2023年1月29日 (日)
2016年12月29日 (木)
さよならボウイ、さよなら2016年
2016年もあともう少しで終わる。なんと最後の更新は2015年の夏だった……ぎりぎり滑り込みセーフの更新。
ツイッターが手軽で、ブログ書きはすっかりごぶさた。
こういう人、今、多いのでは?
ひとつにはiPhoneで撮影した画像の容量が大きすぎて、アップするには縮小しなくてはならず、それが面倒ということもある(設定を上手く考えておけばいいのだろうけれど、それも面倒で)。
2016年はデヴィッド・ボウイの訃報で始まり、プリンスも星となり、何か書こうと思っている矢先にヨーロッパではテロが相次ぎ、仕事も忙しくなり月日が過ぎてしまった。
そしてクリスマスにはジョージ・マイケルや、キャリー・フィッシャーの訃報も。
今年は、きらきらしていた人たちが本当に次々と星に還っていく。
ボウイに関しては、思いがありすぎる。
20くらいの頃、この世界は今まで自分の周りを取り囲んでいた小さな世界だけではないぞ、何かとてつもなく魅力的なものがあるのだ、という感慨を抱かせてくれたアーティストである。
当時、世間では、レッツ・ダンスのポップなイメージが溢れていたが(80年代前半ですね)、個人的にはベルリン時代のアルバム(写真)と、その時代のボウイが好きである。
レコードをかけるプレーヤーはもうないのに、このレコードはジャケットが素晴らしくて、思い出もあるので、処分することができないでいる。
それから、海外のメジャーアーティストとは違う感慨で訃報を聞いたのは、ブンブンサテライツのヴォーカリスト、川島道行さん。
人生は有限なのだという、当たり前のことをかみしめつつ、年の瀬を迎えています。
ツイッターは手軽に書ける分、自分の書いた足跡も辿りづらく、泡のようにどんどんと消えていく。使い分けできればよいのだろうけれど、時間もないし。
しかし、ほとんど放置状態のこんなブログでも、過去の記事を検索でたどり着いて読んでくれる人が未だにいることを思うと、いろいろと考えてしまう。
せめて、年1ではなく、月1くらいの頻度で書けたらなあと思いつつ、どうなるかわからないが……。
このブログを書き始めた頃と比べると、世界も日本も随分変わったなあと思う。
より難しい社会情勢になったと感じる。
そんななか、どんな言葉を紡げばよいのか迷う気持ちもある。
とりあえず、たまたまここにたどり着いた方、どうか2017年がよい1年でありますように!
2015年8月10日 (月)
2014年8月16日 (土)
眼鏡のとよふくさんで、眼鏡生活に
ここ最近、自分の生活の中でのいちばんの変化といえば、「眼鏡生活」になったことだろうか。
思えば、10代の頃から強度の近視&乱視で眼鏡がなかなか合わず、20代からコンタクトレンズにして、はや20数年余。初めてコンタクトレンズを入れた時は、すごく救われた気持ちで、若い頃はよく見えたし、コンタクトなしの人生は考えられなかった。
それが40代を超え、後半に入り……軽く老眼も入り始め、つらい感じになってきたので、コンタクトレンズをつくりなおし、ついでに自宅用の眼鏡も新調しようと思っていた矢先、SNSで「とよふく」という眼鏡屋さんを知った。
この検眼だけでも体験する価値ありとのこと。
普通の眼鏡屋さんとは違う、眼鏡はここだなと直感的に思い、昨年の2月、千葉の佐倉にある(うちから片道3時間はかかったと思う)、そのとよふくさんへ予約をしたうえで行ってみた。
ネットであれこれ情報を仕入れてはいたが、なかなか衝撃の体験であった。
検眼をしてくれる豊福さんが、先生と呼びたくなるような方で。
何でも、コンタクトレンズは眼と身体にとても負荷がかかっているから、頼り過ぎていると、身体がぼろぼろになるよ、ということから話が始まった。
「実は、確かに五十肩になってしまって……」などど話すと(肩痛も昨年始めから酷くて、今やっと軽減してきたところ)、
「それくらいで済んでいるならいい方ですよ。女性なら婦人科系に病気が出るよ」
と言われたので、「はい、すでに3年前に子宮筋腫の手術をしました」と答えた私。
コンタクトレンズは眼だけでなく、眼から来て、脳と身体全体に、凄く負担をかけているということを知らされたのだ。
西洋医学的には因果関係がつかめない、という話になるのだろうが、眼の悪かった私自身、いつも眼から来る身体や心の負担を感じ、いろいろつらい感じがしていたのは事実で、凄く腑に落ちる話だと感じた。
コンタクトレンズをしていて、老眼も入り始めているのに、近眼も進んでいるようで、また常に充血するようになり、このまま視力がなくなってしまうのでは……という不安も時々あったのだ。
10年くらい前には、網膜に小さな穴が空くという惨事もあり(それが酷くなると網膜剥離!)、レーザーで治療し、なんとか今に至るまで大事には至っていない。
というわけで、話が進むにつれ、「主にコンタクトレンズで、自宅用の眼鏡を」などという適当な選択はもうないのだと、検眼前のこのやり取りで、私は悟った。
検眼は本当に今まで経験したことのないもので、輪っかを見て、上だの左だの言うのではなく、棒の先を追いかけたりして、動く視力を重視するのだ。動体視力と両眼の視力の出方を時間をかけて、丁寧に丁寧に測っていく。
そうなのだ、眼は両眼で見るものなのだから、同時に測るのは理にかなっている!
