« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »

2006年12月に作成された記事

2006年12月30日 (土)

やはり、一年を振り返ってみたりして

 今年も、もうじき終わり。
 仕事納めは28日だったけれど、私の部屋には未だ、クリスマスの天使たちがあちこちに佇んでいる。けれども、片付けも大掃除も後回しにして、昨日29日は買い物の日にした。
 まずはここ数年、年末恒例の行事(と言っても行うのは自分ひとりだけなのだが)になっている、四谷のPAULへパンの買い出し。おせちなどちょっぴり用意し、お雑煮は必ずつくるのだが、絶対にあっという間に飽きてしまうので、そのためにパンを用意しておくのだ。
 西荻窪から四谷まで、各駅の総武線に乗ってのんびりPAULへ向かい、帰りはパンのいい匂いの包みを抱えて、やれやれ今年もなんとか無事終わりそうだ……という静かな感慨に浸る、というのが、自分のなかで大事な締め括りの行事となっている。
 イチジクとクルミ入りカンパーニュ、アプリコット入りカンパーニュ(この辺のは冷凍保存しておく)、マッシュルームのピザ、リンゴのパイ、パルミエ・ショコ……などなど。
 それにしもて、その後寄った新宿も吉祥寺も凄い人出。食料品売り場が混むのはわかるけれど、伊勢丹のジュエリー売り場になぜか人がいっぱい。という自分も伊勢丹のアニエスbで、革で花をかたどったヘアピンなんかを買っていたのだが(笑)。
 そうして、他にも細々したものを買って、買い物は完璧に済ませたはずなのに……帰宅後、綿棒が切れていることに気づいた……。明日は部屋から出ずに大掃除!と計画していたのに、なんてことだ。こんな「つまらないもの」(だけど必要なもの)が切れてるなんて。

 ま、そんな前置きはさておき。
 今年、心に残ったものを思いつくままに書き留めておく。
 できるだけ2006年公開や発売のものと思ったけれど、本は例外。

☆映画☆
 「ブロークバック・マウンテン」
 「ゆれる」

 と、男同士のシリアスな映画が2本も入ってしまったので、全然違う映画も。
 「プラダを着た悪魔」
 観ていて元気になれるチャーミングな娯楽映画。

☆音楽☆
「5:55」シャルロット・ゲンズブール

☆本☆
 「本格小説」上・下 水村美苗(文庫版は昨年2005年発行)

 下巻がもう少しで終わるところ。
 読書の喜びをこんなに感じたのは久々。

 その対極にある本として、
 「さつよ媼 おらの一生、貧乏と辛抱」石川純子(草思社/2006年)
 東北の極貧の家庭に生まれた、さつよ媼96歳の自伝。
 彼女のお国の言葉をそのまま生かした聞き語り。

☆その他、WOWOW、TVなどで初めて観た作品☆
「微笑みに出会う街角」
「歓びを歌にのせて」
「恍惚」
(いずれも劇場公開は、2006年以前)

「ピナ・バウシュの2006年日本公演」(NHKの録画にて)

☆TVドラマ☆
「結婚できない男」
 なんと、ブログにこのドラマ専用のカテゴリーまでつくってしまったよ(笑)。

「の×めカン×ービレ」

☆アート☆
「大竹伸朗 全景」

☆演劇☆
「トーチソングトリロジー」

☆あと、気になる訃報として……岸田今日子さん
 声優として女優として、また書き手としても稀有な存在の方。ご冥福をお祈りします。
 そして、ジェームス・ブラウン
 ジェームス・ブラウンは、私自身は凄いファンというわけではないのだけれど、彼の大ファンの友人の顔が何人か浮かんで、そう言えば皆どうしているのかな、などと思ったり。
 それにしても、クリスマスに亡くなるなんて、最後まで「お祭り男」(笑)だったのだなあと思う。

 とまあ、他にもいろいろあるような気もするのだけれど、メモも何も見ずに、ぱっと思いついたものを並べてみた。

 自分自身のことでは、今年前半は、恋愛においてかなり「とほほな出来事」(苦笑)もあったけれど、今現在は穏やかな気持ちでいるので、「終わりよければすべてよし」というわけでもないけれど、よかったことにしよう……と思う。
 その後、大切な出会いも、いくつかあったし。
 身体も一時、危機的状況を迎え、今も決して万全ではないし、治療も長くかかりそうだけれど、漢方の素晴らしい先生のおかげで、なんとか少しずついい方へ向かっている。これもいくつかあった、よい出会いのひとつ。
 何より、職場が一年間変わっていない!というのが快挙だ。離婚後、不安定な仕事状況で、一年に一度、多い時は二度も三度も職場や仕事の環境が変わっていて、いつも息も絶え絶えだったから。
 そういう意味では、身近な友人や知人に、あまり心配や迷惑をかけないで済んだ一年かもしれない(前半のとほほ事件では、相談に乗ってもらった人もいるけれど)。

