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2006年9月に作成された記事

2006年9月25日 (月)

結婚できない男のためのクラシックミュージック特選

 

結婚できない男のためのクラシックミュージック特選

という広告が、私の記事のあとに貼り付いていました。
何だかおかしいので、記事にしちゃいましょう。

あなたも、これで桑野信介の気分に浸れるかも?!
しかし、ドラマと切り離して、この言葉だけ読むと凄くおかしいですね。
結婚できない男のためのクラシックミュージックって、どんなクラシックミュージックだよ、みたいな……(笑)。

このドラマとこの言葉、ちょっとした社会現象を巻き起こしている?

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2006年9月24日 (日)

玄米生活

 圧力鍋を買ってからというもの、玄米生活。
 Img_0416これは、とうもろこしを一緒に炊いた玄米。
 とうもろこしを丸のまんま、ポンと玄米のなかに入れて、塩を少し入れて一緒に炊く。
 冷めてから、とうもろこしを取り出して、包丁で身を削って、炊いた玄米と混ぜ合わせると、とうもろこし玄米ご飯の出来上がり。
 蓋を外すと、とうもろこしがふっくらと玄米のなかに埋もれていて、何度見ても、ふふっと、なんだか笑いたくなる感じなのだ。
 でもってこれがおいしい! 圧力鍋のおかげで、とうもろこしも、もちもちっとして甘味が出て、お湯で茹でるのより、ずっとおいしくなる。
 このとうもろこし玄米ごはんは、カレーに合う。
 あと、よくやるのは、このとうもろこし玄米ごはんに、賽の目に切ったチーズとひよこ豆を入れ、オリーブオイルでさっと混ぜ合わせるというもの。味付けは、塩とガリガリと挽いた黒胡椒――何料理なのかよくわからないけれど、あとサラダ一皿でもあれば、結構満足感のある、ヘルシーなベジタリアン料理の出来上がり。
 でも、とうもろこしの季節も、そろそろ終わり。
 今年最後の、とうもろこし玄米ご飯。

 圧力鍋、実は今回購入するまで使ったことがなかった。
 それまで、爆発する、火傷する、という怖いイメージがあって(笑)、手が出なかったのだけれど、玄米だけはやはりどうしても圧力鍋でないと炊けない、ということがわかり、ついに購入に踏み切った。
 圧力鍋は、ある料理研究家のブログでのおすすめで、ドウシシャという日本のメーカーのもので、6000円ちょっとという手頃な値段。
 とりあえず、今のところこれで充分だし、わりと使いやすい。
 加圧途中でいきなり蓋を開けるなんていう無謀なことさえしなければ、爆発もしないし、火傷もしないこともわかった(笑)。
 ただ、途中で絶対に蓋を開けられないから、慣れ、みたいなものは必要。
 そのうち、圧力鍋クッキングの本を買って、食材別の調理(加圧)時間を押さえておくことが必要かも。
 だけど、玄米だけでなく、今までグラグラグツグツ長時間煮ていた豆だとかじゃがいもが、あっという間に茹で上がってしまうので、感動的。味も、ぎゅっとじ込められ、変に水っぽくならないから、おいしい。

 ところで、玄米は、いろんな人がよいと言っている。
 現代人は、体内に悪いものを蓄積しているから(添加物とか)、それを排出させるには、玄米が一番よいそうだ。
 J-WAVEの番組で、雑誌「ソトコト」の編集長のコーナーがあるのだけれど、大貫妙子さんがゲストの時は、玄米話になった。玄米を食べるようになってから、白米をおいしいと感じなくなり、食べる気がしなくなった、とのこと。
 私も、白米を見ると、穀物の残りカス(笑)、というイメージで、あの白さになんとも不健康な印象を受ける。
 で、大貫妙子さんは、和食中心の玄米生活で、だいたい1日2食生活で、ぜーんぜん太らないとか。
 それから、プレーンヨーグルトを入れるとおいしくなると言っていたので、ええっ?と半信半疑ながらも、私も試してみた。炊く前に、プレーンヨーグルトを大さじ1杯くらい入れて……おそるおそる蓋を開けてみると、普通に炊きあがっていて、酸っぱいということもなかった。気のせいかも知れないけれど、確かにちょっとつやっぽく、一層もちっとなった感じ。
 うーん、でもこんな適当な入れ方でいいのか、ちょっと自信がない。

 あ、あとその時の番組では、坂本龍一の話題も出ていた。
 彼がここ最近、ロハスな人になったのは(笑)、彼女の影響らしい。NYのスタジオで、ワインを飲んで遅くまでパーティをして遊んでいるのを見て、そんなことばっかりしてると、そのうち身体がもたくなるよと、ぴしゃりと指摘したのがきっかけらしい。なるほどねえ。

 以前、私は炭水化物を極端にカットする食事法を実践していたことがある。
 確かに一時的に痩せるのだが、飢餓感が強く、結局、油分が多くなったりして、よくなかった。それに、無理のある食事法は長く続かない。
 そういうのと比べると、玄米は身体にやさしいし、満足感がある。

 ちょっと秋っぽい食卓。Img_0424
 吉祥寺の三浦屋で、秋刀魚が青っぽくピカッと新鮮に光っていたので、買ってみた。
 この秋初めての秋刀魚。本当は、横にサラダの入った巨大なボウルもあったのだけれど、フレームに入らなかった。
 この玄米は、黒紫米入りなので赤っぽい。そして、めかぶとじゃがいものお味噌汁。
 実は、魚はあんまり焼かない。レンジの魚焼き器の引き出し口が、諸々の事情で、開けにくくなっていて焼くのが一苦労なのだ。
 もー狭すぎ、賃貸のキッチン。調理する場が狭いから(狭いというより、ほとんどない)、切った野菜はまな板から墜落するし、動線が悪いせいでよく火傷するし(それは自分のせいか/苦笑)。
 今度引っ越しする時は、キッチンに力を入れた部屋を探したい。圧力鍋も置き場に苦労している。圧力をかけるわけだから、当然、蓋もどっしりしてるし、全体的に大きい。
 キッチンがちゃんとしている――となると、ファミリー仕様になって、家賃が高くなるんだろうなあ。
 「キッチンを中心にした家」が桑野信介のポリシーだったけれど、「キッチンを中心にした賃貸物件」はないものか。

