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2007年3月に作成された記事

2007年3月25日 (日)

かもめ食堂――大切な誰かとテーブルを囲む幸せ


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 公開時に見逃していたかもめ食堂、 WOWOWでやっていたので、ようやく観ることができた。
 かもめ食堂はフィンランドが舞台、というわけで、今週末はフィンランド特集(笑)。 
 小林聡美、片桐はいり、もたいまさこが主演、というだけで、その空気感が伝わってくると思うので、あまり説明する必要もないかなと思う。

 主人公は、フィンランドで「かもめ食堂」というレストランをひとりで経営しているサチエ(小林聡美)。
 でもお客はなく、来るのは日本のアニメおたくの青年だけ。日本語堪能なフィンランド人で「武士道」と漢字が描かれたTシャツなんかを嬉々として着ている。彼とのやり取りが絶妙で、こういう人、ヨーロッパに、ほんとにちょこちょこっと、いそうだなと思わせる。
 そんなかもめ食堂へ、日本からふらりとフィンランドにやって来たミドリ(片桐はいり)ややっと両親の介護から開放されたという、マサコ(もたいまさこ)が吸い寄せられるように集まる。
 そしていつしか、かもめ食堂を手伝うようになり、閑古鳥が鳴いていた食堂は、連日大賑わい……と、ストーリーは単純なのだけれど、その世界は奥深く、フィンランドを舞台にしながら、日本人らしさがとってもいい感じに出ている、静かで味わい深い映画だ。
 
 小林聡美の清潔感のある美しさ、穏やかで温かみのある人柄、彼女がコーヒーやお茶を煎れる時、料理をする時の、Img_0750見ていて気持ちがいい手際のよさ、片桐はいりのすっとぼけた味わい、もたいまさこの強いて笑わせようとはしていないのに、思わず笑わずにはいられない微妙な間の取り方、淡々とした演技などなど、本当に素晴らしくて、楽しい。
 3人の魅力がいっぱいで、TVドラマの「やっぱり猫が好き」「すいか」(すいかは、私の人生のなかでもっとも好きなドラマ)ファンには、こたえられない。
 あちらこちらに北欧のテーブルウェア(イッタラとかあの辺の)やインテリアが上手く使われていて、マリメッコ のテキスタイルの洋服も次々登場するし、その辺のディテールも北欧好きにはたまらなく、見ていて飽きない。
 とにかく、食べものや飲みものが本当においしそう! コーヒーを煎れるシーンでは、コーヒーの芳しい香りが画面の向こうから匂い立つようだし、シナモンロールのシナモンの香りや(見ていると、ほんとに今すぐ食べたくなる!)、鮭の焼ける匂いや炊き立てのほかほかのごはんの匂いまでしてくるようだった(ちなみに今夜の晩ご飯は、早速、鮭の塩焼きに決めた私)。
 コーヒー煎れる時に「コピ・ルアック」とおまじない唱えてしまいそう(影響を受けやすい私/笑)。「コピ・ルアック」の意味を知りたい方は、ぜひ映画をご覧ください!

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かもめ食堂のインテリアは、白にブルーグレイっぽい色がアクセントになっていて、シンプルでよかった。白木のすっきりとしたテーブルとかも。自分の部屋も北欧風にしたい欲求がむくむくと……。 
フィンランド、行ってみたくなりました。
ムーミンもいるしね。

 観て真っ先に思ったのは、これは今の日本女性がとっても求めている映画なんじゃないかなということ。ハリウッドの恋愛ものでもなく、SFXを屈指したアクションものでもなく、犯罪ものでもなく……。
 食べること、毎日を丁寧に送ること、そんなことの歓びが伝わってくるようで、少々疲れ気味だった最近の日常に、しみじみと潤いを与えてもらった感じ。
 3人のファンで、北欧好きで、食べることが好きで、という女性――それもあまり若くない/笑――のツボを上手く押さえているなと思った。ものを創るならこれくらいツボを押さえまくる必要もあるのかもなあ、なんてことも思ってしまった。
(また年齢に関わらず、雑誌クウネルの読者だったら、大好きになりそうな感じ)

 そして、見終わった後には、むしょうに料理がしたくなる。何かおいしいものをつくりたくなる。自分のためだけではなく、大切な誰かと一緒にテーブルを囲むために……。それって、人生で一番幸せなことなんだと思う。
 映画のなかでも、「コーヒーは自分で煎れるより、誰かに煎れてもらった方がおいしい」という言葉があったっけ。
 いい映画でした。身体にやさしくておいしいごはんをゆったりとご馳走になったような気分で、「ごちそうさまでした」と言いたくなります。

☆おまけ~フィンランド・グッズじまん☆
Img_0749十数年前に購入したフィンランドのアラビアのマグ。
左のマグは釣り、右のマグはバードウォッチングの絵で、いずれもいかにも北欧らしい冬景色。400mlくらい入るかなりの大容量で、内側もこげ茶っぽい色で、あまり繊細な感じではないので、紅茶やコーヒーよりスープ向き。
今はもうどこにも売っていない、大切なマグです。

