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2006年11月に作成された記事

2006年11月25日 (土)

初冬の味と本と音と

 寒い日のお楽しみは、熱い紅茶と本と……。
 今日は、この季節しか出回らない貴重な紅玉で焼きりんごをつくってみた。
 この前、つくった時は、焼きすぎてりんごの原型を留めずグズグズのジャム状になってしまった(泣)。今回はまあまあの出来栄え。酸味があっておいしかった。
 芯をくり抜いて、中にバターひとかけとメイプルシロップとシナモンを入れて、アルミホイルにくるんでオーブンで焼くだけ、という自己流レシピ。
 2つ焼いて、1個は熱々のを食べ、もう1個は冷蔵庫で冷やして、明日の朝のお楽しみ。
 
 Img_0515さて、今読んでいるのは、水村美苗の『本格小説』(上) (下)
 カバーの絵はウィリアム・モリス。
 水村美苗というと、夏目漱石の『明暗』の続編・『続明暗』だとか、英語交じりの横書きの小説などがあり、敷居が高い感じがして、なかなか読む機会がなかった。でも、ここ最近、私の周りでこの『本格小説』を高く評価する人が多いので、手にしてみた。
 正統的な恋愛小説というものも久しく読んでいないし。
 というわけで、読み始めてみると、本当にこれは読みやすい!……というのが、賞賛の言葉になるのかどうかわからないけれど、ぐいぐい引き込まれる。
 舞台は昭和の軽井沢、身分違いの恋という、ブロンテの『嵐が丘』を彷彿とさせるストーリーなのだけれど、全然陳腐じゃないし。
 言葉の力だけで、別の世界へ連れて行ってくれるという、この感覚、久しぶりのような気がする。『本格小説』というタイトルにも納得。

 しかし、凄く長くて、文庫版上・下、各600ページ近くある。 
 ここのところ、自宅でも仕事のための本を読むことが多く、引き込まれると言いながらも、実は上巻の「本格小説の始まる前の長い長い話」がまだ終わっていない! だって、この序章だけで、すでに230ページほど。最近のちょっとした小説1冊分くらいあるのだ。
 だから、まだ話の中心に辿り着いていないのだけれど、序章であることを忘れてしまうくらいおもしろい。この部分は、著者自身の自伝的物語と捉えてよいのだろうか。
 平日の夜はベッドの中で眠るまでのひと時はこの本を読むことにしている。眠る前は、評論とかはあまり読みたくないので、ちょうどいい感じ……なのだけれど、おもしろくて、つい読みすぎて、ふと気づくと1時間くらい経っている……ことも、しばしば。
 それでも、このペースだと、完読するまでに年末年始にかかってしまうかな……。
 年明けにでも、また全体の感想など、書くかも知れません。 

 Sg2そして、今いちばんお気に入りの音楽は、シャルロット・ゲンズブールの新しいアルバム“5:55”。父・セルジュ・ゲンズブールとのアルバムから、なんと20年ぶり。
 当時のアルバムも素晴らしかったけれど、バックの音がチープだったような記憶が(笑)。でも今回の“5:55”は、レディオ・ヘッドのプロデューサーが協力しているらしく、奥行きがある感じ。ちょっと息が洩れるようなウィスパー・ボイス、フランス語訛りの英語の歌詞と、20年経っても少女のようなシャルロットの世界は変わっていなかった。
 どこにも出かけたくない寒い休日、部屋にこもって聴くのにはぴったり。
 でも、そうか、シャルロット・ゲンズブールもレディオ・ヘッドが好きなのか……と思った。
  「フレンチ式しあわせの見つけ方」という映画で、CDショップの試聴器で、たまたま同じ曲を聴いていて目が合い恋に落ちる――シャルロットと相手はジョニー・デップ!――というシーンがあったのだけれど、その時の曲がレディオ・ヘッドだったのだ。
 カメラがふたりの周りをくるくる回り、下手すると安っぽくなってしまうのだけれど、そうはならず、不思議に美しいシーンだった。
 「本格小説」的恋愛なき現代においては、こんな日常のシーンが最もロマンティックだと思う。ま、これも映画で、現実にはありそうでないシーンですが。ジョニー・デップがそこら辺にいないのと同様に(笑)。

 寒くなると、読むことや聴くことに没入できるし、りんごも美味しいし、この季節、結構好きです。

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2006年11月23日 (木)

残酷な神が支配する2――これはイアンの物語

 以前、萩尾望都の『残酷な神が支配する』という漫画について書いたことがある。→こちら
 そのことについて、最近また新たに思ったことを。 

 先日、ネット上でふとしたきっかけで、この作品について詳しく述べられているHPを発見した。思わず、目からウロコというか、膝を打ってしまう意見があったので、興味のある方はぜひ。ここ→残酷な神が支配する
 つまり、これは、ジェルミを中心としているように見えて、本当はイアンの物語なのではないか、ということ。否応なく巻き込まれてゆき、イアンも自分自身と深く向き合わざるを得なくなるから。
Moto2_5 それはある程度わかっていたけれど、このHPを読んで今思うのは、ジェルミを救おうとするイアン、という単純な図式で捉えていたのだけれど、実はジェルミの存在によって支えられている――というと、ちょっと語弊があるかもしれないが、イアンの方がジェルミを必要としていた、という捉え方もできるのではないだろうか?ということ。
 と思うと、ますますこの物語が深まってゆく……。