 というわけで、今年はこれが最後の更新になります。
 来年も、懲りず(!?)にお付き合いいただけますと、幸いです。
 皆さま、どうかよいお年をお迎えください。 

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2006年12月24日 (日)

マローンおばさん――あんたの居場所くらい ここにはあるよ

 マローンおばさん 森のそばで
 ひとり貧しく くらしていた。
 お皿には ひときれのパン
 だんろには なべひとつ
 話し相手も じぶんだけ
 ひとりぼっちの さびしいくらし

 こんなふうに始まるのは、イギリスのファンタジー作家エリナー・ファージョンによる
マローンおばさん という小さな一冊の絵本です。
 そんな貧しいマローンおばさんのもとに傷ついてお腹を空かせたスズメがやって来ます。
 マローンおばさんは、こう言います。

「こんなによごれて
 つかれきって!
 あんたの居場所くらい
 ここにはあるよ」


 そして、スズメを介抱し、パン屑を与えるのです。
 その次は、ネコがやって来ます。それから、子ギツネを6匹も連れたお母さんキツネ、くたびれたロバ……と、同じようにお腹を空かせて行き場のない動物たちが次々とやって来ます。
 Ef_2その度に、マローンおばさんは、「あんたの居場所くらい ここにはあるよ」と言っては、受け入れます。その繰り返しの安定したリズムが、いかにも子どもの絵本らしくて、それは大人が読んでもいいものです。

 
 私のなかでは、自分がどんなに貧乏でも傷ついたネコの世話をせずにはいられない、ピアニストのフジ子・ヘミングさんと、なんとなくイメージがだぶります。

 
 

 さて、この貧しいマローンおばさんは、動物たちとどうなるのでしょうか?
 ぜひ、この絵本を手に取っていただきたいです。
 キリスト教に根ざした物語なのですが――抑圧的なキリスト教に反発を覚えがちな私でも、このラストには救いや天国を感じます。
 この絵本も、クリスマスのたびに読み返したくなります。

 挿絵は、ファージョンの他の物語も手がけている、エドワード・アーディゾーニ。
 どの物語も文と絵が分かち難く結びついていて、ひとつの美しい世界を創っています。
 そして、この絵本のあとがきには、ファージョンがアーディゾーニに宛てた手紙が掲載されています。

 おとぎ話が 語り尽くされ
 おとなも子どもも 寝床につくとき
 ああ、エドワード、あなたはどんなに多くを
 私たちに与えてくれたことか。

 暗やみのなかで 夢は現実となり
 過ぎし日の灰は 再び燃え上がる。
 子どもの日々に見たものを あなたを通して
 老いゆく目が 思い出す。

 幼き日の喜びや
 悲しみや希望は 不死鳥のごと
 時に打ち砕かれることなく
 灰のなかから よみがえり

 老いるまえに生まれた絵姿(イメージ)のなかに
 再び生きかえり
 言葉で未だ語られなかった
 かつての朝を 描き出す

 だから 絵のある本を抱いて
 おとなの私も 寝床につく。
 感謝しても し尽くせぬほど 多くを
 エドワード、あなたに与えられたことを思いつつ。

         テッドへ、エリナーより。1956年9月

 作家と画家という、創造する人間同士の温かくて美しい詩的な手紙です。

 「居場所」を見つけること、というのは、生きていくなかで大きなテーマだと思います。
 人の苦しみの大半は、自分の「居場所がない」ということかもしれません。
 しかし……もしかしたら、私に居場所をちょうだい!と叫ぶより、マローンおばさんのように「あんたの居場所くらい ここにはあるよ」と、自分以外の誰か――人間でなくてもいいと思う――に居場所をつくってあげて、分かち合う方が豊かなことなのかも、と思えてくるのです。

 自分のことでいっぱいいっぱいなりがちな私は、『マローンおばさん』を読んで、そんなことをしみじみと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2006年12月23日 (土)

God Jul

 いよいよクリスマス。
 年の瀬の実感が湧かないと言い続けているけれど、さすがにクリスマスがやって来ると、やり残したことを悔やんでじだばたしても仕方がないから、この季節を受け入れようという、ちょっと穏やかな気持ちになってくる。
 クリスチャンでもないのにクリスマスなんて、というのはいつもどこかにあるけれど、クリスマスは、キリストの生誕を祝うだけでなく、自然に対する深い意味合いも含まれているお祭りなのではないか?……と思うので、たいしたことは何もしないが、気持ちだけはお祝いしている。
 暗く寒い冬の真ん中で、次に巡る春や生命の息吹に思いを馳せる。その象徴として、緑色のモミの木や赤い色のものが使われるのだと思う。

Img_0558  バカラのシャンデリアはないけれど、バカラの天使なら、うちにいます。
 随分前に購入したもので、バカラもわりとすぐにモデルチェンジしてしまうので、たぶん同じものは、もうどこにもないはず。
 シルエットがマリア様っぽくもあるのが、気に入っている。
 目につくところに一年中出しているので、取り立ててクリスマスのものではないのだけれど……こうして、キャンドルを灯すと、クリスタルが輝いて美しい。


