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2006年5月に作成された記事

2006年5月31日 (水)

セガフレード・ザネッテイ、閉店

 

Sz1 私の憩いのカフェ、吉祥寺のセガフレード・ザネッテイは本日をもって閉店。
 何もそんなに感傷的にならなくても……と思いつつ、やはりあの窓際の景色を最後に味わっておこうと、仕事の帰りに寄り道した。
 常連さんとか他店のバイトの子とかいろいろやって来て、閉店を惜しんでいる。
 やはり愛されていたお店なんだなと思う(夜の8時過ぎになると、お客さんがいるのに階段の掃除を始めるのだけは、いただけなかったけど)。
 ドトールやスターバックスでは味わえない、イタリアの苦いコーヒーのファンはいっぱいいたのだと思う。ビールやワインも飲めたし。チェーン店だから、新宿や渋谷にもあるのだけれど、ここは空気が違うのだ。こじんまりとしていて、居心地がよかった。Sz2_2

 そして、いつもの窓際の席に座ってみれば、やはり感傷的になってしまう。
 変わらないものはない――と自分に言い聞かせようと思うのだけれど、まあ、こうして別れを惜しむのもまたよし、と思う。
 
 今日、飲んだのは、メッツォ・メッツオというエスプレッソとホットチョコレート半々の。
 さよなら、セガフレード・ザネッテイ。
 お店はなくなっても、折々、ここで過ごした時間とコーヒーのおいしさは思い出として残る。

Sz3 
 こういう時に限ってデジカメを忘れ、久々に携帯カメラで撮影。




 
 

 

 

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2006年5月28日 (日)

善福寺日記

Img_0195_1Img_0208

 今日の午後は、雨が上がっていたので、外の空気が吸いたくなり、ぶらっと善福寺公園へ。
 空気が雨に洗われたかのようで、柔らかく澄んでいる。
 陽射しも美しい。風が吹いていて、木の葉っぱをざわざわと揺らしている。
 気温も風の吹き具合もすべてが、ちょうどいい感じ。
 こういう日は珍しい。
 移り変わりの激しい天気が続いたから、この心地よさを存分に味わう。

 

Img_0211 なんというか、今日の善福寺公園はマジカルな空気に満ちていた。
 Img_0219_1全体が、金色の光に包まれていて。

 












Img_0197

 ノンキなアヒル、貪欲な鯉、小さな切り株の上にちょこんと乗った猫、いかにもお金持ちの飼い犬っぽい高級?な犬たち……なんぞを見て、端っこの池に辿り着いたら、蓮の花が咲いていた。時刻はちょうど夕方の5時。もうじき夏なんだなあ。
 そろそろ帰ろうかと思いながら歩いていると、言いようのない寂寥感が押し寄せてくる。
 
Img_0209 小学生の頃、サザエさんが始まるあの気持ちと同じような、もっと茫漠としているような。Img_0214
 家にいると何かしらパタパタとやっているので、こういう気持ちにはならないけれど、ぼんやり公園を散歩していると、時折襲われる感覚だ。
 Img_0222_1これもまた「空虚さによって実感されるようなもの」(土曜日の日記参照)だから?

 帰宅して、まだ晩ご飯には早い時間だったので、ソファにひっくり返ってイタリアンばなな を読む。アレッサンドロ・G・ジェレヴィーニという、よしもとばななの小説をイタリア語に翻訳したイタリア人と彼女の本。よしもとばななが、なぜイタリアで人気があるのか、また現代の日本の小説がイタリアでどのように受け止められているかがわかって興味深かった。日本語とイタリア語の比較論も。あと、イタリアでのエスプレッソのおいしさを綴っているところを読んでいたら、今すぐにでもイタリアへ飛んで行きたくなった。
 そのままソファで少しの時間、うたた寝。

 それから、はっと起きて、シャワーを浴びて晩ご飯。
 全部半端に残っているもの――冷凍しておいたひよこ豆、半分の玉葱、芽が出かけたじゃがいも――でスープ風のカレーをつくった。

 で、これから洗いものをしたら、J-WAVEの岡田准一クンの番組を聞きながら、アイロンがけです。
 それでは、皆さん、おやすみなさい!
             ↑
(今日こそは、早めに寝たい……睡眠時間が少ない人は、ホルモンバランスが崩れて、太りやすいそうです。まさに私のことです。ガーン……気をつけないと)

