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2007年1月に作成された記事

2007年1月28日 (日)

真冬の味と本と音と

 今週末もいつものように野菜スープづくり。
 最近は野菜の具沢山のミネストローネが続いたので、今回は塩豚を入れたポトフ風にしてみた。ふだんはほとんどお肉は食べないのだけれど、たまには豚肉のビタミンBや鶏肉のコラーゲンなどを、寒い冬は摂取したくなるので。
 Img_0634_2さて、この塩豚も手づくり。豚の固まり肉(私は脂身の少ないモモ肉を使用)全体に塩(ゲランドの粗塩)とドライハーブをまぶし、すり込み、ラップにぴっちりくるんで、冷蔵庫で2、3日に寝かせる。そして、圧力鍋にひたひたの水を入れ、20分くらい高圧で火にかける。するとこんな、まるで上質なハムのような塩豚が出来上がる。生活クラブ生協で注文すると、800グラムのモモの固まり肉が980円くらいなので、とってもお得(ひとりだと、スープ3週間分くらい食べられる)。
 で、この塩豚をにんにくや野菜と一緒にさっと炒め、塩豚をつくった時にできるスープも入れ、白ワインを少し加えて、煮込むだけ(スープに入れない場合は、スライスしてマスタードを付けてもおいしい)。
 ベースになっているレシピは、大好きな高山なおみさんの高山なおみの料理 というレシピ集にある「塩豚と黒豆とソーセージのスープ」から。野菜が入らないおかずっぽいスープなので、私は自己流で野菜をガンガン入れて、逆にソーセージは抜いて、黒豆ではなくいんげん豆にしている(お豆も一度に茹でて冷凍したものを使用)。
 高山なおみさんは、料理研究家なのだけれど、エッセイとかの文章も味わい深くて好きです。独特な情感があるというか。「お気に入りのサイト」のところに彼女のHPのリンク(ふくう食堂)を張ってあります。ちなみに、私と同じ西荻に住んでいるそうですが、まだお見かけしたことはないです。あと、高山なおみさんも、フィッシュマンズ好きなのが嬉しい。

 冬はたいていこんな感じで週末にスープをドカンとつくり、晩ご飯にして食べ続ける。パンと合わせたり、パスタの付け合わせにしたり、ご飯を入れてリゾットもどきにしたり、アサリとカレー粉を入れてカレーにしたり(これは有元葉子さんのアイデア)と、さまざまに展開できるのが強み。 
 残業があってくたびれた時も、家にスープがあると思うと、なんだかほっとする。
 今よりうんと貧乏な時も、やはりこんなふうにスープをつくって、しのいでいた。キャベツとか小松菜などを足していくと、無限に増え続けるし(笑)。とにかく安くできるわりには、栄養バランスもいいし、湯気がほかほか立っていると、ひとりでもわびしい感じがしないし。
 私の冬の暮らしを支えてくれるメニュー。 

 Img_0639さて、こんな熱々の素朴なスープに合う本が、新潮クレストブック、アリステア・マクラウドの彼方なる歌に耳を澄ませよ (海と灯台の写真をあしらった美しい装丁)。
 かつてハイランダー(スコットランド高地人)と呼ばれた誇り高き人々が、カナダの島に移住してからの、世代を超えた雄大な物語。 
 ここには、今の日本人が忘れてしまったもの、捨て去ってきたものがぎっしりと豊かに詰まっている。
 自分の祖先や故郷を誇りに思い、忘れないこと。家族、一族の絆を大切にすること。
 彼らは、「どんなときにも、身内の面倒をみるのを忘れるな」という掟を守り続ける。男たちは、カナダ東端の島の荒々しい海で働き、炭坑の仕事をし、身体を張って生き、家族を守る。そして、お酒が大好きで陽気で、パブで歌い踊る。ゲール語の曲を何曲も覚えている。
 馬や犬たちとは、ほとんど一心同体となり、労働を共にする(決してペットではない)。
 スコットランドからカナダへ一家が海を渡るため、小舟に乗った時のシーンが感動的だ。長年連れ添ってきた犬を置いて行こうとするのだが、その犬は海に入って泳ぎ、小舟の後をどこまでも付いていこうとする。戻れと叫んでも、犬はどこまでも付いて来て、がんばり続ける。一家はついに犬を連れて行くことを決意し、追いついた犬を引き上げる――というシーンは、何度読んでも目頭が熱くなる。

――この小説には、愛する主人たちを乗せた小舟のあとを追って、どこまでもどこまでも泳ぎつづける犬がいる。情が深すぎて、がんばりすぎる茶色い犬たちがいる。そして、そんな犬そっくりな人々がいる。
 彼らはうたう、ケルトの昔から伝わる自分たちの歌を。その歌声は、父祖の時間や土地から遠く離れ、新しい生活を選ぶ途上にあって、いつかどこかで歌を見失ってしまったわたしたちにも、不思議に優しく懐かしい。
豊崎由美さんの書評―裏表紙より)
 
 時は流れ、主人公の語り手の「私」は歯科医になり、豊かな都会的な生活を享受している。一方、氷の張った湖に落ちて死んでしまった両親の代わりに、家族を支え働いてきた頼りがいのあった兄は、今はアル中の飲んだくれで、すさんだ生活をしている。そんな兄に会うと、「私」は微かな後ろめたさを感じる。
 やがて、落ちぶれた兄の胸中にあるものを「私」は知り……作者マクラウドの、弱い者や転落してしまった者の内面に寄り添う、暖かい眼差しがある。読んでいて胸が熱くなる。「負け組」だのなんだのという、さもしい言葉は存在しない。こんな感情もまた、日本人が失いつつあるものなのかもしれない。
 煩わしさからいろいろなものを捨ててきた私たちは、では、いったい何を手にしたのだろうか? そんなことをしみじみと考えさせられる。