 ☆北欧グッズ好きな方へ☆
おすすめのサイト biotope へどうぞ。
北欧の有名デザイナーによるテーブルウェアなどの通販ショップ。
かもめ食堂に置かれていたヌルメスニエミのコーヒーポットもあります。
でもほとんど売り切れ……北欧ブームなんでしょうか。

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元教育大臣オッリペッカ・ヘイノネン フィンランド学力世界一の秘密――「下流志向」な日本と比べると……

 先月2月12日にNHKの未来への提言という番組で「元教育大臣オッリペッカ・ヘイノネン――フィンランド学力世界一の秘密」(聞き手:東京大学教授 佐藤学)という特集をやっていた。
 ヘイノネン氏は若干29歳で教育大臣に就任(現在42歳という若さ!)、フィンランドの教育改革を推し進めてきた人だ。経済協力開発機構(OECD)の国際的な学習到達度調査(PISA)で、フィンランドは世界一の成績をあげたのだ。
 ヘイノネン氏は、まず真っ先に「大切なことは機会の平等」ということを語っていた。
「教育は投資、国の競争力に関わる問題」とも。
 90年代の初め、フィンランドは失業率20%だっだが、教育水準の底上げを図り、ノキアなどのIT産業は目覚ましい発展を遂げ、現在は世界トップクラスの経済国になったそうだ。
「国民全体の教育レベルが上がって、世界に通用する人材が育成できる」
「教育こそが、国全体の競争力を高める」

 と、意図がとても明快で、「子どもたちの未来のために」とか何とか曖昧な言葉で語らないのが印象的だった。
「不況を抜け出すには、人という資本に投資すること」が何より大事だと判断したそうだ。と言って、グローバリゼーションのための競争に奔走している感じはなくて、温かみのある教育態勢――何より若いヘイノネン氏そのものが、心が深く温かみのある人物!――というのも、非常に印象に残った。
 フィンランドは、スパルタ式の詰め込み教育ではなく、教育現場に大きな裁量権を与え、教師のやり方を尊重し、各学校で独自のカリキュラムで自由に教えられるようにする、という方式を採用した。それによって、教師の意欲が上がったとのこと。厳しく管理すると、モチベーションが下がりダメになるという。
 また、教師の社会的地位も高い。なれるのは志願者の1割程度で、修士号を取得しないといけない。その他、クラブ活動は他の先生が受け持つ、残業はほとんどなく、研修などに積極的に参加できるシステムになっているなど、日本の教育現場の人たちはどう思うだろう。日本からもいろんな人が視察に行ったり、フィンランドの教育システムについて本も出ているけれど、道は遠し……という感じ。すぐに、競争に勝つための学力、と短絡的に考えて、ゆとり教育から一転、何かとんでもないことを考えそうで心許ない。
 さて、フィンランドでは、どんな地域でも平等にと、国内すべての学校にPCを潤沢に設置したのも、ヘイノネンさんが、これからのIT社会の到来を見据えての早くからの措置だった。
 なぜノキアなどが進出できたのか、その鍵となるようなヘイノネン氏の興味深い言葉を記しておく。

○変化が激しく情報があふれる時代に対応できてなくはいけない。
            ↓
○未来が予測できない時代。人々が一生の間に何度も仕事を変えるような時代。めまぐるしく変わり、周囲に膨大な量の情報があふれている。
            ↓
○変化に適応して、生き抜くために自分で自分を導いていかねばならない。
            ↓
○そのためには、自分自身を知らなければならなない。自分の内側から新しいことを学ぼうというモチベーションが生まれなければいけない。

○新しい出来事に対処する能力は、将来思わぬ問題が起きた時、解決する能力になる。

○他者と協力する力、周囲とコミュニケーションする力(つまり言葉)が重要。
 フィンランドは昔からスウェーデンやロシアなどから侵略を受け続け、小さな国がそういう中で生き残るには、周囲とのコミュニケーションが欠かせなかった、という歴史的背景もあっての理念だそうだ。

 そして、教育の根本は「リテラシー=情報を読み解く力」、これがすべての基本となるそうだ。
 確かにそれをしっかり身につければ、、学校を卒業した後、将来思わぬ問題が起きた時に自分や状況を分析する力になるだろうし、職業の場でも、大きく関わっていくことだと思う。
 日本では、若い人たちのワーキング・プア問題がさかんに取り上げられるようになっていて、私もこのブログで書いたことがある。→こちら を参照。
 その時は、社会が悪いというような物言いをしていたが、社会、というより教育の問題が大きいかも知れないと今は思う。
 正に、日本の教育は、上述のヘイノネン氏が掲げていることと逆の状態だから。つまり、「変化に適応できずに生き抜くことができず、自分で自分を導くことができない。そのためには、自分自身を知らなければならないのに、自分を語る言葉を持っていない」という状況を生んでいると思うのだ。
 そして、「自分の内側から新しいことを学ぼうというモチベーションなどまったくない」というわけで、内田樹氏の著書のタイトルどおり『下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち』という現象が生まれてしまったのだと思う。
 私などは、大まかに括ると詰め込み教育の世代なのだろうけれど、その弊害はあるにしても、その中でかろうじて情報を読み解く力はある程度は培われた気がする。