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2006年5月27日 (土)

途方に暮れて、人生論――そして、私は途方に暮れる

 昨日、金曜日、今週はやけにくたびれたなあと思ったら……20日の土曜日は出勤で、今週末は土日とも雨という予報だったので、平日の夜にガラガラと洗濯機を回し続けたり、仕事帰りに食材の買い出しをせっせとしていたせいだった。
 というわけで、今日は爆睡して、今日も明日も家から一歩も出ずにこもって、映画を見たりブログを書いたり。こんな静かな週末もまた楽しい。

Img_0193 ところで、私の「ちょっとした贅沢」の寄り道処、吉祥寺のセガフレード・ザネッテイ。仕事の帰りや週末の食材の買い出しの後にふらりと立ち寄ることが多い。1階の禁煙席の窓に面した席がお気に入り。
 カプチーノとパニーニを頼んで、本を読んだり、買い物リストのメモをチェックして今夜は何をつくろうか考えたり。
 目の前はビルケンシュトックというドイツの健康サンダルのお店なので、そのお店や狭い道を行き交う人たちをぼーっと眺めたり。

 この前、この景色を眺めつつ、もし自分が不治の病にかかり、あと幾日も生きられないと宣告されたら、もし病院から出られなくなったりしたら、きっと、こんな日常の何気ない光景が一番かけがえのないものに思えるのだろうなあ、なんて、ふと思った。
 たとえ、その隣に誰もいてくれなくても、ひとりでも、なぜだか、かけがえのない感じがする。健康でいられて、重い食材を買い込んで自転車で運べること、帰り際に寄り道してカプチーノと熱々のカプレーゼ(トマトとモツァレラチーズとバジル)のパニーニをおいしいと思えること。

――私が思いつくかぎり一番の有名人はビートルズの四人で、彼らの人生がいったい幸せだったのか……――彼らは人の何倍もの人生を生きた。しかし、どこへ行っても「あ、ジョンだ」「あ、あそこにポールがいる」と言われてしまう人生が「人生」と言えるものだろうか。
 普通の人の何倍もの密度があったと言っても、普通の人の人生というのは、密度ではなく、空虚さによって実感されるようなものなのではないか、と最近私は思うのだが、この感じをまだ私自身、はっきりと言葉にできていない、というか、イメージとして掴めてはいなくて、いろいろな言い方をしてみるしかないのだが……。 

――たとえば、人が生きている主観的な時間は、楽しいことは短くあっという間に過ぎてしまい、苦しいことは長くいつまでも終わらない。酒を飲んで騒いでいる一晩は短く、歯の痛みに苦しむ一晩は朝が来ないのではないかと思うほどに長い。あるいは、気を紛らわす何も持たずに人を待っている時間の長さ。もちろん、そのすべてが人生の時間なわけだけれど、私には長く感じられる時間の方こそが人生の本質というか、<人生の素顔>のようなものではないかと思えるのだ。
 
――途方に暮れて、人生論 保坂和志より

 この本の帯文がふるっています。
 「希望」なんて、なくたっていい――。
 

 目次には、「人生を感じる時間」とか「生きにくさという幸福」とか「老いることに抗わない」とか、そんなタイトルの文章が並んでいる、作家の保坂和志さんの人生論。
 
 私のセガフレード・ザネッテイの時間も、もしかしたら、「密度ではなく、空虚さによって実感されるようなもの」なのかも知れない。

 関係ないけれど、SMAPのクサナギ君が「情熱大陸」という番組に出たことがある。その番組のなかで、久々に休みが取れ、カフェへ行くシーンがあった。彼は「カプチーノ」というものがどういうものか知らなかった。普通の若者のように流行りのカフェに行くという、そんな「なんていうこともないこと」が、忙しすぎて、できないのだ。
 「へーえ、これがカプチーノなんだ」と言いながら、おいしそうにカプチーノを啜るクサナギ君を見ていたら、なんだかかわいそうな感じがした。どんなに人気があろうと、膨大なギャラを手にしていようと、ひとりで、ふらりとカフェに行く自由もないのだから。

 誰にも干渉されず注目されずに自由でいられるのは、実は素敵なことなんだと思う。
 人が、手持ち無沙汰になろうと何だろうと、なぜかひとりでもふらりとカフェや酒場に吸い寄せられてしまうのは、<人生の素顔>に触れたいからなのかも。