 本のなかの、自分に近い生活や性格の主人公に感情移入したり、共感するのも楽しいけれど、この『彼方なる歌に耳を澄ませよ』のように、遠い国の異なる文化の、まったく異なる世界に心を震わせ、思いを馳せるのも、読書の醍醐味であり歓びであると思う。
 むしろ、そのためにこそ、文学というものはあるのかもしれない。
 本=文学は、まさに「彼方なる歌」なのであり、読者はその歌に耳を澄ませるのだ。
 原題は、"No Great Mischief"――たいした損失ではない。
 読んでいくと、この言葉の意味するところの大きさがわかってくるのだが、日本語のタイトルとしては、『彼方なる歌に耳を澄ませよ』でよかったと思う。
 自分のちっぽけさを突きつけられているようで、それがまた清々しいと思えるような、力強い魅力に満ちている本だった。

 Img_0647_3ところで、スコットランドといえば、タータンのキルト(決してスカートとは呼ばないらしい)。タータンというのは、それぞれの家柄の独自のパターンで、日本でいうところの「家紋」にあたるそうだ。
 私は、それこそ前世はスコットランド高地人だったのでは?と思うくらい(笑)、このタータンに心惹かれる。また、スコットランドの暗い荒波の海や高原などにも原風景的なものを感じる。残念ながら、スコットランドには行ったことはないのだけれど……。
 これは、随分前に伊勢丹であった英国展の時につくったキルト。
 気に入ったタータンを選び、一枚の生地からプリーツを寄せて仕立てるという、本物のキルト。このタータンは、「ピーター・マッカーサー エインシュイント・マッカラム」という名前なんだとか。いかにもな感じの名前。調べてみたら、どんな家系かわかるかも。
 お気に入りで、10年以上、大事に履いている。

 そして、本のBGMはスティングのラビリンス 。スコットランドの音楽ではないのだけれど、ぴったりだった。
 あのスティングが、17世紀のダウランドの曲を歌っているアルバム。ダウランドは「17世紀はじめのポップ・ソング」などとも呼ばれているらしく、「流れよ、わが涙」とか、ちょっとメランコリックでエモーショナルな曲が多い。バックはリュート一本。
 Img_0649渋いスティングの声が、意外なほど静かなダウランドの曲に合い、なかなか新鮮な響きで、いかにも冬向きの音。
 クラシックで有名なGrammophonから出ているのも、ちょっと珍しいパターンかも。

 相変わらず、食べる、読む、聴く……というひきこもり週末をすごしている。
 心は、世界の彼方へ飛翔しているのだけれど(笑)。

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2007年1月24日 (水)

コトコト煮込んだおでんを食べながら、華麗なる一族

 先週末は、珍しく自分のうちでおでんを煮込んでみた。レシピは、何年か前のLEEに載っていた高山なおみさんのもの。
 昆布とかつを節の出汁をたっぷりとって、お酒と塩を入れる。下茹でした大根と具を入れて、沸騰させないように静かにゆっくり煮込む。
 練り物は添加物が心配なのであまり買わないのだけれど、生活クラブ生協で「おでん種セット」というのがあったので、それを注文した。あとは、大根とじゃがいもとこんにゃくと油揚げなんかも入れてみた(結び昆布を用意しなかったのが残念)。

Img_0614 というわけで、今夜のメニューは、週末につくったおでんとお正月の残りの玄米もち(冷凍保存しておいた)と青菜炒め。できれば、お酒などと一緒につまみたいが、平日なので我慢する。
 とにかく、出汁を取るのや大根の下茹でなどがちょっと面倒だけれど、おでんは自宅でつくるに限ると思ってしまうおいしいさ! レシピには4時間くらい煮込むとあったけれど、その半分の時間でも充分。つくり置きしておけば、いい感じに味がしみてくるし。

↑おでんの画像って、色気ないなあ(笑)。

 新宿の某おでん店なんか、絶対食べたくない――つゆが、しょうゆだらけでしょっぱいから――と思ってしまった。
 高山なおみさんも、ある居酒屋で食べたおでんがおいしくて、そこで秘伝を聞いたそうだ。その秘密は、透き通った煮汁。味付けはしょうゆ、みりんを使わず、塩のみ。煮汁が濁らないよう、沸騰させずに弱火でコトコト根気よく煮ていくこと。

 おでんやの女将なんていいかもなあ。ものを書いたりするより儲かるんじゃないかしら。宇野千代の若い頃みたいな着物を着て、カウンターに立ったりして……などと、しばし妄想に耽る。