 その他、フィンランドでは家族の収入に関係なく平等な教育と食事(給食費も学費もすべて無料)が与えられるという。日本もそれくらいしてもいいんじゃないかなあ。一部の突出したエリートを輩出させるより、「機会の平等」の方が日本人の国民性に合っていると思うのだけれど……どうなんでしょう?

 それからさらに、日本のいじめ問題はこういうことが理解されていないから起こるのだ、と思わせられるヘイノネン氏の言葉。

○人はそれぞれ違う。人は自分と異なる人を受け入れ、コミュニケーションを取ることができる。そのことは自分の強みになることを気づくべき。
          ↓
○他人を理解するには、自分を知らなければならない。

○自分が価値ある存在であることを自覚できれば、他の人もまたかけがえのない存在であることを理解できる。
          ↓
○――といったことを教えるのが、教育の役目。

○他人を傷つけたり、他人を脅威と見なすような自己中心的な人間にしない。

 これにはいたく共感。この反対をやるとモラル・ハラスメント的、ということになるのだと思う。つまり、他者に対して攻撃的な人というのは、実は他者を脅威と感じているからなのか……なるほど納得!

 後半、ヘイノネン氏は、現代の状況と大人である自分たち世代が果たさなくてはいけない役割についてこう締め括っていた。

○現代は、変化のスピードが速すぎて多くの人が精神的にまいっている。走り続けることに疑問を抱く人が多い。

○あまりにもたくさん選択肢があることが人々の重荷になっている。そして、生きていく道しるべがない。

○次世代の大人になる力が弱まっている。変わらないものはある、という大切なことを教え引き継いでいくのは、私たちの責任。
          ↓
○彼ら(今の若い人たち)の時代を築くチャンスを与えること。

 日本は、若い人にチャンスを与えず、自分の取り分をきっちり確保し自己保身に走る「大人」が多いってことだなあ。だけど、長い目で見れば、それは自分で自分の首を締めるようなことでもあるわけで……。

○大切なのは、知識だけではなく、洞察力。走り続けるなら、それは失われる。

○これからの教育は、ペースを落とし、一人ひとりにより深く考えさせられることができなければ。

○自分の頭で考え、自分の心で感じたことを信じること。
            ↓
○他の人も、同じように自分の頭で考え、自分の心で感じたことを信じていることを尊重すること。

○今を生きる子どもたちには可能性がある。
 想像性を引き出し、モチベーションを高め、内なる洞察力を手にすることができれば、幸せな未来が待っている。

 最後に、「学校のためではなく、人生のために」という言葉があった。
 かつての詰め込み教育の弊害は、この辺にあるかもしれない。人生のためではなく、学校だけのために勉強して学校のために生きていた、というような……。それ故生きる力が弱く、次世代や子どもをちゃんと育むことができないのかも。

 と、子どもがいない立場の私があれこれ言うのは気が引けるけれど、今の若い人たちや子どもたちの状況は、シングルの私でも凄く気にかかっている。
 何しろ、世間の片隅からではあれど、一応ちょっぴり送り手側に立っている人間としては、リテラシーの著しい低下によって、受け手がいなくなるってこともあり得るわけで。というか、それはすでに始まっている気がするし……。
(ちなみに、フィンランド人は大人から子どもまで読書好きの人が多く、図書館の利用率も凄く高いらしい)

 それにしても、日本のお役人でヘイノネン氏のように深く「洞察」できる人はどれだけいるのだろうか? 

 フィンランドがすべて正しく、それをすべて真似すればいいというものでもないのだろうけれど、現代というものを見極めた上でのヘイノネン氏の理念やフィンランドの社会全体で教育を支えるという方針は、素晴らしいと思う。
 こんなふうに税金が使われるのであれば、シングル子なしの私だって、喜んで税金を払いますとも!(ま、今だってしぶしぶ払ってますけど)。

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2007年3月21日 (水)