 保険調査官として登場し、たびたびイアンに親身になってアドバイスをするリンドンについても、このHPでは語られている。
 「愛や同情は助けにはならない。愛していればいるほど苦しみは過剰になり倍になり、二人をおそう」
 という、真っ当な彼の言葉。そう、彼はしばしば、専門家に任せなさい、でないとあなた自身が潰れる、というようなことを忠告する。
 このHPの方も、リンドンの言うことは、しごくまともで理解できるのだけれど、自分は冷静さに欠けるのか、読むのが辛かった、と。
 私もそうだ。リンドンの言うことは極めて冷静で正しく現実的なのだが、でも、その先に何かあるのではないか、その先にあるものを見たい、と願ってしまうのだ。
 また、ジェルミの虐待シーンが惨いので読むのが辛いという側面もあるけれど、たぶん読み手に、根源的な問い――人は人を救えるのか、愛するということは何なのか――を突きつてくるから、辛いのだと思う。
 
 ジェルミは、愛を拒絶する。
 その点も、読んでいてかなり辛いところだったことに気づく。
 いくら手を差し伸べても、振り払ってしまう。
 せめてジェルミが苦しみながらも、救いの手を求めている姿が見えれば、ほっとできたのだと思う。人は壊れてしまうと、愛を乞うこともできなくなるのか、というのが辛かったのだ。
 
 そして、『残酷な神が支配する』は、ジェルミの虐待を巡る苦難の物語であると同時に、イアンの内面への旅の物語でもあったのだ。

 現実は、たぶん、誰かひとりに救いを求めるというより、いろんな人との関わりのなかで少しずつ助けられていくものなんだろうと思う。
 私も、いろいろな人に、少しずつ助けられ救われて、今があるような気がする。
 一方、果たして、私自身は誰かの支えになっているのだろうか? 誰かを助けたことがあるだろうか? 傷つけられたことは覚えているけれど、誰かを傷つけ忘れてしまったこともたくさんあるのではないだろうか? などと自分を振り返りると、なんとも心許ない。
 そんなことを思いつつ……『残酷な神が支配する』は、私の心に奥深く住み着いてしまったようだ。

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マンダリン オリエンタル 東京

 穏やかに晴れた昨日(22日)は、某人気作家の方の取材だった。
 Mot_2場所は、マンダリン オリエンタル 東京 。日本橋のランドマーク日本橋三井タワーにできたホテル。日本橋というと、昔は古臭く、ちょっと衰退したイメージがあったけれど、本当に変わったのだなあと感じる。
 

 そして、マンダリン オリエンタル 東京は、私が東京で見てきたホテルのなかで一番美しいホテルだと思う。
 ここと比べると、帝国ホテルなんて凡庸なインテリアだよなあ、などと思ってしまう(と、偉そうなこと言ってるけど、泊まったことはない)。
 マンダリン オリエンタル 東京は、高級ホテルにありがちな、もわもわっとした絨毯だとかきらびやかなシャンデリアなんかの類いが一切ないのだ。
 直線を生かしたアールデコ風というのか、フランク・ロイド・ライト風というのか、その名のとおり程よくオリエンタルな雰囲気で……インテリアを的確に表現する語彙が少ないので、当たっているのかどうかわからないけれど。
 タワーの最上階を使っているので、ロビーもラウンジもトイレも、どこにいても見晴らしのよい景観が。
 天井が高く、ややほの暗い照明、ソファにはまるで個人の家のように大きさの違うソファが無造作に置いてある、などなど――女性誌風に言うと、「ラグジュアリー」(!)って感じなのでしょうか(笑)。
 トイレの入り口もまるでレストランのよう。洗面台は、小ぶりの黒い洗面ボウルが並んでいて……と、ありきたりなものが何ひとつとしてない。それでいて、奇抜で浮わついた感じはなく、落ち着いている。
 働いていている人たちも素晴らしい。申し分のない心地のよいサービス。

 ところで、取材の場所は、ラウンジだったのだけれど、コーヒーが、1人前、1,890円! コーヒーが1,890円です(と二度も言ってしまう)。
 これまた、今までの人生のなかで飲んだ一番高いコーヒー(笑)。
 サイフォンで煎れるモカで(お代わりをうやうやしく持ってきてくれる)、トリュフチョコ1個付きで、もちろん美味しかったけれど……場所代、サービス代も充分に含まれているのだろうけれど……これはいくらなんでも高すぎるっ!(ちなみに宿泊も、最低料金4万5千円也……シングル、ツインというような分け方ではないようだ)。

 うーん、でも、凄くいい気分転換になった。
 マンダリン オリエンタル 東京の噂は聞いていたけれど、やはり実際の場所に行って、空間そのものに自分の身を置いてみないと、そのよさは全然わからない。雑誌の写真やインターネットでは何もわからない。
 建築家の方がよく言うのは、若い頃、あちこち旅をしていろんな建物を実際に見て歩くことの大切さ。空間そのものが醸し出す力は、身体で感じるしかないのだ。それがいつか、仕事での設計に役立っていく。

 と、ホテルの話に終始してしまったが、取材で聞いた話も興味深かった。
 この物語の個性的な主人公には、モデルはいない、物語の構成はきっちり決めず、流れに任せる、などなど。
 やはり他の作家の方も、取材の際、「自分の体験はほとんど書かない」と言っておられた。「自分の体験だけに頼っていると、いつか尽きてしまうし、狭くなってしまうから」だそうだ。
 やはり、作家の想像力、ということに尽きるのか。
 こんな話を聞くと、自分もまた小説を書いてみたい気持ちが湧いてくるのだけれど……れっきとした勤め人でもあるので、毎日をこなすだけで、日々はどんどん過ぎてゆく(と言い訳)。人生一度きりなのに、これでいいのか、などと思いつつ……。

