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2006年4月に作成された記事

2006年4月30日 (日)

トスカーナの休日

 Ts_1時折、映画や本に接していて、今まさに出会うべくして出会ったのだなと、思わされることがある。このトスカーナの休日もそんな作品。WOWOWでよく放送していたのだけれど、いつも録画し忘れて、観る機会を逃がしていて、先日やっと観ることができた。少し前ではなく、今、このタイミングで観られて、むしろよかったかも。まさに、偶然、どこからかプレゼントされたような映画。
 離婚した作家のフランシス(アメリカ人)は、友人の好意で、トスカーナに傷心旅行へ。そこで、衝動的に築300年の「ブラマソーレ」(太陽への憧れ、というような意味)という古い家を買ってしまう。家の改築をしながら、人との出会いあり、恋愛あり……と、いろいろな出来事の中で、本来の自分を取り戻してゆき、新しい人生を歩み始めるというストーリー。
 グローバリゼーションの国からやって来ると、ロハス(?)なイタリアは本当にワンダーランド。家を買う時も、「神のお告げがないと売れない」などと家主に言われたりするところがおもしろい。
 登場人物も魅力的で、フェリーニの映画に出演したことがあるという設定の、謎の貴婦人が出てくる。ジュリー・デルピーが年取ったらこんな感じ?というような女優さんが演じていて、なかなかよかった。離婚の痛手から立ち直れないでいるフランシスに彼女はこう言う。

フェフェ(フェリーニのこと)はいつもこう言っていたわ――“後悔は時間の無駄。過去は現在を殺す”。悲しみ続けて、幸せになれる?

 Img_0099フランシス役のダイアン・レインも素敵だった。もう決して若くはないけれど、魅力的な女性のフランシスにぴったり。
 イタリア男のあまりにロマンチックなささやきに思わず吹き出してしまったり。でも、彼によって久々に情熱を取り戻したフランシスは、ひとりになった時、ベッドの上で「私も捨てたもんじゃない! まだ魅力があるのよ!」と足をばたつかせて、はしゃいだり。そういうのって、わかるわかるという感じ(笑)で、女性はとても共感できるシーンだったと思う。

 一見トスカーナっぽい(?)風景だけど、実は西荻(笑)

 かと思うと、その男はフランシスとのちょっとしたすれ違いに我慢できず(イタリア男って、ほんとに今にだけ生きてるって感じ!)、他の女の元へ行ってしまいふられて、「私ってバカみたい」とがっかりしたり。
 また、届いた昔の荷物の本の間から、元夫との写真がはらりと出てきて悲しくなったり、そんな何気ないシーンの描き方が繊細でよかった。
 
 イタリアに来てから、だんだんとより美しくセクシーになっていくフランシスの姿を見ていると、やっぱりイタリアって人を解き放つ何かがあるんだろうな、と思ってしまう。
 あいにく、イタリアには行ったことないのだけれど、イタリアへ行って官能が目覚める、みたいなテーマの映画が本当に多いので、きっとそうなんだろう。
 実際、私がイギリスへ行った時も、イギリス男性にはほとんど声をかけられず、声をかけてくるのは全員イタリア男だった。自分が異国の地へ行ってもナンパするのか、と感心したものだが(笑)。まあ、それは挨拶みたいなものだとよく言われているけれど……。

 それはさておき、フェリーニの「甘い生活」のオマージュ的なシーンがあったり、フランシスのシックな白いドレスが、「旅情」のキャサリン・ヘプバーンが着ていたドレスに似ていたりと、そんなディティールも楽しい。
 パーティやイタリア料理のシーンもたくさんあって、観ていると元気になる。私は、小説でも映画でも、おいしそうな食事のシーンのある作品が大好き。
 それから、トスカーナで赤ちゃんを産むフランシスの親友とか、改装を手伝ったポーランド人とか、いろんな人と家族のようにつながっていくのも、もうひとつのテーマ。他人なのだけれど、家族のように共に生きるというテーマ……どこか懐かしい気がするなと、思い出したのは、吉本ばななの初期の小説。そう、これはトスカーナ版『キッチン』なのかも知れない(関係ないけど、イタリアで吉本ばななの小説って、とても人気があるそうだ)。
 
 そして、「ブラマソーレ」の一滴の水も出なかった枯れた古い蛇口から、徐々に水が滴り始め、ラストでは、ほとばしるように水が溢れ出てきたのが、象徴的だった。

 うーん、さっきの日記では「GWが超地味でも、不平不満はない」と書いたばかりだけれど、私もトスカーナの休日がほしいぞ!
 イタリアで衝動的に家を買ってしまえるのも、経済力があればこそ。やはり女も経済力だなあ。などと締め括ったら、身も蓋もないか……でも、離婚などで深い痛手を負った時、立ち直って出直すには、何よりお金が必要、というのは自分自身の経験からも言えることだ。
 私は、離婚後、その「何より必要なお金」も仕事も何もまるでなかったので、なかなか壮絶な思いをした。今も完全に立ち直ったわけではないが……トスカーナに行けなくても、せめて、行きたい!と言えて、かろうじて職も得て、こんなブログを書き綴るくらいの余裕はできた(笑)。おっと、話が逸れましたが。
 ところで、これは実話を元にした映画だそう。ますます、興味をひかれる。原作の翻訳本も出ているらしいので、読んでみたい。

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西荻の小道から

Img_0094_1←花水木が満開

 いよいよGW。ここのところ、天候が不安定だったけれど、今日は穏やかな気持ちのいいお天気。
 近所のお庭の花がきれいなので、カメラを持ってぶらぶらと散歩していたら、汗ばむくらいだった。こうして撮って歩いていると、この辺りはなかなか素晴らしいと改めて思う。さすが、杉並区の中でも所得の高い地域だけのことはある(私は例外/笑)。植物を育てるのも、余裕がないとできませんからねえ。
 というわけで、どの写真も、私が育てたのではなく、よそのおうちのお花です(笑)。

Img_0102_4                  
←ピンクの花水木
 さて、GW、皆さんは、どんなふうにすごされるのでしょうか?
 私の予定は、知人の結婚式の二次会のパーティに出席、あとは最近ごぶさたの友人と会ってひたすら喋る、カーテンの洗濯、冬物の整理、いろんなものが散乱している机の整理――ついでに散乱気味の頭の中身もすっきりさせたい!――メモ書きしているブログのネタをきちんと書いてUpする、先日ビデオデッキが昇天し、DVDレコーダー付きのに買い換えたので、ビデオの整理をする……など、知人の結婚式以外は超地味(!)です。
 だけど、休んでも給与が支給される、というだけで嬉しいので、不平不満はない。Img_0098
 ここ何年も派遣で働いていたから、皆が浮かれ騒ぐGWは、その分、ごっそり給料が減るので、おちおちしていられなかった(年末年始もそう)。フリーならフリーで、いろんな案件がこの間、先送りになったり。で、たいてい、世間が休んでいる間に働いておくか、みたいな感じだったし。
 だから、嬉しさがじんわりと身に沁みる。
 ずっと正社員で生きていたら、それが当たり前になってありがたみもあまり感じられなかったかも知れない。