テス――美しすぎるが故に

 Tess 先日、BSでロマン・ポランスキー監督のテス をやっていたので、久々に観た。観るのは、2度目だけれど、新鮮な気持ちで堪能した。ナスターシャ・キンスキーのなんと可憐で初々しいことか! 
 原作はトマス・ハーディ、19世紀末のイギリスを背景に、貧困と精神の高潔さ、身分違いの恋や結婚などがテーマで、これもまた、正に『本格小説』的な作品。
 主人公のテスが、美しすぎるが故に起こる悲劇。そんな役を違和感なく演じているのが、本当に美しいナスターシャ・キンスキー(当時は、まだ10代だった?!)。
 テスが金持ちのアレックスの愛人になった時点で、普通だったら、自分の美しさを武器にして何が悪いと、満足し妥協してしまえるのに、なぜかテスはそこに安住しないのである。
 悲劇に至るまでの理由には、いろいろな経緯があるのだが、一言で言ってしまうと、テスは俗物になりきれず、精神の高みを目指してしまうからだ。それもほとんど、無意識的に。しかし、高貴な気持ちで生きていきたくても、彼女の家庭は貧しく、現実はあまりにも厳しく過酷で、それでいて彼女は美しすぎた。普通の容貌で男がすり寄ってこなければ、社会の底辺でひとりの労働者として終えることができたのだろうが……。
 テスはアレックスのもとを自ら去り、その後、エンジェルという美しい名を持つ牧師の息子と心を寄せ合い、ようやく結婚にまで至る。しかし、テスは良心の呵責にさいなまされ、エンジェルにかつて愛人であったことを打ち明ける。許してほしいとテスは懇願するのだが、エンジェルはそれを受け入れることができず、家を出てしまう。そして、テスは……。待ち受けているのは、抗うことのできない残酷な運命。
 テスは堕落して愛人になったのではなく、半ば自分の家族の人質のような形で、泣く泣くそうなったのに、それを責めるなんて酷だ! 本当に愛しているのなら寛容な気持ちになるべきなのに……と、この辺は、現代の日本人である私が観ているとかなりもどかしいというか、いや、むしろ腹が立ってくるのだが、当時のイギリスというのはそういうものだったのだろう。厳格な牧師館で育ち、キリスト教にがんじがらめにされたエンジェルは、結局テスを失うことになるので、彼もまた、哀しい運命を背負った人間である。

 物語は悲劇的だが、映像とテスが美しいので、観ていて心地よい。
 イギリスの風俗が、農民から上流まで、丁寧に描かれているので、それだけでも見応えがある。特に私は、冒頭の春のお祭りか何かで、テスをはじめ少女たちが草原の中で白いドレスを着て踊り回るシーンが好きだ。
 そして、テスが後に愛人となる金持ちの息子、アレックスの元を初めて訪ねるシーン。彼に、苺は好きかと聞かれ、テスがフレッシュならと答える。じゃあこれを食べてごらんと言われ、自分で食べると答えるのだが、彼はテスの口に苺を運ぶ。Img_0706
 ささやかだけれど、その後のテスの運命を象徴するかのようで、でも仄かに官能的で、はっとさせられる。テスの貧しいながらも目一杯お洒落したドレスやストローハット、ルビーのように真っ赤な瑞々しい苺やバラが庭の緑に映え、本当にきれいだ。
 この前は、マノエル・デ・オリヴェイラ(ポルトガルの監督)の「アブラハム渓谷」という映画を観たけれど、この映画も美しすぎるが故に満たされない女性を主人公にしていて、やはり映像がとてもきれいだった。こちらは、どのシーンをとっても完成された構図と光と色彩で、油絵を一枚一枚観ているような感じだった。ポランスキーの「テス」は重いテーマながら、もう少し軽快な、というか、全体に風が吹いているようなイメージで、美しい写真集を次々にめくっていくような映画だった。

 もしテスが現代に生きていたら、どんな人生を送っただろうか。
 現代が幸せな時代であるとも思えないのだけれど……運命に翻弄される昔の女性の物語に触れると、そんなことを思ってしまう。

 メイキングやインタビューたっぷりのプレミアム・エディション版のDVDテス がほしいのだけれど、あまりに哀しい話なので、繰り返し観るかどうか……ということで、購入はちょっと迷っている。

☆おまけ☆ 
 Img_0742さて、テスを観ながらのお友は、紅茶とクッキーに旬の苺を添えて。
 関西の方から、おいしいクッキーをいただきました。本店は神戸で、関西方面でしか買えないTSUMAGARI (ツマガリ)というお店のもの。地味な店名だなあ、地名なのかなと思ったら、経営者が津曲(ツマガリ)さんというのだそうで。
 お皿の上にあるのは、ブラックハートという名前のカカオを練り込んだパイとエダムチーズのパイ。他にも、胡麻クッキー、緑茶クッキー、チョコレートやココナツやナッツのクッキーと、たくさんの種類が詰め合わせになっていて、箱を開けた時はちょっと狂喜乱舞(というのは大げさですが/笑)。小麦粉を少なめにバターを多くしているそうなので、軽くてサクサク、でも素材がいいので、味はしっかりしている(口当たりがやたらよいので、食べすぎ要注意だが)。
 いろいろなお菓子を知っているつもりでも、まだまだ知らないものがあるなあと思った。東京では買えないけれど、焼き菓子類は通販で入手できるとのこと。HPを見たら季節限定の紅玉のパイが凄くおいしそう。でも最近、甘いもの食べすぎだから、これは今年の秋までおあずけにしておこうかな……。
 私はこの季節、甘いものに苺を2つ、3つ添えるのが好き。
 紅茶は、フランスのJanatのMerci。苺の果肉と花にバニラの甘い香りのブレンドで、春めいた気分にさせてくれる。
 至福のひと時です。