 







 さて、今日は、ムーミンシリーズの作者トーベ・ヤンソンの自伝的作品彫刻家の娘 の中から、クリスマスの思い出を綴ったページをご紹介します。

 Tj_4両親と楽しくすごし、人に分け与え、やさしさと静けさに包まれた、それはそれは美しいトーベ・ヤンソンのクリスマスの思い出。

――パパとわたしは毎年決まった日の朝六時に起きる。モミの木は暗がりの中で買うものだ。スカット岬から反対側の街はずれに歩いていく。
 そこには大きな波止場があって、モミの木を買うにはうってつけの背景だ。木を選ぶには何時間もかける。枝の一本一本を疑り深く調べる。枝が幹にさしこんであるだけのこともあるからだ。木を買いに出かけるときはきまって寒い。
 パパが木のこずえで目をついてしまったこともある。夜明け前の闇に、寒さにふるえながら木をさがしている人影が黒くうきあがり、モミの木の小枝が雪の上に落ちて、まだらもようをえがいている。波止場と市場のあたりに、危険と魔法がただよっている。

――スウェーデンでは自分の家でソーセージをつくり、キャンドルをこしらえ、小さなバスケットを数か月ものあいだ貧しい人々に運ぶという習慣がある。
 母親たちは夜中にぬいものをしてプレゼントをこしらえ、クリスマスイヴには光の聖女ルチアに変身する。はじめてルチアを見たパパは仰天したが、それがママだということに気づいて笑いだした。それ以来、イヴにはかならずルチアをやってくれとママにたのむように なった。
 わたしは寝棚に横たわり、階段をのぼってくるルチアの足音に耳をすます。ルチア役もらくじゃない。すべてはまるで天国のように美しい。このときママはスウェーデンの風習にならって、ブタ形のアーモンド菓子を持ってあらわれ、ほんのちょっぴり歌をうたい、パパの寝棚にむかう。ママはのどが弱いので、一年に一度しか歌を披露しないのだ。

――クリスマスの終わりほどやすらかなものはない。すべてがゆるされたあと、いつもの生活がはじまるのだ。
 何日かたってから、クリスマスの品物を戸棚にしまいこむ。ストーブではモミの小枝がぱちぱちはじけている。幹は来年のクリスマスに燃やす。
 石膏箱のそばに立てかけられたモミの木の幹は、この一年のあいだ、すべてを包みこむクリスマスのやすらぎを思いださせてくれるのだ。        
『彫刻家の娘』トーベ・ヤンソン著/冨原眞弓訳/講談社より

 
 ムーミンシリーズは、トーベ・ヤンソンのこんな豊かな子ども時代にルーツがあるのだなと思う。
 クリスマスになると、繰り返し読みたくなるページ。

 ところで、西荻のとあるコーヒーショップの前に、筒の中にモミの木の枝が入っていて、「ご自由にお持ちください」とあるのを発見。店内に飾るモミの木を剪定したのだろうか。
 それを喜んでもらって帰り、適当にアレンジしてみたのが、これ。Img_0555
 アレンジなんてというほどのことはなく、松ぼっくりとリボンを付けて、壁に飾っているだけなのだれど(笑)。
 最近は、モミの木もどきのツリーばかりで、本物のモミの木なんてほとんど見かけなくなったので、嬉しい。たった一枝でも、針葉樹独特の深い森のような香りがする。
 
 それから、タイトルのGod Jul(ゴー・ユール)は、スウェーデン語のメリークリスマス。
 トーベ・ヤンソンは、スウェーデン系のフィンランド人で、作品はスウェーデン語で書かれているとのことなので、それにちなんで。

 皆さん、よいクリスマスを!
 God Jul!

 
☆追記☆
 先週買ったウェスティンホテル東京のシュトーレンはやはり美味です! どっしりとしたいかにもドイツケーキという風味でありながら、適度にスパイシーで、ドライフルーツの量も多すぎず少なすぎず、という感じで。
 オーガニック系のベーカリーのも試したことがあるけれど、あまりにストイックすぎて、ぽろぽろ崩れてきて、今ひとつ。
 大好きなPAULのシュトーレンは、さすがにフランスのベーカリーのせいか、ちょっと甘味が強くしつこい感じで、これも今ひとつ。
 というわけで、ここ数年食べているシュートレンのなかでおすすめ品は、オーバカナルかこのウェスティンホテル東京です。来年は、どこのシュトーレンにしよう?!
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2006年12月21日 (木)