Img_0104 1日は通常どおり出勤、2日は午後半休(有給を半日分使う!)を取って、銀座に出て、フランソワ・オゾンの新作を観に行く予定。それから、プランタンにも寄って連休用にビゴのパンを買い込む、などなど。

 それにしても、「庭の小道から」というタイトルは自分に合っていたなと思う。庭園ではなく、庭。大通りではなく、小道。寄り道しながら、こんな花を見て歩けるのは、小道ならでは。実際の人生もそんな気がする。

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2006年4月29日 (土)

ワインと「理想の女」

 金曜の夜は、自宅にてワインパーティ(と言ってもひとりなんだけど/笑)。
 ワインに自分で合うと思う一番好きなものを、好きなように用意する。
 Img_0090苺、ドライイチジクに胡桃を乗せたの、サラダ――RF1の海老サラダに水菜とアボガドを混ぜて量を増やした(!)もの――ブルーチーズと胡桃のパン(アンデルセン)と作りおきしていたいんげん豆スープの残り。
 家でワインを飲む時は、だいたいこんな感じで、肉類などは、ほとんど食べない。
 そして、お供に何か映画を1本。この日は、理想の女 。「ロスト・イン・トランスレーション」のスカーレット・ヨハンソンが主演。今回は、1930年代を舞台にした、清純でちょっとロマンチックな役。彼女は、現代的な役もそういう古風な女性も、何でもすっとはまって演じられる女優。フェルメールの映画「真珠の耳飾りの少女」でも、正にフェルメールが描く、当時のオランダの少女に見えた。絶世の美女というわけではないのだけれど……いや、正にそれ故なのか、自分のキャラクターを前面に押し出すのではなく、まず、役になりきり、役の個性を生かす演技をする。不思議なくらい、どの時代のどんな役でもこなせる。だって、これがニコール・キッドマンだったら、美しすぎて、何をやっても、ニコール・キッドマンが演じている、というのが先に立ってしまう。
 スカーレット・ヨハンソンは、これから凄く活躍しそうな女優で楽しみ。
 ところで、「理想の女」はイタリアが舞台、当時のファッションも素敵で、ストーリーもよくOwて、見応えあった。時代背景的に退廃的な話なのかと予想していたら、そうではなくて物語の力強さというか、精神の美しさを感じた。と思ったら、原作はオスカー・ワイルドだったんですね。ここのところ、人はとんでもない醜さを抱えている……と思うことが多かったのだけれど、そういうのとは正反対のお話で、芸術ってやはりそういうことを綴るものなのだなあ、と思ったり。

 それにしても、つい飲みすぎてしまうのがワイン。
 フランスの安いボルドーだったけれど、この日もボトル3分の2ほど。もともとそんなに強くないので、半分くらいが適量なのに……。
 そして、洗いものもせずに、歯磨きだけして、そのまんま倒れ込むようにベッドへ直行。
 それだけのワインと、ヘルシーとはいえあれこれ食べて、そのまんま寝るのだから、身体にいいわけない……のだけれど、こういうひとりワインパーティ、やめられないのです。
 これで、誰かと話しながら飲んでいれば、それほど酔わず、発散できて、健康的な感じでいられるんだけれど。話すということは、案外とアルコールおよびカロリー消費になっている気がする。

 やはり、ワインを一緒に楽しめる誰かを探すこと……ですかね?!

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2006年4月25日 (火)

N.Y.sweets Fair――モンキーケーキ

 新宿伊勢丹にて、ニューヨーク・スウィーツフェアというのをやっていたので、昨日、試しにケーキを買ってみた(24日が最終日)。アメリカのケーキなんて、ぜーんぜん興味なかったし、期待もしていなかったのだけれど、おさるのクッキーがちょこんと乗っているモンキーケーキに一目惚れしてしまったのだ。
 というか、食べてみたい……というより、これは写真になる!(ブログになる!)という思いの方が強かったかも。
 これからはブログなんかに力入れないぞ、と思っていたのに、これは写真になる!みたいな発想を無意識にしている自分に気づく(笑)。そして、ひとりだから1個で十分なのだけれど、つい2つ買ってしまう。
 Img_0082このキュートなモンキーケーキは、davidburk&donatella(デービッドバーク&ドナテラ)というお店のもの。ふわふわのムースとスポンジの間にパイナップル、上面にはローストしたココナツ、そして、おさるクッキー。アメリカのケーキ、あなどれません! おいしかったです。
 小ぶりで、フルーツやクリームがぎゅっと詰まったフランス風とは一味違うおいしさ。軽くてふんわり、フルーツの香りがよくて、フレッシュな味わい。大振りだけど、全然重くなくて、ひとりでペロッと平らげてしまった。

 さすが、伊勢丹が企画するだけのことはあるというか。今回は、コンテンポラリースウィーツショップGiotto(ジョトォ)のエグゼクティブ・ペイストリーシェフが選んだスウィーツなんだとか(なんだかよくわかりませんが)。最近のケーキ事情、いやスウィーツ事情も凄いことになっているようです。ほかのショップのスウィーツもどれもおいしそうで、見た目も鮮やか、正にこれがコンテンポラリーなのだろう、という感じ。「SEX AND THE CITY」のキャリーなんかがいかにも食べていそうなケーキ(なのかな?)。

 実は、このおさるクッキー、丁寧に別梱包になっていて、食べる際に袋から取り出して、ケーキにちょこんと乗せるようになっていた。しかし、私は思い余って、袋から取り出す時に、シッポをポキンと折ってしまい……激しく動揺したのであった。本当は、このシッポの先っちょがくるりとカールしていて、白い砂糖でアクセントが付いていて、可愛かったのに! ショック……。ささやかなことでも幸せになれるが、同時にこんなささやかな不幸(?/笑)にも弱い私である。なんとか立ち直って、シッポの先っちょは入らないように撮影したが。

 モンキーケーキと一緒に買ったのは、アップルパイ。Img_0086
 賞味期限は昨日までだったのだが、パイだし、だいじょうぶだろうということで、これは今夜食べた。カスタードとスポンジが少しに、煮崩していないリンゴがほどよく入っていた。上に乗っているスライスしたリンゴと生クリームがいいアクセントに。きっと秋までおいしいアップルパイは食べられないからと思いつつ、じっくり味わった。

 どちらも、ひとつ600円。いつもの「ちょっと贅沢」の2倍×2個。
 そんなわけで、伊勢丹が企画するスウィーツものには、絶大な信頼を置いてしまうのであった。

<追記>
しつこいが、伊勢丹のカタログから、モンキーケーキ全景。シッポの先、見えますか? 左は、エグゼクティブ・ペイストリーシェフ(舌噛みそう)、リチャード・バイス氏。
Img_0088_3