 さて、コトコト煮込んだおでんを食べながら、録画しておいたTBSドラマ「華麗なる一族」第1話と2話を一気に見た(職場の女性たちがあまりに話題にしていたので、つい私も見ることに)。
 昭和40年代、高度経済成長期の頃を舞台に、神戸のある財閥一家が繰り広げる、正に華麗なる一族の物語。その影に叶わぬ身分違いの恋などもあり、読んだばかりの『本格小説』を思い出す。でも水村美苗の描く『本格小説』の世界はフェミニンだなあと思う。
 比べると、「華麗なる一族」の原作は山崎豊子、昭和のあの頃の、銀行や製鉄会社という「超男社会」の世界で、エネルギッシュで計算高い男たちやしたたかな愛人が登場し、ゴリゴリとした感じだ。
 TVドラマにしてはスケールが大きく、なかなかおもしろいので、今シーズンは「華麗なる一族」を楽しみにしようと思う(木村拓哉の髪型がちょっと今っぽいのが気になるが)。

 それにしても……週末と今夜と、2日おでんを食べて思った。おでんは、飽きる(まだいっぱい残っている)。
 野菜スープなんかだと、毎日続いていも平気なのに。やっぱり、練り物は添加物なしでも続けては食べられない。
 高山なおみさんのおでんレシピにあったリード、「人が集まる時は、必ずおでん。前日から、鍋でコトコト煮込みます」というのを読み返し、ちょっと寂しくなる。
 誰も集まらないのに、こんなにいっぱい煮込んじゃって、どうするのだ、私。
(教訓=ひとりおでんは避けるべし……)

 今度の日曜日の「華麗なる一族」は、またいつものようにミネストローネを食べながらになりそう。

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2007年1月21日 (日)

懐かしくて甘い思い出

 不二家のことについては、いろいろな人がいろいろなことを言っていると思うので、ここではごく個人的な思い出話を書いてみようと思う。

 私は幼い頃、家庭の事情で一時期、祖母に預けられていたことがある。
 3つになるか、なる前か、私は祖母と一緒に買い物へ行った。まだよちよち歩きだった私は、祖母の背中におぶってもらっていた。
 そして、お菓子屋さんの店先で、おぶわれた私は、ちょうどいい高さに不二家のパラソルチョコレートがたくさんぶら下がっていて、それをひょいと手にしてそのまま持ってきてしまった。
 家に戻ってから、私の手のなかに買った覚えのないパラソルチョコレートを発見した祖母は、後日、また私をおぶって、お店に謝りに行って、お金を払った。
 お店の人も、あらまあ、とかなんとか言っただけだった(と思う)。
 お店のものはお金を払わなければいけない、ということもわからない、自分と世界の境界がまだ曖昧だった頃。そういう時期を、もの心つく前と呼ぶのだろうか。
 とにかく、もの心つく前の子どもにとっても、思わず手を伸ばしたくなるほど、不二家のパラソルチョコレートは魅惑的だったということだ。
 最近は売られていたのかどうかわからないけれど、当時は、本当に小さな子の手にすっぽり入るくらいの大きさで、その名のとおり、傘の形のチョコレートで、真ん中にプラスティックの傘の柄が入っていて、ペコちゃんの顔のきれいな包装紙でくるまれていた。

 この不二家のパラソルチョコレートの思い出は、だから、祖母が私をおぶって歩いてくれていた記憶とセットになっている。
 私の母は、遅く生まれた末娘だったので、祖母は当時すでに60代半ばくらいだったはずで、その苦労を思うと、なんだかいたたまれない気持ちになる。
 お店に謝りに行く時、私をまたおぶって連れて行ったのは、私の教育のためではなく、単にひとりで家に置いておけないからだったと思う(祖父は昔に亡くなり、まだ独身だった叔父と同居していて、昼間は祖母と私だけだった)。
 なんで乳母車を使わなかった?と思うのだけれど、戦時中、帯に闇米を詰めて歩いていたような人だったから、そんなものを押すより、おぶってしまった方が手っ取り早かったのかもしれない(そんな祖母も、もう十数年前に92歳で大往生したが。明治の女は強靭だった!)。それに、私たちが小さい頃は、「おんぶ」というものはまだまだ見かけたし、一般的だったと思う。

 それからしばらくして、母の元に戻り、ある年、母が不二家のひな祭りケーキを買ってきてくれたことがある。
 デコレーションがあまりにきれいだったので、私はケーキを食べる前に、じっと眺めながら座り込み、「ひな祭りケーキのお話」をつくってひとりで喋っていた(まったく、どんな話をつくっていたのか、タイムスリップして聞いてみたい)。

 また、こんな思い出もある。
 地方に住んでいた大好きな従姉妹たちのところに、夏休みや冬休みに遊びに行くのは、小学生の頃の私にとっては、大イベントだった。そして、3つ上の従姉妹のおねえさんが、父親からなんとかお小遣いをせしめると、子どもたちだけで、駅前の不二家に何か食べに行くのも一大イベント。
 食べたのは、パフェとかホットケーキセットとか、そんなものだったと思うけど。
 とにかく、お菓子屋さん、ケーキ屋さんというものは、街の小さな洋菓子屋さんか不二家くらいしかなかったのだから。昭和40年代~50年代初頭頃のお話です(笑)。
 でも、不二家くらいしかなかった……と今だからこそ言えるけれど、当時は不二家だけは地方へ行ってもどこに行っても駅前にある、「安心な」お店だったし、そういったレストランやケーキから袋のお菓子やチョコレートまで、甘いものの世界は、不二家で夢のように彩られていたのだ。
 パラソルチョコレートのほかにも、メロディという一粒ずつのチョコレートやホームパイだとか、わくわくするようなお菓子がいっぱいあった。

