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2006年9月18日 (月)

残酷な神が支配する――「その絶望には いまだ名前がないのだ」

  Hagio萩尾望都の『残酷な神が支配する』(小学館)を先日、持っていなかった巻を取り寄せして、ようやくすべて読了した。「プチフラワー」にて連載9年にも及ぶ、萩尾望都、渾身の大作(全17巻、現在は文庫化されている)。2001年にすでに完結しているので、今さらという感じだが、素晴らしい作品なので、紹介したい。

 母親の再婚相手の男性グレッグ――イギリスの一見紳士的な、しかも資産家――に、性的な虐待を受け続ける16歳の少年ジェルミの物語(ジェルミはアメリカ人)。
 「残酷な神が支配する」とは、アイルランドの詩人W・B・イェイツの文章の一節から。残酷な神は、もちろん、その男性のことである。
 
 なぜジェルミは、受け続けた虐待のことを人に相談し助けを求められなかったのか……ジェルミの苦しみを克明に描きながら、周囲の大人たちの身勝手さが浮き彫りにされてゆく。
 
 ジェルミの母親、夫を亡くしたサンドラは精神的に自立しておらず、その寄る辺のなさをすべて息子のジェルミにぶつけていた。息子を大事にしているように見えて、サンドラはジェルミに依存している。夫の身代わりであり、恋人。
 「お父さんが死んじゃったんだから、サンドラを支えるのは僕しかいないんだ」と思い込むジェルミ。実際に母親は、息子に「サンドラ」と、自分のことを名前で呼ばせていた。ある種の精神的な近親相姦状態。
 ジェルミは、そんな母親のあり方は、自分への愛なのだと信じきっている。だから、グレッグにセックスを強要されても(それも鞭で打つという、サディスティックな暴力も含んでいる)、我慢する。彼に、「いいかい、このことはサンドラには内緒だよ。ばらしたら、サンドラとは別れる。そうしたら、サンドラはさぞ悲しむだろうね」と脅迫されていたからだ。
 サンドラは、自分の息子を夫代わりにした挙げ句、なおも実質的に庇護してくれる相手を求め、イギリスの資産家であるグレッグと結婚する。
 ここで、萩尾望都が上手いのは、そのサンドラを決して醜くは描いていないこと。容貌も美しく、人当たりも柔らかく、本当に息子を愛しているように描いているのだ。読者もそう思い込んでしまう。

 さて、アメリカからイギリスに渡り、大きな環境の変化もあったうえ、グレッグからの惨い虐待で心身ともに決定的なダメージを受けたジェルミは、次第に自分自身を肯定できず、自己破壊衝動にかられていく。
 無関心を装う大人たち、そのなかで壊れてゆくジェルミ。
 追い詰められたジェルミは、ある恐ろしいことを計画し、それが大きな悲劇を生む。

 そのなかで唯一、救いの手を差し伸べるのが、グレッグの長男イアン。
 初めは、ジェルミに対して疑心暗鬼だったり、長男としての単なる責任感でジェルミに近づいていくのだが、それがいつしか愛情――それも恋愛感情を含んだ――へと変化してゆく。
 このイアンとジェルミ、ふたりの葛藤の描き方が圧巻。
 少年時代に傷を受けた、いわゆるアダルトチルドレン的な人間は、他者を信用できず、心を閉ざしてしまうから、その暗い森へ分け入るのは大変なことなのだ。舞台も、暗い森が暗喩のように度々出てきて、とてもドラマティックだ。
 そして、感動的なのは、イアンは決してそこから逃げないこと。自分の父親の醜さを直視し、ジェルミを好きになってしまうという自分のセクシュアリティに戸惑い悩み迷いながらも、ぶつかっていく。
 時として、ふたりのやり取りは、生きるか死ぬかのぎりぎりのところまでいってしまう。
 「向こう側」に行きそうになりながら、なんとか踏みとどまり、「こちら側」に戻って来る、という感じで、本来ならば心理学者がやるべき危険なことをイアンが引き受けている。
 Img_0434_1もちろん、イアンのすすめで専門家にカウンセリングも受けるのだが、それだけではなかなか回復しないのだ。