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憂鬱なアパート、腹の立つ隣人

 この数週間、空き部屋だった隣の部屋に、今日、突然、誰か越してきた模様。
 角部屋なのだけれど、隣の部屋は9割くらいの確率でうるさい。
 さっきかかっていた音楽(ロック?)の様子では、若い人らしい雰囲気。
 今は何か特定しがたい、ゴオオオーッという低音……こういう場合はたいていゲーム。
 前の、前の人がそうだったから。
 これだけ様子がわかるというのは、壁が異様に薄いというわけなんだけど、だから、こっちの音も聞こえているはず。私は真夜中を回った頃はできるだけ気をつけるようにしている。
 しかし、どんなに頼んでも管理会社に注意してもらっても壁を叩いても深夜に大騒ぎするバカ野郎が以前住んでいたことがあり、私はノイローゼになりかかった。
 そういうヤツに限って、越してきた時に挨拶に来ない。
 あまりにうるさくて、深夜、ベッドから起きて、わざわざ玄関のドアを叩いたこともあったけど、ドアすら開けてくれなくて、「はぁ、そうすか」くらいで全然聞いてくれなかった。

 前の人(わずかな1割の人)は、ちゃんと挨拶に来てくれたけど、そういう人に限って、静かなのだ。

 なまじフローリングの部屋で、ワンルームよりは広いため、礼儀知らずの若者カップルばかりやって来る。若いカップルは、うるさい。声もでかいし、女の子が甲高い声でバカ笑いするし、深夜、時には明け方まで、ゲームしてるし。
 ちなみに、上階の音もすごく響く。どれくらい響くかというと、電話の「サイレントモード」の音がはっきり聞こえるくらい。
 そして、日曜深夜、3時、4時まで、ブーーンという低い振動音(たぶん、PC?)
 こちらも管理会社に何度お願いしても、直訴してもダメ。天井を叩くと、逆切れされて、どかどかと足を踏み鳴らされたり、かえってうるさくされるので(嫌がらせで)、最近は諦め気味。音楽を静かに流して気を紛らわせながら眠ることにしている。 でも、昨夜も3回くらい目が覚めた。

 こういう若者たちを見ていると、親にどういう教育をされたのだろうか? 親の顔が見たい、日本は本当にもうダメかも知れん、などと一気に「今の若者はけしからんモード」全開になる。

 そして、この年になっても、こんな部屋から出られない自分も自分……その不甲斐無さが悲しい。それでいて、家賃は決して安くはないので、それがまた腹が立つ。昨年の台風では、一瞬、雨が吹き込んできたし。予定ではもっと早く出るはずだったんけどなあ。礼金2・敷金2なんていうもののおかげで、動くに動けなくなっている。
 明らかに、小説とか、長いものを書く集中力はそがれている気がする(半分、言い訳/苦笑)。
 そうしているうちに、傍若無人な輩たちは、次々と越して行く。私は離婚後、ここに住み始めてかれこれ6年になるが、隣はもう4~5回変わっている。
 カップルでは住みにくい部屋であることに、しばらくすると気づくのだろうか?

 ああ、お金さえあれば、明日にでも部屋を探すのに!
 公団とかも上手く探せないし、本当に困っている。
 最近は、礼金などない物件も稀にあるけれど、まだまだ主流は礼2・敷2だし。
 とにかく脱出計画はまだちょっと先になりそう……。
 ドカーンと稼ぐ方法……なんて、ないか。
 日々の勤め以外にも、何かないものかと、ただ今、思案中(小説は、それはそれでやるとして……あまりに時間がかかるのでねえ)。
 しかし、安い下請けのライティング仕事とかは、もうごめんだ。
(そういや、去年、コンテスト作品の選評を1本千円で書かせた某自費出版社。この春、倒産した。人をそんなふうに搾取するから、バチが当たったんだ、ザマーミロと思った。そこで働いていた知人は、気の毒だが。その知人も雇用されながら搾取されていた)

 なんだか話が逸れた上、グチばかりですいません。
 とにかく、今度の隣人は、まともな住人でありますように(と祈るしかない)。

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2006年4月23日 (日)

夜更かしの土曜の夜は

 木曜日の日記の「こんな日もあるさ」と思い込んでいた詞の出所をやっと突き止めた。本当は次のようなものだった。

東京地方に大雨が降り続けて
部屋の中に居続けることもあるさ
まるで魚になった気分だよ
まるで水槽の中の魚
まるで泳がない魚

WEATHER REPORT――Fishmans「宇宙 日本 世田谷」より

 「部屋の中に居続けることもあるさ」が、私の中で勝手に「こんな日もあるさ」に変容していたらしい。フィッシュマンズは今聞いても全然色褪せていないし、何度繰り返し聞いても飽きるということがない。
 なので、聞くたびに、この詞を書いてこの歌を歌っている佐藤クンは、もうこの世にいないのだということも、繰り返し思ってしまう。悲しい。

 魚から話はつながって――というか変わって、今夜は夜更かしをしてティム・バートンの「ビッグ・フィッシュ」を観ていた。美しいお話だった。
 ファンタジックだけれど、ディズニーとは全然違う、ダークな味わいのあるバートンの世界はやっぱり好き。
 嘘とか誇大妄想とかじゃなくて、自分の人生の物語を作れる人は、豊かだと思う。 
 
 ところで、最近、はっとさせられる言葉に出会う頻度が高い。 

 「後悔は時間の無断よ」
 「つまらないことに時間を費やすほど、人生は長くない」

 
この2つのセリフは、まったく違うある映画と本からなのだけれど、まるで私個人へのメッセージのように受け止めた。

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2006年4月20日 (木)

こんな日もあるさ

 今日は、お昼前後に激しい春の嵐。
 こういう時に限って、お弁当はサラダしかつくる余裕がなかった。天気予報を気にしつつも、昼休みにパンを買いに行けばいいや、と思っていた。
 そして、ちょうどお昼時、もの凄い暴風雨! 少し様子を見ようかと思ったけれど、いつ止むとも知れぬ勢い。お腹も空いてきたし……ということで、意を決して外に出た。
 折り畳み傘は、あれよあれよという間におちょこになり、数度めで、ポキッと骨が折れた。500円の中国製だから仕方ないなあと思いつつ、傘もほとんど使いものにならず、職場に戻る頃にはパンツの裾も手提げ袋もびしょ濡れ。
 はーっやれやれと、冷蔵庫からサラダを出し、ティーバッグの紅茶を煎れ、パンを食べ始めると……嘘のように雨がぴたりと止み、まるで人をあざ笑うかのように太陽の光が射し、青空が広がってゆくではないか。
 なのに、私の足元も手提げ袋も濡れたまま。なんだか狐に化かされたような気分。
 傘は、癪だから、えーい、この安物めが!と不燃ゴミ箱に投げ込んだ。
 ランチは最近、自家製のお弁当が多いのに、こういう日に限ってつくってこない。なぜだ、なぜだ。悔しいなあ。
 誰が悪いわけでもないが、釈然としない(むしろ、寝坊してお弁当をつくれなかった自分が悪いのだが)。

 でも、まあ、こんな日もあるさ、と心の中で呟く。

 帰り、外に出ると空気がとても芳しかった。別になんの匂いもしないのだけれど、きれいに洗われたような、透明な空気の匂い。ここ最近、アレルギー(もしくは花粉症)で鼻水ジゴクだったのに、それもぴたりと止まっているし。

