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2006年9月17日 (日)

コーラス メモリアル・エディション――「人と人を結びつけるのは、もしかしたら悲しみではないだろうか」

 

 以前にも書いたフランス映画「コーラス」 、そのコーラス メモリアル・エディション のDVDがアマゾンで割引になっていたので、購入してみた。

 Img_0419_4特典は、メイキングやインタビューが合計182分(!)と、楽譜付きメモリアル・ピクチャーノート、封筒付きフォトカードセット(5枚組)、紙飛行機ペーパークラフト(メッセージ付き台紙)。そして、紙のケース入り。
 
 楽譜付きメモリアル・ピクチャーノートには、
「人と人を結びつけるのは、もしかしたら悲しみではないだろうか」
 という書き出しで始まる川本三郎氏の文章が入っていて、これが素晴らしい。
「彼(少年たちにコーラスを教えるマチュー先生)が少年たちに優しいのは、自分自身が挫折者の悲しみを抱いているからだろう。」

 メイキングには、撮影風景がたくさん出てくるのだけれど、撮影から離れて休憩時間にじゃれ合うふだんの少年たちの姿を見ても、主人公ピエール役のジャン=バティスト・モニエ君はやはり突出しているというか、全然違うオーラが出ている。
 彼が所属するサン・マルク少年少女合唱団を、クリストフ・バラティエ監督が訪ねた時、廊下を歩いていていたら、美しい歌声が聞こえてきた。誰が歌っているのだろう?と思って、教室を覗いたら、そこにモニエ君がいた……ということらしい。彼を発見した時、「この映画は完成したも同然」というふうに思ったそうだ。こういうことってあるんですね。まさに必然とも言うべき偶然。

 バラティエ監督が、映画完成後1年経ってから、撮影現場を訪れるところが凄くいい。ひっそりと静まり返ったその場所を歩きながら、撮影中の思い出を語る。その時に、
「子ども時代は孤独だった」
 ということを言っていた。家庭の事情で、両親から離れておばあさんの元で暮らしていた時期があったそうだ。
 窓の外から暮れてゆく空を眺めながら、
「こんな夕暮れ時は、子どもの頃を思い出すね。なんとも寂しい感じで。アルミホイルに包んだパンの匂いなんかと一緒に」
 というようなことを言っていた。
 おばあさんが、おやつにパンをアルミホイルでくるんでオーブンで温めてくれたのだろうか。こんなふうにディティールを語れる人、子どもの頃のことを、まるで昨日あったことのように語れる人って、好きだ。なぜだか信用できる気がする。  
 かつて子どもであった自分と、今のおとなの自分がつながっている人。
 それは決して、少年の心を失わないとか、子どもっぽい人、という意味ではない。
 むしろ、その逆だ。子どもの頃の痛みや悲しみ、孤独を覚えているからこそ、人にやさしくできる「おとな」になれる。いつまでも「子どもっぽい人」というのは、他人に共感したり、痛みを分かち合ったりすることができないものだ。

 すべての撮影が終了し「カット!」の声が上がった途端、感極まって、泣き出す子もいた。
 バラティエ監督は、長い撮影期間が終わったあと、子どもたちに、
「映画が終わって、皆、それぞれの場所へ帰る。でも、この映画のなかの君たちは永遠に残る」
 という言葉を送った。
 この映画に出演した少年たちは、全員素人とのこと。
 でも、コーラスの撮影場面にあたって、歌い始めるようになってから、皆の心が何かに目覚めたというか、一体感が出てきたそうだ。
 そういう意味でも、「コーラス」というこの映画のストーリーをそのままなぞるかのような撮影現場だったのだ。

 孤児のペピノ役をやったマクサンス君は、「ふだんは元気だけれど、映画のなかではちょっと悲しい」と言っていたのが印象的だった。「人と人を結びつけるのは、もしかしたら悲しみ」というような感情を、子どもながらに本能的につかんでいたのだと思う。
 メイキングにはマクサンス君が結構出てきて、嬉しい限り。本当に可愛い!