 時は流れ、かつて不二家のパラソルチョコーレトを無自覚的に「万引き」した私は、PAULのパルミエもおいしいけれど、たまには懐かしい不二家のホームパイでも買ってみようかしら、なんて思っていたのだけれど……すべて撤去されてしまっているそうだから、もう口にすることはできないのかもしれない。

 日本人の30代以上の人は、誰でもこんな思い出を持っているはずだと思う。
 企業の不祥事があると、またかよと思うだけだけれど、今回は、そんな幼い頃の思い出が一気に蘇えってきて寂しい気がした。
 ミルキィはママの味……というコピーが今は虚しく響くばかり(ミルキィを食べていたら、虫歯の詰め物が取れちゃった!という思い出もあり/笑)。
 
 不二家の懐かしくて甘い思い出は、記憶のなかだけで輝いている。

*追記
 個人的な思い出から切り離し、社会的にどう見るか、「この事件は現代日本企業の知的退廃を象徴する出来事」と捉えている内田樹氏のブログが非常に参考になります。
こちら→「不二家」化する日本

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2007年1月13日 (土)

星の王子さま★小さな王子さま―砂漠が美しいのは

 昨年末に、NHKでサン=テグジュペリの特集番組をやっていた。案内役は、南果歩。前から好きな女優だったけれど、今回もサン=テグジュペリの世界の空気を損なうことなく案内役を務めていて、とてもよかった。もう40代前半だけれど、今でも少女のような雰囲気があり声が可愛らしい。それでいて、落ち着いているし(他人事ながら、某作家と離婚してくれてつくづくよかったと思う/笑。今のダンナさまの方が100万倍素敵)。
というわけで、以前のブログで、『星の王子さま』について書いたことを思い出し、その時の文を元に新たに書き直してみました。

 Ppサン=テグジュペリの『星の王子さま』は、昨年、日本での著作権が切れたので、新訳出版がいくつか出ている。私は、みすず書房の山崎庸一郎氏訳の小さな王子さま が気に入っている。池澤夏樹氏訳の星の王子さま は、小型で布張りのとても素敵な装丁だけれど、やはり山崎庸一郎氏の方が、私にはぴったり来た。巻末の訳註も充実しているし、これを読むだけでも、新たなサン=テグジュペリを発見できる。さて、訳は翻訳者によって、どれくらい違うものなのか扉にある文を比べてみると……。



★星を出るにあたって小さな王子さまは、渡り鳥の移住を利用したのだと思います。(山崎庸一郎訳)

☆脱出の機会を得るために王子さまは、野生の鳥の渡りを利用したのだろうとぼくは思う。(池澤夏樹訳)

 こんなにも違ってくるものなんですね。池澤氏の方がもしかしたら原文に近いのかも知れないし、きっぱりしていてこれはこれで味があるのだけれど。でも、昔、岩波版のちょっと甘い感じ(?)の内藤濯訳に親しんでいたせいか、何か違うなあと感じてしまう。
 それから、山崎氏が『小さな王子さま』としたのは、

本書での題名は原典に忠実に『小さな王子さま』としたが、「星の」という語を付加して王子さまを外側から場所的に固定することを避ける意図も含まれている。

――だからだそうです(訳註より)。

 ところで、『小さな王子さま』って、こんなに深い物語だったのかと改めて心打たれるのは、こんなところを読み返した時。

「あのころのぼくはなにひとつ理解できずにいたんだ! あの花を、言葉ではなく、してくれたことで判断しなくちゃいけなかったんだ。あの花はぼくをよい香りでつつんでくれたし、ぼくの気持ちを晴れやかにしてくれていた。ぼくは逃げ出しちゃいけなかったんだ! 見えすいた策略の向こうに愛情を見抜いてあげなくちゃいけなかったんだ。花たちって、とてもちぐはぐなことを言うもんだから! でもぼくは幼すぎてあの花を愛することができなかったんだよ」

 王子さまが自分の星に残してきたバラのことを思って言う言葉。
 愛し合っているのに、愛しすぎてしまったが故にお互いの首を絞め合うようにして別れざるを得なかった、切ない恋愛映画のようなセリフ。「あの花」というのを、誰か女性の名前、フランソワーズとかマリアンヌとか女性の名前に置き換えたら、まるでトリュフォーの映画の一場面みたい。
 実際にサン=テグジュペリは、ブエノスアイレスで出会ったコンスエロという奔放な女性と激しい恋に落ち、結婚したのだけれど、葛藤の多い関係だったそうだ。彼女はファム・ファタール、いわゆる悪女的な存在。このわがままなバラは、コンスエロだといわれている。
 ふたりとも深く愛し合っていたのに、互いに激しい性格で似ているところがありすぎて、そして理想を追い求めるあまり、ぶつかってしまうことが多かったらしい。

 また、空軍の偵察飛行部隊にもいたサン=テグジュペリは、戦争の暗い影とは無縁ではなかった。この物語そのものも敬愛するユダヤ人の友人に捧げているし、バオバブの木はファシズムを象徴している、など幾重にも深く読み解くことができるそうだ。
 青年時代に経験した弟の死も、反映されている。
 そして、サン=テグジュペリ自身も44歳の時、偵察飛行中に行方不明となってしまったのだ(飛行機の残骸の一部が最近見つかったそうだけれど)。