 Img_0183_4ところがところが、つい先日、セガフレード・ザネッテイに寄ったら、なんと……5月いっぱいで吉祥寺店閉店のお知らせの張り紙が……。

 カプチーノを飲みながらの、この景色は失われてしまう。
 心の拠り所がひとつ消えたようで、悲しい。
 まったく、なんてことだ。私は途方に暮れている。

 

 

 

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2006年5月22日 (月)

I LOVE CAMPER

 靴は好きだけれど、どうしても着るものより後回しになってしまい、気がつくと、靴がボロボロ……なんていう事態になっていることが多い。今年の初夏(というにはまだ早いけど)も、すでに履くものがない。昨年まで頑張って履いていた歩きやすいサンダルは、まさに履き潰したという感じで、見るからに惨めなのでさすがに捨てた。
 残されているのは、スニーカーと見た目はよいのだけれど疲れるサンダルのみ。
 やはり、何か靴を買わなければ……。
 できれば、夏向けのサンダルと歩きやすいしっかりした革靴が1足ずつほしい。しかし、2足買う余裕はない……どうしよう? 
 仕事の帰りに伊勢丹に寄っては、あーでもない、こーでもないと比較研究。通勤にはとても履いていけそうもない、最近流行りの草履式サンダルなんかにも目を奪われながらも、そういうものは即却下。当面、遊びっぽいものは我慢。
 何日も悩んだあと、梅雨があるけど、どうせすぐ暑くなるからと、歩きやすいサンダルに的を絞った。となると、必然的にカンペール(スペインのブランド)。私は、足が大きわりには甲が薄く踵が細いので、なかなか合う靴がないのだけれど、カンペールだと、比較的だいじょうぶ。 
 今回もあれこれ履いてみて、結局、カンペールが一番だと思った。カンペールは、歩きやすい上、ちょっと遊び心のあるデザインがよくて、値段もそう馬鹿高くないので(ヨーロッパと比べたらかなり高いのだろうが)、選ぶことが多い。サンダルは、踵が少し高く細身の色っぽいのがほしくなるけれど、通勤用、活動用と割り切り、ぺったんこのを選んだ。
 Img_0186セクシーではないけれど、中敷き(と呼ぶのか?)が赤で、いろんな模様がプリントされているサンダルが気に入った。はじめは、この模様、お花だと思っていたのだけれど、うちに帰ってから箱を見たらTomateとあって、あっトマトなんだ!と気づいた。こんなふうに、靴に名前が付いているのも楽しい。緑のヒトデみたいなのは、実はトマトのヘタ。丸い柄が、輪切りされたトマト。だから、赤いのね。
 靴にトマトを持ってくるところが、いかにもカンペールらしくて、キュートです。
 カンペールは靴底も可愛い。この写真ではよくわからないけれど、CAMPERとロゴの入った赤いポッチと、滑り止めに葉っぱみたいな形の凹凸が付いています。絶対に見えない靴底とか、履いたら見えなくなる中敷きなんかに凝るところが、日本の着物――裏地に凝るとか着物より半襟を鮮やかに目立たせるとか――みたいな感性で、おもしろい。Img_0188_1

 それにしても、私は足が大きい(24.5~25センチ)のだけれど、絶対と言っていいほど、気に入ったデザインのものは大きなサイズが切れている。今回もなくて、他店から取り寄せてもらったのだ。伊勢丹は対応が早くて、翌日には在庫確認の電話が来て、その次の日には入荷していて、気持ちよかったけど……だけど、いつも大きいサイズがないということは、それだけ大きい人もいて、売れるってことなんだから、もうちょっと入荷しておいてくれてもいいのになあ。
「申し訳ありません、こちらは23.5センチまでしか在庫がございません」と言われるたびに、心の中で、どーせアタシはデカ足さ、フン!と思ってしまう。

 ところで、このサンダル、実際に履いてみると、赤がちらっと見えてアクセントになっていい感じ。ペデキュアを赤にしたら、可愛いかも。雨が多くて、まだ1回しか履いていない。早く夏にならないかな(なんて思っている自分にふと気づいたんだけど、今年も半分近く過ぎたのですねえ)。

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2006年5月 7日 (日)