 「おまえの痛みに 目をつぶらない」

 というイアンの言葉には、ちょっと泣きそうになってしまった私。
 もしかしたら、こんなふうに無条件で相手のすべてを受け入れ許すことが、本当の「母性的」な愛情なのかも知れない。 イアンは性別としては男だけれど……。同時に、ジェルミを強引にでも社会へ出すという役割も果たし(どんなことをしたかは後述)、「父性的」な側面も併せ持つ人物だ。

 ――と、あまりの大作であり、シリアスなテーマであり、登場人物も多数でいくら書いても書き切れない。
 グレッグのような人物がいる一方、イアンの元恋人のやさしいナディアや親身になってくれる心理学者オーソン先生、ジェルミの通う寄宿学校の同級生たちなど、魅力的な人物も多数出てくる。
 
 興味のある方はぜひ読んでみてください! 損はしません。
 この義父のグレッグが、モラル・ハラスメント的人物。
 初めは実に紳士的なのに、だんだん本性があらわれ、サンドラがうろたえ泣いたりすると、鬼のような形相で「泣くな! うっとうしい」と怒鳴ったりする。 

 注:ネタバレですが→終盤にさしかかり、サンドラは、実は、ジェルミと夫グレッグの事実を知っていた――でも、知りながら否認していたらしい、ということがわかる。否認とは、深層心理ではわかっていながら、あまりに辛いので、なかったことにする、という、ずるい心理状態だ。自己欺瞞。
 結局、行き着くところは母親なのかも知れないと思った。現実を直視する母親であれば、ジェルミを守れたはずであり、こんな悲劇は起こらなかったはずだ。
 母親が子どもに与える影響は計り知れないほど大きい。
 ジェルミ自身、そんな母親の暗部を直視し、呪縛を乗り越えない限り、本当の再生はあり得ないのだが、そこが一番辛く、難しいところでもあるのだ。

 ところで、悪魔的人格のグレッグについては、あまり両親に愛されなかった生い立ちとか少し出てくるが、どうしてもそれだけでは説明がつかない。さすがの萩尾望都も、そこまでは突き詰められなかったのかも……。
 やはり、モラル・ハラスメント的加害者の本質的な理由というのは、第三者にとっては永遠の謎なのだろうか。

 あと、身も蓋もないけど……と思いつつ、実感したこと。
 ぼろぼろになったジェルミを救うため、イアンは彼と徹底的に向き合うのだが、そのための手段として、自分の大学進学を保留にしてロンドンにフラットを借りたり、予備校に通ったり、ジェルミにカウンセリングを受けさせたり、手始めにカルチャーセンターに通わせ美術をやらせたり、いろんなことをするのが興味深かった。
 で、こういうことができるのも、「お金があるから」なんだなあというのを実感したわけ。
 精神的に追い詰められた時、せめてものお金が「ある程度あれば」選択肢も広がるし、余裕もできる……と、自分の身に引き寄せつつ、かなり真剣に考えてしまった。
 実際、ジェルミは、イアンが助けに来るまではニューヨークに逃れ、男娼をし、薬漬けになっていたのだ。
 モラル・ハラスメント夫やDV夫から女たちがなかなか逃れられないのも、主婦がお金を持っていないから、選択肢がないゆえの結果とも言えるし……などと、ついあれこれと。
 
 ジェルミが心理学者のオーソン先生にこんなことを言われるシーンがあった。

「きみの持ち続けている その絶望にはいまだ名前がないのだ。
 誰も その名を知らないのだ。その絶望の名前を。
 きみは喪失し続ける。その喪失にも名前がないのだ」

「なぜ……ですか?」

「歴史は敗者の苦痛に名前を与えない。
 その絶望に近い名は……死だ」

 
 そして、オーソン先生は、
「どんなことがあっても 自らは死なないと約束してくれ」
 と言う。
 
 暴力――身体、精神への暴力すべて――は、人を破壊(死)へと追い込む。
 『残酷な神が支配する』は、そこを描き切った、類い稀なコミックである。

 この壮大なドラマをどんなふうに決着をつけるのだろうと読んでいくと――安易なハッピーエンドは用意されていなかった。
 でも、確かに暗い森を抜けて、ゆるやかな川の流れに身を任せるような、明るさを感じさせる結末になっていて、ほーっと安堵のため息。

 私が10代の頃、多大なる影響を受けた『ポーの一族』(萩尾望都)を読んだ時も、永遠の時を生きるバンパネラがこの世界のどこかに、実在するとしか思えなかったけれど、『残酷な神が支配する』も傷だらけのジェルミとその傷を受け止めるイアンがどこかに実在するような気がしてならない。
 30年近く経っても、萩尾望都の作品にこんなふうにまた打ちのめされるとは……驚嘆するばかりだ。