 それはさておき、美しい場所は、自然であれ、人工的な建造物であれ、よいなあと単純に思う。
 ワーキングプア問題も気になるけれど、マンダリン オリエンタル 東京みたいなところは素敵。こういう場所が東京にあると思うと、嬉しい。

*この後、東京マンダリン オリエンタル東京でディナーをしました。
 こちら も併せてお読みください。

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2006年11月19日 (日)

寄る辺なき時代の希望――肝心なのは、答えを出そうとしないことです

 Taaguchi 田口ランディさんの寄る辺なき時代の希望 という本には、「人はなぜ、必ず死ぬのに生きるのですか?」というタイトルの序章がある。
 匿名の読者からのメールにあった投げかけで、彼女はその問いに戸惑ったそうだ。
 私も、そんな問いを投げかけられたら、即答はできない。
 むしろ私自身、似たようなことをいつもどこかでうっすらと思いながら生きている。
 この序章は、こんなふうに締め括られている。

頭を抱えて悩んでいたら「困ったときは旅に出なさい」と、
教えてくれた人がいました。心理学者の河合隼雄先生です。
あなたは頭で考えすぎです。もっと諸国漫遊して、ぶらぶらしたらどうですか。
肝心なのは、答えを出そうとしないことです。

 そこから彼女の旅が始まる。訪れる先は、べてるの家(精神障害をかかえた人々がさまざまな活動を行っているところ)やチェルノブイリ原発事故の汚染地帯など。

 私は、上記の序章を読んでから、「肝心なのは、答えを出そうとしないことです」を胸の中で繰り返している。河合先生は、子どもの事件などに関しても、分析して病名をつけてわかったようなつもりになるのは危険、こんな深刻な事件だからこそ答えを手軽に出そうとしてはいけない、ということをいつも言っている。

 自殺も、困難な人生に一気に答えを出そうとすることかも知れない。
 でも、人も周りも変わっていくのが人生。だから、今出した答えが正しいとは限らない。
 どうにもならない時は――いじめを受けているとか――とりあえずその場から逃げればいいと思う。それは弱いということでもないし、負けということでもないと思う。

 田口ランディさんがいろんなことにこだわり続け、書き続けているのは、お兄さんのことが大きく影響している。ひきこもりの末、ほとんど自殺のような形でお兄さんを亡くされているのだ。彼女は常にお兄さん(と自分)のことを考え続けている。
 私も実の母親を自殺によって失っているので、凄く共感できる。
 私の場合も、もうかれこれ30年以上経つのだけれど、ずーっと考え続けてきて、見える部分でも自分では意識していない部分でも大きな影響を受けてきて、未だにある意味呪縛されている。
 そしてまた、この事実は負の部分ではあるけれど、でも皮肉なことに、私もそれ故にものを書いたりしてきた……と言える。

 死ねば終われる、と死んでいく人は思うのだろうけれど、その後に残される人たちに思いを馳せてほしいと思う。
 子どもが死ねば親は一生その悲しみから逃れられないし、親に死なれた子どもはその呪縛から解放されるのに長い長い時間がかかる。これは本当に私が、自分の身をもって感じてきたことだ。
 とはいえ、そこまで想像できないほど追い詰められているから、自殺してしまうのかも知れないが……。

 とにかく、「答えを出そうとしないこと」を胸に刻んだら、生きるのがちょっと楽になると思うのだ。

 それにしても、今は本当に「寄る辺なき時代」なんだなあと思う。
 社会や会社がアテにならないのは当たり前として、私たちの世代は家族もつくらずひとりで生きている人も多い。また、そもそも人生なんて不平等で不条理なものなんだけれど、今は、情報が溢れていて自分より豊かで幸せそうな人の姿ばかりが目につく。
 もっといい人生があるのではないか、あの時あっちに行っていれば、本当の自分は……と出口のない自分探しや欲望に飲まれてゆく。
 選択肢やある程度の自由がある故の、現代の苦しさかも知れない。
 そんなことを覚悟して、あちこちぶつかりながら手探りでやっていくしかないのだろう。

 ところで、私も河合先生の言うように、旅をしたいなあとしみじみ思う。
 もう随分長い間、東京の片隅でせわしなくちまちまと、でもって不安いっぱいで生きてきた。身体も弱って、それに伴なって心も弱った。そんな感じで40代を迎えてしまった。かろうじて仕事はしているけれど、何もかも心細い。
 そんな私が今、一番行きたいのは京都の鞍馬山。いわゆるパワースポット(笑)。
 以前、横尾忠則さんが鞍馬山について語っていた新聞記事をずっと取ってあり、いつかそのうち行きたい!と思っていた。
 今、私の心と細胞がとっても行きたがっている感じ――パワー溢れる自然の磁場に触れて、細胞を蘇えらせたい!――なので、来年の春くらいには実行しようと思っている。
 現在は漢方薬代に投入しているので、余裕が全然なく、旅どころではない。
 本当に漢方代がなかなかに膨大……どれくらい膨大かと言うと、賑やかな大阪あたりへ行っておいしいものをいっぱい食べたり(NHKの『芋たこなんきん』で大阪が好きになった)、もしくは京都・奈良のお寺巡り、なんていうちょっとした旅が毎月一度はできるくらい!(田口ランディさんと比べたら、軟弱な旅だなあ/苦笑)
 仕方ない。まずは身体をよくしてからだ。
 
 なんて呑気ことを書いている私だけれど、朝起きればどうして目が覚めてしまうんだろうと思い、このまま眠るように死ねないかなあとか、積極的に死ぬ気力はないけれど、もし消え入るように死ぬことができたら死んでしまいたいとか、何もかもうんざり……などと、日常的に思っていたので、人は変わるという証しかも。
 といって、今も元気ハツラツというわけでもないし、どこか危ういところに立っているのだとは思う。でも、なんだよくわからないし不条理ではあるけれど、寿命が尽きるまでは生きるしかないんだなあという気持ちになってきたのは確かだ(いつか必ず死ぬのだし)。
 
 話が散漫になったけれど、ここのところ、あまりにもいじめや自殺を巡るニュースが続いているので、雨降りの静かな日曜に、今思っていることを書いてみた。

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理想のバッグは何処に?

 通勤用のバッグを買い替えた。
 今まで使っていたのは、russet (ラシット)という日本のブランドのトートバッグ。本体はナイロンで軽いのだけれど、持ち手はしっかりとした革なのが気に入ったのだ。ところが……使っていくうちに、徐々に通勤用バッグとしては不備な点を発見。
 Img_0501_5まず、ギャザーが寄っているので、A4サイズの書類が入るには入るけれど、真っ直ぐ入らず、ぐにゃりとしなる。そんなの買う前に見ればわかるじゃないかと思われそうだけれど、その時はなぜか冷静な判断が働かなくて、このギャザーが可愛い!なんて思ってしまったのだ。
 そして、もうひとつ。ポケットが左右の外側に付いているのだけれど、結構タプタプとゆとりがあり、それでいて浅いので、入れたものが落ちそうな気がするところ……携帯と定期を入れていたのだが、ちゃんと収まっているかいつもチェックして心配していた。
 さらに、雨が強い日は、そのポケットの中に容赦なく雨が吹き込むのである。
 雨の日は、携帯も定期も中に避難して、ポケットの中の水滴をタオルで拭き取ることになる。
 なんてことを、ほぼ1年間繰り返し、お弁当持参の日はセカンドバッグが必要だし、もう限界だ!と思った。

 例の如く、仕事帰りに、新宿伊勢丹のバッグ売り場を何日か歩く。
 でも、私好みで、私が求める機能に叶ったデザインで、予算に見合ったものがない!
 以前のブログでも書いた記憶があるが、これだけモノが溢れているのに、ほしいものがないというこの不思議……。

 売り場をウロウロしているうちに、またもやあまり実用的とは言い難いアニヤ・ハインドマーチのバッグに目がいき、いっそこういう楽しい写真プリントのを買っちまうか!という無謀な衝動にかられるが、衝動買いするには4万近いお値段はいくらなんでも……なので、すぐ冷静になる。

 で、これかも!と思ったのは、今までとまた同じブランド、russetのトートバッグ。肩凝りの私は、革のバッグは重くて辛いので、結局このブランドになってしまうようだ。russetのバッグは、ナイロンと革の割合が絶妙で、軽いわりにはきちんとした雰囲気なのがいいし、シックなモノグラムは何にでも合わせやすい。
「A4サイズを縦にしても横にしても入ります。それに、これは新宿伊勢丹だけのオリジナルカラーなんですよ」
 と言う店員さんの言葉で、すぐ決めてしまった(限定品に弱い私…)。それに、この季節に着ている渋めのオレンジ色のトレンチコートとも、色が合いそうだし。値段も1万2千円、アニヤ・ハインドマーチと比べて3万近く安いので、なんだか得した気になる(が、別に何も得はしていない/笑)。
 むしろ、1円もボーナスが出ない身には高い買い物だ。

Img_0495_2 だけど、このバッグを持つようになってから、凄く気分が変わった。
 あのギャザー入りバッグを持っていた時は、日々、小さなストレスが積み重なっていたようだ。
 今回選んだバッグは、書類はもちろん、内ポケットが3つに携帯入れも別にあるので、モノが取り出しやすい。ここはハンカチ類、ここは定期と名刺入れ、ここはお財布、と整理がつく。お弁当箱もすっぽり入り、カーディガン1枚くらいもOK。
 そのうえ、ハードカバーの単行本1冊に、帰りがけに買ったパンの包みなんかもふわっと入れることができる。それくらい入れても、持ち手の革がしっかりしているので、手が痛くならない。そこのポイントはかなり高い。ストレスもなくなって、通勤するのが楽しみになったくらいだ(ほんのちょっとだけどね/笑)。バッグひとつでこんなに気分が変わるのなら、安いものかも。

 唯一、見つけた欠点は、ショルダーになりそうでならないところ。
 持ち手がしっかりしすぎていて、厚みがあるため、肩にかけても落ちてきてしまうのだ。
 まあ、なかなかパーフェクトなものはないってことか……。

 本当は、いちばんほしかったのはセリーヌの「働く女性が作る理想のバッグ」というもの。
 昨年の2005年、創業60周年のセリーヌが、美術、写真、文学の分野で活躍するパリジェンヌ3人が理想とするバッグ、というのを作ったそうなのだ。
 その写真を見て、私のほしいのはこれだ!と思った。大振りで、ブロンズオレンジの糸を織り込んだ布地に持ちやすそうな革の持ち手。ポーチがいくつか付いているとか、パーティ用のバッグ付きとか、旅行鞄にもなるとか、3人の職業が反映されたデザインだったらしい。
 当然、限定発売もので即完売だそうで、お値段も10万円台。
 そんなに活躍もしていない私には分不相応なものだけど、と思いつつ……ほしかったなあと思う。エルメスと比べたら安いし(と、どうも感覚が狂う/笑)。
 しかし、そのバッグ以外は、セリーヌにはあまり惹かれない。
 ここで、ちらっとそのバッグが見られます。ELLE ONLINE
 3人がデザインしたそれぞれのバッグも載っています。私は「モードとテキスタイル博物館」キューレーターのパメラ・ゴルバンのバッグがいちばん好き。

 毎日変える洋服と違って、バッグ――特に通勤バッグ――は一層身近だし、それによって気分も変わるから、大切だ。それでもって、通勤用の機能優先バッグだけじゃ、やっぱりつまらなくて、つい「お出かけ用バッグ」にも目がいってしまう。
 「どこにお出かけするんだよ?!」と自分にツッコミを入れながら(笑)。
 仕事と生活と夢と……本当に女性にとってバッグって、何なのかなあ。
 ブランドものを持って自分をよく見せたいのは愚か、とかなんとか、「日本女性」はよく非難される(確かにそういう人もいるだろうけど)。でも、もっと切実な、というか、自分の分身と言うと大げさだけれど、そこにはお守りみたいな気持ちも入っているような気がする。
 特に仕事のためのバッグは、この世知辛い世の中で働いていく上での拠り所、みたいな……なんて、女性とバッグの関係に関しては、実はよくわからない。
 自分自身も女なのだけれど。

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2006年11月12日 (日)

新宿伊勢丹のクリスマス・ディスプレイ

Img_0492_1









 

 11月に入った途端、街は早くもクリスマスのデコレーションでいっぱい。
 上旬は汗ばむような日も多かったから、今ひとつ気分が出ず、早すぎるんじゃないのかなあと思う。
 よって、クリスマスを心待ちにするというより、温暖化のほうが気にかかるこの頃……でImg_0490_1はあるけれど、やはりきれいなものを見ると、心が潤う。
 特に、新宿伊勢丹のショーウィンドウは今年も素晴らしい。
 昨年は、お伽噺や物語――『不思議の国のアリス』とか『眠りの森の美女』など――をモチーフにしたデコレーションでとても美しかった。1階の店内も通路の天井をグリーンが覆うように飾ってあって、森のなかに入っていくようだった。
 今年は、特にテーマはないようだけれど、バカラのクリスタルやエンジェルやアンティーク風の絵をたくさんあしらった、ファンタスティックなディスプレイ。
 通勤には、毎朝毎夕この前を通るので、楽しい。特に、夕方はきれい。

 しかし、昨年はクリスマス前にショーウィンドウのデコレーションは撤去されてしまい、確か次シーズンの春っぽいものになっていた。
 先取りして見せていきたいのだろうけれど、これにはがっかり。Img_0489_1
 クリスマス当日には、クリスマスのデコレーションであってほしかった。
 先取りなんて、業界人を呼ぶコレクションじゃないんだから……という感じ。
 果たして、今年はどうなるのか? 

Img_0491_1

←一見、ステンドグラス風なのだれど、これも伊勢丹のディスプレイ。下の方には、ネオンがしっかり映り込んでいる(笑)。

 それにしても、この4点の写真はすべて新宿伊勢丹によるものだけれど(実際にはもっといっぱいあります)、これだけのものを見せてくれるディスプレイは少ない。
 あとは、たいていチカチカしているだけというか。
 特に、最近は個人の住宅でもイルミネーションを施す人が多いのだけれど、私はあれが嫌いで……色合いとかをまったく考えずにコテコテ、テカテカのイルミネーションでキャバレー(死語?)みたいなんだもの。
 
 以前、近所の南仏ものを扱う雑貨屋さんで見たクリスマスのディスプレイには感動した。
 出窓に枯れ葉をあしらって、単色でゆっくり点滅する控えめな光が灯り、南仏の木彫りの素朴なサンタクロースが一体だけ。絵本のなかを覗き込んでいるみたいだった。

 日本人のくせにクリスマスを祝うなとか、今さらなことは言わないから、せめてもうちょっと静かで厳かな雰囲気にならないものか。

 とはいえ、私もこの季節になると、いそいそとシュトーレンを買い求めたりする。
 ドライフルーツやナッツを入れた、どっしりとしたドイツのクリスマス用の焼き菓子。
 日持ちがするので、1本買って、お茶の時間に少しずつ切って食べると、結構長く楽しめる。ウェスティンホテルのがとってもおいしかった記憶があるので、今年は頑張って恵比寿まで買いに行こうかな。

 ……と、クリスマスだからと言って、特に何をするわけでもないけれど、やはり気持ちがちょっとばかり浮き立つのは確かだ。

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2006年11月 8日 (水)

桃色の龍

 今日は、残業も買い物なしで、早めに帰宅。
 西荻窪の駅に降りたときは、まだほんのり夕焼け空。ホームからふと空を見る上げると……細ながーい雲が。
 一見、飛行機雲のようだけれど、それよりは明らかに太い。
 ゆるやかに天を駆け昇っていくような、細長い桃色の雲。
 なぜか咄嗟に、あ、龍神!と思う。
 と思って眺めていると、見れば見るほど龍に見えてくる。
 尾の方はうねっているし、背びれのようなものまでたくさん付いているではないか。

 駅を出て銀行へ寄り、さすがに龍はもういないだろうと、また空を見上げると……今度は、桃色ではなく、白に変化した龍がしっかりと天を昇っていた。
 どうして、誰も気づかないのだろう?
 今、この上空では、龍神が駆けているというのに……と空ばかり見て歩いていたら、自転車にぶつかりそうになった。
 よかった、自転車で。車に轢かれてしまったら、私も昇天してしまうところだった(シャレにならん)。
 帰り道の三分の二くらい、白い龍と一緒だった。
 家に着く頃は、あっという間に日が暮れて、龍は姿を消した。
 その代わり、ちょっと欠けたきれいな月が見えてきた。

 前に、とある賢人(ということにしておく/笑)に
「あなたは、龍が付いているから大変ですね」
 と言われる夢を見たことがある。
 何を意味していたのか、未だに謎のままである。
 この世のものではないものが付いているから、大変なのだろうか?

 何にせよ、今日の桃色の龍の雲は、この世のものとは思えないほど、神秘的だった。
 とりあえず、自分のなかで吉兆……ということにしておく。

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2006年11月 5日 (日)

微笑みに出会う街角――トラウマの乗り越え方

 リアルタイムで劇場に観に行かなかったことを悔やむ映画がまたひとつ増えた。
 先日、WOWOWで放送された微笑みに出会う街角
 イタリアの大女優、ソフィア・ローレンの息子、エドアルド・ポンティが脚本、監督(親の七光りなんかではない、実力のある素晴らしい監督だと思う)。
 主演は、ソフィア・ローレン、ミラ・ソルヴィーノ、デボラ・カーラ・アンガーの3人の女優。
 それぞれの場所で、異なる立場、悩みを抱えつつ生きる3人の女性を同時進行で描いていく。まったくの他人同士なので交わることはないが、街角のちょっとした同じ出来事にそれぞれ関わっていたり、すれ違っている。そんな描き方が上手い。
 私たちもきっと、決して会話を交わすことはなくても、日々街角でこんなふうにひっそりと「見知らぬ誰か」とすれ違っているのだろう。
 原題は、“Between Strangers”。こちらのほうが絶対いい。
 だいたい「微笑みに出会う街角」なんていう、甘ったるい感傷的なタイトルとは、およそかけ離れた映画なのだから。

 極力説明を排し、女優の表情や仕草、ちょっとしたディティールで語ってゆき、全体に心地よい静謐感が漂う。
 
 以下、ネタバレです……

 ソフィア・ローレンが演じるのは、車椅子でしか動くのことできない過干渉な夫(ピート・ポスルスウェイト)をもつ主婦、オリビア。水色の上っ張りを着て、スーパーでパートをしている。
 そんな生活に疲れた役柄でも浮いて見えない。それでいて、美しいのだから素晴らしい。大女優たる所以か。
 実はオリビアには、隠れた絵の才能があり、その絵の源泉は夜毎見る「夢」からきているという。少女時代は、画家になるのが夢だったとも。しかし、バカにしてまったく取り合わない夫。
 ある日、彼女は、「秘密にしていたけれど、自分は10代の時に女の子を産んでおり、手放した。その彼女は、今彫刻家になっているのだ」と、夫に告白する。激昂するだけの夫とオリビアの間には、最早なんら通い合うものがないように見える。
 彼女の「夢」のモチーフは、実はその娘の彫刻のテーマと同じもの。
 そんな神秘的なストーリー展開も、映画に奥行きを与えている。

 ミラ・ソルヴィーノが演じるのは、高名なフォト・ジャーナリストの父をもち、やはり本人も駆け出しのフォトグラファーのナタリア。アフリカのアンゴラ地方で、戦火のなかで泣いている少女の写真を撮り、TIME誌の表紙を飾る。でも、彼女はどこか素直に喜べない。やがて、自分自身で曖昧にしていた記憶を探る。そして、少女を助けるよりも、写真を撮ってしまい、少女は、その後死んでしまったことに気づくのだ(当時はショック状態で覚えていなかった)。ナタリアは父親に、この仕事を続けることはできないと言う。
 父親を前にすると、いつも困ったような泣き出しそうな顔をしている。ナタリアが子どもの頃、クリスマスプレゼントに年代もののライカを贈るような父だ。そんな父親の期待に応えようと頑張ってきたけれど、もう無理……とでも言いたげな表情のナタリア。

 そして、デボラ・カーラ・アンガーが演じるのは、チェリストのキャシー。母親はDVの父親に殴られ続け殺されてしまった。そして父親は投獄されて……という暗い過去をもつ。
 22年間刑に服した父親が出所する頃、キャシーは精神のバランスを崩し、自分の家族のことも顧みなくなる。

 それぞれ、他人には打ち明けづらい、出口のない暗い思い――トラウマ――を抱えて生きている。
 そして、彼女たちはどうするのか?

 オリビアは、彫刻家の娘・アマンダのサイン会に出かけた際、他人を装いながら「夢が叶ってよかったわね」と声をかける。アマンダはお礼を言い、「夢がすべてよ」とオリビアに言う。
 その後、オリビアはアマンダが住むフィレンツェに旅立つことを決意する。絵の好きなオリビアにとってもフィレンツェは憧れの地だったのだ。それでどうなるものでもないだろうが、とにかくフィレンツェへ行くと決める。
 何の関心も理解も示そうとしなかった夫だが、しかし、さりげなく旅行のお金を彼女に渡す……。

 ところで、この夫役のピート・ポスルスウェイトも凄く上手い(代表作は「父の祈りを」など)。
「俺は、お前を必要となんかしていない。お前のほうが俺を必要としているんだ。子どもを捨てた罪悪感のために、車椅子の俺と結婚したんだ」
 などと言い放ち、激昂したため、目の前にあったワイングラスを倒し、ワインがかかってしまうシーンがあった。
 でも、「お前なんか必要ない」と言った手前、彼女に助けを求めることができない。
 そこで、オリビアは、というより――ソフィア・ローレンは、と言いたくなるのだが――じっと黙ったまま、夫を見つめ続ける。そして、何をするかと言うと、「ほら、ごらんなさい!」などとは叫ばず、ゆっくりと立ち上がり窓を開けると、豪雨の空を眺め、雨粒に当たるのだ。後ろでは、「何をしているんだ、窓を閉めろ!」とわめき続ける夫……。
 というシーンが秀逸だった。虚しさと緊張感が漂う、夫婦の間の重たい空気。
 こういうのを演出というのだろうな。そして、素晴らしい役者の力。

 ナタリアは、いったんフォト・ジャーリストをやめ、アンゴラへ、今度はボランティアとして向かう。なおも「写真で世界を変えろ。私を困らせるな」と言う父に、彼女はきっぱりと「これは私自身の問題なの」と、初めて父親に自分を主張する。

 一方、キャシーは出所してきた父親に、今までの憎しみをぶつける。銃を向け、「これで、死ぬ前の気持ちがわかる? ママの気持ちがわかる?」と迫る。
 銃で撃つことはなかったが、その後、キャシーと父親は心を通い合わせる時間もなく、父親は不慮の事故で死んでしまう。
 それでもやがて、彼女は父親を許すことができるようになる。同時に、その時、やっと自分自身も再生することができるのだ。

 「トラウマの乗り越え方」などという、大げさな(?)サブタイトルを付けてしまったが、別にこの映画はそれを具体的に教えてくれるわけではない。
 でも、3人のあり方を見ていると、出口を見つけるためには、恐れず自分を見つめ、そして一歩踏み出すことが必要なのだ、大切なのだということに気づかされる。

Img_0483_2 そんな3人が、ラストシーンの空港で、たまたま同じテーブルにつき、初めて出会う。
 天使のような女の子の笑い声につられて、3人は顔を見合わせて微笑む。
 だから、“Between Strangers”(微笑みの出会う街角、じゃないんだってば!)
 天使のような女の子は、オリビアにとってはかつて手放してしまった娘であり、ナタリアにとってはアンゴラの少女であり、キャシーにとっては疎遠になってしまった自分の小さな娘なのだろう。
 そして、夢をもっていた、かつての自分自身、少女の頃の自分でもある。
 
 もうひとつ、トラウマの乗り越え方があるとすれば――それは、そんな少女の頃の夢を思い出すことかもしれない。
 いろいろな解釈ができそうだけれど、私はそんなふうに受け止めた。 

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この秋は……

 前回の更新からすっかり間があいてしまいました。
 10月は何をしていたかと言うと、原因不明の激しい腰痛から始まるもろもろの体調不良で、整形外科でレントゲン→婦人科で検診、やはり婦人科が根本の原因らしい→ついにMRI検査……と病院の検査漬けの日々。
 仕事を早退したりその分残業したり、貴重な土曜日に早起きして病院へ行ったりと、なんというか病気するとますます体力も精神も消耗するのを感じた。
 また、MRI検査の結果が出るまでというのがえらく時間がかかるので、それを待つのが凄く苦痛だった(お金も、いっぱいかかった)。
 よくはないけれど、深刻な事態ではないだろうというのは直感的に感じていたけれど、もしかして……ということもある。
 果たして結果は――悪性の腫瘍等は一切なしということで、一安心だったのだけれど、今のままでは危ういので、何らかの治療法を考えなければいけない。かかりつけの婦人科の先生は、手術か薬物療法(副作用あり)をすすめている。ただし、「酷い貧血なので、今のままでは手術もできない状態なんですよ」と言われている。
 で、どうしようかと思っているのだけれど、あと余命半年というわけではないので、手術も薬物療法も保留にして、春くらいから始めた漢方を続けようと決心している。即効性はないけれど、体質を変えなければ本当の治療にはならない、という中医学の教えには共感できるから。手術で身体にメスを入れることによる弊害も聞いたし。
 ここしばらくは、西洋医学と東洋医学の狭間で揺れ、いろんなことを考えさせられた。
 その辺りのことをまとめてみようと思っているのだけれど、そうやってちゃんと書こうと無理をするといつものように睡眠不足になるので、いつかそのうち……。
 万全な体調になることはないだろうから、病気と付き合いつつ無理をせず生きていくしかないんだろうなあ。
 つくづく、女性の身体はやはりデリケートにできている、こんなものを抱えながらよく生きてるよなーと自分でも感心する。
 女性は本当に大変なんです……男性の皆さん、身近な女性をいたわるように!(笑)