オーバカナル日和

 GWもあっという間に最後の日。結局、だらだら寝て、食べたり飲んだり喋ったりが主で、もろもろの整理がやっぱりやっぱり後回し……なのであった。だけど、カーテンは洗濯してきれいさっぱりとなった。

 さて、5日は、友人のキョウコさんとオーバカナル (ニューオータニの1階)にてブランチを。
 Img_0144春、ここでサンドイッチを食べたりカフェ・オレを飲みながらゆっくりお喋りするのが、ここ2、3年、ふたりの間では恒例の行事(笑)となっている。テラス席があるので、この季節はとても気持ちがいい。5日は清々しいお天気で、まさにオーバカナル日和。
 目の前が小さな公園になっていて、桜もあるので、本当は桜の季節に来たかったのだけれど、今年は叶わなかった。でも、新緑もとてもきれいだった。
「早く気づいてよかったよ。だらだら付き合っていたら、時間がもったいなかった。愚かな男のことは忘れて、次、行こう」
 と励まされる。

 そう言えば、去年は、仕事のことがテーマだったなあ、一昨年は違う男性のことがもっぱImg_0146らの話題だったなあ(苦笑)……などなど、このオーバカナ
ルで交わしてきた会話に思いを馳せ、時は流れていることを実感する。恋人と厭な別れ方をしたこと――正確には向こうが一方的に逃げていったので、別れすらしていないのだが――を慰められながら、バケットサンドにかぶりついていた今年の私も、確実に過去になってゆく。そして、そんなこともあったと笑える日が来るだろう(というか、今もすでに笑っているのだが)。             パン屑にありつけるせいか雀がいっぱい来る             
 Img_0141_2赤ワインとハムとピクルスのバケットサンドにニース風サラダ。心地よい風、目に染みる新緑――幸せなひと時。
 しょっちゅう会うわけではないけれど、こんなふうにゆったりとした時間をすごせる友人の存在に感謝したい。
 キョウコさん、いつも話し相手になってくれて、ありがとう!
 



 

 
            カフェ・オレについてきた可愛いチョコレート                    Img_0142_3








 GWにつくったもの

 Img_0126この携帯ストラップの、ビーズ玉とウサギ(一番後ろに付いている)は、スワロフスキー製。手作りキットになっていて、自分で紐にビーズを通したり、接着剤で止めたりして、ちまちまと作った。
 初めからストラップの商品にして売ってよ~、もー面倒くさーい、と思いつつも、作り始めると結構熱中してしまい、楽しかった。スワロフスキーってもともとクリスタルのパーツ屋さんでもあるから、こういう売り方が正しいのかな?
 携帯のストラップはあまり凝らない方で、今までミシュランのビバンダム君――それも白い身体がだいぶ薄汚れていた――がぶら下がっていたのだけれど、このスワロフスキーはどうしてもほしくなってしまった。なんでも、このウサギ、倉庫で眠っており、市販されなかったというヴィンテージものらしい。というのを聞くと弱い私。他にパーツとして、星が使われているのもポイント。星とウサギという好きなアイテムが2つもあると、もう我慢できない(私は兎年だし!)。
 身に付けるアクセサリーと違って、携帯ストラップなんぞ、誰に見せるわけでもないのにねえ。おまけに、いかにも傷つきやすそうなストラップだし……。

 ちなみに、販売していたのは、新宿伊勢丹の母の日ギフトコーナー。
 あっという間に完売した模様。どこからこういうものを買い付けてくるのか、新宿伊勢丹ってほんとにワンダーランド(スウィーツフェアもハズレがないし)。

 

GWのお買い物
 近所のル・ミディ という南仏のアンティークや雑貨を扱うお店にて、プロヴァンスの布を。 壁に飾ってもよし、テーブルセンターにしてもよし。私はキッチンのフードプロセッサーの埃よImg_0149_3けにするために買った。ちょっと贅沢かな?と思ったけど、いつも視界に入るものなので、やはり目に心地よいものを選びたい。これは、オリーブの木がモチーフになっている。地のグリーンがなんともいい。適度に渋く、かつ爽やかな感じ(でもきれいに撮影できなかった……ブツ撮りは難しいのだ)。

 オリーブものは、実の絵がプリントになっているのはたまに見かけるけれど、木そのものは珍しい。私はオリーブ柄が好きだけど、食べる方のオリーブも大好き。おいしいのがあれば、ワインを飲みながら、一瓶、あっという間に食べてしまうくらい。