 NHKの番組で印象的だったのは、サン=テグジュペリとコンスエロとの膨大な手紙(近年、発見されたらしい)。コンスエロからの手紙の封筒は、どれも乱暴にびりびりと破かれていた。サン=テグジュペリは、きれいに封を切るのももどかしいくらいに、コンスエロからの手紙を心待ちにしていたことが読み取れる。
 メール時代の今は、こういう痕跡はもう残されることもないのだなあと思うと、ちょっと寂しい気もした。メールは、データが消失してしまえば、跡形もなく消えてしまうのだし……。
 それから、サン=テグジュペリが乗っていた小型飛行機も保管されていて映像に出てきたけれど、鉄と鉛の固まりというか、よくこんなもので空を飛んでいたなあという印象をもった。操縦席も人ひとり座ると、もういっぱいだ。機械だけれど素朴で、コンピュータ制御の現代と比べると、なんというかモノと人の関わりが密接だった感じ。
 たった100年間での、大きな変化をしみじみと感じた。
 そういう時代だったから、当時、飛行機で空を飛ぶことは命をかけた危険な任務だったはず。
 そんな危険を冒しながら、夜間飛行で手紙を運んでいたサン=テグジュペリは、やはりロマンティックな人だったのだろう。

 それにしても、こんなものを小学生の頃に読んでいたのか……と大人になった今思う。
 でも、この物語の素晴らしいところは、そんな深読みができなくても、十分楽しめること。本質的な部分は、子どもにもきちんと伝わるのだと思う。私自身は、当時はよくわからない部分も多かったけれど、それまで読んできた物語とは違うことを子どもながらに感じた。
 ほろ苦さを含んだ、複雑な悲しみの感情。たぶん、『星の王子さま』を通して、「孤独」というものに初めて触れたような気がするのだ。

「星空が美しいのは、見えない一輪の花があるからだよ……」 
わたしは「そうだね」と答え、なにも言わずに、月の光に照らされた砂の襞をみつめました。
「砂漠は美しいね」と、彼は言いそえました……それは本当でした。わたしはずっと砂漠を愛してきました。砂丘のうえに腰をおろします。なにも見えません。なにも聞こえません。にもかかわらず、なにかがひっそりと輝いているのです。
「砂漠が美しいのは」と、小さな王子さまは言いました。
「それはどこかに井戸を隠しているからだよ……」
わたしは、突然、この砂の謎めいた輝きのわけがわかってはっとしました。少年だったころ、わたしは古い家に住んでいましたが、そこには宝が埋められているという言いつたえがありました。もちろん、だれもそれを発見した者はいませんでしたし、たぶんそれを見つけようとした者もいませんでした。しかしその宝は家全体を魔法にかけていました。わたしの家はその中心深くに秘密を隠していたのです……。
Le Petit Prince 『小さな王子さま』 サン=テグジュペリ/山崎庸一郎訳/みすず書房より

 目に見えなくても、どこか――魂のなか――に井戸や宝ものを隠して、不思議な輝きを放つ人間になれたらいいな、と思う。
 時代の移り変わりに関係なく、一生を通して、何度も読み返したくなる数少ない物語だ。

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2007年1月 2日 (火)

本格小説――狂おしい愛の果てには

 Mm1_1 水村美苗の本格小説 上  を、元日の夕方ついに読み終わった。
 
 上下ともに600ページ近くあったこの物語に、昨年の晩秋から寄り添って生きてきたような気がするので、終わってしまって寂しい。なんだかちょっと気が抜けてしまった。
 
 さて、この『本格小説』は、ブロンテの『嵐が丘』という悲恋物語を、日本に置き換えた恋愛小説なのだけれど、恋愛だけに留まらず、日本の近代から現代に至るまでの歴史や風俗がしっかり描かれているのが興味深かった。時の移り変わりを背景にしつつ、時代の波には抗えず、人生を選択することなどあり得なかった主人公たち。そういう宿命のなかに生きているからこそ、身分違いの恋という悲恋がリアリティをもって迫ってくる。
 とにかく、登場人物の描写が素晴らしい。本当に実在していたとしか思えないような、個性的な人々。
 
 そして、日本にもかつて、僅かながら存在していた上流社会。私はなんとなく、白洲次郎などの生涯を思い浮かべていた。しかし、この『本格小説』に出てくる上流社会の男たちは、白洲次郎のようにタフではなく、戦後、日本の社会に大きな役割を果たすこともなく、「女・子ども」を残し戦争や病気で死んでゆくのである。やがて、家そのものも次第に没落して、消えてゆく……。

 悲恋ものと聞いて、三島由紀夫の『春の雪』(『豊饒の海』の第一巻)などを想像したが、ちょっと違った。もうちょっと通俗的、メロドラマ的というか現代的というか。でも決して下品にならず、上品なのが持ち味。
 姉妹がかしましく登場するところは、谷崎潤一郎の『細雪』を連想したり。
 外国の小説では、『嵐が丘』以外に、やはり貴族の没落を描いたブライヅヘッドふたたび (イヴリン・ウォー)やハワーズ・エンド (E.M.フォースター)など(この2作品は、映画やイギリスの昔のドラマで見たもので、実は原作は未読だが)。
 現代のものでは、ジュンパ・ラヒリの『その名にちなんで』やアリステア・マクラウドの『彼方なる歌に耳を澄ませよ』などを思い出す。テーマは違うけれど、ある家族を何世代かに渡って描き、時代と社会の変遷を反映させ、大きな物語を展開させているところなどが共通している。
 というように錚々たる作品が浮かんでくるので、やはりこれはそのタイトルどおり、最近の日本の小説の世界では失われつつある、大きな流れを描いた本格的な小説、正に『本格小説』なのだと思う。
 それでいて、読んでいるとわくわくするほど面白いという、エンターテインメント性もあるのだ。
 