大竹伸朗「全景」――夢に出てきそう

 前から行きたかった大竹伸朗「全景」 、いよいよ今週末まで、その日はきっと激しく混むだろうしと、今日(20日の水曜日)は思い切って有休を取り、観に行った。
 快晴ではないけれど、銀色の雲が浮かび、光がやけに透明な空が広がっていた。なんだか美術館日和なお天気。
 スープとフレンチトーストと紅茶のたっぷりのブランチで腹ごしらえをして、ジーンズにスニーカーという疲れない出で立ちで、万全の準備態勢で東京都現代美術館へ。

 美術館へ着いて、すぐ目に飛び込んだのが、これ。
        ↓

Img_0549 これでもう、美術館に入る前から一気にぐっと気持ちをつかまれて、まだ観てもいないのに、来てよかった!と思う。
 これは、会場である東京都現代美術館の外観。
 愛媛県宇和島は、大竹伸朗さんが今、活動の拠点にし、暮らしている土地。
 宇和島駅の古い駅舎が取り壊されるときに、貰い受けたのだそう。



 会場に一歩、足を踏み入れると、とにかくその膨大な作品数に圧倒される。
 スクラップブックのその密度というか強度というか……。Img_0550_1
 スクラップブックを作るきっかけは、ロンドンのアンティークマーケットで購入した、誰か(昔の一般の人だろう)が作ったマッチ箱のラベルを貼ったスクラップブック。それを見て感動し、これをオレがやらずに誰がやる!と思ったそうだ(NHK『新日曜美術館』より)。

 スクラップブックを構成しているのは、外国の昔のB級な写真や絵、ゴミ、キッチュなラベル、と、変なものばかりなのに、彼の手にかかると、大竹ワールドとしか言いようのない不思議でおもしろい、そして力強い何かが立ち現れてくる。

 どこの誰ともわからない、古いヨーロッパの家族写真をびっしりと貼り込んだ作品。
 まるで何か時間の地層を埋め込んでいるような、平面なのに立体的なような……。

 スクラップはその膨大さと密度に、絵はその大きさに圧倒される。
 わかるとかわからないとか、好きとか嫌いとか、そういうのを超越して、「全景」が醸し出すエネルギーに圧倒されるばかり。
 と、圧倒という言葉ばかりを繰り返してしまうが、美術を語る的確な言葉を持ち合わせていないから、もどかしい。
 でも、フツーのオバサンふたり連れも、「凄いわねえ」としきりと感心していたから、それでいいのだ、と思う。

 凄い。圧倒される。エネルギーがある。それもポジティブなエネルギー。
 そんな言葉でしか語れない……ので、解説は、専門家に任せよう。

 彼の作品から受けるエネルギー(=生命力)の源は、彼がアートから離れて、10代の頃、美大を休学し、北海道の牧場で働いたことから来ているらしい。
 「それまでサッカーをやって、絵を描いて、アンディー・ウォーホールがどうの、なんて言ってたのが、いきなり牛のクソ出しでしょう」(NHK『新日曜美術館』より)というようなことを言っていたから。

 東京のゴミを集めた「ゴミ男」と、そこに流れる奇妙なループ音(東京で拾い集めた音)が印象に残った。あと、「ニューシャネル」(これはなんと説明したらよいのか?!)とか、「日本景」などがおもしろかった。ワビサビとは程遠い「絶句景」としか言いようのない(笑)、奇妙な日本の風景たちがテーマ。

 とにかく彼は、ゴミみたいなもの、どうしようもない景色だとか、「ニューシャネル」の、「そう言えばあるよね、こういう昭和40年代風の書体とネーミング」みたいなものとか、錆びた船の廃材とか、フツーの人が見過ごしてしまうような、いや、目にも留めず意識にも上らないものを、掬い上げる。
 そして、他の誰にも真似できない感性と確かな技術で、それらに息を吹き込み、作品にする。そういうことができる人を天才と呼ぶのだろうか。
 作風もさまざまで、とてもひとりのアーティストから生まれたと思えない多彩さ。

Img_0551 

 美術館を出る頃には、日も暮れかかり、宇和島駅のネオンが灯っていた。

 
 

 
 
 
 
 

 ところで、会場で耳に拾った言葉の数々(言葉のスクラップブック?)。

「うちのカミサンの祖先って、落ち武者の末裔だったらしいんだ。で、代々女系で狂う人が何人が出ているらしいんだって。それってさあ、俺に覚悟せえ、ってことなのかなあと」
――30代らしき男性、友人数人らと、「ダブ平、ニューシャネル」という遠隔演奏ノイズバンドのコーナーにて。会話の前後の脈絡は不明。

「あー、圧倒された。今夜、夢に出てきそう」
――20代くらいの女性、出口で、友人に。

女「これ、ほんとに駅みたいだよね」
男「えっ、駅じゃないの?」(どうやらウケねらいの冗談ではなさそう)
女「えーっ、だからこれはね、大竹伸朗が住んでいる宇和島の駅のネオンなのよお」
――美術館の外にて、男女数名のグループ。ここは、木場だってば(笑)。

 今夜は、私も夢に彼の作品が出てきそう。というか、出てきたら嬉しいんだけど。

 この展示会は、24日まで。
 大竹伸朗ファンは、ぜひ!
 それほどの大ファンじゃなくても(実は私がそうだった)、圧倒されに行く価値あり!
 行って観た後には、大ファンになっていること間違いなし。

☆会場では、入場者ひとりひとりに、「ジャリおじさん」のクリスマスカードが配られました。


Img_0554


 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2006年12月17日 (日)

家づくりは、はじめてですか?