はじめのカウンセリング的な話から、検眼、フレーム選び、フレームの調整(これをまたそれはそれは丁寧にしてくれる)まで、すべて含めると、たっぷり半日。4時間弱くらいはお店にいた。
とりあえず、眼に負担をかけないよう、仕事のため近くを見るためだけの手元用(PC用と言っていい)をつくって、慣れたら、遠く用もつくるのがおすすめということになった。
眼鏡はその後、10日〜2週間くらいで宅急便で送ってくれる。事前にフレーム調整しているので、そのままかけても、違和感なし。
コンタクト人間だったので、初めはとよふくさんに言われた通り、慣れなくて変な感じだった。
それに初めは、手元用の眼鏡だから、遠くは見えない。それも不安。しかし、数日で慣れてくると、眼が楽なのだ! それに近くはちゃんと見えているし。
コンタクトレンズ時代は、仕事中、1日に何度も目薬をさし、それでも充血が取れず、つらかった。
眼が楽だと、遠くが見えなくてもいいやという感じになる。
これを境に、目薬も、コンタクトレンズを外した後の洗浄も不要になった。
さらに2か月くらい経ったところで、再びとよふくさんに行き、遠く用(お出かけ用)の眼鏡も作った。これも手元用よりは遠くが見えるが、1.2などの視力は出していない。
さて、手元用が、左の四角っぽいの。実はこのフレームは今ひとつだったと思う。私の顔は丸いフレームの方が似合う。色もブラウン×青系で、寒色系。細いしゅっとした顔の若い青年がかけたら似合いそうな眼鏡なんだな〜(笑)。まあ仕方ない。
で、遠く用は右の赤とピンクの。これは自分の眼鏡という感じでしっくり来ている。赤とピンクの配色がマカロンみたいな色合いで気に入っている。
どちらも、yuge takanori さんという、日本の眼鏡デザイナーのフレーム。
とゆふくさんでは、フレームも、チタンなどが使われていて、国産で安全な素材を使った、技術のしっかりしたものを選んで仕入れているそうだ。
2つ合わせて、オフシーズンに短期のヨーロッパ旅行に行けそうなくらいの金額は飛んだが、必要な買い物だったと思う。
というわけで、この2つの眼鏡を作ってから、映画を観る時、一度だけ手持ちのコンタクトレンズを入れたが、独特のこそばゆいような異物感と圧迫感があり、映画が終わったらすぐはずしてしまい、それ以来一度もコンタクトレンズは入れていない。
映画は遠く用の眼鏡をかけて、前の方に座れば、ちゃんと観られることがわかった。むしろ、コンタクトレンズより楽だ。
コンタクトレンズとの違いは、遠くまでぴかぴかに見えなくても平気なこと。
これは、とよふくさんの視力の出し方が絶妙なのかもしれない。
コンタクトレンズだと異物を入れているせいか、曖昧な見え方だといらいらするのだが、とよふくさんの眼鏡だと気にならないのだ。
コンタクトレンズの出し入れ、毎回の洗浄、保存、目薬などなどからも解放された。
考えてみれば、現代に生きる多くの人、特にデスクワークの人は、近くをどう負担なく見るか、の方が大切。
アフリカの広い草原やサハラ砂漠で遠くのものが見えないと生命に危険がある生活をしているわけではないのだから。
失ったものといえば、おしゃれをしても、眼鏡のイメージがまずくるなあ、限定されるなあくらいで、それもこの年代になれば、まっいいか、という感じで。
また、東日本大震災以来、コンタクトレンズを入れている自分は、災害に遭遇した時、コンタクトレンズをどうするか不安だなと思うようにもなっていた。一時期、眼鏡とコンタクトレンズの保存容器を持ち歩いていた時もあったが、毎日持ち歩くのも面倒だったり、忘れたり。
しかし、眼鏡生活になったので、安心だ。もし家に帰れなくてどこかで寝ることになっても、眼鏡を外せばいいだけ。起きたらまたかけるだけ。