 というわけで、「料理なんてしなさそう」というイメージ反して(笑)、狭いキッチンでうんざりしたり舌打ちをしながらも、こんなふうにせっせと玄米を炊いて、日々ご飯をつくっている。

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2006年9月21日 (木)

結婚できない男 最終回――あなたは、ほんとのひとりぼっちを知らないのよ

 とうとう「結婚できない男」が最終回を迎えた。
 見始めた時は、阿部寛演じる桑野信介のことを、なんて憎たらしい男なんだ!なんて思いながら見ていたのに、終わる頃にはすっかり虜になっていた。
 早坂先生(夏川結衣)やみちるちゃん(国仲涼子)が、嫌だ嫌だと言いながら、引き寄せられていったのとおんなじに(笑)。
 まあ、信介の虜になった……というより、このドラマそものものに、なんだけど。 

Img_0444 最終回の冒頭は、いきなり「ひとり手巻き寿司」のシーン。
 その他、お馴染みステーキ屋、焼き肉屋でのおひとり様シーンもあり、指揮マネも椅子から立ち上がるほどの熱演で、信介ひとりシーンの集大成といった感じ。
 最終回らしくサービスたっぷりの演出だった。

 

 それから、金田(金田、と言うだけで、なんだか=笑)。
「なんだ、いいヤツじゃないか」という、信介の一言がすべてを語っているけれど、このドラマは本当に心底嫌なヤツ、というのが出てこなかった。
 私は、金田は、タダの放蕩息子でニセ建築家だったとか、耐震偽装問題で逮捕されるとか、そんなのを想像したりもしたんだけど……そう言えば、作家の保坂和志氏が、人が創作しようとすると、すぐネガティブな方へ流れやすくなり、嫌な人ばかり出てきたり、結果、陳腐な設定に陥りやすい(最近の傾向だと、不倫とかリストラとかニートとかリストカットとか)というようなことを書いていたけれど、案外と私もそうかも知れないなあと思った。
 このドラマみたいに、皆、ちょっと変なのだけれど、どこか愛すべきところを持っている人たちがたくさん登場する小説なんかを書いてみたいもんです。
 金田も、実はこっそり焼き肉屋で「おひとり様」をしているんだけど、バーで女性と一緒の時に見せるどの表情よりも、いきいきとしていて楽しそうだったのが笑えた。
 公式HP に、金田を演じた高知東生さんのインタビューがあるのだが(TOPICのなか)、「実は金田こそが結婚できない男であり、自信がなく、プレイボーイのように見えながら、彼の方が本当は女に次々と振られているのかも知れませんよ」ということを言っていて、なるほど、そうだったのか!と思った。

 で、最終的には、みちるちゃんはいくらなんでも「お子様」な感じだし、あり得ないよねえと思っていたら、やはり早坂先生だった。
Img_0437


 


Img_0438_2


「私たちの言葉って、ドッジボールだったような気がします。
相手にあてて、終わり。
私は、キャッチボールがしてみたいです、あなたと」

 と信介に語りかける早坂先生。
                               信介の言葉に涙ぐんで……いたのも束の間

 勇気をもって先に歩み寄るのは、女性である早坂先生の方だった。
 そして、ようやく心を動かし始めた信介も早坂先生が住みたい家の構想を練り始め、
「あなたを好き……なのかも知れません」
などと告白し、早坂先生を感動させるのだが、だが……。
Img_0436
      早坂先生のために必死で家のスケッチをする信介→
 
 その告白の直後、でも、ふたりで暮らす家のイメージが浮かばないから、結婚はできないだの何だのと小理屈をこね始める。
「賃貸でも何でもいいじゃないですか!
結局、自分のことばっかりじゃないですかっ」

 と激怒する早坂先生(笑)。

 ハッピーエンドっぽく涙を誘いながら、くるりと一回転、一筋縄でいかない展開がいかにもこのドラマらしかった。
 Img_0441でも、すったもんだの挙げ句、ふたりで夜道を並んで歩いて行く。
 結婚式のウェディグドレスシーンなんかではなく、こんなふうに普段着のまま、スーパーのレジ袋を下げて一緒に歩いて行く、というのが、このドラマに相応しい終わり方だったように思える。

(早坂先生の定番メニューのロールキャベツ、私も結構好き。信介のアドバイスどおり/笑、今度は圧力鍋でつくってみようかと思う)

 ところで、草笛光子演じる信介の母親も結構いい味を出していた。
 初めは、息子の結婚ばかり心配している過干渉な母親か?と思わせながら、そこそこ距離を取りつつ、わりと冷静に息子を見つめているのがよかった。
 そこで、最終回に出てきたのがこの言葉。
「あなたは、ほんとのひとりっぼちを知らないのよ」
 深い。「本当の孤独を知った人間こそ、他者と共生できるのだ」と内田樹氏も著書のなかで言っていたっけ。

 さて、このドラマで特に私が好感をもったのは、信介の職業、建築家というものをきちんと描いていたところ。
 ドラマで描かれる主人公の職業なんて、まるでアクセサリーのような位置付けであることが多いなか、このドラマは、主人公の生き方とか生活にしっかりリンクしていた。
 Img_0442_1信介と早坂先生を結びつけるのも、家を巡ってのやり取りだった。
 
 だから、最後のシーンでは、テーブルの上に置かれた家のスケッチと模型がアップで映されるのだ。
 そして、いつの間にか二匹になった金魚も!。

 

 

 
 協力された建築プロデューサー 朝妻さん 、お疲れさまでした。
 たくさんの人が楽しんだドラマだと思います。ありがとうございました。
 工事中の物件を探して、撮影の許可を得るなど、いろいろご苦労があったのでは?と思います。
 半年後くらいに、2時間スペシャルを希望します!
 その際もぜひ朝妻さんのアドバイス入りで(って、勝手に決めてますが/笑)。