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2007年3月11日 (日)

ヘレン・ミレンとアンブリッジローズ

 第79回アカデミー賞授賞式のダイジェスト編を見る。
 ケイト・ブランシェットが、まるでアール・デコの絵画から抜け出たように美しかった。
 そして、ヘレン・ミレンも素敵だった。ふんだんにレースをあしらったアンティーク風のドレスで、後ろの腰の辺りにやはりアンティーク風のブローチがひとつ。華やかなのに決して過剰ではなく、とてもきれいだった。ああいうドレスは、若い人よりある程度年を重ねた女性の方が甘くなりすぎず、似合うのかも。
 そのヘレン・ミレンは、見事、主演女優賞を「クィーン」で獲得。
 今回のアカデミー賞のノミネートの中では一番見たい作品。その名のとおり、英国の現エリザベス女王を描いたお話。私は、エリザベス女王って結構好きだ。チャールズ皇太子の、今ひとつ頼りない感じと比べると、頼もしいというか(笑)。ヘレン・ミレンも女王のことを「威厳と責任感を持った人」とスピーチで語っていたけれど、感傷に流されずいつも毅然としている姿が、清々しい。故・ダイアナ妃とは非常に対照的な人物だと思う。
 ヘレン・ミレンは、大好きな女優さんのひとり。「コックと泥棒、その妻と愛人」のような妖艶な役から、「カレンダー・ガールズ」の英国カントリーの主婦まで、幅広く演じられる深みのある女優だ。「第一容疑者」という、英国のTVドラマシリーズの捜査官役も凄くカッコよかった。前にNHKで放送していたのだけれど、あのドラマ、もう一度見たいなあ。

 そのほか、「バベル」(ノミネートされた菊地凛子が出演)、「あるスキャンダルの覚え書き」(ベテラン、ジュディ・ディンチとケイト・ブランシェットが主演!)、「リトル・ミス・サンシャイン」(主演の女の子が可愛い!)などが、おもしろそうだった。
 それにしても、毎回思うのだけれど――よくコメディアンの人たちが司会をこなしているけれど、本当に芸があるというか、上手いなあと思う。攻撃的にならない程度の皮肉を盛り込みつつ、ユーモアたっぷりに進める。字幕でも充分おもしろい。
 だから、この手の授賞式ものは、日本のタレントがごちゃごちゃと出てこない、字幕付きの総集編で見ることにしている。本当は1から10まですべて見たいのだけれど、さすがに時間が……(笑)。

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 「クィーン」はこのGWから公開なので、楽しみ。

 というわけで、英国にゆかりの深いバラの画像で――昨日の夜まで、まだ蕾だったバラが、どんどん花開いている。
 ころんとしていた蕾からは想像できなかったのだけれど、開くと、花びらが幾重にもびっしり詰まったオールド・ローズ風。私はこういうバラが好き。アンブリッジローズという英国の種類で、アプリコット色に薄いピンクを混ぜたような微妙な色合い(青山フラワーマーケットでまたこのバラを買ってこよう)。
 この香りを届けられないのが残念。

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2007年3月10日 (土)

週末の和みもの

 先週水曜日の出来事 も、今となっては現実感を伴なわず、日常の隙間に一瞬見た、悪い夢のようにも思われ。
 とはいえ、月曜は奇妙な暖かさと暴風で、でも週末に近づくにつれまた寒くなり天候の移り変わりが激しく、そして振り返ってみれば外出の多い1週間で、終わってみると、私はがっくりと疲れていたのです……。

 ――と、「拝啓 父上様」風?に(笑)。
 初回見てなんだかベタな気がしてやめてしまったのだが、高山なおみさんの日記(リンクにあるふくう食堂を参照)を読んだらおもしろそうなので、先週試しに見てみたら、本当に結構よかった。神楽坂という実在の街が舞台だし。板前の修業をしている男の子は、初々しく可愛らしいんだけれど、調理場に立つときりっとしている。真ん中を飛ばして見ても、ストーリーを追えるのもいい(笑)。
 神楽坂の開発も絡んでいて、舞台の古い料亭がビルになるという、古きよきものが消えていくこともテーマになっていて、切ない。『本格小説』の三枝三姉妹が「どんどん軽く醜くなっちゃって」とでも言いそうな設定。