また、あまりぴかぴかに見えない生活に慣れたので、外してもそんなに怖くない。コンタクトレンズの時は、かなり視力を出していたので、いきなり外すと落差があり、怖かったのだ。
眼鏡にしてから、はっきりと見えなくなり、故に人の視線も気にならなくなり(それほど気にする方でもなかったが)、いろんな方面で、心身がゆるやかに解放された感じだ。電車に乗って座れた時など、外して眼鏡ケースにしまってしまうくらい。
というわけで、長年コンタクトレンズを使い続けてきた人は、角膜そのものも疲弊してくるので、いつかやめ時を見つけるべきだと思う。特に老眼が入ってくると、負担が大きい。
と眼で困っている人に宣伝したいのだが、ネットで話題になってしまったせいか、つくりたい人が増え過ぎて、今は予約を打ち切りにしているとのこと。
残念だけど、あの検眼の技術は短時間で育成できるものじゃないから、仕方ないかなあ。1人ひとりを丁寧にきちんと対応しているプロの姿勢だと思う。
こういったブログなど、とてもよくまとまっているので、もしかしたらこういう記事のせいかも!
目で悩んでいる人は必見!伝説のメガネ屋さん「眼鏡のとよふく」に行ってきた
私自身は、これらのブログにあるような、感動!とまではいかなかったけれど、とにかく眼が楽になってよかった、という感じ。
そして、上記に書いた日々の生活のなかでの安心感が生まれたということが大きい。
以前は、あまりに眼がつらいので、レーシックとかやってみてよく見えるようになったらいいのかな……と思ったこともある。
思い余って、網膜の穴を見つけてくれた井上眼科病院(東京では有名な大きな眼科の病院)の先生に「屈折矯正手術とかどうなんでしょうか」と聞いてみたことがあるか、「あなた何言ってるの?」みたいな感じで、まったく取り合ってくれず、ああやっぱりやらない方がいいんだなと直感的に思ったことがある。
まあ、網膜にどんな小さなものでも穴が空いた人はできなかったと思うのだが、何にせよ、そういうのに手を出さずに済んで、とよふくさんに出会えたのは、幸運だったと思う(今、レーシックで失敗した人、合わなかった人の被害がたくさん出ているらしい)。
参考までに、奈良の眼科医が書いているブログ記事を。コンタクトレンズと眼鏡のピントの合わせ方の違い、屈折率など、専門家が説明してくれているので、わかりやすい。
ある奈良県の眼科医が目について書いたブログ
これから後半の人生は、眼鏡との長いおつきあい。
この眼鏡を使いながら、眼を大事にしていきたい。
2014年8月 3日 (日)
いくつになっても雑貨好きーー バターナイフやリサ・ラーソンなど
久々にちょっと軽い話題を。
最近、吉祥寺アトレのle marche orneで買った雑貨たち。
奈良の「遊・中川」の布巾=リサ・ラーソンのハリネズミ柄、フランス製のバターナイフは柄が青と赤の両方購入(どちらも今はすでに売り切れ!)。
ナイフ状になっているので、チーズくらいなら切れます。この短さがポイント。柄が長いと、朝の忙しい時、お皿から転がったりして、邪魔になるので。
それから、この写真ではよく見えないけれど、柄の付け根にバッタが付いていて可愛い!
フランスのプロヴァンスの雑貨類には、バッタがモチーフに使われていることが多いのです。ラベンダーのサシェの飾りとか。
ハリネズミのミニ置物は、JR三鷹のエキナカのお店で。これはリサ・ラーソンではありませんが、布巾の絵と大きさが同じくらいで面白いので置いてみました。
実用品だけど、遊び心のあるもの(いわゆる雑貨)が好きで、思い起こせば、10代の頃からこういうものをちまちま買うのが喜びだったなあ。
日々の暮らしのなかの、ちょっとした潤いです。
リサ・ラーソン展 銀座松屋にて9月にありますよ!