 などと、あれこれ語ってしまいましたが……。
 あー、でも終わっちゃったよ、どうしよう。寂しい!という気持ちでいっぱい。
 
 そして、名優ケンちゃん(本名こつぶ)ともお別れ。
 ケンちゃんもお疲れさま。
 このドラマで、大人気らしいけど、あんまり騒がれないといいなあ。
 いつまでも元気でね。
Img_0448
 

 
 
 







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2006年9月18日 (月)

残酷な神が支配する――「その絶望には いまだ名前がないのだ」

  Hagio萩尾望都の『残酷な神が支配する』(小学館)を先日、持っていなかった巻を取り寄せして、ようやくすべて読了した。「プチフラワー」にて連載9年にも及ぶ、萩尾望都、渾身の大作(全17巻、現在は文庫化されている)。2001年にすでに完結しているので、今さらという感じだが、素晴らしい作品なので、紹介したい。

 母親の再婚相手の男性グレッグ――イギリスの一見紳士的な、しかも資産家――に、性的な虐待を受け続ける16歳の少年ジェルミの物語(ジェルミはアメリカ人)。
 「残酷な神が支配する」とは、アイルランドの詩人W・B・イェイツの文章の一節から。残酷な神は、もちろん、その男性のことである。
 
 なぜジェルミは、受け続けた虐待のことを人に相談し助けを求められなかったのか……ジェルミの苦しみを克明に描きながら、周囲の大人たちの身勝手さが浮き彫りにされてゆく。
 
 ジェルミの母親、夫を亡くしたサンドラは精神的に自立しておらず、その寄る辺のなさをすべて息子のジェルミにぶつけていた。息子を大事にしているように見えて、サンドラはジェルミに依存している。夫の身代わりであり、恋人。
 「お父さんが死んじゃったんだから、サンドラを支えるのは僕しかいないんだ」と思い込むジェルミ。実際に母親は、息子に「サンドラ」と、自分のことを名前で呼ばせていた。ある種の精神的な近親相姦状態。
 ジェルミは、そんな母親のあり方は、自分への愛なのだと信じきっている。だから、グレッグにセックスを強要されても(それも鞭で打つという、サディスティックな暴力も含んでいる)、我慢する。彼に、「いいかい、このことはサンドラには内緒だよ。ばらしたら、サンドラとは別れる。そうしたら、サンドラはさぞ悲しむだろうね」と脅迫されていたからだ。
 サンドラは、自分の息子を夫代わりにした挙げ句、なおも実質的に庇護してくれる相手を求め、イギリスの資産家であるグレッグと結婚する。
 ここで、萩尾望都が上手いのは、そのサンドラを決して醜くは描いていないこと。容貌も美しく、人当たりも柔らかく、本当に息子を愛しているように描いているのだ。読者もそう思い込んでしまう。

 さて、アメリカからイギリスに渡り、大きな環境の変化もあったうえ、グレッグからの惨い虐待で心身ともに決定的なダメージを受けたジェルミは、次第に自分自身を肯定できず、自己破壊衝動にかられていく。
 無関心を装う大人たち、そのなかで壊れてゆくジェルミ。
 追い詰められたジェルミは、ある恐ろしいことを計画し、それが大きな悲劇を生む。

 そのなかで唯一、救いの手を差し伸べるのが、グレッグの長男イアン。
 初めは、ジェルミに対して疑心暗鬼だったり、長男としての単なる責任感でジェルミに近づいていくのだが、それがいつしか愛情――それも恋愛感情を含んだ――へと変化してゆく。
 このイアンとジェルミ、ふたりの葛藤の描き方が圧巻。
 少年時代に傷を受けた、いわゆるアダルトチルドレン的な人間は、他者を信用できず、心を閉ざしてしまうから、その暗い森へ分け入るのは大変なことなのだ。舞台も、暗い森が暗喩のように度々出てきて、とてもドラマティックだ。
 そして、感動的なのは、イアンは決してそこから逃げないこと。自分の父親の醜さを直視し、ジェルミを好きになってしまうという自分のセクシュアリティに戸惑い悩み迷いながらも、ぶつかっていく。
 時として、ふたりのやり取りは、生きるか死ぬかのぎりぎりのところまでいってしまう。
 「向こう側」に行きそうになりながら、なんとか踏みとどまり、「こちら側」に戻って来る、という感じで、本来ならば心理学者がやるべき危険なことをイアンが引き受けている。
 Img_0434_1もちろん、イアンのすすめで専門家にカウンセリングも受けるのだが、それだけではなかなか回復しないのだ。

 「おまえの痛みに 目をつぶらない」

 というイアンの言葉には、ちょっと泣きそうになってしまった私。
 もしかしたら、こんなふうに無条件で相手のすべてを受け入れ許すことが、本当の「母性的」な愛情なのかも知れない。 イアンは性別としては男だけれど……。同時に、ジェルミを強引にでも社会へ出すという役割も果たし(どんなことをしたかは後述)、「父性的」な側面も併せ持つ人物だ。

 ――と、あまりの大作であり、シリアスなテーマであり、登場人物も多数でいくら書いても書き切れない。
 グレッグのような人物がいる一方、イアンの元恋人のやさしいナディアや親身になってくれる心理学者オーソン先生、ジェルミの通う寄宿学校の同級生たちなど、魅力的な人物も多数出てくる。
 
 興味のある方はぜひ読んでみてください! 損はしません。
 この義父のグレッグが、モラル・ハラスメント的人物。
 初めは実に紳士的なのに、だんだん本性があらわれ、サンドラがうろたえ泣いたりすると、鬼のような形相で「泣くな! うっとうしい」と怒鳴ったりする。 

 注:ネタバレですが→終盤にさしかかり、サンドラは、実は、ジェルミと夫グレッグの事実を知っていた――でも、知りながら否認していたらしい、ということがわかる。否認とは、深層心理ではわかっていながら、あまりに辛いので、なかったことにする、という、ずるい心理状態だ。自己欺瞞。
 結局、行き着くところは母親なのかも知れないと思った。現実を直視する母親であれば、ジェルミを守れたはずであり、こんな悲劇は起こらなかったはずだ。
 母親が子どもに与える影響は計り知れないほど大きい。
 ジェルミ自身、そんな母親の暗部を直視し、呪縛を乗り越えない限り、本当の再生はあり得ないのだが、そこが一番辛く、難しいところでもあるのだ。

 ところで、悪魔的人格のグレッグについては、あまり両親に愛されなかった生い立ちとか少し出てくるが、どうしてもそれだけでは説明がつかない。さすがの萩尾望都も、そこまでは突き詰められなかったのかも……。
 やはり、モラル・ハラスメント的加害者の本質的な理由というのは、第三者にとっては永遠の謎なのだろうか。

 あと、身も蓋もないけど……と思いつつ、実感したこと。
 ぼろぼろになったジェルミを救うため、イアンは彼と徹底的に向き合うのだが、そのための手段として、自分の大学進学を保留にしてロンドンにフラットを借りたり、予備校に通ったり、ジェルミにカウンセリングを受けさせたり、手始めにカルチャーセンターに通わせ美術をやらせたり、いろんなことをするのが興味深かった。
 で、こういうことができるのも、「お金があるから」なんだなあというのを実感したわけ。
 精神的に追い詰められた時、せめてものお金が「ある程度あれば」選択肢も広がるし、余裕もできる……と、自分の身に引き寄せつつ、かなり真剣に考えてしまった。
 実際、ジェルミは、イアンが助けに来るまではニューヨークに逃れ、男娼をし、薬漬けになっていたのだ。
 モラル・ハラスメント夫やDV夫から女たちがなかなか逃れられないのも、主婦がお金を持っていないから、選択肢がないゆえの結果とも言えるし……などと、ついあれこれと。
 
 ジェルミが心理学者のオーソン先生にこんなことを言われるシーンがあった。

「きみの持ち続けている その絶望にはいまだ名前がないのだ。
 誰も その名を知らないのだ。その絶望の名前を。
 きみは喪失し続ける。その喪失にも名前がないのだ」

「なぜ……ですか?」

「歴史は敗者の苦痛に名前を与えない。
 その絶望に近い名は……死だ」

 
 そして、オーソン先生は、
「どんなことがあっても 自らは死なないと約束してくれ」
 と言う。
 
 暴力――身体、精神への暴力すべて――は、人を破壊(死)へと追い込む。
 『残酷な神が支配する』は、そこを描き切った、類い稀なコミックである。

 この壮大なドラマをどんなふうに決着をつけるのだろうと読んでいくと――安易なハッピーエンドは用意されていなかった。
 でも、確かに暗い森を抜けて、ゆるやかな川の流れに身を任せるような、明るさを感じさせる結末になっていて、ほーっと安堵のため息。

 私が10代の頃、多大なる影響を受けた『ポーの一族』(萩尾望都)を読んだ時も、永遠の時を生きるバンパネラがこの世界のどこかに、実在するとしか思えなかったけれど、『残酷な神が支配する』も傷だらけのジェルミとその傷を受け止めるイアンがどこかに実在するような気がしてならない。
 30年近く経っても、萩尾望都の作品にこんなふうにまた打ちのめされるとは……驚嘆するばかりだ。

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2006年9月17日 (日)

コーラス メモリアル・エディション――「人と人を結びつけるのは、もしかしたら悲しみではないだろうか」

 

 以前にも書いたフランス映画「コーラス」 、そのコーラス メモリアル・エディション のDVDがアマゾンで割引になっていたので、購入してみた。

 Img_0419_4特典は、メイキングやインタビューが合計182分(!)と、楽譜付きメモリアル・ピクチャーノート、封筒付きフォトカードセット(5枚組)、紙飛行機ペーパークラフト(メッセージ付き台紙)。そして、紙のケース入り。
 
 楽譜付きメモリアル・ピクチャーノートには、
「人と人を結びつけるのは、もしかしたら悲しみではないだろうか」
 という書き出しで始まる川本三郎氏の文章が入っていて、これが素晴らしい。
「彼(少年たちにコーラスを教えるマチュー先生)が少年たちに優しいのは、自分自身が挫折者の悲しみを抱いているからだろう。」

 メイキングには、撮影風景がたくさん出てくるのだけれど、撮影から離れて休憩時間にじゃれ合うふだんの少年たちの姿を見ても、主人公ピエール役のジャン=バティスト・モニエ君はやはり突出しているというか、全然違うオーラが出ている。
 彼が所属するサン・マルク少年少女合唱団を、クリストフ・バラティエ監督が訪ねた時、廊下を歩いていていたら、美しい歌声が聞こえてきた。誰が歌っているのだろう?と思って、教室を覗いたら、そこにモニエ君がいた……ということらしい。彼を発見した時、「この映画は完成したも同然」というふうに思ったそうだ。こういうことってあるんですね。まさに必然とも言うべき偶然。

 バラティエ監督が、映画完成後1年経ってから、撮影現場を訪れるところが凄くいい。ひっそりと静まり返ったその場所を歩きながら、撮影中の思い出を語る。その時に、
「子ども時代は孤独だった」
 ということを言っていた。家庭の事情で、両親から離れておばあさんの元で暮らしていた時期があったそうだ。
 窓の外から暮れてゆく空を眺めながら、
「こんな夕暮れ時は、子どもの頃を思い出すね。なんとも寂しい感じで。アルミホイルに包んだパンの匂いなんかと一緒に」
 というようなことを言っていた。
 おばあさんが、おやつにパンをアルミホイルでくるんでオーブンで温めてくれたのだろうか。こんなふうにディティールを語れる人、子どもの頃のことを、まるで昨日あったことのように語れる人って、好きだ。なぜだか信用できる気がする。  
 かつて子どもであった自分と、今のおとなの自分がつながっている人。
 それは決して、少年の心を失わないとか、子どもっぽい人、という意味ではない。
 むしろ、その逆だ。子どもの頃の痛みや悲しみ、孤独を覚えているからこそ、人にやさしくできる「おとな」になれる。いつまでも「子どもっぽい人」というのは、他人に共感したり、痛みを分かち合ったりすることができないものだ。

 すべての撮影が終了し「カット!」の声が上がった途端、感極まって、泣き出す子もいた。
 バラティエ監督は、長い撮影期間が終わったあと、子どもたちに、
「映画が終わって、皆、それぞれの場所へ帰る。でも、この映画のなかの君たちは永遠に残る」
 という言葉を送った。
 この映画に出演した少年たちは、全員素人とのこと。
 でも、コーラスの撮影場面にあたって、歌い始めるようになってから、皆の心が何かに目覚めたというか、一体感が出てきたそうだ。
 そういう意味でも、「コーラス」というこの映画のストーリーをそのままなぞるかのような撮影現場だったのだ。

 孤児のペピノ役をやったマクサンス君は、「ふだんは元気だけれど、映画のなかではちょっと悲しい」と言っていたのが印象的だった。「人と人を結びつけるのは、もしかしたら悲しみ」というような感情を、子どもながらに本能的につかんでいたのだと思う。
 メイキングにはマクサンス君が結構出てきて、嬉しい限り。本当に可愛い!

 また、メイキングを見ると、音楽映画の制作方法もわかって興味深い。
 冒頭で、成功したピエール(ジャック・ペラン)が指揮者となってオーケストラで指揮をするシーンがあるのだが、場面にするとほんのわずかな時間なのに、そのために費やされるエネルギーは相当なもの。本物の指揮者から、音楽を流しながら念入りな指導を受ける。
 少年たちのコーラスの場面も、サン・マルク少年少女合唱団の先生が撮影の現場でつきっきりで指導に当たっていた。それを見ながら、マチュー先生を演じるジェラーエル・ジュニョが、合唱指導の演技を修得していく。
 コーラスの歌声は、吹き替えなのか、それとも演技をしている少年たちなのか? だとするとやけに上手いなと思っていたのだけれど、それもわかった。サン・マルク少年少女合唱団の訓練された歌声と、出演した少年たちの歌声がミックスされているそうだ。なるほど、それで感動的だけれど素朴な味わいがあったのかと感心する。
 曲目も、古典的な雰囲気だけれど耳にしたことがないなと思っていたら、ブリュノ・クーレという音楽担当のオリジナルだということもわかった。
 伯爵夫人の前で披露するコーラスの場面はハイライトシーンで、モニエ君のソロが鳥肌が立つほど美しいのだけれど、実際の撮影現場でも出演者とエキストラの間からは、ため息が洩れ、感嘆の声が上がったそうだ。

 こんなふうに、直接観衆の目には見えない積み重ねの努力やものを創ることの愛情や人と人のつながりがつまっているのかと思うと、やはり映画って凄いと思う。特にこの「コーラス」は、メイキングを見るとさらにまた感動が深まる。たいていの映画はメイキングを見ても、へえー、そうだったんだ、と思うくらいなんだけれど。

 バラティエ監督は、この映画が完成してから初めて、この映画は自分の子ども時代へ向けたものなのだ、ということに気づいたそうだ。
 自分自身の内面へ向けた表現が普遍性をもつと、多くの人を感動させることができるのだろう。

 このメモリアル・エディションは生涯の宝物にして、大切にしようと思う。

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2006年9月16日 (土)

結婚できない男――半分見逃した一編集者の繰り言とかミロンガとか

 12日の火曜日の「結婚できない男」、半分見逃した! 
 今まで、すべての回を欠かさず見続け、3回目以降くらいから録画したHDDも全部残しているというのに。まずリアルタイムで楽しみ、レポートを書くにあたって、どこをポイントにするか、たいてい2度見てから書いているから。
 そんな忠実な一視聴者の私が……なんということであろうか。
 もう最終回間近なのに、レポートも書けず、アクセス数も激減(笑)。

 同じ職場の同じに「結婚できない男」ファンのMさんが、金曜のランチ時に、阿部ちゃんの手振り身振り口振りを真似ての大熱演で「ひとり再現ドラマ」をしてくれたおかげで、だいたい話の全貌が掴めてきたが、ますます見たくなってしまった。
 信介は施主に無理矢理、キッチンの壁を花柄にしたいと要求され、花柄を描かされたらしい。
 建築家と花柄。
 これほど相反するものはないように思える。この前、冗談で花柄シートを貼った棟梁と取っ組み合いの喧嘩していたのは伏線か(笑)。
 この辺も、ドラマに協力していらっしゃる建築プロデューサー 朝妻さん のアイデアでしょうか。まさか、実話に近いことがあったとか?(笑/朝妻さんの日記を読んでわかったのですが、建築家の皆さんもあのドラマを結構チェックしているんだそうです)。
 建築家も「建築家に設計を依頼するような施主」もほとんどの場合は、花柄なんていうものは、まず排除されるべきものの筆頭に上がる。私が取材させてもらった建築家住宅には、花柄がひとつもなかった。壁紙を貼る家というものがまずなかったけれど、カーテンも使用している家はなかった。ほとんどの場合、ブラインドやロールスクリーン的なもの。あるいは和の感じで、障子っぽいものをうまく取り入れたりとか。
 だから、花柄紛争で、塚本君演じる英治クンの殴り込みシーンまで発展するというのを、ぜひ見たかったと思う。

 お洒落な人に憎まれる花柄だけど、実は私自身は結構好きだったりする。
 ウィリアム・モリスとかリバティプリントの、渋めのアンティーク風な趣のものとか、キャス・キッドソンの懐かしくて可愛らしい感じのとか。
 実際、私の部屋のカーテンはローラ・アシュレイの生地を自分で縫ったもの。縫い目はガタガタで相当しょぼいけれど、10数年使い続けている年季の入ったもので、色褪せてくったりしてきていい感じ。
 しかし……そんなふうに花柄好きの私だが、もし、ウィリアム・モリスとかリバティプリントの本格派な花柄のどっしりとしたカーテンの下がった家に住む男がこの世にいるとしたら怖いかも。部屋に上がった途端、逃げるかも知れない。それこそ、本当の「結婚できない男」って気がする。

 その他、Mさんの話を聞いていると、特に私が見逃した前半はランチ1時間分では語り尽くせないほどの内容で、本当に悔やまれた。

 なぜ見逃したかというと、神保町で飲んでいたから。
 飲む予定なんかじゃなかったんだけど(だから録画してなかった)、この日、ちょうど校了日で、他の部署の同じ校了日の人たちとかお仕事をお願いしている組版屋さんなんかとわらわらと……おいしいベルギービールを飲んだあと、そのまま帰るつもりだったのに、「Kateさんがいかにも座っていそうな店」
が路地裏にあるからと言われ、それはどんな店なのだろう?という好奇心で、ついふらふらと行ってしまったのだ。

 で、その店で、
「いやあ、Kateさんが担当編集者になってくれてから、えらく助かってます。
この時期の残業、1日3時間は減りましたよっ!」
 と組版屋さんの青年S君に言われ、ふだん褒められることもあまりないので、
「そう思っていただけて、何よりです」
とつい嬉しくてへらへらしてしまい、思いのほか時間が経ってしまったのだ。くぅ……。
 お店の女の子におだてられている酔っ払いのオヤジみたいだ。

 某大手で派遣で働いていた時、200数十ページの内容みっちりの月刊誌の進行管理を担当してからというもの、
「いかに精度の高いもの(原稿+材料)に仕上げ、きっちり整理してから入稿するか」
「優先順位を付け、前倒しして、どんどん早め早めにやっておく」
というのが自分の根幹をなしているので、そこが認めてもらえると嬉しい。
 その某大手で学んで仕込まれたというようなキレイな話ではなく、あまりに印刷所とのトラブルが多く、自分も先方もさんざん泣いたので、それを避けるための発想法で仕事をしていくと、世間では「仕事ができる」ということになるらしかった。

 仕事というのは、このようにして身に付いていく、身に付けていくものであると思ったりもした。

 わぁ、なんかまたオヤジの仕事人生訓みたいになってしまった(笑)ので、客観的なことも添えておくと、こういう実務系なのは仕事としてどんどんこなす方だけど、売れる本を編集する!というような企画力には乏しい私である。
 実務系か好きなことを書き綴るか……という両極しかできない編集者だ。
 だから、編集者としては、いわゆる「できるヤツ」ではない。

 さて、おだてられた後で、なぜかいきなり、
「Kateさんは料理なんか全然しなさそう!」とか
「朝、起きれなさそう!」

という話題で、皆で盛り上がる。
 後者は当たっているが(でも、今は9時始業を毎日こなしているんだぜ!)、前者は断じて間違っている。
「週末は玄米を炊いて小分けにして冷凍したりしているんですよー」と言っても、あまり本気にしてもらえなかった。とほほ。
 そう言えば、この春、友人とイタリアンでランチした時も「Kateさんっていかにも運動しなさそうだよねー」なんてことも、ちょっとからかわれるように言われたっけ。
 今思い返すと、いかにも運動しなさそう→デブってこと?などと思うが……。
 まあ確かに運動しないけど。家でやるストレッチやゆるヨガは運動の範疇に入らないらしい。でも、私はジムに通ったりテニス教室に入るの、なんだか嫌いなのよ。

 私のイメージってどうなっているんだ?

 もう、いいもん、そういうイメージなら、
今後、好きな男ができても絶対料理なんかつくってやるもんか!

と思う。そんなにつくらなさそうに見えるのなら、誰か、私においしいものを作っておくれ、とも思う。

 と、まあ、そんなことをだらだら言われたり言ったり思ったり笑ったりしているうちに時間が刻々と過ぎゆき、酔っ払いながらも慌てて帰宅したのだけれど、間に合わず、貴重な「結婚できない男」半分を見逃したわけだ(録画している方がいたら、どなたか貸してくださいまし)。

 見逃したことをテーマにこれだけレポートできたのも凄い(自画自賛)。
 見てもおもしろく、見逃しても悔しくて、いっぱい書けてしまう。

 ま、たまには、外で飲むのも悪くないけどね。
 Mirongaところで、「Kateさんがいかにも座っていそうな店」というのは、三省堂の裏口近く、本当に路地裏のミロンガ・ヌオーバ という昔からある古い、喫茶店とBarが合体したような隠れ家のような店だった。ネットで調べたら、タンゴ喫茶とあった(笑)。その夜、タンゴが流れていたかどうか記憶にない。
 そして、ミロンガに座っていた経験は、皆さまの期待に反して残念ながら、ない。
 でも、遠い昔、古本屋探索をしながらコーヒーを飲みに入って、一度くらい座ったような記憶は微かにある。

 それにしても、隠れ家のような場所というのは、確かに悪くない。
 信介に家の設計を頼むとしたら、「明るく風通しのいい開放的な家が好きなんですけれど……どこかひとつだけ、隠れ家みたいな小さなコーナーがほしいんです」と言うかも知れない。

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2006年9月10日 (日)

ラヴェンダーの咲く庭で

 マギー・スミスとジュディ・デンチというイギリスの大女優が主演の映画ラヴェンダーの咲く庭で を観た(原題Ladies in Lavender/WOWOWにて)。
 1930年代、コンウォールの海辺でひっそりと暮らす老姉妹。姉ジャネットがマギー・スミス、妹アーシュラがジュデイ・デンチ。私はこのふたりの女優が大好き! マギー・スミスは「眺めのいい部屋」で意識するようになり、それ以来、彼女が出演する映画はほとんど観ているくらい(ただし、ハリー・ポッターは除く/笑)。
 Lavender2物語は、嵐の翌朝、姉妹が岸辺に倒れているひとりの青年を発見する。青年を演じるのが、「グッバイ・レーニン」で注目のダニュエル・ブリュール。
 姉妹は青年を家に運び医者を呼び、親切に介抱する。やがて、青年はアンドレアという名のポーランド人でヴァイオリンの名手であることがわかり……。
(映画が公開された頃、本当にイギリスの海で記憶喪失で身元不明のピアノマンが発見され、何かとこの映画が引き合いに出されていた)
 アンドレアが身分を明かさずに、身体が回復しても姉妹に世話になっているのは、記憶喪失だからなのか? 何なのか? その辺の描き方が曖昧でよくわからない部分もあったが、映画全体が素晴らしいのであまり気にならなかった。  
 アンドレアの真実よりも、これは老いた姉妹ふたり――特に結婚の経験もない、ナイーブな少女のようなアーシュラの内面に寄り添った映画だから。

 物語もなかなかよいのだけれど、映画の美術がまた素晴らしい。1930年代のイギリスの田舎暮らしが手に取るようにわかる。
 姉妹の、決して豪華ではないけれど、手入れの行き届いた海辺の古い家(コテージというのか?)。ふたりはこれまでの生涯で労働の経験はなさそうだが、この家と遺産があり、貴族とまではいかないのだろうが、使用人(1人だけだが)を雇っての悠悠自適な暮らしで、教養もある。かつてのイギリスにはこういう層が結構いたのだろうなと思わせる。なんというか、ジェイン・オースティン風の暮らしというの? 話は逸れるが、恋愛小説をたくさん書き綴ったオースティンも生涯独身だったしね。
 さて、特に私が好きだったのは、食事をする丸いテーブルのあるダイニングルーム。大きな窓があり海が見え、背後から明るい陽射しが差し込む。あんなテーブルでお茶を飲んだら、本当においしそう。
 キッチン用具やらお茶周りの小道具、ティーポットやティーカップなどなど、いろいろなものが丁寧に映し出され、イギリスのアンティーク好きにはたまらない。原始的な脱穀機なども、映画のためにつくったのではなく、当時のものを探してきたような感じがする。スーツをつくるための仕立屋、海辺の漁師から直に魚を買うシーン、収穫祭の様子、男たちが楽しげに集うパブの様子なども楽しい。
 また、姉妹の家で働く太っちょのお手伝いさんとか、町のあちこちで、ひそひそ話をする隠居じいさんふたり組とか、脇役がいい味を出していた。
 この頃、20~30年代のファッションって凄く好きだ。ヴィクトリア調のコテコテのドレスやコルセットの呪縛から解放され、でも適度に装飾的でエレガント。普段着の白いレースのブラウスに長いスカート、丈の長いカーディガンなんて、今のファッションにも充分取り入れられそう。現代のデザイナーたちも、この辺りのファッションはかなり意識していると思う。

 物語に戻ると――アーシュラが青年アンドレアに抱いてしまう、ほのかな恋心のようなものが、微笑ましくも痛々しい。
 夏の庭でお茶をしながら、アンドレアがヴァイオリンを弾くシーンは、夢のように美しい。こんな時間が永遠に続けばいいのに……でも、現実(時間)は残酷だ。アーシュラはどんなに心がやさしく少女のようでも、「老女」なのだ。
 そこに現れる、謎の美しいロシア系の画家オルガ。彼女の兄が著名なヴァイオリニストであることを、姉妹はアンドレアにひた隠しに隠し続ける。それを知ったら、アンドレアが自分たちの元から去ってしまうに違いないから。
 アンドレアは、穏やかで静かだけれどちょっと心寂しい、晩秋のようなふたりの生活に、突然差し込んできた5月の明るい光であり、爽やかな一陣の風だったのだ。

 ふたりは別れが訪れることを、どこかでわかっていたのだろう。
 アンドレアはオルガに誘われ、ついに姉妹の家を出て、ロンドンへ旅立つ。
 それを知ったアーシュラは声を上げて泣き崩れる。
 やがて、ふたりは、その別れを受け入れる。
 彼のヴァイオリンの才能はあまりにも突出しており、それを自分たちの執着心のために束縛する権利はないということを、受け入れるのだ。
 私はこれが「本当の愛情」というものなんだろうと感じた。
 そして、私たちが助けて面倒を見たのよ!などと主張することもなく、ロンドンでのアンドレアの成功を喜びつつ、ふたりはひっそりと遠ざかってゆく。
 その後ろ姿が美しかった。
 ジャネットとアーシュラは、元の静かな晩秋の生活に戻っていく。
 でも、アンドレアとすごした輝く初夏のような日々は、いつまでもかえがえのない思い出となり、ふたりの人生を彩ってゆくに違いない。

 作品の中の音楽も美しく、繰り返し観たい映画のひとつになった。


★おまけ★

 さて、この時代のイギリスの雰囲気というか風俗が本当に好きで、私は生まれてくる時代と場所を間違えたなあと、しみじみ思うのでありました。

 私が持っている「ラヴェンダーの咲く庭で」風のものをご紹介。
 Img_0395ジャネットが庭仕事に被っていた帽子と似ている、ヘレン・カミンスキー のラフィア100%の帽子。かれこれ10年以上前に買ったものだけれど、全然へたれてなくてちゃんとしている。アンティーク風な感じが気に入って買ったのだけれど、夏場は日傘の方が多いので、実はあまり被る機会がない。来年の夏はもうちょっと活躍させたい。
 ヘレン・カミンスキーの帽子は、素材、縫製、デザインと、すべてが素晴らしく、これを見ると、他のものは色褪せて見える。最近は、折り畳んでバッグにしまえるタイプのもあって、実はそれもほしい!

 そして、このスカートは、1993年にイギリスへ旅行した時に、ポートベローのアンティークマーケットで買った1920年代のリネンのテニスウェア。元はワンピースで、上部もあったのだけれど、さすがに今は着られない感じで、ちょっと惜しかったけれど、ばっさり切ってスカートに縫い直した。Img_0397_1
 ふだん、履いてます。だけど、90年近く前!のものだから、生地がところどころ磨耗していて危うい感じ……。
 驚くべきことは、裾幅が狭く、あまり足が広げられない!こと。 
 どうしてこれがテニスウェアなのか?って感じ(笑)。
 上部も、衿がきっちりあって、七分袖の袖ぐりはあまりゆったりしていなかったし。よくこんなので、ラケットを振り回したものだと感心することしきり。
 当時のレディたちは、あまり激しく動かなかったのでしょう。
 アンティークものは、実際に手に取ってみると、当時の生活スタイルが彷彿としてくるから、面白い。
 もちろん、すべて手縫い。部分をアップして見ると……こういうImg_0399の、カットワークというのでしたっけ? 穴を開けて、その周りを丁寧に手縫いで細かくかがってある。ボタンは大きな貝ボタンが使われている。
 これを履く時は、あえて全体が甘くならないようにして、夏なら黒いTシャツとペタンコのサンダル、冬場は黒いタートルネックにブーツ、という感じで合わせている。


 Img_0403_2このドレスに付いていたタグ。
 1920'S  Linens dress ―Original とある。
 下の絵は、やはりイギリスで買ったグリーティングカード。
 John William Waterhouse(1849~1917)
 " Enchanted Cecilia"(部分)より。

 ロンドンに行って、アンティークものをいっぱい買いたい!と思うこの頃です。

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2006年9月 9日 (土)

アリス・ウォーカーの言葉

 落ち込んでいる時は、「アリス・ウォーカー・メモ」を読み返すことにしている。
 あるインタビュー番組で彼女が語った言葉を書きとめたもの。
 アリス・ウォーカーは『カラー・パープル』などで知られる、アフリカ系のアメリカの作家。
 黒人であり女性であることで二重の差別を受けながら、それに対し闘ってきた。
 そんな「黒い女たち」のことを書き続けている人だ。

★自分に宿された精神性は何を根っこにしているのか?        
         ↓
 アフリカの黒人女性が育んできた豊かな精神。


★人間の魂=精神性こそが芸術の土台。
        ↓
 魂を打ち込まないでこしらえたものは芸術とは呼べない。
 人間の精神こそがあらゆる想像の源。


★外からものごとを見る癖をつける。
        ↓
 小説を書くにあたって有用な訓練。
 書くことは人生を探求することと同じ。
 
 書くことを通して、どうやったらよく生きられるか、果たして今、よい生き方をしているか、問い続けてきた。
 よい、ということは、自分に正直であるということ。


★とにかく人は生き抜くことが大事。

 そして、何かをするのではなく、ただ一緒にそばにいること。
 (絶望の淵にいる人に対して、自分ができることについて)                              
 ――アリス・ウォーカー

 以上、以前のブログから(2005年8月24日付)、再Upでした。

 そして、2006年9月9日の今、読み返して、思うこと。
 ただ一緒にそばにいること。
 何でもない言葉のようだけれど、胸に響く……。

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2006年9月 6日 (水)

結婚できない男――沢崎摩耶に焦点を当ててみる

Img_0404_1 昨日の「結婚できない男」は、高島礼子演じる建築プロデューサー役の沢崎摩耶が中心になって展開。
 このドラマのいいところは、主人公以外の登場人物も、単なる話の進行役ではなく、それぞれしっかりとした個性が与えられていること。
 沢崎摩耶もなかなか重要なポジション。仕事はできるけれど偏屈な桑野信介(阿部寛)を絶妙にフォローし、大工や施主とのパイプ役になっている。信介のことはお見通しなので、彼が多少自分の意にそぐわない反応をしても、さらりと交わして、仕事を最優先させる。
 そう、大人の態度! 
 こういう理解者に囲まれて、信介は実はかなりの幸せ者だと言える。
 沢崎摩耶は、信介に対し仕事以上の思いを匂わせながらも、どうやらそれ以上には発展しそうにない気配。大手の住宅メーカーの引き抜き話を蹴った後、信介に今後も仕事のパートナーとしてよろしく、というようなことをはっきりと言う。
 本心では心惹かれるところもあるけれど、こういう男とは自分は、「プライベートでは幸せにはなれない」ということを知り抜いているのかも知れない。ここで、変に恋愛感情を持ち込み、仕事のパートナー同士という、いい感じの対等な関係が崩れるのはつまらないから……。
 と、男気溢れる?沢崎摩耶。
 だけど、こんなふうにしゃっきりとしていて、仕事のできる建築プロデューサーがいたら、素敵だ(私は、依頼したい建築家は自分で探せてしまうと思うので、プロデューサーは通さないと思うけど。家を建てられるとしたら……の仮定の仮定の話/笑)。

 今まで高島礼子というと、和服の似合う小料理屋のママ、みたいなイメージが強くて(日本酒のCMのイメージか?!)、あまりピンと来なかったのだけれど、このドラマではとてもいい。
 Img_0408_1
衿ぐりがきれいに開いたブラウスに、ボリュームのあるネックレス。
シンプルだけれど、カッチリしすぎず、程よくエレガントでいい雰囲気。
働く女性のお手本にしたいようなファッション。

 

Img_0412_1信介の事務所にて。鎖骨がきれいに見える黒いブラウスに長めのシルバーのネックスレスを二重にして。こういう着こなし、私は好き。
右手には、建築事務所らしい、何かオブジェのようなものが見える。

 

 というわけで、今回は沢崎摩耶に焦点を当ててみた。


*今回の笑えるセリフとかシーンとか*

「地引網みたいに、ごそーっと釣り上げてから、
ゆっくり、より取りみどりみたいな、そういう男選びの方法ないかなあ……」

 と言うみちる(国仲涼子)。
 即刻、女友だちに「ありません!」と言われる。
 ドラマのなかで、女性にこんなセリフを淡々と言わせてしまえるのも、時代の流れを感じる。一昔前だったら、あり得ない。
 ほんとにこんな方法ないかなあ……と、みちるならずとも、呟きたくなるこの頃ではあるが(笑)。

 信介「口なんか出しませんよ」(沢崎摩耶の引き抜きに対して)
 早坂先生(夏川結衣)「サンバが来なけりゃ出したでしょ」
 ビアガーデンで信介はなぜかまたまたサンバのショータイムに遭遇、ダンサーに囲まれてしまう。で、沢崎摩耶に引き抜きを思いとどまって、自分のもとにいてほしいと口を出したいのに、言えなかったことに対して、後で早坂先生がずばりと一言。 
 あのダンサーたちが再び登場し、爆笑。

 だけど、そんなビアガーデンももう終わりの季節。
 そして、いよいよ最終回も間近。
 早坂先生、沢崎摩耶……と信介の恋の可能性がひとつずつ消えていき、ついに、みちるが?!と思わせ、最後はまたどんでん返しのような……。
 どうなるのか?
 どうなってもいいけれど、ありきたりには終わらないでほしい。

 それはそうと、このドラマの記事を書くと、アクセス数の伸びが素晴らしいんですけど……。
 グーグルの検索画面の、私のブログの紹介欄にはなぜか 「私も結婚できない女だしさ」というのが、きっちり抜粋されていて、どーしてここが強調されるのか、なんだかなあなのだ(苦笑)。

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