――もう西洋館はおやめですか。
――いやあ、建築家に相談したら、今はもうあんな古くさい西洋館は流行らない、何風だか知らないが白い四角い箱みたいなモダンが家がいいんだって言われてね、そんな菓子箱みたいなとこに住みたかあないから、ふつうの日本の家にしてくれって言ったんだよ。建って半年ぐらいだ。
『本格小説・上』(水村美苗著/新潮社文庫)より

 『本格小説』という小説のなかで交わされるこの会話。時は昭和29年。戦後10年も経っていない頃。建築家に依頼できるような人は、ごくごく一部の階層の人たちだったことだろう。
 家というものは、地元の「大工」が作るものであった。
 時は流れて、今は、ハウスメーカー、工務店、建築家と選択肢の幅がぐっと広がった。
 でも、そのわりには、町を見渡すと、お仕着せの小ぎれいなちまちまとした建て売りばかりがひしめき合い、とても美しいとは思えない。また、腕のいい大工がどんどん減っているとも聞く。
 日本の家はどうなっていくのか?
 どうしたらいいのか?

 と、前置きはこの辺にして。
 今年いちばん楽しんで笑えたTVドラマ「結婚できない男」。その主人公が建築家だった。で、ドラマに制作協力されたのが、業界唯一完全独立系建築プロデューサー朝妻義征さん。お互い、ブログを通じて知り合い、朝妻さんが自ら書かれた冊子をわざわざ送ってくださった。
 Booktitol1_1この冊子、ちょっと変わっている。
 建築プロデューサーがお客さんのために配る冊子というと、連携している建築家たちのプロフィールや作品が載っていたり、それこそメーカーの営業マンや広告代理店のコピーライターがクライアントにプレゼンテーションするために提示するような、パワーポイントを屈指したフローチャート満載のカラーの資料!なんてものを想像する。
 しかし、これは全然違う。フローチャートもないし、カラーページもない。文字だけである。
 それも、家づくりに迷う主婦のもとに、家づくりガイドの変なオジサン妖精が現れるところから始まったりする(笑)。
 でも、読んでいくうちに、そうだよね、まずここから始めないといけないんだよね、ということに気づかされる。建築家の作品を見る前に、情報の洪水を浴びる前に、まず自分が何を求めているのか、必要としているのかを見極めなければならないのだ。

――彼女は自分が欲しい家は本当にこんな家なのか、よくわからなかった。本当は“何か”もっと別のものを求めているのではないかと感じた。
――しかし、その“何か”を未だに見つけることができない。
自分がその“何か”を探していることさえはっきりとは気づいていないのである。

 と本文中にもあるけれど、なんだかちょっと「文学的」な問いかけだ。
 家を建てるということは、外側に向かって行動していくようで、実は自分の人生を振り返り、見つめ直すことなのかもしれない。
 また、家族とどう関わっていくか、ということも突き詰めざるを得ない。特に、夫婦間で齟齬があったりすれば、いい家はつくれない。

 後半、主人公の主婦は、建築家に依頼するのをためらっていたけれど、いざ建築家と話してみるとすっかり感心して、
なんか私たちよりもよっぽど私たちのことがわかっているみたい。
 と、こんな感想をもつようになる。

 まず必要なのは、カタログではなく、自分たちが何を求めているか深く掘り下げること、内面と向き合うこと。
 この一風変わった冊子は、そのためのガイドブックだ。 
 家づくりで迷っている方、ハウスメーカーに行く前に、建築雑誌を読み漁る前に、まずこの冊子を読んでみては、いかが?
 朝妻さんのHPから申し込みできます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

あ、天使が……

 天使が好きです。

 Img_0547ついさっきまで見ていた(泣きながら)「歓びを歌にのせて」という映画には、ストーリーとは直接関係ないのだけれど、天使のモチーフが何度か出てきたので、嬉しかった(この映画の感想はまたいずれ)。
 ちょうどクリスマスのために、部屋に天使をたくさん飾った直後だったので。

 ま、だから何なのだ?と言われると、何でもないのですが、こういうささやかな偶然って嬉しい。

 
 この季節、もしかしたら、たくさんの天使が周りにいるのかもしれない、なんて思う。

    ↑
☆私の部屋にはいろいろな天使がいます。
 これはもみの木を抱えた天使で、この季節だけ登場。
  

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2006年12月16日 (土)