 そんなわけで、今週末はどこへも出かけず、静かにすごすつもりだったのだが……壊れた圧力鍋の部品が届くも、何をどうやっても噛み合わず、取り付けることができない。これは不良品か? 2時間くらい格闘するけれど、結局ダメで時間を無駄にしてしまい、うんざりし非常に不機嫌になる。
 圧力鍋の蓋というものは重く大きい。収納場所のないうちの台所、僅かなスペースにとりあえず置いておくのだが、必ず落ちる。何度も落としているうちに、ついに取っ手の一部が欠けてしまったのだ。元の価格が安いだけあって、やはり丈夫にできてないなあと思ったり、この台所の使いにくさがいけないのだと、だんだん腹が立ってきたり。
 落ちるようなところに平気で置いてしまう自分のズボラさは棚に上げ、最近ロクなことがないなあとか、絶対引っ越してやる!とか思いつつ、今日の午後はカリカリ、イライラしていた。生理前だからだろうか。

 圧力鍋の蓋の取っ手はあきらめ、とりあえず掃除を終えた。
 それから、お茶など飲み、おもしろくておいしい豆腐が冷蔵庫に用意してあるのも思い出し、できるだけ気を取り直し、落ち着くことにした。
 で、週末を楽しくおいしくすごすための和みものを紹介します。 
 Img_0724_2最近よく話題になっている男前豆腐店と関係があるのかないのか、よくわからないけれど、この波乗りジョニーがおいしい。3つつながっているのを切り離し、封を開けたらプリンのように逆さまにして、パカッとお皿にあけて、スプーンですくって食べる。
 濃厚な味なので、醤油より塩の方がおいしい。生姜やネギなどの薬味も少し加えるけれど、塩だけでシンプルに食べるのもいいかもしれない。

 そして、青山フラワーマーケットで買ったバラ。手書きのポップに、千葉のどこそこの○○さんがつくったもので、香りのよいバラです……云々とあったので、それに惹かれて選んだ。Img_0733
 確かに、よい香りがする! 市販のバラはほとんど香りがしないのだけれど、これはほんのり爽やかで甘いリンゴのような香りがする。イギリスのバラ園でか いだ香りと近いので、感動。生のバラって、それほど濃厚な香りではなく、小ざっぱりとした爽やかな香りがするものなのだ。
 この前の桃の花のように、美しく開いていくれるだろうか。
 青山フラワーマーケットって、いい花屋さんだなと思う。

 あとは、山田詠美の新刊『無銭優雅』 (むせんゆうが)を読む予定。
 「恋は中央線でしろ!」という帯文にあるとおり、中央線が舞台の恋愛小説。特に、私が住んでいる西荻の辺りがよく出てくるので、おもしろい。でもって、主人公たちの年齢もあまりお金がないという設定も自分に近い……。男は、なんと「ずっと、西荻近辺から出たことがない」。

 こうして、ひとりの男を待つのはいいもんだ。確実に帰って来るであろう男の不在は、何よりの鎮静剤だ。私は、帰って来るかどうか解からない人を待ち続けた経験が何度かある。その時の焦燥感は耐え難いものだったけれども、やがて慣れた。それと同時に、その人に対する思いも薄れた。来ない待ち人は、恋の対象から外れて行く。今にも私の許にやって来る、その姿が明確に描けない人には熱中出来ない。片思いの出来ない女、それが私だ。待たせた分だけスキップの足取りを軽くしてやって来る。そういう男と親密になりたい。いわゆる大人の恋なんてもん、知らないね。私は、いつだって、互いに会いたがっている仲になりたい。それでこそ、会えない時間が隠し味になる。やがて抱き合った二人の体が、熱で半田付けされたみたいにつぎ合わされる。ひとりで過ごす至福は、二人で向き合う恍惚の手下。大人気(おとなげ)に見放された私が、ようやく見つけた、彼は、私の、宝物。――『無銭優雅』より

 相変わらず、分別臭くなっていない「大人」が登場し、素敵。
 恋は中央線でしろ!と命令されてしまったので(笑)、ここはひとつ、ぜひ従ってみたい気分。主人公のふたりは、中央線でどんな恋を展開していくのか、楽しみだ。

 やはり、週末はカリカリせずに穏やかにすごしたいものです。

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2007年3月 7日 (水)

私に似た誰か

 今日の午前11時半すぎ、JR新宿駅の地下道での出来事。
 出張校正に出かけるため、私は急いでいた。
 と、男に「すみません」と声をかけられる。以前も駅でそういうことがあり、「怪しい人」と思い込み、無言で立ち去ろうとしたら、電車を尋ねたい外国人(アジア人)であったことが後でわかり、反省したことがあるので、一応立ち止まることにしている。
 が、今日は、「捜査に協力していただきたい」などと言われる。ちょっと驚きつつも、話だけでも聞いてあげようかと立ち止まると、さっと「警察手帳」らしきものを見せられ、どこそこ(何と言っていたのか、今は思い出せない)へ同行してくれと言う。途端に頭の中が疑問マークでいっぱいになる。「警察手帳」を覗き込もうとすると、男は私によく見えるようにとぐっと差し出す。
 ドラマとかでよく見る黒い手帳ではなく、定期を2つ折りにしたようなカードケースに一応本人の写真付きのIDらしきものと警察署のマーク。だけど、それが本物なのかどうか、本物が今ここにない以上、比較することができないから、見極めることは不可能。あの「黒い手帳」ではないので、なんとなく偽造したおもちゃのようにも見える。
「こんな格好なので、怪しまれるかもしれませんが」とも言われる。
 男は、確かに普通のシャツにジャンパー(だったか、ダウンだったか)というような感じで、若くはないが、年配という感じでもなく、中年の中肉中背の男。