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コメント

「残酷な神々が支配する」は途中で読むのを止めた漫画でした。
あまりにも虐待が酷くて救いがなくて読み進められなかったんですね(だからラストを知りません)。
途中で読むのを止めてしまったのでアレなんですが、
深い傷を負った人間の再生は不可能なの?と思わせるような内容が何かダメだったんです。
安易なハッピーエンドは好きじゃないのですが、でも私は映画や小説にはやはり救いになる部分(ハッピーエンド)を望む人間なのです。
だから、kateさんが「安堵のため息」が出る結末と書かれていて、何年かぶりに読んでみようかなと思ってます。

投稿: rei | 2006年9月19日 (火) 00:19

reiさん
私も途中で読むのをやめてしまって、で、今頃、完読したわけです。
再生の予感がするというだけで、完全に再生したわけではないと思わせるラストでした。
でも、その方が私は好きです。

でもとにかく、最後まで読むと、ふーっという安堵のため息な感じなのです(稚拙な説明ですみません!)

投稿: Kate | 2006年9月19日 (火) 00:35

そうだったんだー!!
「残酷な神が支配する」はモラハラがテーマだったんだ。


あ、始めまして。
私も10代の頃、「ポーの一族」を読み絶対パンパネラがいると信じて疑わなかった一人です。
萩尾望都の作品は永遠のテーマばかり。
娘たちには「ポーの一族」と「11人いる!」は絶対読みなさいと勧めたくらい大好きです。
そして娘からこれ読んでと勧められたのが「残酷な神が支配する」。

漫画に向かって「逃げて!逃げて!!」と心なかで叫びながら読んでました。逃げなきゃ、ジェルミ、あなたが壊れると。
悲しくて辛くて、それでも生きていかなきゃいけない。
逃げることも出来ない。
途中で読むのをやめようかと思ったくらい読んでて辛かった作品でした。
読んだ当時は、こんな世界なんてありえないと思ってたんですが
モラハラで苦しんでる人は、まさにこの世界なんですね。。
すごく合点がいきました。

投稿: みん | 2006年9月20日 (水) 01:25

みんさん
コメントありがとうございます。
同じように10代の頃、「ポーの一族」の存在を信じていた方と、時と場所を隔てながらも、こんなふうにネット上でお会いできることを幸福に思います。
『残酷な神が支配する』は、壮絶な物語でしたね。
連載当時、私も途中で読むのが途絶えてしまい、数年おいて今読んだら、「モラル・ハラスメント」だったことに気づいたわけです。
当時は、モラル・ハラスメントという概念は日本にはまだなかったと思います。
何が萩尾望都をあのような作品を描くことに駆り立てたのでしょうね。
辛いけれど、カタルシスのある作品です。

あと、萩尾望都と言えば、『トーマの心臓』も好きでした。


投稿: Kate | 2006年9月20日 (水) 01:54

Kateさん、こんばんは。『残酷な神が支配する』は未読なのですが、色々と考え込まされるエントリーでした。
人間というのは、精神的にも身体的にも、社会的な存在であると同時に個的な存在でもあって、この「中途半端で・引き裂かれた」在り方自体が、全ての源のように思える時があります。完全に個的な存在であれば、他者からの「承認」と「自己評価」の間で苦しむこともないでしょうし、逆に完全に社会的な存在なら、そもそもそうした自己意識自体が在り得ないでしょうから。

そしてまた、この世に生を享けた以上、人間の身体と精神は、可能な限り自己の有を肯定し、存続させようと努めますから、他者たち(その最大のもののひとつが、幼児期の母親であるでしょう)の視線を繰り込んで形成された自己意識による強い葛藤があっても、簡単に自殺はできないんですね。

「時として、人間は人間にとって神である」という言葉がありますが、ジェルミに対するイアンの存在には、そういった側面があったのかも知れないと思います。言うまでもなく、ジェルミに対するグレッグのように「人間にとって最も恐るべき敵であり悪魔であり得るのもまた人間である」のですから、事はやっかいなのですが。