 あまりに気持ちがいいので、買いものがてら西荻のひとつ先の吉祥寺まで行って、セガフレード・ザネッテイでちょっとひと息ついて、1杯300円ちょっとの贅沢。そして、ロンロンの食品街でRF1のサラダを買って、100グラム300円ちょっとの贅沢。なくてもいいんだけど、ついふらふらと立ち寄ってしまうカフェやちょこっと買ってしまうサラダ。私にとっての「ちょっとの贅沢」は300円台。時々、吸い込まれるように立ち寄って食べてしまう新宿伊勢丹の地下のジェラートも346円。キハチのソフトクリームも300円前後。

 ところで、家に帰ってから、「こんな日もあるさ」というのは、フィッシュマンズの歌詞の一部ではなかったか?と思い、さっきからアルバムを聞いているのだけれど、なかなかこの歌詞に辿りつけない。
 うーん、なんだったろう? 私の記憶では、その歌も、雨が降るのを嘆いていて、「こんな日もあるさ」と歌っていたような気がするんだけど。
 私が勝手につくった想像の歌?……じゃないよねえ。

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2006年4月16日 (日)

岡田准一クンの「東京タワー」

 この前、岡田准一クン主演の「東京タワー」を民放でやっていたので、すかさず観た。で、感想を一言で言うと、予想していた以上に変な映画だった(笑)。江國香織の原作は、それなりにシニカルな味わいがあってそう悪くなかったと思うけれど、見事に上澄みだけを掬い上げて映画化しちゃいました、という感じ。

Img_0077←私のバーチャルな恋人(笑)、岡田准一クン。
 「東京タワー」に出演中。背中も美しい……。

 黒木瞳はセレクトショップのオーナーらしいんだけど、なんであんなにしょっちゅうパーティを開いているんだろ?とか(必ず白人がいるし/笑)、黒木瞳のダンナ役の岸谷五朗がどう見てもリッチなCMプランナーには見えないとか、岡田准一クン(すでに役名も覚えてない)も学生で母親にパラサイトしてるくせに、なに優雅に人妻と不倫しているんだ?!とか(原作ではそういう若さゆえの歯がゆさも出ていたはず)、なぜいきなりパリに留学?(原作はもっと曖昧に終わったはず)とか、突っ込みどころ満載。
 原作と比較してみたいのだけれど、原作もやけにプチブルっぽくて読んで早々に古本屋に売ってしまっていたのだった。江國香織さんのは、かなり好きな作品もあるのだけれど、私は、この『東京タワー』にはあまりはまれなかった。
 映画を観たのは……もちろん、ただただ岡田准一クンを観たいから、に決まっているのですが。もちろん、美しかったです! ヌードまで披露して頑張ってくれていたし。アップも多かったし。
 しかしねえ、准一クンがいくら麗しくても、映画自体がつまらないと、どうも繰り返し観る気にはなれない(と言いつつ、2回観た)。
 叶わぬ恋に苦しみ泣いたりするんだけど、全然こちらの胸に迫って来ない。なんだか泣いてるなーくらいなもので、感情的に掻き立てられるものがない。そういう上澄みの映画の対極にあるのが「ブロークバック・マウンテン」だと思うのだけれど、これはまた近日中に感想を書く予定(まあ、比べても仕方ないですね)。
 で、話を戻すと、そういうふわふわした、ユルユルの映画の中で、俄然、突出していたのが寺島しのぶ。若い男の子(松本潤)と不器用に不倫しちゃう、専業主婦の役。主役の黒木瞳より断然よかった。「ダンナには何もしてほしくないの。私がいないと生きていけなくさせたいの。そうしたら、ほんとになーんにもできなくなっちゃった。腑抜け亭主。元から、腑抜けだったのかもね」というセリフは痛快だった。
 日々の平凡な生活では燃焼し切れないエネルギーをフラメンコにぶつけるのだけれど、発表会で踊るシーンは迫真の演技だった。同性の私が見ても、ちょっとゾクッとしちゃいました。腑抜け亭主なんか捨てて、自分の人生を生きて~!と叫びたくなるような。
 で、映画自体はぬるくても、私は女優として手を抜かないわ!という気迫のようなものを寺島しのぶに感じた。

Img_0075_1←迫力! フラメンコを見事に踊る寺島しのぶ。

 というわけで、途中、気持ちがそっちの方にシフトしたりして、なんだかよくわからなくなったけれど……途中で、ああ、この映画は岡田准一クンのプロモーションビデオだと思えばよいのだということに気づいた。あと、寺島しのぶの女優の才能を再確認する映画でもあるとか。
 それから、これは男女の役柄を変えてみれば、よくある男性の願望(ファンタジー)としての不倫ものと同じじゃん、とか(笑)。家には長年連れ添った妻がいるけれど、自分の男としての魅力を、若い女と不倫することによって確認するパターン。逆パターンの物語ができたのは新しいというか、時代の流れを感じるけれど、逆にするなら、もうちょっと深みがほしかったなあ。構造的にはオヤジが若い女の子と不倫するのとおんなじなんだもの。

 それにしても、准一クンも役者魂のある人ですから、映画の出来栄えとしては、これはちょっと不本意だったのでは? 熱演すればするほど、空回りしていくような……観ていたこっちも不完全燃焼気味。
 いい男はいい映画に出てほしい!

*その他の感想(笑):「腑抜け亭主」という言葉は気に入った。最近も、友人と電話で話しながら「ポンコツ男」という言葉を生みだしたところ。ポンコツと呼ばれたヤツは、ほんとに「心が壊れていた」から、「ポンコツ男」というのは言いえて妙と思った。

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2006年4月12日 (水)

ハードワーク――低賃金で働くということ

 英国ワーキングクラス・シリーズというわけでもないのですが、また英国のノンフィクションを紹介します。タイトルはハードワーク――低賃金で働くということ 。日本での発行は、2005年6月。
 これも昨年のブログのTea Roomで書いたものの再Upです(2005年12月11日付)。
 ちょうどこれを書いていた昨年、フランスでは移民の若者による暴動が起きていた。で、さらに今年に入り最近になってからは、CPEという雇用政策が打ち出された。26歳未満の若者の雇用であれば、2年間の試用期間中、企業は理由なく解雇できる、などというとんでもないものである。これを聞いた時、フランスって進歩的な顔をしてるせくして酷い国だなあと思った。でも市民による抗議運動が繰り広げられていて、ついに政府はこのCPEを撤回したそうだ。こういうニュースを聞くと、さすがフランス!と思うのだけれど、まだまだ問題は山積み。
 先日NHKで「地球特派員2006~フランス移民暴動の試練・グローバル化と下流社会」(リポーター/姜尚中)という番組をやっていたけれど、これから挙げるイギリスの『ハードワーク――低賃金で働くということ』と同じ光景が繰り広げられていた。いや、むしろイギリス以上にひどいかも。移民は公然と差別されており、何しろ、その「ハードワーク―低賃金労働」すら奪われているのだから。シテという郊外の低所得者用団地の荒廃ぶりは凄まじかった。そこに、失業した父親と職のない息子と娘がいて、家政婦をしている母親の収入と失業保険で食いつないでいるとか、シテに住んでいるだけで就職試験の面接をしてもらえないとか……。
 というわけで、そういった社会の不穏な空気をいち早く読み取って伝えてくれたこの本は素晴らしい(けれど、書かれいることそのものは辛い……)。

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ハードワーク――低賃金で働くということ

 Photo著者は、イギリスのガーディアン誌の女性ジャーナリスト、ポリー・トインビー。イギリスは、サッチャー政権以降、所得格差がますます広がり、固定化されたとのこと。もちろん、イギリスは昔から階級社会だったけれど、ワーキングクラスは結束力があり、組合などを通し、それなりの権利を勝ち取ってきた。でも、そういったワーキングクラスの力も弱まり、福祉も削減......させたのが、やはりサッチャーらしい。「サッチャー政権以来、英国は後ずさりしてきた」のだそうだ。失業と低賃金労働を往復する貧困層が実に3割を占める社会だそうで。そこで、ポリー・トインビーは、身分を偽り「40日間、時給4,1ポンド(約820円)の最低賃金で暮らす」という体験取材をする。その記録が本書だ。イギリスは想像以上に厳しい国だなあと感じる。前回の石原由美子さんの『英国ワーキングクラス直伝――逆成功のルール』にも、ワーキングクラスの実態がよく描かれていたけれど、あそこに出てくるのは元気でしっかりと人生を歩んでいるワーキングクラスだった。でも、トインビーが伝えてくれるのは、「ワーキングクラスなりの成功」からも外れた、本当に最低賃金の人々の苦しい実態。シングルマザー、病気で前の仕事をリストラされた人、移民......などである。長くなるが、いくつか引用してみる。

恵まれた立場にいる人たちは何世代にもわたって、「実力本位」という言い訳に頼ってきた。貧しい家庭の子どもでも、賢ければ出世できる――これが本当なら、不平等な現実にも目をつむることができる。誰にもチャンスは平等にある、と信じ込むことができれば、恵まれた人たちも良心を傷めることなく、自分たちの暮らし方が正当化できた。しかし、この方便が通用しなくなってきた。なにしろ、中流階級へと続くはしごがはずされてしまったのだ。P13

「実力本位」という理想が消えたために、すべてが変わってしまった。――ある種の肉体労働が「単純作業」でも、はしごの一段目にすぎいと思えば、低賃金でも当然と納得する気にもなる。しかし低賃金労働者がはしごを何段も上る例など、いまやほとんどないことが明らかになった。たまに一段上ることがあっても、すぐに滑り落ちてしまう。失業状態と低賃金のあいだを、不安定に往復するだけだ。まさに、社会的進歩が停止したといわざるをえない。P15

たしかに最近は、身なりで懐具合を見わけるのがむずかしい。飛び抜けた金持ちや、飛び抜けて貧しい人はそれとなくわかることもあるが、衣料品の安売り店が普及したおかげで、低所得者もそれなりの服装が整えられる。毛布をかぶって道ばたに座るホームレスの人たちは、日常生活から明らかにはずれて突出しているので、いやでも目について心が乱される。しかし、けんめいに働いても貧しさから抜け出せない何百万もの人々は誰も目を止めない。社会的正義がおこなわれていないという事実は、こざっぱりした身なりに隠されているから、バスや地下鉄のなかで愕然とさせられることもめったにない。しかしじつは、毎朝職場へ急ぐ人の五人にひとりは時給六ポンド(1200円)以下、週にして240ポンド(4万8000円)以下しか稼げていない。これでは週刊誌に紹介されるようなレストランで食事をすることも、カリスマ美容師の店でヘアカットをしてメッシュを入れることもできないではないか。P15~16

私たちは、孫子の世代に向かって、この状況を正当化することができるだろうか。人間は生まれつき、公平と不公平を見わける素朴な感性を持っていると思う。その感性に照らして、現在の状況は公平ではない。P20

 とにかく、社会が回っていくためには必要な労働――介護、清掃、給食調理――といった仕事が、ハードなのにことごとく低賃金なのだ。特に、老人介護は、それなりの技術を要するし、精神的負担も大きいのに、フルタイムで働いても、満足に生活できる月給は得られないらしい。これは、日本でも同じだ。企業買収に携わる人々が年収何千万も得る一方で、こういう仕事に就く人々がかくも不遇なのは、なぜなのだろう?
「しょせん、恵まれた立場のジャーナリストの短期間のお気軽な体験取材」などと批判する人もいるみたいで、確かにそうかも知れないが、私は彼女の取り組みは立派だと思う。最低賃金の仕事を体験するだけでなく、本当にその賃金だけで生活し、その収入に見合った公営住宅で暮らしたのだ。
 マスコミなんて、不安を煽り立てる報道ばかりしがちで、自分たちがいる恵まれた立場からは動こうとしない人々がほとんどなんだから。それと比べたら、トインビーは偉い(日本にも、そういうジャーナリストは少数ながらいるけれど)。だから、彼女の本は実感がこもっている。そして、他者に対して感情移入し、共感できる感受性が素晴らしい。
 で、最低賃金で暮らしてみた結果は、どんなに頑張っても赤字だったそうだ。耐え切れなくなって、こっそり外食したりしたことも白状している。また、彼女にあてがわれたランベス地区の公営住宅のひどさも、ショックだった。イギリスって福祉国家じゃなかったのか、そうかサッチャーのせいでこんなに変わったのか......と。政府からは完全に見放され、管理されていないので、エレベータが止まっていたり、ゴミが散乱していたり、ヤクの売人の溜まり場になっている部屋があったり、強盗事件が多発......と、その荒みようは、日本人にはちょっと想像しがたいほど。そういう悪環境で生まれ育った子どもは、悪い仲間に取り込まれ、犯罪に走るケースも多くなるというのは必然かも知れない(それでも、本書の後半では、その公営住宅も改革の対象になりつつあるのがわかってくるが)。

――今回、私が経験した職場の仲間の多くは、時代遅れのヒエラルキーのせいで、能力以下の仕事を押しつけられていた。彼らを、病院なら病院の、全体像の一部に組み込むべきだろう。ピラミッドの最下層と見るのではなく、なめらかな全体を構成する煉瓦のひとつと見るのだ。P90

 と、病院のポーター(車椅子の人を案内したり、移動させたりする仕事)を経験した彼女は言う。これは、今の日本のフリーター、ニート問題にもあてはまることだと思う。

スムーズに職を移るのは、本当にむずかしい。あいだに給料の入らない期間がはさまるからで、懐具合を心配せずに転職できる人はあまりいないと思う。P91

 これも本当に実感! 私も派遣をたびたび変わった経験があるので、身に沁みてわかる。条件が悪くても、貧しければ貧しいほど、そこから身動き取れなくなるという、悪循環に陥ってしまうのだ。

 そして、トインビーがいいのは、こんなふうに正直なところだ。

少なくとも私には、シンプルライフにあこがれたり、節約の喜びに浸ったりする趣味はない。「消費拡大主義」(コンシューマリズム)以前の古き良き時代を懐かしんだこともない。昔からショッピング大好き人間だ。ただ、この喜びがもっと平等に享受されればいい、と思ってはいる(ブランド全盛に眉をひそめる人は、ブランド品などなにもない安い店で買い物をしてみるといい。聞いたこともない怪しげな包装の食品や洗剤を買うのは、不安なものだ)。外食したり、映画や芝居を観たり、自宅に友人を招いてパーティをするのも好きだ。ワイン、ドレス、休日。ときには外国の都市に飛んで、長い週末も楽しみたい。物質主義に侵された現代社会を嘆くこともない。人間は元来物質主義的な存在で、だからこそ動物と違って、進歩のために努力するのだと思っている。地球という星を損なう行為を懸念することをべつにすれば、快適な暮らしになんの文句もない。「土への郷愁」はまったくないし、富める暮らしより貧しい暮らしのほうが自然に近いとか、倫理的に優れていると思ったこともない。英国には昔から、高等教育を受けた人たちが貧しい暮らしにあこがれる風潮がある。持ち物が少なく、困難な選択に迫られることも少ない暮らしが一見「単純素朴」に思えるからだろう。私が低賃金労働の職場で出会った人たち(大半が女性)には、選択の余地がほとんどなかった。P95~96

国には公共サービスの補助的作業を民間に委託して「効率」を買ったつもりかもしれないが――国としてはこんなひどい労働条件を押しつけるわけにはいかないが、民間企業なら大目に見られる。p124 

 イギリスは、そうやって民間へ、民間へと委託するようになり、民間は利益をあげるため、フルタイムで人を雇わず、短時間のシフトで多くの人を雇うようになった。そんな細切れ労働では皆、食べていけないので、2つも3つもかけもちをしている人が少なくない。早朝の清掃の仕事をして、昼間も働いて、夜また清掃......というような。特に、子どもの世話をしなければならない女性がそんな過酷な働き方を強いられているそうだ。
 日本もすでにその道を歩んでいるような気がする。

懐に余裕がないため、あらゆる行動が制限された。飢えない程度に食べることはできたが、楽しみ抜き、アルコール抜きの食事は味気なかった。しゃれた店が視界から消えてはじめて、現代に生きるほとんどの人同様、私にとってもショッピングがどんなに重要だったか気づかされた。劇場や画廊、レストラン、ブティックなどが並ぶ、何度も通ったなじみの道が、私の地図から消え失せた。どこを歩き、どんな建物の前を通りすぎても、すべてが境界の向こうにある。ほかの人たちのもので、私のものではない。スターバックスのソファが私を誘ってくれることもないし、本屋やレストランはもちろん、街角の小さなカフェでさえ私にとっては存在しない。世間並みの楽しみを与えてくれるあらゆる場所に、「立ち入り禁止」の大看板がかかっているようなものだ。ほかのすべての人たちが生きている消費社会への「立ち入り禁止」。過酷なアパルトヘイトだ。客を呼び込んで、買って、買って、買ってと誘うために明るく照らされた入り口が、英国民の三分の一にとってはぴしゃりと閉ざされている。こうして排斥されてみると、都会の町並みは険悪な顔を見せる。同じショッピングでも、懐と相談しながら貧しい食料を買いそろえるのは楽しくないし、回を重ねるごとにつらさが増してくる。P300

 ここを読んだ時は、胸が痛くなった。そう、世の中すべてが貧しければ、まだ我慢もできるけれど、自分の目の前にはきらきらした消費の世界が広がっているのに、自分には無縁......というのは、本当に辛い。私自身、今はようやく安定した収入の仕事に就けたけれど、どん底も味わった。クリスマスの季節はデパートの前を通るのすら苦痛だった。自分だけ世の中からポツンと切り離されているみたいで、孤独な感じがした。食事や遊びに誘われても、断わざるを得なかった。何も身動きがとれなかった。
 と言っても、私の場合、自分自身の生き方の下手さ加減のせいもあったし、ある程度やりたいことをやった結果だとか、離婚したとか、運の悪さのせいにできる部分もある。
 でも、そうではなく、生まれた階級とか人種のせいでずっとずっとそういう生活だったら、どうだろうか? フランスの移民の若者の暴動は、きっとそういうことだ。今辛くても、希望があれば人間はなんとかやっていけるのだと思う。先の見通しが立たない、いつまでもこの悪い状況のまま、という、やるせない閉塞感が絶望を生むのだ。彼らが、ブルジョアの象徴である車に火を放った気持ちは、痛いほどわかる。日本も同じような道を進んでいるけれど、フリーターの若者たちはまだ親にパラサイトできる率が高いから、深刻さが見えてこない。でも、親の資産も無限ではない。尽きる時が来たら......。フランスやイギリスも深刻だけれど、日本の若者の諦めたような静けさも、何か不気味ではある。
 なお、トインビーによると、欧州の中では、やはり北欧諸国やオランダは所得格差が少なく、イギリスにあるようなもろもろの社会問題も比較的少なく、高い税率にも国民は納得し、成功しているらしいので、何かしら違うやり方があるはずだと言っている。ブレアもアメリカ寄りなのがけしからん、とのこと。結局、そういうことになるのか......。なんせ、アメリカは格差社会のうえ、イギリス以上に福祉も社会保障も貧弱だそうで。そう言えば、アメリカの医療ドラマ『ER』でも、「保険に入っていないから、病院にはかかれないの!」なんていうセリフがよくあったなあ。国民健康保険などなくて、自分で選択して民間の保険に入らないといけないのか? 弱者切り捨て、すべては自己責任ということなのか......。

 この本を読むと、アフタヌーンティー、ガーデニング、田舎でのスローライフという「光」の部分のイギリスのイメージは大きく覆される。社会の底辺で見えてくるイギリス社会の過酷な現実。若い頃、イギリスで暮らすのが夢だったけれど、今は思わない(ある程度のお金を持って、観光するのが一番だ)。日本も格差社会になりつつあるけれど、ヨーロッパほど階層ごとに断絶してないから、今のところは、それなりに文化的にはいろいろなものを享受できるし。ご飯はおいしいし。地震はあるけど、世の中、まだまだ安全だし(と過信するとダメ?)。まあ、日本もアキハバラ、ワンダフル!なだけの国でないのは当然で、どの国にも光と陰はある。とにかく、アメリカに追随すると、ロクなことにならないのは事実かも知れない。

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2006年4月11日 (火)

英国ワーキングクラス直伝 逆成功のルール

 

Wc_1 英国ワーキングクラス直伝 逆成功のルール (石原由美子著/ダイヤモンド社/2004年)という興味深い本を紹介します。
 
 ちなみに、以前のTea RoomでUpした記事(2005年7月10日付)を少々加筆・修正したものです。

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 イギリスは今でこそ好景気(一部の層で)のようだけれど、少し前までは、繁栄を経験しつつも、没落、不況、失業者の増加、そのうえ移民も多かったし、昔からIRAのテロもあったし、何かと問題山積の国だった。特に、働かない若者はイギリスにも大勢いた。そもそも、ニートという言葉を使い始めたのは、ブレア首相ではなかったか? そんな中で、パンクが出てきたり、不景気でもマンチェスターなどで新しい音楽の流れが出てきたわけだけれど、それはさておき、深刻な問題を抱えつつも、当時、イギリスで自殺率が高かったという話は聞かない。いろいろな映画や本のなかでも、追い詰められて自殺する人というのは、ほとんど出てこない。皆、逞しいというか、ふてぶてしいというか、日本人とのこのメンタリティの違いは何なんだろう?とずっと思ってきた。同じ島国とはいえ、やはり国民性も随分違うし、福祉の充実度も違うのかも知れない、くらいのことしか考えられなかったけど、この本に出会って、そうだったのか!とかなり腑に落ちた感じ。

「純然たる階級社会のイギリスで、ワーキングクラスといわれる労働者階級が、先祖代々伝わる財産を持つ貴族に逆転することは不可能です。そのため、厳しく過酷な境遇のなかに生まれ、自分で未来を切り開くルールが、ワーキングクラスの逆成功」というのがテーマ。著者(日本人女性)はイギリスで生活していたけれど、仕事で詐欺に遭い、すべてを奪われ、病気、離婚、借金とどん底に落ちたらしい。でもパブに集う人々を見て、ワーキングクラスの中でも人生の価値を高めながら、成功して生活を楽しんでいる人たちの存在に気づき、ひとりの「親方」(叩き上げの、人生の達人という意味合い)と知り合い、その秘訣を聞いたそうだ。それがこの逆成功のルールというわけで、アメリカ式のよくありがちな「勝ち組になるためには」的なノウハウ本ではないところがポイント。

 なるほどそうかと思ったのは、凄い階級社会でワーキングクラスの人たちは、初めから社会に甘い期待をしていないから、この世界は不公平なのだという覚悟ができている、ということ。つまり、絶望から始まる、ということ。 

 で、どうせダメもとだから、やりたいようにやるさ、みたいなタフさが身についているとか。その代わり、横のつながりが強くて(パブで知り合ったり、集ったりする仲間が大勢いる)、困ったときは助け合うネットワークが強固にできているそうだ。

「会社員なんて、オーナー社長にでもならなけりゃ、いつかは全員切られるのさ――自分をいかにも組織の中の重要人物だと思い込んでいる人間を時々見かける。でも錯覚だ。いくら優秀でも、みんな年をとるし、そのうち死ぬ。オレたちは全員、消耗品だ」(P48)

「仕事は中毒になりやすい。好きな仕事を選べば面白いし、やっただけ金が儲かるんだから、つい仕事優先になってしまう。でもオレはそれを警戒している―― 仕事だけで終わる人生が嫌なんだ。人間だからいろいろな能力を与えられているはずだ。それを探したい。あるものはできるだけ使いたい。生きているうちにな。まだ発見していないが、砂の中に埋まったダイヤがもっとあるかもしれない」(P64)

「世の中には、人との競争に向かない人間、競争を好まない人間、他人と競争しても必ず負ける人間もたくさんいる。でも一人ひとりの限界に届くまで何かをやり遂げることは大切だ。人を巻き込まなくていい――他人との競争を否定しているのではない。やりたい奴はどんどんやってくれ。でも競争しない人生だって、立派な選択だ。逃げているのとは違うのだから、他人が何を言おうと関係ない」(P100)

「身の上に不幸が起こった時――これは私に課せられた試練である。私はこれを乗り越えることを試されている――そんなふうにドラマチックに受け止めるのはやめとけ。――自分が停止していて、何かが自分に襲いかかってくると思うからますます怖くなるんだ。人生は障害物レースなんだ。自分が能動的に動いていると思え。自分の足でいろいろな状況の中を走り抜けていくように想像してみろ。泥に足を突っ込んだら、ファック!と叫べ。それでも走れ。景色は飛んで流れていく。困難も飛び越えていける。暗いトンネルの中を走ることもある。でも走り抜ければ、また新しい情景に出会える。トンネルは試練ではない。誰かに試されているわけでもない。たまたま暗いところを通過している、その事実だけだ」(P111)

「死ぬ時に何が一番悲しいって、カネ以外に持っていけるものがないってことだよ。カネを作るために生きて、金庫はカネで充満しても、自分自身は空っぽ、ってことだ。喜びを分かち合う友達は一人もなく、趣味もなく、熱中するものもなく、愛するものもなく、自然と戯れることもなく......」(P190)

 などなど、きっぱりしたわかりやすい口調で語られていて、結構元気が出る。この「親方」は大工からいつの間にかBBCの制作の仕事を請け負うようになり、今はまた大工に戻っているそうだが、しゅっちゅう海外旅行を楽しみ、ワイン通でもあるし、イタリア語も得意で、楽器も演奏して、人生を楽しんでいるそうだ。こういう、進歩的なワーキングクラスがイギリスには確かに存在しているらしい。そう言えば、会社で働きながら、夜間の大学に行っている人の話とかよく聞くし、今イギリスで人気の若手シェフ、ジェイミー・オリバーなんかが正にそうかなと思う。

 失敗してもやり直すことが難しい、お金に行き詰まっても社会的なぎりぎりのセイフティネットもなく、自殺に追い込まれる、という日本の話をしたら、「親方」は驚いていたそうだ。あと、日本の「過労死」についてもこんな言葉が。

「大の大人が死ぬまで過酷な仕事の量に気づかないとは変だ。自己コントロールができないのだろうか。そして周囲も何一つ相談を受けなかったのか、聞いた人間は何一つ手助けしなかったのか――会社の奴隷ではないのだし、責任というのなら、大人として自分の自由を守る責任も同じようにある。それが言い出しにくくて、流されてしまったのだ。家族や、守るべき大切なものがある人間は、自分を守ることによって周りのものも守れる。身内だから我慢してもらおう、あるいは周りにも一緒に犠牲になってもらおう、という考え方は間違いだ(P33~34)

 これには、本当に頷いてしまう。よく新聞でも記事になっているが、気の毒だとは思いつつも、なぜ逃げなかったのだ!といつも思ってしまう。だって、そこまでして自分が死んでしまったら、何にもならないし、家族のためにだって全然ならない。

 とはいえ、私も困難に直面すると、これは与えられた試練であり、学びの機会なのだ、と深刻に考えがちなのですが、「そんなふうにドラマチックに受け止めるのはやめとけ」という、その「やめとけ」という一言は、効いた。ポンと肩を叩かれて力が抜けたような感じ。意味を追求しすぎても、答えが出ないことが多いから、運が悪い、世の中しょせん不条理と受けとめて、しょうがないから前へ進もう、という方が健全な時もある、と思えるようになった。  さらにこんな一文も。

「自分に甘く、人にも甘く。それがフェアというものだ。あまりきちんとしすぎると、自分が疲れるだけでなく、周りの人も疲れさせる。お互い、リラックスでいこう」

 これが、日本人にはなかなかできないことかも知れない。皆、「きちんとしすぎて」自分も周りも疲れきっているのではないだろうか。

 若者にも「君たちには無限の可能性がある」だの「好きなことを仕事にしよう」だのと言うのはやめて、「絶望」から始めることを知らせた方がいいのではないだろうか。もうこの国には希望はありません、資源もありません、国際的にも孤立する可能性もあります(政治家が無力なので)、とかね。だからこそ、教育(学歴ではなく)は、これから自由に生きるための手段になります、ということを教えてあげればいいのに。

 また、借金についての話もこんなふうに展開される。

ほとんどの日本人はもっと罪悪感をもってお金を借りてます。借金は恥ずかしいことだから、一日も早く返して、一円でも少ないほうがいいと私も思ってます」(著者の質問)

「この国じゃ、教会の牧師でもそんなことは言わんぞ。カネを一刻も早く返すのがそんなに偉いのか? 借金ができる人間は、それなりの条件をクリアし、資質があるからできたわけで。一種の成功者だ。その点、借金ができない人間は、マイナスをたった1ポイントも作れない臆病者。自分を品行方正であると信じているだけの人間だ」(親方の答え)

「一銭の借金もせずに帳簿をきれいにしておこう、というような子供じみた潔癖主義は、失敗のはじまりだ」(親方の答え・いずれもP175~176)


 今、この国には、本当にお金のために自殺してしまう人が、たくさんいるので、書いてみた。今まで、私も安定した仕事につけないとか、お金がないとか、罪悪感や無力感にさいなまされて鬱になりがちだったけれど、この本を読んでやっと、うずくまっていても仕方ない、とにかく立ち上がるのだ、と思えてくる。 

 この本は今の日本人に必要なことがたくさん詰まっているのに、あまり話題になっていないのが残念。タイトルや装丁が地味だったからか。「イギリス人はなぜ自殺しないのか?」くらいの大げさなサブタイトルを付けてもよかったのじゃないかと思う。

 私自身も、このせちがらい日本の中でも、自分の居場所と生き方をつかんで、もっとタフにのびのびと生きたい……と切に思った。 

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2006年4月10日 (月)

ER――月曜日はアビイと始まる

 先週の月曜日から「ER」(お馴染みアメリカの緊急医療ドラマ)が始まった。
 Img_0072_1今日は新シリーズの2回目。アビイ・ロックハート(モーラ・ティアニー)が看護士からようやくドクターになって登場。彼女は「ER」のメンバーの中ではかなり長い方だ。
 少し前は、アルコール依存症気味だったり、心の病を抱えた家族に振り回されたり(正にAC)、男性ともうまくいかず、右往左往していた。でもカーターともコバッチュとも別れて――ふたりともERのドクター、ふたりともいい男!だったにも関わらず――自立してドクターになる道を選んだ。
 初めから何もかも与えられていた人生じゃないから、自分で何かを掴もうとするし、掴んだものはしっかり自分のものにして、大事にする人。そして、人の痛みがわかる人。看護士の経験のあるドクターという経歴が、彼女そのものを語っている。
 ACでも、他人に同じことを繰り返す人と、その苦しみを骨身に沁みてわかっているからこそ、やさしく強くなれる人がいる。アビイはもちろん後者だ。私もそうりなりたい。
 今シーズンは彼女がメインで大活躍の予感がして、嬉しい。
 ドラマなのに、不思議なほどリアリティがあり、温かみのある魅力的なキャラクター。いい人一辺倒ではなく、適度に皮肉屋でもあるし。

 とにかく、気の重くなりがちな月曜日の夜に「ER」を見ると、すごーく元気になれる。Img_0070
 振り返れば、この半年は「ER」を見られない半年だったのだ。
 いろいろあったなあ、この半年……と思うけれど、なんだ、たかだか「ER」がお休みしていた半年じゃない、という気もする。
 これからまたしばらく、月曜日はアビイに会えるから、私にとってきっといい年月になるでしょう。 
               私のバーチャルな親友→


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2006年4月 6日 (木)

自分の顔を持つということ

 このところ、思うこと。
 自分を自分で守るためには、怒るってことも必要なんだということ。
 嫌われたり、見捨てられるのを怖れてはいけない時もある。
 人の庭にずかずかと入り込んで、草花を踏みつけるような人が現れたら、追放したっていいのだ。

 そんなややこしいことを、トーベ・ヤンソンはこんなお話として、軽やかに描いている。
 でもそのメッセージは深い。

Img_0027
「この人はおこることもできないんだわ。……それがあんたのわるいとこよ。たたかうってことをおぼえないうちは、あんたには自分の顔はもてません。」――ミイ
「はい、そのとおりですわ。」――ニンニ

トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の仲間たち』より

 

 毎日毎日おばさんに皮肉を言われ続け、辛くて、とうとう姿が見えなくなった女の子、ニンニ。そんな彼女にミイが投げかける言葉。
 ニンニは、ミイにそんなふうに突きつけられたり、ムーミンやスナフキンたちと楽しくすごしているうちに、本当の自分を取り戻していき、やっと姿が見えるようになる。
 
 姿を現したニンニは、こんなにチャーミングに笑うことのできる女の子。
     ↓Img_0029

 私もミイに「はい、そのとおりですわ。」と返事したい。
 そして、こんなふうに楽しそうに笑ってみよう、今は素直にそう思う。

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2006年4月 4日 (火)

春の宴

 4月1日土曜日は、Sさん宅へ遊びに行きました。なんでも近所に「府中の名木百選」に選ばれた東郷寺のしだれ桜があるそう。で、なんとそのお寺の門は、黒澤明監督の「羅生門」の舞台になったところだそうな。
 というわけで、ここです。
Img_0037

 写真があまりよくないのでわからないかもしれないけれど、左手がその「羅生門」です。なかなか迫力ありました。夜になったら、ちょっと怖いかも。
 Sさんは、中学生の頃、「羅生門」の下の階段に腰かけて、暗くなるまで友だちとお喋りをしていたそうです。素敵な中学時代ですね(笑)。
 しだれ桜もきれいでしたが、すでに散りかけていました。                          Img_0038

Img_0039
 この桜は、濃い桃色の花がびっしりついていて、何桜というのでしょうか(八重桜?)、甘いお菓子みたいな感じでした。

 そして、Sさん宅へ。
 さあ、宴の始まり、始まり。明るいうちから飲むお酒のおいしいことよ。
 輝くスパークリングワイン。 

 おいしい山羊のチーズと魚介のサラダをはじめ、カニとトマトソースのパスタやら牛肉の煮込みやら、おいしいものをぱぱっと手早く出して、おもてなししてくれるSさんでした。
 で、食べながら飲みつつ、喋ること喋ること。
 Img_0040_1お互いの近況や仕事のことコミュニケーション不全な人への絶望感とか、「ブロークバック・マウンテン」の素晴らしとか……という感じで、スパークリングワイン、途中で白ワインをはさみ、次は赤ワインと、昼下がりから午後11時までお邪魔してしまいました。
 でも、まあ、世の中いい人もいるし、いいこともあるよね、とも言いつつ(言ったかな? 酔っ払っていたので、ちと曖昧)、こんな春の宴ができることに感謝。
 Sさん、本当にありがとうございました。あと、ダンナさんを終日2階に追いやってしまったみたいで、すみませんでした~だけど、おかげで心ゆくまで話せたね!


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