2014年1月13日 (月)
遅ればせながら あけまして おめでとうございます 2014年
長らく更新していない間に、ココログのブログの仕様が変わり、写真の容量を圧縮しないとアップできなくなっており、方策を講じないまま(というか方法を調べるのが面倒なだけだったのですが)、放置しておりました。
あまりに放置したままだと、無料サービスのブログ故、消滅する可能性もあるかもと、慌てて更新している次第。
この3連休、奈良へ行ってきました。
金曜日に仕事の取材を入れ、その後、プライベートでの旅行をなんとか組み込んで。
写真は法隆寺の五重塔です。法隆寺は五重塔だけでなく、空間全体が素晴らしく美しいです。
奈良は本当に初心者で、今ひとつ把握しづらかった所ですが、今回の旅行でちょっと近づけた感じがします。
というわけで、再びブログに記しておきたい気持ちにかられ、ちょっとずつ更新していけたらなあと。
ああ、でもほんといちいち容量を小さくするのが面倒だわ……。
とりあえず、自分は古きよきものに触れると、とても元気になれるということにしみじみ気づかれました。
なんというか、心身が目覚め、活性化される感じ!
やはり一年に一度くらいは行きたいものです。
最近は年齢とともに、自分でもおかしくなるくらいに、日本の古いもののよさに気づく日々。
ブログにまだアップしていない今までの京都旅行のネタなどもあるのですが、時系列でなく、気が向いた時に書くかもしれません。
最近は主にTwiiterばかりで(アカウント名=kate_yuki)満足してまう傾向がありますが、140字でまとめられる文章には限界があるので、なんとかブログも細々継続していきたいものです。
あまり完成度を求めず、短く気が向いた時にぱぱっと書けばいいのでしょうけれど、間が空くと、どうも遠い感じになってしまうなあ。
というわけで、本年もよろしくです。
(誰に語りかけているんだろうか?という気もしますが)
2013年2月16日 (土)
シシリー・メアリー・バーカー(Cicely Mary Barker)没後40年
今日は、イギリスの妖精画家シシリー・メアリー・バーカー(Cicely Mary Barker)没後40年です。
1895年6月28日生まれ、1973年2月16日没、ということはわりと最近まで生きていたのですね。
もっと昔の人だと思っていました。
というか、妖精の絵に引き込まれ、作者のことはあまり考えたことがありませんでした。たまたまWikipediaで知ったのです(便利な時代です!)。
昔、森永のハイクラウンチョコレートのおまけに入っていた妖精の絵のカード、と言えばわかるでしょうか。
40代以上の女性は覚えている方が多いらしく、私も集めてた!という話でよく盛り上がります。
当時、まだ昭和の時代、1970年代は少女マンガが勢いを得てきた頃ですが、海外の可愛いもの、美しいものはそれほど多くは入ってきていなくて、このflower fairiesのカードがそういったきれいなものの先駆けだったようなーー少なくとも私にとってはーー気がするのです。
中学生の頃、ハイクラウンチョコレートをいったいいくつ食べたかわからない!というほど買って集めていたのに、今、手元に残っているのはこの2枚だけ。
1冊にまとまった詩集が手に入るようになり、処分してしまったのか、なんとなく消えうせてしまったのか、記憶は定かではないのですが、このカードの価値というか貴重さに気づいたのは、大人になってからのことです。
まがりなりにも編集という仕事をするようになって、当時使われていたこのカードの紙質のよさ、色のよさなどに改めて驚かされたのです。
詩集をめくっても、このカードとつい比べてしまい、なんか紙が安っぽいな、なんて思ってしまう。
でも、まあ、詩集は詩集で素敵ですけれどね。
春夏秋冬と四季ごとの花と妖精が描かれ、詩が添えられた「フラワー・フェアリーズ」シリーズです。
今めくってみると、花の描写の緻密さ、正確さがこのファンタジーを支えていることがわかります。ふわふわしただけのメルヘンじゃないのです。そして、それぞれの花が衣装化されるとこうなる!というセンスのよさ、妖精たちのはずむような軽やかな動きと、どこをとっても本当に完璧なのです。
最近はグッズに使われることも多く、実を言うと飽き気味だったのですが、改めて見るとすごいです。
作者のシシリー・メアリー・バーカーは病弱のため学校には通わず、家庭内で教育を受け、読書と絵画が好きな子どもだったそうです。