バカラのクリスマス クリスタル・シャンデリア

 恵比寿ガーデンプレイスへバカラのクリスタルのシャンデリアを見に行きました。
 ガラスの塔のような、巨大なガラスケースの中に収まっています。

Img_0527 下から見上げたところ。
 グラスひとつ、1万円は下らないから、これはいったい……などと、現実的なことが一瞬頭を過ぎるけれど、そんなことはどうでもいいですね(笑)。

 とにかく、きれい。
 でも、あのクリスタルの透明感とそこに明かりが灯った時の美しさは、コンパクトなデジカメでは再現しようがない……。


 Img_0531_1ガラスに映り込んでいるのが、またきれい。





















 
Img_0523
   

 全体を上から見下ろすと、こんな感じ。













 Img_0532_3ガーデンプレイスの通路の植え込みの、こんなささやかなデコレーションも可愛い。
 妖精が出てきそう。
 これは、バカラとは何ら関係ありません(笑)。
 普通の電飾(発光ダイオードか?)。













 
 
 と、バカラのシャンデリアをじっくり見たのだけれど、実はいちばんの目的はこれ。Img_0542
 ウェスティンホテル東京のシュトーレン。
 ホテル1階の、カジュアルなレストランの横にできたデリカテッセンで購入できます。
 明日の朝、いただきます。お味の報告はまた後日。

 さて、クリスマスまであと1週間ちょっと、いちばん食べたかったウェスティンホテル東京のシュートレンも手に入ったことだし(薄くスライスして、クリスマスにかけて毎日少しずつ紅茶と一緒に楽しむ!)、バカラのシャンデリアも堪能したし、クリスマスにはもう何もいらないです(いや、ほんと……今年は何もしたくない感じなのです)。
 我が家の家宝「バカラのエンジェル」を眺めつつ(これも後日ご披露します)、静かに過ごすことになるでしょう。

 ちょっと早いけれど、皆さんもよいクリスマスを!

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2006年12月10日 (日)

トーチソングトリロジー

Torch_read 先月のことになってしまうけれど、十数年ぶりくらいで芝居を観た。
 「トーチソングトリロジー」(パルコ劇場/11月29日)。
 あるツテでいい席が取れるとのことで、同じ職場の一回り下のAさんと一緒に行くことになった。
 行ってみようと思ったのは、ストーリーに惹かれたのと新進気鋭の若手俳優・長谷川博巳が出演するため。テレビには出ない人なので、いつか生の舞台を見たいと思っていた。
 主演のアーノルドは、篠井英介。NYのナイトクラブで働くゲイの役。
 そのアーノルドに、バイセクシュアルのエド(橋本さとし)、年下の美しい恋人アラン(長谷川博巳)、エドの婚約者ローレル(奥貫薫)、アーノルドの養子になるデイビッド(黒田勇樹)、そしてアーノルドの母親(木内みどり)が、さまざまに関わってゆく。

 人を愛するということ、人と関わることの困難さと喜び、喪失感とどうやって向き合っていくか。

 とにかく、篠井英介さんが素晴らしかった。幕が開き、ナイトクラブのドレッシングルームで客席に向かってひとり語りを始めるのだけれど、その瞬間に、一気に引き込まれる。
 DRESSING ROOMと書かれた移動式の台の上で、舞台道具と言えば椅子くらいなのに、そこはNYのナイトクラブのドレッシングルーム以外のどこでもない空間となる。
 ドレス姿の篠井英介さんは本当に艶やかで美しかった!(美輪明宏の後継者は彼?!)

 長谷川博巳さんも、スレンダーでしなやかな肢体、シャープな顔立ちのなかにも少年っぽい雰囲気があって、アラン役にぴったり。もちろん、容姿だけではなく(笑)、演技もよかった。傲慢さと繊細さが同居する、若く美しいゲイの青年を巧みに演じていた。男同士のラブシーンもあり、難しい役だと思うけれど、彼が演じると素直に見られる。すっかりファンになった。

 3時間という長い芝居にも関わらず、飽きる瞬間がまったくなく、役者の底力というものを肌で感じた。
 人間関係の本質をえぐるような痛みを伴なう芝居でありながら、コミカルで笑えるところもたくさんある。
 演出も新鮮。生のピアノの弾き語りもあって本当にナイトクラブの雰囲気だったり、また、例えば、傾斜している大きなひとつのベッドの上で、2組のカップル、アーノルドとアラン、エドとローレルが並んでいるシーン。
 それは、「別々の部屋」で、「それぞれのベッド」の上で、2人ずつ話しているという状況を現していたりする。2組のカップルの会話が個別に交わされるのだが、時折、絶妙なタイミングで、その会話が絡み合う。