 10月はそんな合い間を縫って、21日の土曜日は、シブヤ大学というところが主催する音楽と生きる歓び~フィッシュマンズの宇宙、日本…… という講座を聞きに行った。
 フィッシュマンズの茂木欣一さんも登場。とても貴重な話を聞けて、渋谷の人ごみのなか、無理して行ってよかったなあと思った。フィッシュマンズのデビュー当時、プロデューサーを務めた小玉和文さんのもたらしたものとか、その後のこととか、いろいろ知ることができた。
 当時のことを語る茂木さんはとても生き生きしていて、聞いているこちらも、佐藤伸治クンが死んでしまったことをうっかり忘れそうになるのだった。
 でも、司会の小野島大さんの「佐藤クンのことは今どう思っているか?」というような質問に対しては、ちょっと考え込むようにして、
「時が経つほどに辛くなる」
 と答えたのが心に残った。
 佐藤伸治クンは33歳で亡くなったのだが、少し年下だった茂木さんはその年になることをとても意識するようになったそうだ。
 この感覚は凄くよくわかる。そして、
「今、彼と他愛のない話をしたいです」
 と言うのを聞いて、私はなんだか泣きそうになった。
 「時が経つほどに辛くなる」というのは、感傷的な思いではなく、彼の創り出した世界があまりにも素晴らしかったので、その喪失感と不在は永遠に埋まることはない……という切実な思いを表しているように思えた。
 ところで、この講座に来ていたなかで、きっと私が最年長だったに違いない(笑)。Photo_5
 20代の子がほとんど、男の子も女の子も皆可愛いというか、いい感じの子たちばかりだった。
 その夜、家に帰ってすぐに聞いたのは宇宙 日本 世田谷空中キャンプ 。ちょっと弱っている身体と心に、なんだかやけに沁みた。

MAGIC LOVE  MAGIC LOVE
MAGIC LOVE  MAGIC LOVE

だれかとだれかがどこかで2人出会ったら
小さな小さな祝福の灯がともって
そして小さな時間の輪がまわり
小さな想いがかけまわって
ひとりでそうかとうなずくんだ

胸がかゆいほどに騒ぐ夜もあるさ
ほんのささいな言葉思い出して
ひとりでそうかとうなずくんだ

つながりはいつもそこさ 心ふるわす瞬間さ
つながりはいつもそこさ 心ふるわす瞬間さ

――「宇宙 日本 世田谷」から★MAGIC LOVEより


今日が終わっても 明日が来ても 長くはかなく 日々は続くさPhoto_6
意味なんかない 意味なんかない
僕は泣きうそうだよ
このまま連れてってよ 僕だけ連れてってよ
遠くへ連れてってよ

君とだけ2人落ちていく BABY,IT'S BLUE
友達もいなくなって 
BABY,IT'S BLUE
誰よりも 大好きだった BABY,IT'S BLUE

――「空中キャンプ」から★BABY BLUEより

*フィッシュマンズのすべてをまとめたフィッシュマンズ全書 という本も最近刊行されていて、私はまだ未読だけれど、ファン必携の書という感じ。

 さて、祝日の11月3日(土)は、あまりに気持ちのよいお天気だったし、検査の結果も出て気持ちも少し軽くなったので、ふと思いついて年下の女友だちAちゃんに電話をし、ご飯を食べることになった。
 彼女が住んでいる街、中目黒にて。川沿いを散策し、びっくりする品揃えのセレクトショップを覗いたりした。和のものは、京都の名品の茶筒とか、漆塗りのものとか、ヨーロッパのものは聞いたこともないようなアーティストのジュエリーやバッグやら……アンティーク風レースのブラウスがあってかなり魅了されたが、どこに着ていくんだ?と冷静になり、すぐに戻した。
 店の中央には、樹齢何百年とかで倒木した杉の木をまるまる使って、仏陀の顔をくり抜いた巨大なアートが飾ってあった。イギリスのアーティストによるものだそうだ。
 さすが中目黒、西荻にはない雰囲気(笑)。ここは、また訪れたい。
 Img_0479木造モルタルのふるーい建物を中だけ改装してカフェやベーカリーにした「上目六さくらショッピングセンター」という面白いお店で、お茶とケーキ。ここで1時間半くらい喋り、Aちゃん行きつけの沖縄料理の「サイロ」というお店へ案内してもらう。
 沖縄料理というと、沖縄民芸風の素朴な店内を連想するが、ここはシンプルなインテリアのカフェ風なお店。でも、料理はしっかり沖縄していて、味もすこぶるよい!ので、感動する。
 左手前は舞い茸ともずくの天ぷら(私はもずくが大好き!)、右手前はお馴染みゴーヤチャンプル。この日は、泡盛のシークヮーサー割を3杯も。お酒はあまり強くないけれど、このシークヮーサー割は合うみたいで、最後までいい感じで飲める。ビタミンCたっぷりというのも嬉しい。
Img_0481  Aちゃんもいろいろと思い悩むこと多い日常らしく……でも過ぎ去った時間は戻らないわけだし、過去を振り返るよりはこれからを充実させたいよね、とお互い励まし?合って(笑)、夜も更けて11時半頃にお開きに。
 こうして写真を見ると、カフェも沖縄料理のお店サイロにもキャンドルが。サイロのキャンドルホルダーは、淡いブルーの琉球ガラスでとてもきれいだった。

 と、まとめて近況報告でした。
 明日はそろそろ冬物を出して、この季節しかない紅玉で焼きりんごをつくる予定。
 では、皆さんも連休最後のよい日曜日を。

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