 
 
 
 連休最後の今日は、雨降りだし、静かにひよこ豆でも煮るとするかな(相変わらず豆を煮る休日/笑)。一袋分どっさり煮て、冷凍して小分けする。ひよこ豆は、スープ、カレー、サラダといろいろに展開できるので便利。今回は、フードプロセッサーで、ひよこ豆ペーストを作ってみようと思う。
 来週からまた始まる、労働の日々への食生活に備えて……。

 あー、お休みってほんとに短い。

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2006年5月 5日 (金)

キョンキョンと亀梨クンから、「デブラ・ウィンガーを探して」まで―女性の年齢について

 先日の小泉今日子と亀梨クンの熱愛報道……今後の行方や長続きする、しないはどうでもよくて、とにかく快挙!という感じ。
 世代によって受け止め方が全然違うのがおもしろい。ネットなどでちらっと見てみると、若い女の子たちは「亀梨クン、なんであんなババアと……ショック!」的な意見が多いのに反して、私と同世代の人たちおよびそれ以上は「さすがキョンキョン、やってくれるね」「さすが、亀梨クン、お目が高い」と、どちらに対しても極めて好意的な反応。でもって、そうか、キョンキョンをオバサン呼ばわりする子たちって、彼女がアイドル全盛の頃、まだ生まれていなかったのかあ……という事実にも衝撃を受けたり。亀梨クンだってそうなのだよなあ。ちょうど生まれた頃か(笑)、とか。
 でも、そういう世代の亀梨クンが、同世代の小娘ではなく、キョンキョンを選んだ……というのは、なんだか嬉しいんである。
 それにしても、20歳離れたカップルというのは、男が上ならいくらでもあるのに、逆はほんとにない。特に日本ではない。この逆パターンは、特に女性の方に余裕がないと、できない関係かも知れない。
 守られる恋じゃなくて、正に相手を育てる恋。だけど、「お母さん」になってしまっては、恋愛じゃなくなるから、きわどいところである。だから、それをむしろ楽しめるくらいのパワーがなくては成立しないのだろうな(私には今のところ、そういう余裕もパワーもありませんが!)。

――というわけで、以前のブログ(2005年7月14日)から、女性の年齢について書いた日記の再Up。「デブラ・ウィンガーを探して」を取り上げているが、この映画に出てきた女優さんたち、その後いい感じで活躍している人が多いように感じる。その筆頭は、シャーロット・ランプリング。ダイアン・レインも「トスカーナの休日」がよかったし。ダイアン・レインも10代の頃、青春映画で人気を得た女優で、大人の女優への転換が難しいのでは?と思わせる時期もあったけれど、今は見事に花開いた感じ。
 で、これを書いていた去年は、キョンキョンと亀梨クンの熱愛報道なんかもなく、外国の女性へ憧れの眼差しを向けるしかなかったのだけれど……キョンキョンって、あらゆることに関してフロンティアスピリット溢れているなんだなあ、と思ってしまう。

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 最近、テレビドラマなどを見ていると、「私、もう34よ!」だとか、「もう30かあ......」というようなセリフがやたら多いのが気になる。いや、ほんとに多いんですよ、こういうぼやきが。こっちときたら、さらに40過ぎだ、どうすりゃいいのさ......みたいな(笑)。なんていちいち反応してしまうのは、私だけでしょうか?

 30代なんてまだまだ若いのに、皆さん、何をそんなに焦っておいでか?と思うのだが、自分を振り返ってみれば、30代の前半の頃は、自分のことを若いなんてこれっぽちも思わなくて、確かに、「もう30過ぎてるのにあれもできてない、これもできない」という感じで、ダメなところばかりあげつらねて、いつもいつも焦燥感にかられていた。
 あれは何だったんだろう? 今、この日本で(というより東京と言うべき?)生きる30代の女性というのは、誰でもそういう焦燥感に駆り立てられてしまうのかも知れない。40代に突入してしまった今では、ちょっと開き直りな感じも出てきて、あの頃のようには、じたばたしていない。というより、ここまで来たらなるようにしかならない、という感じか(笑)。

