミニンで料理上手で、優秀そうな男性編集者、というイメージに(笑)。
 マメに自炊している様子があると、やはり女性と思い込んでしまう。
 ブログのタイトルは、フィッシュマンズの曲名。

 で、私も触発されて、こんなサクサクとした身辺雑記風もいいかなと思ったのだけれど、やはり、平日も頻繁に更新することは無理かな……。
 まあ、自分のスタイルで気長にやっていきます。

 話はいきなり変わって、このところの雑感。
 人って、何かの「渦中」にいると上手く判断できなかったりするんだなあと思う。
 というのも、私は、過去の恋愛経験もあまりいい思い出がなかったり、結婚も失敗したりして、「愛情関係」に関しては何かが欠落した人間だと思い込んでいた。
 でも、それって自分だけでなく、相手側にも問題があったんだなあってこと。
 むしろ私は、あまり成熟していない男性に甘えられるパターンが多かったようだ。
 その関係性の真っ只中にいると、自分も相手もよく見えなくなってしまうらしい。  
 それを、全部とは言わないけれど、私が大部分悪いと思い込んでいた。
 で、いきなり翻って相手が悪いと責任転換する気はないけれど、逆に自分が悪いとばかり思っていても、何もよいことはない……ということだ。 
 私が結婚したのは、不安定で問題の多い家庭に生まれ育ったので、安定がほしくて焦燥感にかられており、結婚すれば解消できると思い込んでいたから。
 それ故、自分のことも相手のこともきちんと見極める目を持っていなかった。

 ということを実感するのは、今、私を大事に思ってくれる人と出会えているからかも。
 ああ、私って今まで随分、邪険な扱いされていたんだなということに気づくこの頃。
 もう二度と、そういうところには戻りたくない。

 というわけで……。
 「映画と離婚にまつわるちょっとシリアスな思い出」につなげようと思ったのだけれど、時間切れなので、次回に持ち越しです。

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