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2006年3月に作成された記事

2006年3月27日 (月)

自分の感受性くらい

 詩人の茨木のり子さんが、先月亡くなられました。
 これは、自分がへたりこみそうになった時、決まって読む詩です。
 それでも、気を緩めると、すぐに何かのせいにしてしまいたくなる自分。
 で、また読み返す……。だから、今日も読み返しています。

自分の感受性くらい      茨木 のり子

ぱさぱさにかわいていく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
何もかもへたくそだったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

Ch1

 

 

そして、ああ、私は「ばかもの」だと思うのです。

 ところで、開ききって、もうじき枯れるチューリップ……が、なぜか好きです。

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2006年3月26日 (日)

リニューアルオープン

 善福寺公園の桜――まだ七分咲きです。Sakura_2

 
 以前のブログをご覧いただいていた皆さま、リニューアルオープンいたしました! 今までは、Tea Roomという名前でオープンしていましたが、春になったことですし、外の心地よい新鮮な風を取り込みたいという気持ちを込めて、「庭の小道から」にしました。
 この「庭の小道から」というタイトルは、イギリスの作家、スーザン・ヒルの絵本のタイトルから拝借しました。都会の鉢植えの庭、野菜やハーブの庭、バラの庭、水の庭など、さまざまな庭の楽しみ方が美しい絵とともに綴られている素敵な本です。また、随所に庭に関するイギリスの文学や詩の引用が散りばめられています。

――庭づくりをする人たち――
 人間の行動のなかで、子どもを産むことは別として、庭づくりが一番楽天的で、希望にあふれたものです。庭づくりをする人は計画的で、少し先のことでもずっと先のことでも、将来を信じ確信している人なのです。インゲン、エンドウマメ、リンゴ、プラム、バラ、ボタン――いろいろな植物の種を蒔いたり、植えつけたり、接ぎ木をしたGardengate1jpg_1り、ふやしたりするのは、将来に対して積極的な賭けをするということです。これからまだ何週間も、何か月も、何年もあるのだと宣言するようなものです。50年や100年以上もかかる苗木を植える人にいたっては、楽天的なばかりか、次の世代にとっての恩人でもあります。
 いつも戦争のことを考え、それを予想してこわがっている人、人類と地球の終末を思う人、魂がしぼみ、時代の困難や脅威に打ちひしがれている人、希望も慰めもないと思い、新しい夜明けのかすかな光も見ようとしない人。そんな人には庭づくりをおすすめします。庭づくりをすると、勇敢で大胆に、やさしくて冷酷に、きちょうめんででたらめに、おだやかで忍耐強くなることを順ぐりに覚えていきます。何よりも今日という日を満喫し、明日に希望を持つことを覚えるのです。
――『庭の小道から』(スーザン・ヒル文/アンジェラ・バレット絵/西村書店)より


 現実には、私自身は、庭のない暮らしなので、その代わり植物園や公園をぶらぶら歩くのが大好きです。登山などには興味なく、またそんな根性もないので、植物園や公園を歩いて、ぼーっとするくらいが一番、という軟弱なナチュラリストです。
 庭を歩いていると、ひょいと脇っちょに小道がある。バラの茂みに囲まれながらしばらく歩き続けていると、またぽっかりと大きな空間が広がり……イギリスへ行った時、キューガーデンや郊外のバラ園で体験したことです。どこかに彷徨い込んでしまうような、人の手が入っているのに、野生の自然のたたずまいのあるイギリスの庭園には魅せられます(東京でそういう雰囲気に近いのは、調布市の神代寺植物公園。昔から大好きな場所です)。
 そして、庭に見果てぬ夢を抱いてしまうのは、そうしたイギリスの思い出などもあるけれど、『秘密の花園』や『トムは真夜中の庭で』といったイギリスの児童文学に描かれた庭が、私の原風景とも言うべきものになっているからでしょう。スーザン・ヒルの『庭の小道』からの素晴らしいところは、現実の庭だけを語っているのではないところ。


わたしの心のなかにある理想的な空想の庭は、永久にたどりつけない、手に入らないところにあります。夢の中でしか通れない扉の向こうにあるのです。
――『庭の小道から』より

 ところで、リニューアルすることになった経緯……。
 前のTea Roomを突然閉店したのは、プライベートで「ちょいとした大地震」(もちろん精神的な意味において)が起きたためであります。
 「ちょいとした大地震」って、言葉が矛盾していますが……(笑)。
 余震がかなり続いていましたが、心温かい友人たちの助けを得て、なんとか復興の目処が立ち、まずはブログを再建させねばと思った次第です。
 それにしても、今まで当たり前に安定していると思っていた地面が揺れ、ぱっくり割れてしまうというのは、本当にショックですね。そして、ついさっきまであったものが、目の前で倒壊してゆく恐怖と喪失感。その時の記憶が、思い出したくないのに、執拗にフラッシュバックするのも地震と同じ。
 だけど、東京の街が進化していったのは、江戸時代から、地震や火事で街が何度も壊れているから――というのを本で読んだことがあります。 
 人も同じかも知れませんね。

 そして、以前は、実名を堂々と出していたわけですが、私も某所にて嘱託社員という身分になったので、それもやめました。だって、思う存分、悪態つきたい時もあるわけで……。
 実名を出していたのは、昔に出版した本の宣伝のためもあったのだけれど、結局そこに興味を持ってくる人はいないことにも気づきましたので(笑)。やはり、今目の前に出せることがすべてだなあと。古い自分は潔く捨てることにしました。
 そんなわけで、好きなものについてだけじゃなくて、怒ったり、悲しんだり、嫌いなものは嫌い、の日記も多くなりそうです(それは、実名の頃からそうでしたが!)。

 Kate(ケイト)は、他のサイトで使っているハンドルネーム。なんとなく気に入っているので、ここでも使うことにしました。
 実は、私の好きなアーティストのケイト・ブッシュ、女優のケイト・ブランシェットから頂戴したのですが、私自身は「もつれっ放しの毛糸」といった感じです。もつれてはほどき、編み直し……の毛糸(うーん、ほんとに自分の人生だ)。
 でも持続可能な感じがして、それもなかなかよいのではないかと。

 なお、以前のブログで紹介した書評や映画評など編集し直して、またここでも随時upしていくつもりです。これ、もう読んだよ!と思われることも多いかと思いますが、その辺はどうかご勘弁くださいませ。
 では、今後ともどうかよろしくお願いいたします。

 
『庭の小道から』の原題は“Through the Garden Gate”
 私は、私の庭からいろいろなことをお伝えしようと思うので、この庭が気になる、あるいは気に入った!という方は、どうぞ門をくぐってみてください。

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