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2006年6月11日 (日)

のりたまと煙突

 Noritma星野博美さんののりたまと煙突 という本を読んだ。『転がる香港に苔は生えない』で大宅賞を受賞したノンフィクションライター&写真家。
 『銭湯の女神』というエッセイ集がよかったので読んでみたのだけれど、この『のりたまと煙突』も、著者のことを他人とは思えないくらいだった。
 私よりちょっと下だけれど、ほぼ同世代、暮らしている地域もほぼ同じ(西荻窪~武蔵野界隈)、出てくる場所や店名もだいたいわかる。
 若くはないのだけれど、オバサン的に居直ることもできず、この今の日本にそこはかとなく違和感を抱いて生きている、というのも同じ。

 今の若者は身体の末端に力が入っていない、ファミレスで「以上でご注文はお揃いでしょうか?」の質問に、それはあなたが一番よくご存じでしょう、と突っ込みを入れたくなるとか(ファミレスを『質問の多い料理店』と呼んでいるのには笑った)とか、共感してしまうところがたくさん。
 中央線の事故の多さを嘆き、咄嗟に人身事故があればどういう経路なら目的地に一刻も早く辿り着けるか、ということを考える自分。そして、あとになって「人身事故」のことに思いを馳せることもない自分に、おぞましさを感じたり。
 また、クリスマスをどうしても素直に祝う気分になれなかったり。
 「クリスマスを共に祝う相手がいない人もいる。それを忘れたくない。」
 と、そんなふうに思ってしまう人なのだ。ヨーロッパへ行った時、クリスマスにひとりでいる人々の寂しく厳しい姿が忘れらないそうだ。
 それでいて、狭いアパート暮らしなのに、居着いてしまった野良猫を次々と飼い始め、海外へ行く時は親に預けるはめになり、自分で面倒も見切れないのに何をやっているのだろうと反省する(タイトルの『のりたま』は、猫の名前)。
 同世代の友人から結婚祝いや出産祝いが届くたびに、家庭や子どもを持ちたくてもそれが叶わない人もいるのだから(著者が自分のことを言っているわけではないが)、そういう人への配慮を忘れないでいただきたい、と思ったり。
 近所の事故の多い道端に、新しい花束が置かれているたびに、はっとして立ち止まり、死者のことを考えたり。
 
 いろんなことに目をつぶって、さっさと通り過ぎてしまえば楽なのに、そうできない。
 不器用にしか生きられない。
 そして、世の中に疑問を投げかけ、怒ったり嘆いたりしながらも、常に、じゃあ自分はどうなんだ?ということに戻ってくる。
 これができる人って、案外と少ない。

 大学卒業後、バブル期に入社した商社も1年であっさりやめて、組織に縛られるのを嫌い、写真家のアシスタントやフリーランスでサバイバルしてきた彼女。
 根無し草のようでありながら、ぶれないというか、その視線が確かなのは、下町で父親が工場を営んでいたという、彼女の家庭環境にあるかも知れない。大勢の従業員や祖父母や親戚に囲まれていた子ども時代。その頃のことも丁寧に綴ってあり、まだ時代が昭和だった頃の懐かしさを感じる。

 すべてエッセイなのだけれど、展開が鮮やかで、まるで一篇の短篇を読んでいるような印象深いものがいくつもあった。
 そして、どんな人生にも平等にやってくるものは「死」であり、残されるのは「思い出」だけと、最後に結んであった。
 辛辣でありながら、暖かく、そして深い本だった。

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