個人的には、「虐げられる人間にも、何かしら相応の要素があるのだから、責任がある」といった論理の誘惑に屈しないこと、そしてルサンチマンを他人に伝染させるのではなく、忘却して、より喜びの大きな関係を作り上げていく力を育てていくことが大切なのだと思います。少なくとも理性は、明瞭にそう告げていると感じます。

投稿: 灯 | 2006年9月21日 (木) 23:58

灯さん
深く掘り下げていただいたコメント、感謝します。

>個人的には、「虐げられる人間にも、何かしら相
>応の要素があるのだから、責任がある」といった
>論理の誘惑に屈しないこと、

は、まったくそのとおりだと思います!
弱いとか強いという簡単な言葉では、済ませたくないですね。

>そしてルサンチマンを他人に伝染させるのでは
>なく、忘却して、より喜びの大きな関係を作り
>上げていく力を育てていくことが大切なのだと
>思います。

そうです、まさにそこが一番大切なことなんです。
「忘却して、より喜びの大きな関係を作り上げていく力を育てていくこと」が、実は私の今の人生のテーマであったりします。
つまり、こんな年になっても、過去にあったことに縛られ、なかなかそれができていない……というわけです。

 

投稿: Kate | 2006年9月22日 (金) 01:04

灯さん
昨夜、書ききれなかったので、追加コメント(笑)です。

「社会的な存在であると同時に個的な存在」が「引き裂かれた」ところに、いろんな問題が発生するのでしょうね。
でも、他者に傷つけられることもあれば、逆に自分が救われるのも、他者の存在だったりするわけで……人間というのは本当に厄介だなと思います。と同時におもしろい。

『残酷な神が支配する』1巻に、萩尾望都さんのこんなコメントが載っています。

『残酷な神が支配する』は、アイルランドの詩人・劇作家W・B・イェイツが、その自伝の中で言ったことばです。で、アルヴァレズという詩人・批評家が、著作『自殺の研究』(新潮選書)の中で、この一文を引用し、“残酷な神”とは、自己破壊とか、自殺とか、死とか、そういうもののことだと述べています。
わたしはこのストーリーのタイトルを、狂気、生贄……のイメージで考えていましたら、このイェイツの一文に会い、これを知ってしまった以上これしかない!と思い込みで決定。
詩人って、すごい。
そんなわけで、イェイツの一文をタイトルに使わせてもらいました。イェイツに酔ってしまいそうです。
――萩尾望都

投稿: Kate | 2006年9月23日 (土) 00:10

Kateさん

こんばんは。レスポンスありがとうございます。
『残酷な神が支配する』を読み始めました。
今ちょうど、文庫版で2巻まで読み終えたところです。
とりあえずの感想としては、「出口なしの強い閉塞感」を
とても濃厚に感じさせる設定と展開だということですね。
主要な登場人物にいわゆる「まともな」人間がいないし、
「普通の世界」がジェルミにとって遠くよそよそしいものに
なっていくプロセスの描写が上手いな、と思いました。

Kateさんが言及されている「人が人を救えるのか」という
問題は、大変に難しい問題ですね。と言いますのは、実際の
ところ人は時とともに変わっていくからです。ジェルミに
対するサンドラの接し方が典型ですが、「依存」というのは
相手に「根本的な所で変わってはいけない」という「呪術」
をかけることなんですよね。

変わっていく相手を肯定すること。相手を縛らず、必要な
時に必要な手をさしのべて、見返りを求めないこと。
難しいことですが、やはりこうした事が出来ればいいんじゃ
ないかな、と思います。

最後に、「詩」はその言葉のどれひとつも、他の同義語と
置き換え不可能なところに、その最大の輝きがありますね。
紹介して頂いたイェイツの言葉についての萩尾望都さんの
コメントを読んで、そんな感想を抱きました。

投稿: 灯 | 2006年9月24日 (日) 23:43

灯さん
再びコメントありがとうございます。
読み始めていらっしゃるとは!
なんだか嬉しいです。
最後まで読まれたところで、またぜひ感想をお聞かせください。

>変わっていく相手を肯定すること。相手を縛ら
>ず、必要な時に必要な手をさしのべて、見返り
>を求めないこと。

そう、これが本当に難しいんですよね。
親子間はもちろん、友人との間でも、恋人との間でも、できないことが多い。
見返りを求めない――というのは、どうやったらできるのでしょうか?(笑)
やはり、私は無意識にどこかで「見返り」を求めてしまうんですよ……。