 また、どこか現実離れした悲恋ものがテーマだけれど、それをしっかりと支え、リアリティを与えているのは、Mm2巧みな語り手の視点(その語り手が変化するのがいい)と、人物や家の描写など、ディテールをきっちり描いているからだろう。
 軽井沢の別荘や成城のお屋敷。そこで繰り広げられる、英国貴族のような優雅なお茶の時間の様子なども、ありありと眼に浮かんでくる。
 語り手に「女中」の冨美子をもってくるのも憎らしいほどに上手い(しかしラストではまたそれが一度思いがけない形で覆される)。
 虚構を支えるには、そんなふうに確かな技巧と描写力が必要なのだと思う。小説でも映画でも。

 悲恋の主人公は、車夫の甥である、社会の底辺を生きる東太郎という男と良家の子女であるよう子。ふたりとも極端な性格だ。理屈でなしに、まるで磁石のように惹かれ合う。そして、ふたりの恋愛小説であると同時に、太郎がアメリカへ渡り、大富豪となるまでの立身出世物語であり、同時に、少年から男への成長物語でもある。
 それらが、戦後の貧しい時代を経て、日本の高度経済成長期、バブル期、バブル崩壊以降と、巧みにリンクしているのも読みどころのひとつ。
 どん底から這い上がり、異国の地アメリカで巨万の富を手にしながらも、結局、太郎は好きな女ひとりも手に入れることができない。追いかけても追いかけても届かないのだ。なんということであろうか、無常……という言葉しか出てこない。哀しい。

 物語のラスト近く、太郎は、よう子に「ずっと殺したいと思っていた」と語る。

――あたしが死んでも、殺したいって思い続けてちょうだい。
――僕が死んだって、殺したい。

 もう、このセリフでやられた。洋の東西を問わず、近年、私が出会ったあらゆる映画や小説のなかで最も官能的で、強烈な言葉だ。
 死ぬほど愛することの行く着く先、狂おしいほどの愛の果ては、殺したいってことなのか……。
 
 しかし、無常の人生であり、結婚という約束された形で生涯を添い遂げることはできなかったけれど、わずかな時間でもそれだけの密度で愛し合えたことは「幸福」なのかもしれない。その「幸福」は、誰もが手にできるような、凡庸なものではないのだろう。だから読み手は、太郎がヒースクリフのようによう子の亡霊を求めて彷徨い歩くのも、自然なこととして受け入れられるのだ。
 
 このセリフに到達するためだけでも1200ページを読んでも損はない!と私が保証いたしましょう(笑)。

 などと、感想をそれなりに書こうとするのだけれど、どうもはかばかしくない。だって、あまりにもこの物語の世界が深く豊かで、いくら言葉を重ねても、その完成された世界に届かないような気がするから。だから、面白い!と言うしかなくなってしまう。

 ところで、薦めてくれた同世代の知人と、映画になるとしたら、誰がいいと思う?なんて話し合ったけれど、全然浮かんでこなかった。物語のなかにも「最近の人は、皆、小物になっちゃって」というようなセリフがあるけれど、正にそのとおりだからだろう。
 浮かんでくる女優さんは、岸恵子とか原節子とか、昔の人ばかり。顔がきれいなだけじゃなく、話し方、立ち居振舞いも美しい人というと、小津の映画に出ていたような昔の女優さんしか思い浮かばないのだ。
 ただひとり、現代を生きる青年として登場した祐介だけは、私なりにぴったりの俳優を発見。西島秀俊 。どうでしょう? ちょっと頼りなげで、平凡そうでありながら危ういというか憂いを含んだところなど、ぴったりだと思うのだけれど。TVドラマ「アンフェア」でも、謎の編集者役だったし。北野武監督の「Dolls」という映画では、不思議な悲恋ものを見事に演じていたし。
 一方、そんな祐介とは対照的な太郎のキャスティングがまた難しい。野性的で長身、色黒、強烈な何かを放ちながら荒々しく、でも哀しみを秘めた男。
――僕が死んだって、殺したい。
 と、こんなセリフを言えるのは、若かりし頃の松田優作くらい? って、もう亡くなってるし……。思えば、病に冒されつつもハリウッド映画に狂気迫る演技で出演していた彼も、これからは世界を目指さなくちゃと言い続けていたそうで、アメリカへ渡った東太郎とどこか重なるではないか。死んだ俳優しか浮かばない、現代にはいない、というところが、東太郎という主人公のスケールの大きさを現しているかもしれない。
(まあなんにせよ、下手に映像化されない方がいいなと思う)

 とにかく、『本格小説』を読んでいる間は、美しい日本語によって、日常ではないどこか別の違う世界へ連れて行かれるという、なかなかに至福の時であった。

(そして、物語の構成上、すべて読み終わった後に、冒頭へ戻り読み返したくなる衝動にかられる小説でもある……ので、読み終えてしまっても寂しくないことに気づいた)

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2007年1月 1日 (月)