 また、メイキングを見ると、音楽映画の制作方法もわかって興味深い。
 冒頭で、成功したピエール(ジャック・ペラン)が指揮者となってオーケストラで指揮をするシーンがあるのだが、場面にするとほんのわずかな時間なのに、そのために費やされるエネルギーは相当なもの。本物の指揮者から、音楽を流しながら念入りな指導を受ける。
 少年たちのコーラスの場面も、サン・マルク少年少女合唱団の先生が撮影の現場でつきっきりで指導に当たっていた。それを見ながら、マチュー先生を演じるジェラーエル・ジュニョが、合唱指導の演技を修得していく。
 コーラスの歌声は、吹き替えなのか、それとも演技をしている少年たちなのか? だとするとやけに上手いなと思っていたのだけれど、それもわかった。サン・マルク少年少女合唱団の訓練された歌声と、出演した少年たちの歌声がミックスされているそうだ。なるほど、それで感動的だけれど素朴な味わいがあったのかと感心する。
 曲目も、古典的な雰囲気だけれど耳にしたことがないなと思っていたら、ブリュノ・クーレという音楽担当のオリジナルだということもわかった。
 伯爵夫人の前で披露するコーラスの場面はハイライトシーンで、モニエ君のソロが鳥肌が立つほど美しいのだけれど、実際の撮影現場でも出演者とエキストラの間からは、ため息が洩れ、感嘆の声が上がったそうだ。

 こんなふうに、直接観衆の目には見えない積み重ねの努力やものを創ることの愛情や人と人のつながりがつまっているのかと思うと、やはり映画って凄いと思う。特にこの「コーラス」は、メイキングを見るとさらにまた感動が深まる。たいていの映画はメイキングを見ても、へえー、そうだったんだ、と思うくらいなんだけれど。

 バラティエ監督は、この映画が完成してから初めて、この映画は自分の子ども時代へ向けたものなのだ、ということに気づいたそうだ。
 自分自身の内面へ向けた表現が普遍性をもつと、多くの人を感動させることができるのだろう。

 このメモリアル・エディションは生涯の宝物にして、大切にしようと思う。

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コメント

kateさん、こんばんは。
「コーラス」は気になっていながら見逃してしまった映画なのですが、この記事(それに前の記事も)を読んだらまたもや観たくなってしまいました!
「人と人を結びつけるのは、もしかしたら悲しみ」
最近↑の言葉を実感することが多いです。
私の好きな優しい友人達も皆何か傷を持っているので。

そうそう「ゆれる」観に行ってきました(これもkateさんの映画評の影響)。
良かったです。ジョー、初めて良いと思いました。
香川さんも上手かった。実は香川さん、好きじゃなかったんです。
以前大河ドラマで秀吉の役をやってたのをみた限りでは、演技過剰が鼻についてしまって、しかも竹中直人さん(彼も演技過剰気味)がやった秀吉とキャラがかぶってる感じで、何となく上手いけど好きになれない俳優だと思っていたのです。
でも「ゆれる」は素晴らしかった。
監督の描写の上手さにも唸らされました。
ビールが脚にポタポタこぼれるシーンや、洗濯物を畳むシーン。

今後も映画評楽しみにしています!

投稿: rei | 2006年9月18日 (月) 23:59

reiさん
「コーラス」、今レンタル屋さんでも借りられますので、ぜひご覧になってみてください。

香川さん、いいでしょう!
「独立少年合唱団」という、やはり日本版コーラスみたいな映画にも(こちらの方がコーラスより先なんですが)、合唱指導の教師として登場しています。
「いつか読書する日」という邦画では、姑息な感じの地方のスーパーの店長(笑)をやってて、上手かったです。
非凡な役から平凡な小市民まで、何でも自分のものにできる役者さんだと思います。
とにかく、「ゆれる」は凄い映画ですよね。

投稿: Kate | 2006年9月19日 (火) 00:15

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