 手帳を見つめつつ、「これ、本物なんですか? 信じられません」と主張する私。
 詐欺事件の横行する昨今である。
 新手のナンパか? しかし、なぜこんな若くもない私に声をかけるのか? 変質者か?とさまざまな思いが過ぎり、「仕事中なので」と振り切ろうとすると、あれは何なのか、まったく振り切ることのできない、妙な圧迫感に包囲され、逃げることができない。
 これはもう、本物の警察官か変態か、どちらかに違いないという気がしてくる。
「じゃあ、駅の人に聞いてみてもいいですか」
 と私が言うと、男は「ええ、行きましょう」と改札の横の案内コーナーに立っているJR職員の元に悠然と歩いてゆく。動きもシャキシャキしているし、やはり本物?という気持ちにもなってくる。でも、わからない。
 男は、そのおもちゃのような手帳を職員に見せる。
 すると、職員は「間違いありません」と、男の存在を警察の者だと肯定するではないか。
 そして、そこから少し離れたところで、「私服警察官」は、私にこう尋ねる。
「実は、あなたによく似た年格好の方が被害に遭われ、それで捜査しています。ひとつだけ、お聞きしたいしたいのです。ご苗字を言っていただけますか?」
「Oです」
「わかりました、結構です。ありがとうございました。もしも、誰かに警察を名乗られたりした場合は、ぜひ今回のような対応をなさってください。ご気分を害されたら申し訳ありません、ご協力ありがとうございました」
 私服警察官は、最後は丁寧に礼を言い、私は瞬時に解放された。
 私は、会釈もせずに足早にその場を立ち去った。
 お礼を言われても、全体的に高圧的で怖いという印象をもった(私の表情は終始こわばっていたはず)。私は「もしかしたらの被害者」としての扱いなのに。まあ、警察官が不必要にやさしくても困るが……。

 東京方面の中央線に飛び乗っても、胸がざわついていた。
 初めに「あなたによく似た年格好の方が被害に遭われ、それで捜査しています」の一言があったら、こちらの対応も違ったのに、いきなり「同行してくれ」とはいったい……。結局、その場の会話の2、3で済んだことなのに。コミュニケーション・スキル低すぎでは? 捜査に協力してほしいのなら、相応しい物言いというものがあるだろうに。
 しかし、結局、何をどう言われても、不信に思ったに違いないが……。
 また、もし彼が、警察官の制服を着ていたら、こちらの対応も少しは違ったかも(それはそれでまた怖いことかもしれないが)。

 こういう「ドラマ」のようなシチュエーションに出くわすと、何かバーチャルな印象を抱き(笑)、「絶対嘘だ」と思ってしまう自分がいることにも気づいた。
 とにかく、こんな出来事は今までの人生で初めてのことだ。びっくりだ。

 「あなたによく似た年格好」と言われたのか、「あなたくらいの年格好」と言われたのか、よく覚えていないが、その時は、黒いナイロンのコートにジーンズにぺったんこの黒い靴という、えらくカジュアルな格好だった私。そんな人は、この季節、いくらでもいると思うのだが。
 いつもそんなラフなスタイルが多いので、年より若く見られることが多い。だから、本当の「被害者」の人の方がずっと若いのでは、と思ったり。

 そして、電車に乗ってから、確かに出先に向かっているのだけれど、なんでこんなに急いでいるんだっけ、私は?とふと思い出したら、出張校正に向かう前に、神保町のおいしい讃岐うどん屋さんでお昼を食べるため、12時前に到着しなければ!(お昼時は行列するので)と、えらく焦っていたからだった(笑)。 
 ろくに話を聞こうともせず、焦って振り切ろうとする私も、ちょっと不信に見えたかもしれない。

 無事にうどんを食べて、出張校正をし無事校了となったのだけれど……途中を思い返すと、今日は変な日だったなと思う。
 横断歩道で男子高校生とぶつかり恐ろしい目付きで睨まれたし、午前中も、外部委託先のある方とちょっとゴタゴタがあったのだが、自分の落ち度にはまったく言及せず謝りもせず、こちらに責任転換するという、芸術的とも呼びたくなるくらいの現実の否認ぶりに呆気にとられ、怒る気力も失せていたのだった。
 だから、校了後、これからは何もなく、無事家に戻れますように、と祈るようにして寄り道せずにとっとと帰途についた。
 