 終演後、Aさんと。
「たまには、いいものを観ないとねえ」
 とふたりして言い合う。私たちの職場は、プラプラしているジイサン連中のフォローとかウツになってしまった人のフォローとか、実務以外に気苦労が多くて大変なんである(どこでも多かれ少なかれそうだと思うが……それにしても、なことが日々多し)。
 劇場を出たのは、すでに10時半を回っていた。渋谷のセガフレード・ザネッテイでパニーニを食べようと向かうも、「パニーニは10時半で終わりです!」と店員さんにマニュアルチックに冷たく言われ、ショックを受けつつ仕方なく冷たいサラダとプロセッコを頼んだ。

私「なんかね、今の私の人生のテーマにぴったりはまるような気がして」
Aさん「こう、胸が痛くなりますよね」
私「アタシみたいなゲイのオカマのことなんか世間の人たちにはどうでもいいのよ、っていうセリフがあったじゃない? ゲイのオカマを40代のシングル女性と言い換えてもいいような気がしたなあ」(アーノルドのそのセリフの背景には、単なる卑下ではなく、ある悲しい出来事がある)
Aさん「そっ、そんなー、そんなこと言わないでくださいよお」(ややリアクションに困るAさん/笑)。

私「だけど、失ったり傷ついたりしても、やっぱり人は誰かを求めずにはいられない、ってことなんだろうね」
Aさん「うーん、そうですね。でも、私は今、誰も求めていないんですけどねえ……」
私「そうなの? うーむ……」(と、今度は私がリアクションに困る/笑)。

Aさん「それにしても、生の役者さんの演技って凄いですね。舞台のテレビ中継とか見ても、あまり感動しないのは、どうしてなのかな?」
私「そうなのよね、おもしろくないのよね。なぜなんだろう? ああ、そうだ、きっと、役者さんは、芝居のなかで役を演じているんじゃなくて、その役を生きているからじゃない? だから、ライブじゃないと感動できないんだよ」

 帰りの電車のなかで、そうかそうか、寄る辺のない40代シングル女性は、女装したオカマのメンタリティに近いのか……などと、プロセッコ1杯だけでちょっとほろ酔い気味の頭というか心で、ぼんやりとまた思ったり(笑)。

 後日、篠井英介さんのインタビューを読んだ。ここ→e+Theatrix!

アーティスト、たとえばミュージシャンを目指す人、絵描きになりたい人、小説家になりたい人、俳優になりたい人。みんな、なかなか大変なんですね、生きて いくのが。そういう夢追い人が、社会と折り合いをつけて、家族、自分自身とも折り合いをつけて生きていくのは本当に大変。それは、ゲイの生き方のしんどさ みたいなものとも、ちょっと共通項があって。――篠井英介

 なるほどと思った。私が昔から、ゲイの話に惹かれるのも、何かと折り合いのつきにくい自分と、どこか共通項を見ていたからかも。

 トーチソングとは、片思いや失恋をうたった歌のこと。
 忘れて前に進むことも大切だけれど、トーチソングも時にはいい。
 復讐や恨み言でない、この芝居のように美しいトーチソングであれば……。

| | コメント (4) | トラックバック (0)
|

今シーズン、お気に入りのTVドラマ

 今シーズン観ているドラマは、「の×めカン×ービレ」(このタイトルを入れると、今、スパムが大量に付くらしいので、念のため)と「Dr.コトー診療所」。
 「嫌われ松子の一生」は、観ているとだんだん腹が立ってくる――原作者は、女性に恨みでもあるんだろうか?――ので、止めてしまった(最終回だけ観てみようか……)。

 「Dr.コトー診療所」は、前シーズンのを観ていなかったのだけれど、こんないいドラマだったとは。
 コトー先生を演じるのは、吉岡秀隆。北海道富良野(『北の国から』)とか今回の沖縄の志木那島だとか、彼ほど辺境の地が似合う役者もいないだろう。逆を言えば、都会を舞台にしたドラマだと、浮いて見えそう。
 先週の回では、看護士のミナちゃん(蒼井優)の過去が初めて知らされた。
 幼い時に両親を亡くし、身寄りのなかったミナちゃんは、同じような境遇の青年と知り合い、お互いを理解できるのは自分たちしかいないと、若くして結婚する。しかし、その青年は結婚した途端、DV男に(人を愛する術を知らないから)……その夫から逃れるために、志木那島にやって来たのだ。結婚していることは、ひたすらに隠して。
 追いかけて来た若い夫は、今度こそやり直すと言いながらも、また暴力を振るう。
「好きになって信頼していた人に裏切られたミナちゃんの気持ちが、わからないのか」
 という診療所の事務員、和田さん(筧利夫)のセリフが胸に沁みる。
 そして、この騒動で、島にいづらくなると心配するミナちゃんに、和田さんはこう言う。
「おったら、ええ」
 ――というところでは、本気で泣けてきた。
 やっぱり、せめてドラマくらい、心が荒むような展開ではなく、ほっとできるのがいいよねえ。

