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2006年5月 4日 (木)

スイミング・プール

――以前のブログ(2005年7月13日付)から、再Up――

 Spフランソワ・オゾンのスイミング・プール をDVDで観た。「まぼろし」「8人の女たち」がとてもよかったので、楽しみにしていたけれど、この3作のなかでは一番好きだ。
中年の、煮詰まり気味の英国人ミステリー作家サラ(シャーロット・ランプリング)と奔放で美しいフランス娘ジュリー(リュディヴィーヌ・サニェ)が、ひょんなことから、南仏の別荘で一緒にすごすことになる。そしてミステリー小説を現実がなぞるかのように、思いがけない事件が起き......。「まぼろし」にも南仏の海が出てきた。海も都会も部屋の中もすべてくぐもった雰囲気で、主人公の女性(こちらもシャーロット・ランプリング)の喪失感をよく表していたと思う。「8人の女たち」は雪に閉じ込められた屋敷が舞台の密室劇。いずれも閉ざされた感じがした。でも、「スイミング・プール」では思い切り、外へ外へと開かれている。サラが少しずつ自分の殻を脱ぎ捨てていくのと呼応しているかのように。陽射しが本当に美しい。ストーリーそのもののスリリングだったけれど、南仏の光のきらめきやプールの水のゆらめきが、印象的だった。
 とにかく、ランプリングの素敵なことと言ったら! 冒頭のロンドンでのトレンチコート姿から、南仏での何気ない日常のシーンまで、洗練されていて、どんなささやかなシーンでも見ていて飽きるということがなかった。そして、若く官能的なジュリーを嫌悪と同時に羨望の眼差しで見つめる、その何とも言えない佇まいが秀逸。
 また、ジュリー役のリュディヴィーヌ・サニェも素晴らしかった。ビッチなくせに、詩的で鋭い感性を持っていて......という複雑な役を完璧にこなしていたと思う。内側の暗い心が、みずみずしい若い肉体に包まれているそのアンバランスさが、危険で不思議な魅力に満ちていた。そして、鮮やかなラスト......現実と幻想の境がなくなる瞬間。「まぼろし」のラストもそうだった。こういう映画を見ると、人はよく現実、現実と言うけれど、人間という曖昧な存在を通して見ている限り、何が現実(真実)かなんて、本当は答えなんてないのではないか? というような、確固としていたはずの足元が崩れていくような、凄く奇妙な気持ちになる。そして、その奇妙さは、快感でもある。見終わった後に自分なりに、ストーリーを考えることができる醍醐味もある。
 だから、「スイミング・プール」も「まぼろし」も、起承転結のはっきりとしたハリウッド式ハッピーエンドを求める人にとっては、欲求不満になる映画かも知れない。だけどだけど、デビッド・リンチの、ええーっ、ここで私たちを放り出してしまうの~そんな......という茫然自失とさせる唐突なラスト(それもまた快楽なのだけれど)と比べたら、オゾンはとてもやさしくて静かだ(というより、残酷さが剥き出しになっていない感じ、と言うべきか)。

 それにしても。映画監督が女性を美しく描こうとすると、賛美しずぎるか、思い余っておとしめるか、極端になりがちなのだが、オゾンにはそういうのが全然ない。怖いくらいリアルで、異性の彼にどうしてここまで女性がわかってしまうのか不思議なくらい。ずるくていやらしいのだけれど、美しい存在としての女、という感じだ。

 ちなみに、俳優陣は、出版社の社長ジョン役のチャールズ・ダンス以外は、しょぼい感じの人ばかり(特に、ジュリーが連れ込む男たち)だったのは、なぜでしょうか?(笑)

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