 それにしても、じたばたする30代の応援歌みたいなものがようやく出てきていて――一昔前は、20代しか主役になれなかったから、凄い進歩だとは思うけど――40代以上は相変わらず対象外な感じで、ちと寂しいのは事実。日本には、モデルにしたいような人もあまりいないしなあ......。黒木瞳はきれいだけど、何か現実感なくて、遠い存在という感じだし。

 Dw_1というわけで日本には40代向けの素敵なもの(や人)があまりないので、こちらがおすすめ。女優が年を重ねることをどう乗り切っていくか、というテーマに果敢に取り組んだ、ロザンナ・アークエットのデブラ・ウィンガーを探して
 彼女が、自分と同世代のハリウッドの女優たちにインタビューしたドキュメンタリー。華やかに見える彼女たちだが、若さとセクシーさが絶対的なハリウッドで、圧倒的優位に立つ男性プロデューサーたちにもまれながら、家庭と仕事の狭間で、女優として40代をどうやってやっていくか、というのがテーマ。  
 自分とは、まーったく違う環境と立場の人たちだけど、観ていると元気になれる。日本の女優と大きく違うところは、自分の言葉というものを確かにもっていること。個人的なことを話すだけではなく、アメリカの映画界や社会における自分たちの位置とかを分析しながらきちんと話す人が多くて、驚かされた。  
 やはりアクターズ・スタジオなんかで鍛えられているから、違うなあとしみじみ。いわゆる肩肘張ったフェミニズムっぽい感じはなくて、シャンパン飲みながら喋りまくったり笑ったりプロデューサー連中を罵ったり、リラックスして好き勝手にやっている感じがよかった。
 とにかく、アメリカは若さ礼賛の国だから、「フランスなんかでは、年齢を重ねた女性が尊敬されているのにさ、もうまったくハリウッドときたら......」なんていう感じで、皆、結構本気で怒っていた。
 そう言われてみれば――シャーロット・ランプリング、ジェーン・バーキン(50代なのに、白いTシャツとカーゴパンツが似合う!)、カトリーヌ・ドヌーヴ、エマニュエル・ベアール(40近いはずなのに、あの美しさ!)、ナタリー・バイ、ファニー・アルダン、イザベル・アジャーニ――などなど、フランスには、年を重ねてもいい女優がたくさんいる。キャリアを活かしていい映画にバンバン出ているし。それは、彼女たちに相応しいおとなの映画がつくられているということだ。シャーロット・ランプリングとジェーン・バーキンはイギリス人だけれど、フランスに縁が深い人たちだし、フランスという国には、何かあるのかな?

 皆、美しすぎて、かつ才能ありすぎなので、励みにするには遠い存在かも知れないけど、これくらい美しい人たちを憧れとしていたい。

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2006年5月 4日 (木)

ふたりの5つの分かれ路

――以前のブログ(2005年10月14日付)から、再Up――

ふたりの5つの分かれ路

Fo 離婚調停のシーンから始まり、ふたりが分かれる岐路になった5つのシーンを、回想するのではなく、時間を巻き戻すかのように徐々に遡っていく。見ている間は気づかず、今になってハッと思うのは、その別れる5つの理由の最後に来るのが「出会い」であること。出会いも別れる理由の一部になるのだ!ということだった。だって、そもそもまず出会わないと別れようがないものね。と、ワケのわからないことを言っているようだけど......別れは辛いけれど、じゃあ、出会わなければよかったのか、と言ったら、決してそうではない、ということなのだ。
 この映画の「出会い」のシーン――夕陽に輝く海辺――は本当に美しくて、泣きたくなるくらいだった。あんなふうにきらめく時間をともにしても、人は別れる時は別れる。人生は美しくて残酷だ。

すべての関係は、死か別れで終わる。だからこそ、人はその瞬間を楽しむのです。すべてに終わりがあることを知らねばなりません。希望はいつだってある。一つの終わりは、始まりなのですから。ヨーロッパ哲学に快楽主義があるでしょう。明日のことは分からない。だから今を楽しみ、欲望に生きる。時に陽の光に便乗するように仕事を忘れセックスをする。フランス人はエピキュリアンです。
フランソワ・オゾン インタビューから                     
 「AERA Couples――愛・結婚・SEX」アエラ臨時増刊 No.44より