 で、何事もなかったので、こうしてブログを書いています。
 ご飯も食べずに書いていたので、これから晩ご飯をつくります。
(こういう時、話を聞いてくれる誰かが家にいてくれたらいいのになあ、とちょっと切実に思ったりして)

 それにしても、容疑者を追っているのならわかるが、被害者を探しているというのはどういうことなのか、なぜ被害者の名前がわかっているのか、なぜわかっている のに探しているのか、いったい何の事件なのか、いったい何があったのか、さらに、その被害者は生きているのか……そんなことまで考え始めてしまう。
 「私に似た誰か」とは、誰なのだろう?
 ということから、想像力を膨らませ、ロアルド・ダール張りのミステリー仕立ての短編のひとつでも書くことができたらよいのだけれど、私はせいぜい讃岐うどんを食べられてほっとしているだけだ。

 今、この表紙の絵の気分。
Img_0722

『あなたに似た人』ロアルド・ダール

 

 
 

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2007年3月 4日 (日)

桃の花

 1日遅れの、昨日のひな祭りの画像。
 と言っても、何をしたというわけでもなく、桜まんじゅうを買っただけ。中味は普通の餡で、薄皮にほんのり桜の葉の香り。普通の桜餅の方がおいしい気がした(笑)。
 Img_0712そして、手前に少し映っているのは、青山フラワーマーケット で買った桃の花。
 初めは枝に堅い蕾が付いているだけで、枝ものを花屋で買ってもたいてい花開く前に枯れてしまうので、あまり期待していなかったのだけれど、これは満開になった。
 お店でもらってきたチラシによると、この桃の花は「曙」といって、香川県の福家(ふけ)さんという園芸家により育種されたもの。品種改良を重ね、「きちんと開き、しかも咲いてかも長持ちし、枝の木肌はとてもきれいなもの」を目指して作れられたのだとか(農薬も極力減らしたとのこと)。
 確かにそのとおりに、美しく花開いてくれた。健気で可愛らしい。
 そう言えば、お正月の切り花も青山フラワーマーケットで買ったことを思い出した。松や南天の中に、堅い蕾の付いた雪柳が一本あって、しばらくしたらちゃんと殻がはじけ、中からビロードのような雪柳が芽吹いたのだ。
 青山フラワーマーケットは、最近、駅ビルのなかでよく見かけるチェーンの花屋さん。自分で好きなように花を選んで手に取れるので、結構気に入っている。
 価格も手頃で、自分のために買う「普段用」の花としては、最適。

 それにしても、今日は暖かすぎるくらいで、まだ一度も暖房をつけていない。
 外を歩いても、仄かに沈丁花の香りが漂う。
 春が近いのは嬉しいけれど、早すぎる春というのも、なんとなく不安な気持ちにさせられる。でも、明日はまた寒いのだとか……。

 ここ最近は、仕事上でとほほな出来事が相次ぎ、つまらないことに振り回されている。責任を持ってくれる上司がいないため、面倒な交渉を私のような立場の人間(今はまだ嘱託なのに!)がやらざるを得なくて、先週の金曜の夜は、さすがに疲れが出て、胃がしくしく痛くなったりした。早めにゆっくり寝たら、なんとか持ち直したけれど。
 それでも、時給で働いていた頃や労働規定も何もあったもんじゃないという状態や横暴な上司が君臨し支配されていた頃に比べたら(私ってどういう人生を送ってきたんだ?!)、まあ、許容範囲ってところだろうか。
 稼働日が少ない2月、でも給与はいつもと変わらない額をもらえる、というだけで(時給制の派遣だともろに影響を受ける)、祝福されている気がする……と思うことにする。
(それにしても組織として問題ありすぎなんだけど)

 でも、春になったら、オープンテラスのあるカフェで食事をしたいなあ、それから、おもしろいドラマが始まらないかなあ(『ハケンの品格』はだんだんおふさげが過ぎてきて、ややしらけ気味)、などなど、そんなことをぼんやりのどかに思ったりもしている……日曜の夕方でした。
 
 話は変わって……。
 哲学者の池田晶子さんが、先月ガンで亡くなっていたことを、先日知った。
 ついこの前『人生のほんとう』を読んだばかりなので、ショックだった。
 まだ40代半ばで、これからという感じだったのに……。
 素晴らしい江戸漫画を描いた杉浦日向子さんも、確か、同じ年くらいで亡くなっている。
 おふたりとも、生身の人間の人生を、どこか超越していたような感じもあったから、「こんな浮き世には、そろそろおさらばしなさい」と、あちら側に呼ばれてしまったのかな……。
 満開から、やがて散りつつある桃の花を眺めながら、ご冥福をお祈りしました。

  いつ終わるかわからないのが人生。 
 一日一日を大切に……と、改めて胸に刻んだ。
 

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