お正月に「羊飼いのパイ」

 大晦日の忙しい夜に、なぜかパイ料理を焼きたくなるという変な癖がある。
 今回も、お雑煮用の鶏スープを煮出しながら、その傍らでシェパーズ・パイなんかをせっせと焼いた(昨年は、サーモンとほうれん草のキッシュ)。
 Img_0609これは、その名のとおり「羊飼いのパイ」というイギリス(アイルランド?)料理。
 正式なレシピはよく知らないので、自分で適当につくっている。
 玉葱をよく炒めて、挽き肉を加え、ハーブ、ソース、塩、胡椒などで調味。軽く焼いたパイ皮の上に乗せ、その上にさらにマッシュポテト(クリームや牛乳は使わず豆乳でつくる)を乗せて、おろしたチェダーチーズをかけて、オーブンで焼く。
 ちょっと手間はかかるけれど、失敗がない素朴な料理。さすがにパイ皮までつくる余裕はないので、生協の冷凍ものを使用(本当はパイ皮は使わない料理らしい)。
 これが実は、本国イギリスで食べたのより、旨いっ!という自画自賛料理(笑)。
 アイリッシュパブなどで出しているところもあるけれど、日本の一般のレストランにはあまりないメニューなので、友だちが遊びに来たときなどにご馳走すると、結構喜ばれる。
 ギネスやワインにも合うし、自分ひとりのときはサラダとパン一切れをつけて、あとは紅茶で晩ご飯にすることもある。なんというか、ワーキングクラスのハイ・ティーという感じで楽しい。

 しかし、昨夜はなんだか焼いているだけで、お腹がいっぱいになってしまったというか……。
 「漢方生活」に入ってから、自宅ではほとんどお酒を飲まなくなったせいか、ますます弱くなって、久々にワインを飲んだら、すっかり酔っ払ってしまい、せっかく焼いたパイもあまり食べられなかった。
 Img_0613_2ワインを飲んだ後、年明けは景気のいいものをと、マドンナのライブ映像を観ていたのだけれど、ソファの上でいつの間にか気を失っていた……はっと気づくとラスト近くで、マドンナがレオタード姿で拳を振り上げて踊っていた。初めの頃はもうちょっとシックな衣裳だった気がするのだが(笑/でも、マドンナ、シビレます)。

……というわけで、微かな頭痛を抱えながら元旦を迎えてしまった(苦笑)。
 でも、なんとか持ち直して、生協のお節とお雑煮(は自家製)をしっかり食べた。
 昨年から生活クラブ生協(個配)に入ったので、おかげで買い物が楽になった。お節料理なんかも甘味が強くなくて、市販のものよりずっといい。食材も安心だし。
 
 そして、マドンナはまた別の日に観るとして、元日に選んだのは、クリスマスに放送されていたNHKのターシャ・テューダー(91歳のアメリカの絵本作家)の特集番組。
 美しい映像と温かいターシャの言葉。お酒も一滴も飲んでいないし、テレビもつけていないし……と、今のところは清浄な空気が流れている(笑)。

 ――と、相変わらず、自分の小さな部屋でパタパタとしている私だけれど、今年の抱負は……。
 
 とにかく、漢方を続けて、体調を整えること。この漢方というのが、地獄のようにまずい煎じ薬を自分で大量に煮出して飲んだり、乳製品や冷たいものやお酒を控えたりと、受け身ではなく、主体的に取り組まないといけない部分があり、治療にも体力と気力がいる。
 お金もかかるし。でも、それだけに、治してもらうというより、治るのだ!という気合いも出てくるので、自分には有効だと思っている。

 身体が元気になったら、心も元気になると思うし。
 そうして、生活のための仕事以外にも、自分の作品の執筆も再開したい。

 それから、今年はアパートの更新やって来るので、引っ越しする!も大きな課題(もうこの部屋にはちょっとうんざりしているので)。

 また、できれば、東京からちょっと離れて、小さな旅行もしてみたい。

 あまり欲張りになってもいけないので、こんなところかな? 
 皆さま、今年もどうぞよろしくです。

(今夜の晩ご飯は、お正月なのに早速、羊飼いのパイと紅茶にしようかな……この気ままさもひとり暮らしならでは/笑)

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Gott Nytt Ar!!☆トーベ・ヤンソンを想いながら、新年おめでとう!

Gott Nytt Ar!! 
 スウェーデン語で、新年おめでとう(よき新年を)! 
(本当は、Aの上に小さな○が付くのですが、特殊文字が出ませんでした)

 クリスマスにトーベ・ヤンソンのことを書いたので、引き続き、新年第1号も大好きなトーベ・ヤンソン特集です。
 トーベ・ヤンソンというと、海のイメージがあり夏を連想するけれど、ムーミンシリーズには冬を舞台にした物語もあり、それが実にいいのだ。外の自然が雪に閉ざされているせいか、ちょっと内省的になっていて、哲学的だったりもする。
 北欧の冬の暗い海に想いを馳せるのもまたよし――ということで、トーベの世界へどうぞ!
 