 「の×めカン×ービレ」は、言わずと知れた人気コミックが原作。
 私は、1巻しか読んでいないけれど、なかなか原作の雰囲気を上手く出しているのでは?
 一度も欠かさず観ていて、ちょっと憂鬱な月曜日の朝も、今夜は、の×めカン×ービレなんだから!と思って、起きている。
 笑えるところあり音楽も聞かせるし、キャスティングも合っている。
 「の×め」も可愛いし(可愛すぎるかも?)。←と、上野×里ちゃんの名前を入れていたら、恐ろしい勢いでアクセス数が伸びたので、削除した。読まれたくないのかよ、だったらブログなんか書くな~と突っ込まれそうだけど、なんとなくイヤなのだ。スパムも恐いし。ああ、だけど検索サーチに出てしまったから(早いっ!)、今さら遅いんだけど……それにしてもTVの影響って凄い。他の俳優さんの名前にも×を入れた。
 それから音楽評論家・佐久間学の役で、及×光博も登場。本当に少女マンガから抜け出たようで――何しろ王子ですから――彼が出てくると、麗しの千秋さま(玉×宏)もちょっと霞んで見えるほど。
「及×光博がもうちょっと若かったら、千秋をやってもよかったよね」
 と職場のMさんと話している。
 あ、ちなみに私は「孤高のオーボエ」の黒木クンが好きです(笑)。
 というわけで、私の感想よりこちらの日記を読んだほうがおもしろいかも。
 CLASSICA の「更新情報という名のブログ雑記」をクリック!
 たいてい、月曜日か火曜日の日記には、ドラマ情報が更新されています。
 ドラマの寸評もふるっているし、何より使用された曲名がばっちりわかってしまいます(『結婚できない男』の時も、音楽解説をしてくれていた)。
 何しろ、本物の(?)クラシック音楽のライターさんですから(佐久間学ってことですね!/笑/知人で、お仕事をお願いしています)。日記以外のページも充実してます。

 最近のコミックは長いから、たまってしようがないんだけど、いつか全巻読みたい。

 それにしても、2つのドラマが終わる頃は、今年も終わりなんだな……と、あまり実感が湧かないなりにも、やはり年の瀬を感じる。

★余談★
 クラシック音楽ネタ――先週、5日の火曜日、東京オペラシティ コンサートホールにて、ゲルハルト・オピッツのベートーヴェンのピアノ・ソナタを聴いた。
 知人が何気なく抽選に応募したら、当たったらしく、
「私も全然知らないのよ、ゲルハルト・オピッツなんて~」
 と言いながら、私を誘ってくれたのだ。私も全然知らなかった(笑)。
 ピアノのソロかあ……爆睡しちゃったらどうしようと思いながら行って、曲目も知っているのは1曲もなかったのだけれど――素晴らしかった! 
 ピアノ一台であんな音が出るなんて、びっくり。
 TVの録画やCDだと退屈に聴こえるのは、なぜなんだろう? 
 クラシックこそ生で聴くべきなのかも。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2006年12月 8日 (金)

宇野千代 女の一生――自分のための覚え書き

 宇野千代 女の一生 という本の中に、こんな一節があった。

 “駆け出しお千代”の渾名のとおり、愛する人ができると突進し、
去られたら「よよと泣かない」で次なる出会いへと駆け出していった。

 なんか、いいなあ。潔くて。

 それから、これは自分のための覚え書き(最近、ブログ以外は書くことをサボっているので)。

「小説は誰にでも書ける。それは毎日、
ちょっとの時間でも、机の前に座ることである」
これは私が作った格言なのですが、
昨日は座ったが、今日は座らない、
と言うのではなく、毎日、座っている中に、
何か書ける、と言う教えなのです。
(『行動することが生きることである』)

 宇野千代は、『生きていく私』は読んだけれど、実は小説はあまりちゃんと読んだことがない。 
 『おはん』を、NHKの朗読番組で聞いたくらいで。
 『生きていく私』は、錚々たる顔ぶれの男たちとの恋愛が忌憚なく綴られている。
 でも、ひけらかすような感じは全然なくて、この人はもうこうなるしかなかったんだろうなと思えて、おもしろかった。
 何より、戦前から『スタイル』というファッション雑誌を創刊・発行していたというキャリアのあることも知った。
 明治女、恐るべし……というか、まあ、宇野千代が特別という感じがするが……。

 Chiyo_1本の表紙に使われているこの写真は、宇野千代30代半ばの頃(昭和7年)。
 自分でデザインした着物。
 斬新な着こなしとヘアスタイル、昭和の初めの頃の匂いがして、ほんとに素敵。

「泥棒と人殺しのほかは 何でもした」
と言う宇野千代。
 
 自分で人生の道を切り開いてきた人。
 正に『嫌われ松子の一生』の対極にあるような一生!
 でも、女らしくて可愛らしいところもあるし。

 

 彼女の人生を知ると、長生きするのも悪くない――宇野千代は98歳まで生きた!――そして恋も仕事も思う存分にして、いい人生を送りたいなと心から思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »