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2006年8月17日 (木)

海老名香葉子さんの話に思うこと

 昨晩の『オーラの泉』という番組に、故林家三平の奥さんの海老名香葉子さんが出演されていた。話は、戦争のこと。
 昭和20年3月の東京大空襲で、8人家族のうち、6人をいっぺんに亡くされたそうだ。
 海老名香葉子さんは、疎開していたため助かり、生き残った残中学一年生の兄が、東京から彼女の疎開先までひとりで訪ねてきたという。
 そして、「皆、死んじゃった、ごめんね、ごめんね」と彼女にあやまり、疎開先に迷惑だからと、ひとりでまた東京に帰っていったそうだ。
 その当時、香葉子さんは11歳。私も11歳の時に母を亡くしているので、妙に気持ちがシンクロしてしまい(空襲に遭ったわけではないので、状況は全然違うけれど)、涙が止まらなくなってしまった。
 泣けてきたのは、そんな話をする時でさえも、香葉子さんの語り口があまりにやさしく穏やかだったから(こういう過去のあった人だから、落語家一家をしっかり支えてきたんだなあとも思う)。それから、幼い弟が、疎開する前に「ねえね(お姉ちゃん)、メンコ」と言って、大事なメンコを一枚だけくれた話と、とぼとぼと帰って行った、たったひとりの兄のことと……。

 戦後、お兄さんは行方不明、香葉子さんは親戚や奉公先を転々としながら、生き延びてきた。でもその後、無事お兄さんと再会。日本橋で、まるで大人のような口調で着物の腰紐を売っているところを発見されたそうだ。
 それから、香葉子さんは三遊亭金馬師匠宅に引き取られて、林家三平と結婚。墨田区本所の実家は当然ながら空襲で全焼してしまったわけだが、お兄さんは家業であった釣り竿師を継いだそうだ。この話にはほっとした。

 昭和20年3月東京大空襲……というような、教科書の1行だけでは、何も伝わらないし、想像力も広がらない。
 こんなふうに一人ひとりの体験を直に聞くことによって、戦争を知らない世代の人間は、初めて自分に引きつけて考えることができるのだと思う。

 たった11歳で、祖父母も父母も兄も幼い弟も、そして家も何もかもすべて奪われてしまうということ。
 戦争を体験した人の強さはよく言われることだけれど、何も確かなものはない、自分が立っているこの足元がいかに脆く危ういものか、ということを知り抜き、諦念のうえに立った強さなのかも知れない。
 いや、諦念などという甘いものではなく、ただただ、その日をその日を生き抜くしかなかったのだろうけれど。

 そして、番組のなかで、江原啓之さんが言った「家もモノもなくなって……でも思い出だけは残りますよね」という言葉が胸に沁みた。
 そう、人生の最後に残るものは、結局、思い出だけなのだ。

 この番組お馴染みの、香葉子さんのオーラや前世の話は何も出なかったけれど、もう、そんなことからのアドバイスは必要ない人なんだろう。

 
 ――一方では、また小泉首相の靖国参拝問題。
 彼がそんなに参拝したい靖国神社って、いったい何なの?
 違和感があっても、私は自分の意見をきちんと語ることができない。
 何か、厭な感じ、としか言いようがない。
 まず、靖国神社って、いったい何なの?という基本的な疑問を、今まできちんと考えたことがなかったことに気づき、靖国問題 という本を読んでいる。
 まだ全部読んでいないので、あまりいろいろ書けないが――単純にいい、悪い、賛成、反対、では語られるべきことではないし、ましてや事実をよく知りもしないで、感情的になるのは怖いことだと思う。

――国家は、戦争に動員して死に追いやった兵士たちへの「悲しみ」や「悼み」によってではなく、次の戦争への準備のために、彼らに続いて「お国のために死ぬこと」を名誉と考え、進んでみずからを犠牲にする兵士の精神を調達するために、戦死者を顕彰するのだ。
 靖国信仰は、戦場における死の悲惨さ、おぞましさを徹底的に隠蔽し、それを聖なる世界へ昇華すると同時に、戦死者の遺族の悲しみ、むなしさ、わりきれなさにつけこんで「名誉の戦死」という強力な意味づけを提供し、人々の感情を収奪していく。
『靖国問題』高橋哲哉著(ちくま新書)―62Pより

 ……という、国絡みでつくられた、悲しみを隠蔽する「装置」としての神社であることがわかってきた。
 そんなところに奉られて、戦争で死んだ兵士たちは嬉しいだろうか?
 じゃあ、東京大空襲で死んだ、普通の街の人々は?(という思いもあって、海老名香葉子さんはそのための記念碑をつくったそうだ)。

(それでも、この本のアマゾンのレビューを見ると、評価がまっぷたつに分かれていて、この問題の難しさを感じる)

 

 『オーラの泉』では、番組の終わりに、私の好きな茨木のり子さんの詩が流れていた。

わたしが一番きれいだったとき  茨木 のり子 Img_0252_1


わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのようにね

『おんなのことば』茨木のり子/童話屋より

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