 そして、もうひとつ、見所は、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ。美人というより独特の存在感のある人、個性派女優という印象だったけれど、この映画では本当にきれいだった。遡っていくごとに美しくなっていくのだけれど、それが見事に彼女の内面と呼応していて、素晴らしい。 
 厚着で冴えない感じの離婚調停のシーンから、肩を出した黒いドレス姿への鮮やかな変貌。大きく背中の開いたウェディングドレス。出会いのシーンのみずみずしさ。
 オゾンは、最近あまり作品に恵まれていなかったシャーロット・ランプリング(ヴィスコンティの映画などでインパクトがありすぎて使いこなせる監督がいなかったに違いない)を「まぼろし」「スイミングプール」で見事に復活させたし、女優の使い方がうまい。
 そんな彼は1967年生まれ、まだ30代後半というのだから、驚きだ。虚ろでけだるい若者かヤクザか原作がベストセラーのものか、そんなのばっかり映画にしている日本の映画監督も、ちょっとは見習ってほしい。アエラのインタビューでは、「日常が恋愛の魔法を解くのでは?」ということに対して、オゾンは「日常をマジックに変えるために努力すべき――朝、そこには王子も姫もいない。寝ぼけ顔の恋人を愛し、受け入れなくては(笑)」さらにこんなことも。

日本では仕事の価値が高すぎる。フランスでは、仕事仲間と食事に行ったら、もう仕事の話はしない。恋愛の話をする。セックスを含め、互いの気持ちを表現しあうことはとても重要です。

 と、これは仕事人間が多い日本の男性に聞かせたいものですな!

 ところで、オゾンのインタビュー目当てに買ったこのAERA増刊号、「日仏カップル比較」なんぞも載っていた。
「フランス:137回  日本:46回」
 この回数は何の比較だと思います? 国民1人が1年間にセックスする回数、だそうで。日本人は、フランス人の3分の1しかしてないってことだ。
「フランス:9,2回  日本1,7回」
 これは30代以上のカップルの1カ月のセックス回数。日本人はやはり体力がないのか? いえいえ、きっとそんな問題ではないのでしょう。
 それでいて、離婚率は、日本も高くなってきたとはいえ、フランスの方が高い。つまり、「カップル」でいる間は濃密な関係を築き、それが壊れたらずるずる一緒にいない(故にセックスレスという現象もありえない)ということなのだろう。
「2人の知的成熟度、互いを思いやる心、そしてセックスの相性。この3つが満たされなければ、結婚は成り立たない。だから別れたんです」と、これは、40代で離婚したフランス男性の言葉。お互いに自立していないと、なかなか言えないことだ。そして、こういうカップルのあり方、男と女がきちんと関わるという関係性が背景にあるからこそ、「ふたりの5つの分かれ道」のような映画も生まれるのだろうと思う。
 このAERAにはさらに「妻たちのSEX白書」とかもあって、あらゆるパターンのあらゆるデータが満載なのだけれど(あまりに微細なデータでここには紹介できない!)、そんなにデータばかり見せられてもなあ、という感じがなきにしもあらず。比較検討することによって、何か見えてくるものがあるのかどうか(それにしても、AERAってセックスレス特集ってのが好きですよねえ。電車の中吊り広告でしょっちゅう見る気がするんだけど/笑)。

 とにかく、いつか訪れるかも知れない別れや傷つくことを恐れず、果敢に恋をしようではありませんか!

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スイミング・プール

――以前のブログ(2005年7月13日付)から、再Up――

 Spフランソワ・オゾンのスイミング・プール をDVDで観た。「まぼろし」「8人の女たち」がとてもよかったので、楽しみにしていたけれど、この3作のなかでは一番好きだ。
中年の、煮詰まり気味の英国人ミステリー作家サラ(シャーロット・ランプリング)と奔放で美しいフランス娘ジュリー(リュディヴィーヌ・サニェ)が、ひょんなことから、南仏の別荘で一緒にすごすことになる。そしてミステリー小説を現実がなぞるかのように、思いがけない事件が起き......。「まぼろし」にも南仏の海が出てきた。海も都会も部屋の中もすべてくぐもった雰囲気で、主人公の女性(こちらもシャーロット・ランプリング)の喪失感をよく表していたと思う。「8人の女たち」は雪に閉じ込められた屋敷が舞台の密室劇。いずれも閉ざされた感じがした。でも、「スイミング・プール」では思い切り、外へ外へと開かれている。サラが少しずつ自分の殻を脱ぎ捨てていくのと呼応しているかのように。陽射しが本当に美しい。ストーリーそのもののスリリングだったけれど、南仏の光のきらめきやプールの水のゆらめきが、印象的だった。
 とにかく、ランプリングの素敵なことと言ったら! 冒頭のロンドンでのトレンチコート姿から、南仏での何気ない日常のシーンまで、洗練されていて、どんなささやかなシーンでも見ていて飽きるということがなかった。そして、若く官能的なジュリーを嫌悪と同時に羨望の眼差しで見つめる、その何とも言えない佇まいが秀逸。
 また、ジュリー役のリュディヴィーヌ・サニェも素晴らしかった。ビッチなくせに、詩的で鋭い感性を持っていて......という複雑な役を完璧にこなしていたと思う。内側の暗い心が、みずみずしい若い肉体に包まれているそのアンバランスさが、危険で不思議な魅力に満ちていた。そして、鮮やかなラスト......現実と幻想の境がなくなる瞬間。「まぼろし」のラストもそうだった。こういう映画を見ると、人はよく現実、現実と言うけれど、人間という曖昧な存在を通して見ている限り、何が現実(真実)かなんて、本当は答えなんてないのではないか? というような、確固としていたはずの足元が崩れていくような、凄く奇妙な気持ちになる。そして、その奇妙さは、快感でもある。見終わった後に自分なりに、ストーリーを考えることができる醍醐味もある。
 だから、「スイミング・プール」も「まぼろし」も、起承転結のはっきりとしたハリウッド式ハッピーエンドを求める人にとっては、欲求不満になる映画かも知れない。だけどだけど、デビッド・リンチの、ええーっ、ここで私たちを放り出してしまうの~そんな......という茫然自失とさせる唐突なラスト(それもまた快楽なのだけれど)と比べたら、オゾンはとてもやさしくて静かだ(というより、残酷さが剥き出しになっていない感じ、と言うべきか)。

 それにしても。映画監督が女性を美しく描こうとすると、賛美しずぎるか、思い余っておとしめるか、極端になりがちなのだが、オゾンにはそういうのが全然ない。怖いくらいリアルで、異性の彼にどうしてここまで女性がわかってしまうのか不思議なくらい。ずるくていやらしいのだけれど、美しい存在としての女、という感じだ。

 ちなみに、俳優陣は、出版社の社長ジョン役のチャールズ・ダンス以外は、しょぼい感じの人ばかり(特に、ジュリーが連れ込む男たち)だったのは、なぜでしょうか?(笑)

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ぼくを葬る

 

Img_0136 2日は、シャンテ・シネへフランソワ・オゾンの最新作ぼくを葬る (ぼくをおくる)を観に行った。余命3か月と告知された気鋭の若手カメラマン、ロマンが死と向き合い、残された時間をどうすごすか、どんなふうに死を迎えるか……までを描いたもの。という、オゾンにしては、あまりひねりのないストーリー。でも今回は珍しくゲイの男性が主人公だったので、その点は新鮮だった。辛い闘病の様子などはほとんど描かず、官能的なシーンが多く、それがかえって死を際立たせる。そして、生命力溢れる子どもと清々しい海。
 カメラマンなのに今まで身近な人の写真など撮ったこともなく、どこかクールなロマンが、物影からひっそりと家族や元恋人の写真を撮る様子がよかった。それが彼なりの「さようなら」だったのだろう。
 ところで、ロマンの祖母役としてジャンヌ・モローが出演。しわしわのおばあさんだが、若作りするでもなく、その皺のまんま出ているのがよかった。さすが、年取っても存在感がある。Img_0137_1

 と、あれこれ感想を書こうとしたのだけれど……やはり、女同士、火花を散らし、ミステリー仕立てでわくわくさせられた「スイミング・プール」の方が圧倒的に好きなことに気づいてしまい、今ひとつ、ノリが悪いです(笑)。
 ロマンは、なぜ家族に対して冷淡だったのか(特に姉)、その辺が最後までわかりづらかったのも、ちょっと残念。
 でもロマン役のメルヴィル・プポーは、甘い感じのハンサムで魅力的だった。

 というわけで、本日はフランソワ・オゾン特集。
 以前のブログに書いた文も、再度Upしてみました。

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