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2006年5月27日 (土)

途方に暮れて、人生論――そして、私は途方に暮れる

 昨日、金曜日、今週はやけにくたびれたなあと思ったら……20日の土曜日は出勤で、今週末は土日とも雨という予報だったので、平日の夜にガラガラと洗濯機を回し続けたり、仕事帰りに食材の買い出しをせっせとしていたせいだった。
 というわけで、今日は爆睡して、今日も明日も家から一歩も出ずにこもって、映画を見たりブログを書いたり。こんな静かな週末もまた楽しい。

Img_0193 ところで、私の「ちょっとした贅沢」の寄り道処、吉祥寺のセガフレード・ザネッテイ。仕事の帰りや週末の食材の買い出しの後にふらりと立ち寄ることが多い。1階の禁煙席の窓に面した席がお気に入り。
 カプチーノとパニーニを頼んで、本を読んだり、買い物リストのメモをチェックして今夜は何をつくろうか考えたり。
 目の前はビルケンシュトックというドイツの健康サンダルのお店なので、そのお店や狭い道を行き交う人たちをぼーっと眺めたり。

 この前、この景色を眺めつつ、もし自分が不治の病にかかり、あと幾日も生きられないと宣告されたら、もし病院から出られなくなったりしたら、きっと、こんな日常の何気ない光景が一番かけがえのないものに思えるのだろうなあ、なんて、ふと思った。
 たとえ、その隣に誰もいてくれなくても、ひとりでも、なぜだか、かけがえのない感じがする。健康でいられて、重い食材を買い込んで自転車で運べること、帰り際に寄り道してカプチーノと熱々のカプレーゼ(トマトとモツァレラチーズとバジル)のパニーニをおいしいと思えること。

――私が思いつくかぎり一番の有名人はビートルズの四人で、彼らの人生がいったい幸せだったのか……――彼らは人の何倍もの人生を生きた。しかし、どこへ行っても「あ、ジョンだ」「あ、あそこにポールがいる」と言われてしまう人生が「人生」と言えるものだろうか。
 普通の人の何倍もの密度があったと言っても、普通の人の人生というのは、密度ではなく、空虚さによって実感されるようなものなのではないか、と最近私は思うのだが、この感じをまだ私自身、はっきりと言葉にできていない、というか、イメージとして掴めてはいなくて、いろいろな言い方をしてみるしかないのだが……。 

――たとえば、人が生きている主観的な時間は、楽しいことは短くあっという間に過ぎてしまい、苦しいことは長くいつまでも終わらない。酒を飲んで騒いでいる一晩は短く、歯の痛みに苦しむ一晩は朝が来ないのではないかと思うほどに長い。あるいは、気を紛らわす何も持たずに人を待っている時間の長さ。もちろん、そのすべてが人生の時間なわけだけれど、私には長く感じられる時間の方こそが人生の本質というか、<人生の素顔>のようなものではないかと思えるのだ。
 
――途方に暮れて、人生論 保坂和志より

 この本の帯文がふるっています。
 「希望」なんて、なくたっていい――。
 

 目次には、「人生を感じる時間」とか「生きにくさという幸福」とか「老いることに抗わない」とか、そんなタイトルの文章が並んでいる、作家の保坂和志さんの人生論。
 
 私のセガフレード・ザネッテイの時間も、もしかしたら、「密度ではなく、空虚さによって実感されるようなもの」なのかも知れない。

 関係ないけれど、SMAPのクサナギ君が「情熱大陸」という番組に出たことがある。その番組のなかで、久々に休みが取れ、カフェへ行くシーンがあった。彼は「カプチーノ」というものがどういうものか知らなかった。普通の若者のように流行りのカフェに行くという、そんな「なんていうこともないこと」が、忙しすぎて、できないのだ。
 「へーえ、これがカプチーノなんだ」と言いながら、おいしそうにカプチーノを啜るクサナギ君を見ていたら、なんだかかわいそうな感じがした。どんなに人気があろうと、膨大なギャラを手にしていようと、ひとりで、ふらりとカフェに行く自由もないのだから。

 誰にも干渉されず注目されずに自由でいられるのは、実は素敵なことなんだと思う。
 人が、手持ち無沙汰になろうと何だろうと、なぜかひとりでもふらりとカフェや酒場に吸い寄せられてしまうのは、<人生の素顔>に触れたいからなのかも。

 Img_0183_4ところがところが、つい先日、セガフレード・ザネッテイに寄ったら、なんと……5月いっぱいで吉祥寺店閉店のお知らせの張り紙が……。

 カプチーノを飲みながらの、この景色は失われてしまう。
 心の拠り所がひとつ消えたようで、悲しい。
 まったく、なんてことだ。私は途方に暮れている。

 

 

 

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コメント

保坂和志、いいこと言うなあ。なるほどね。今度、いい知れない虚しさにおそわれたら思い出すことにしよう。

投稿: beeswing | 2006年5月31日 (水) 01:20

beeswingさん
《今みたいなこんな時代》を楽しく生きられることより、生きにくいと感じられる方が、本当のところ幸せなのではないか。――自分が生きている時代をただ楽しいと思っていられる人は、その時代に適合するサイズの内面しか持っていない。時代が求めるもの以上の遠いところを見ているからこそ、その人は生きにくいと感じることができる。

 という一文もありました。
 おすすめ本です。

投稿: Kate | 2006年5月31日 (水) 21:20

ケイトさん、こんばんは。
ブログにお邪魔するのとっても久しぶりです。
新聞の書評欄にこの本の書評が載っていました。評者は町田康氏。
日曜日の新聞なのに今ごろ読んで、これは読んでみたいなあ、と思ったところでケイトさんのブログを読み始めて、過去ログを辿っていったらこの話!
これは「読め」ということなのでしょう(笑)
わたしももっと途方に暮れてみようかと思います。

投稿: カロリーヌ | 2006年6月13日 (火) 01:32

カロリーヌさん
へえ、書評に載ってたんですか。
ここのところ、新聞をとっていないので、知りませんでした。
町田康も好きです。

私は何かと途方に暮れがちで困ったものです……。

ところで、昔流行った「そして僕は途方に暮れる」という曲も好きでした。

投稿: Kate | 2006年6月13日 (火) 22:58

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