この作品のなかでは、イアンがほとんどジェルミの親代わりになっているところが
泣かせます。
本来、親がするべきことを、他人である彼が引き受けている。
萩尾望都は、他にも「愛されなかった子ども」をテーマにした秀逸な作品があります。

テーマももちろんですが、絵もきれいでしょう!
心象風景のようなものが素晴らしいし、イギリスの雰囲気もよく出ている。
後半、ジェルミとイアンがドーバーの海岸沿いを旅行するところが、
私は特に好きです。

投稿: Kate | 2006年9月25日 (月) 00:38

こちらに書き込むのも久しぶりです。
ずいぶんと遅い書き込みで申し訳ありません。

『残酷な神が支配する』という作品の名前は知っていたし、kateさんが載せたシーンもどこかで見たことがあります。雑誌掲載時に拾い読みしていたのかもしれません。
私も『ポーの一族』に心酔した一人ですが、このコラムを読んで、同世代の漫画家、竹宮惠子作の『風と木の歌』と比較してしまいました。
『残酷な~』では、ジェルミは母親を思って父親の同性愛と虐待に耐えていますが、『風木』では、同性愛を受けた魅惑的な少年が友人を愛し、その友人は半ば愛、半ば友情で少年の愛にこたえて同棲を始めます。
そして少年を今の生活から救おうとするのですが、それは結果的に難しかった。やがて2人の生活に破綻がやってきて、友人は自分の本来の居場所である音楽の世界に戻っていく・・・。
本が手元にないので不正確ですが、こういった内容だったと思います。ここでも、魅惑的な同性愛者である少年は幼い頃からセクシャル・ハラスメントを受けていて、それを悪いことと思っていない。友人のほうはそうではなく、何とか少年を救おうとしています。構図としては同じようなものがありますが、『残酷な~』は、登場人物の心理をもっと深く掘り下げて、母親と息子、義理の兄弟(というより実質的な保護者)や心理学者という多重構造にしてより深い物語を作っていっているのがわかりました。

ここで私が考えたことは、最近の日本でよくある、母親の再婚相手(もしくは恋人)の男性から受ける、連れ子の虐待事件についてでした。
この場合も、母親は実際にはわが子への虐待を知っているケースも多いでしょう。なのになぜなぜその事態を黙認してしまうのか。
経済的に男性に依存しているから、という側面も考えられますが、女性の中には母性とともに女としての部分もあるからだと私は考えます。
母性だけで考えれば、たとえ経済的に苦しくても、まだ若い母親がその男と別れて職に就くことも、現代なら可能です。早くに結婚して、子供がいるのに離婚して子供を育てている人も沢山います。でもそれは相手の男性に女性として見切りをつけたからという部分がある。
男性に女として精神的に依存していたら、たとえ経済的に自立できる可能性があっても、自分の子への虐待を知りつつも男性と分かれられないのではないかと思います。まさしく、この物語の「サンドラ」のように。
こういう子供が最近のニュースを賑わしていますが、これは氷山の一角で、まだまだこういうケースはあるでしょう。おそらくは経済的にも恵まれて育つと思えないこの子達が成長して、どんな人格形成をしていくのか。よい友人や周りの人に手助けされて、ジェルミのように「明るさを感じさせる結末」に行き着くことができるのか。このコラムから、こうした見えざる被害者の子供たちのこと思ってしまいました。
(蛇足ですが、たしか内田春菊さんもこうした生い立ちの子供時代を過ごしていらしたと思います。彼女は作品を書くことで浄化されたのかもしれませんね。)

考えたことをだーっと書いたため、大変な長文で申し訳ありません。
今は少し怖くて読めませんが、いつか読んでみたい作品となりました。

投稿: ローズ・マダー | 2006年10月19日 (木) 19:57

ローズ・マダーさん
『風と木の歌』は、私も当時読んでいましたが、ほとんど記憶に残っていません。
人間の心理の掘り下げ方が全然違うように思います。

世の中で起こるいろんな事件やら何やら……人を平気で傷つける人とか……育っていく過程で、親から受ける影響が大きいんだろうなと思います。そして、その親も……となると、やはりどこかでその負の連鎖を断ち切らないといけないんですよね。
でも、自覚しにくいことですから、これがまた難しい。
この漫画にしろ、親子関係の心理学本にせよ、そういうのが一番必要な人こそ、読みませんからねえ。

投稿: Kate | 2006年10月19日 (木) 23:26

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