 さて、自伝的な作品彫刻家の娘 は、彫刻家のパパと暖かいママに見守られ、フィンランドの自然のなかでのびのびとすごしたトーべ・ヤンソンの子ども時代のお話。そこに繰り広げられるのは、本当にムーミン谷さながらの生活。
 
 銀色に輝く素晴らしく美しい石を見つけ、転がしながら持ち帰ろうとする「わたし」。「わたし」は、何時間も大きな重い石を一心に転がし続ける。

――ほんとうに大切なものがあれば、ほかのものすべてを無視していい。そうすればうまくいく。自分の世界に入りこみ、目をとじて、おおげさな言葉を休まずつぶやきつづける。そのうち確信がもてるようになる。

 でも、やっと家まで辿り着いたところで、その石を階段から落としてしまい、石は粉々に砕け散ってしまう。

――わたしは二重扉にはさまれたまま、だまっていた。事件がおさまってからも、だれにもなにも言わなかった。わが家がもうすこしで大金持ちになるところだったことを知る人はいないのだ。

 と、自分だけの秘密にしてしまうのが、いかにも子どもの頃のトーべらしい。

 そして、小さな女の子とおばあさんの島での生活を描いたのが、少女ソフィアの夏
 人生の入り口に立ったばかりで、この世界に怯えながらも冒険したくてたまらない少女と、人生の出口を見つめ始め、過去――自分の子ども時代など――を振り返るおばあさん。 
 正反対の世界にいるようでいて、実はとっても近い世界に生きているのは、どちらも現実社会から離れていられるから。

 労働とか責任とか、そういうもろもろから許されている子どもと、とりあえず役目を果たして解放されている年寄り。いろんなしがらみもなくて、ピュアでいられる。だから児童文学では、子どもとおばあさん(おじいさん)との関係がよく描かれてきたのだろう。

――おばあさんは、杖をぎゅっとにぎりしめ、風にむかって歩いていった。薄墨色の夜明けが美しかった。空を、長くて、まっすぐおなじ方向をむいた雨雲がならんで流れていき、深緑色の海には、三角波が白くひしめきたっていた。まもなくおばあさんは、浜の草原がすっかり水びたしになっているのに気づき、ソフィアが岩のむこうから走ってくるのが目に入った。ソフィアがさけんだ。
「沈んでる! 宮殿がない!」
 遊び小屋があけっぱなしで、ドアが風になぶられ、バタンバタンしていた。
「寝てなさい」おばあさんが言った。
「パジャマをおぬぎ。びしょぬれじゃないか。ドアをしめて寝るんだよ。宮殿は、おばあちゃんがさがしておくから。約束する。きっと見つけてくるからね」 
 ソフィアは、口をあけたまま泣いていた。なにも聞いてなどいなかった。とうとうおばあさんは、ソフィアがちゃんとベッドに入るように、遊び小屋までいっしょに行った。
「おばあちゃんが見つけておくからね」おばあさんはもういちど言った。

 白い大理石を宮殿に見立てて遊ぶこと。その宮殿が暴雨で流されてなくなってしまうこと……ソフィアにとっては人生の一大事だ。
 ソフィアとおばあさんは、孫と祖母、というより、お互い対等なひとりの人間同士として向き合っている感じなのがいい。これはムーミンシリーズでも一貫している。おとなと子ども、とか、親と子、というよりも、独立した個人同士としての関係が描かれている。

 トーベは、実際に小さな無人島を持っていて、小屋をつくり、そこで夏をひとりですごしていたそうだ。嵐が来ると、波にざぶんと洗われてしまうような、本当に小さな小さな家。私にとっては、究極の理想というか、憧れの家だ。

 Kunel_2今発売中のku:nel (クウネル) 2007年 01月号 [雑誌]がヤンソン特集で、その島の取材記事が載っている。
 表紙が素敵! ヤンソンの、その小さな海の小屋に残されていた小箱。地図を貼った箱のなかには、絵葉書やトランプ、キャンディーなどがそっとしまわれている。
 なんと言っても、クウネル取材班がその島へ直に取材に行っているということが凄い。ボートでしか行けない島であり、電気も水道もない無人島なのだから。丁寧に取材されていて、ヤンソンの生前の島での暮らしぶりがよくわかる。



Img_0605_1

             

       クウネルの本文ページより転写→

 そして、『少女ソフィアの夏』のモデルとなったトーベの母親と姪のソフィアの昔の写真も、クウネルには出ていて、必見! 物語のイメージそのままで嬉しくなる。





 

 ちなみに、このスナフキンのカードは、トーベ・ヤンソンから送られたもの! 大昔、私が10代の頃、ファンレターを書いたら、本当に本人の直筆で返事が来たのだ(宛て名もトーベ本人自身の筆跡だ)。Img_0606_2「スナフキンによろしく」などと書いたら、「スナフキンとトーベから愛を込めて」なんて返事をくれた。世界中から届くファンレターに、すべて返事を書いている、というのは、本当の話だったのですね! 
 一生の宝物。机の前に飾ってある。 



 

 Tove3

           
そしてこれは、2005年の夏に新宿伊勢丹で行われた             トーベ・ヤンソン展のときに飾られてTove2_1いたパネル。トーベ自身の周りをミイやムーミンたちが取り囲んでいる楽しい絵。今は大人となっているソフィアのサインも会場に飾ってあった。






――ものごとってものは、みんなとてもあいまいなものよ。まさにそのことが私を安心させるんだけれどもね。
『ムーミン谷の冬』より

 「おしゃまさん」の、この言葉が好き。
 今年も、自由を孤独を愛しながら、創造的なトーベ・ヤンソンの世界に繰り返し触れようと思う。

Img_0602

☆追記☆
ムーミンといえば、アニメのムーミンで、ムーミントロールの声が岸田今日子さんだった。私も初めは子どもの頃、アニメでムーミンに出会った。あの声は、いつまでも耳に残ることだろう。

←コーヒーを飲むときに使っているアラビアのムーミン・マグ。このマグは、なんとなくウィークデイの朝専用。

 

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