早くから絵画の才能に目覚めましたが、不幸なことに父親を早くに亡くし、家計をささえるために絵を描き続けていたそうです。
「シシリーは内気な性格であったので、外の大人の世界とは隔絶して、家族に守られる生活を続けた。彼女の詩には、純粋さと無垢の要素が維持されたが、このような彼女の生活から来たものとも言えた。」
その内向的な性格が、ああいった密かな美しい世界を育んだのでしょう。
「シシリーにとっては、しかし芸術家の友人たちよりも、家族の方が一層に親しみ深く、また重要であった。シシリーにとって悲しみであったのは、
1954年に、姉のドロシーが心臓麻痺で世を去ったことだった。老いた母親と二人残されたシシリーは、家事を維持するのに精一杯で、創作活動は休止された。」
Wikipedia より
Wikipediaを読む限りでは、生涯結婚もしなかったようです。
そして、そんな美しい妖精を描き続けたシシリーには、多くの苦労があったんですねえ……。
あんな才能があったのに、「家事を維持するのに精一杯で、創作活動は休止された」だなんて、なんだかしんみりしてしまいました。
でも1973年まで長生きもして、晩年は視力が衰えていたそうだけれど、彼女の妖精画は今でも愛されている。
時と場所を越えて、いつまでも残るでしょう。
素晴らしい仕事をした人だなと思います。
それと、「モリナガさん」にも感謝ですね。
妖精研究家の井村君江さんがあの企画を考えた方にお会いしたことがあると言っていた記憶がありますが、どんな方だったのでしょうか。
同じ完成度であのカードだけを再発してくれたら(チョコレートはちょっと、もういらないかな)高価でも買うぞ!なんて思っている私ですが……。
10代の私の感性を開いてくれたのは、萩尾望都のマンガと共に、間違いなくこの「フラワー・フェアリーズ」も入るなと思い出し、書いてみました(シシリー没後40年とは、世の中では誰も言わなそうな感じなので)。
2013年1月20日 (日)
言葉を花束にして
遅ればせながら、あけまして おめでとうございます! 2013
先日、友人たちと集まった結婚祝いの食事会でいただいた花束。
さすが長年の付き合いのある友人、私の色の好みをよく知ってくれての選択です。
たまたまテーブルセンターに使っていたレ・トワール・デュ・ソレイユのランチョンマットと色合いがぴったりで、セットで写真を撮ってみました。
さて、うかうかしているうちに1月も終わってしまいますね。
Twitterが思いのほか便利で、というか楽で、ついブログがおろそかになりがちなこの頃です。
でも、Twitterは自営業の人の宣伝であるとか、あるいは著名人の発信としては有効ですが、私なんかがいくらつぶやいても、ほんとに自己満足なつぶやきにしかならないな、と思うこの頃……。
本当は311後に災害時に有効な情報を得るための一手段、と考えていたのですけれど。
こちらのブログの方は、アクセス解析を見ると、ほとんど更新していないにも関わらず、ぽつぽつと覗きに来てくれる人がいます。
それは、私自身への関心や興味ではなく、コンテンツに対してでです。
本や映画、ドラマなどに関して、ちょっと知りたい、ということでしょうか(検索キーワードでわかります)。
SNSやTwitterが盛んになって、ネット上で無料で読めるブログの数が減っているのかもしれません。
ブログも今後はどうなっていくのでしょうか?
こんなことを最近よく考えている中、共感した2つの記事です。
琥珀色の戯言 個人ブログの現在、そして、たぶん未来
バナナカレー どうしようもない気持ちや深夜のつぶやきはどこへいったのか?
そうそう、ほんとに、深夜の140字では収まらないつぶやきはどこへいったのかな?と思うのです。
ところで年末には、クラウス・ハーパニエミについての記事を書いたら、伊勢丹の広報のブログが紹介してくれました。伊勢丹 新宿店
今は企業もネット上でいろいろ探して、利用者や消費者の声を拾っていく時代なのですね。
こんなことがあるのもブログならでは。
Twitterは言いっぱなしになってしまいますから。
まあ上手く使い分けていけばいいのでしょうね。
最後に、私がよく読んでいるブログを紹介します。
遺言
カウンセラーの方が書き綴っていますが、これもこの長さがあるからこそ伝わる、かなり深い内容で、日々の指標にさせてもらっています。
自分の人生を生きていない気がする、人の目がやけに気になる、というような方がもしいたら、おすすめします。
書いてあることは結構厳しいので、気休めのようなことは嫌いな方には特に!
とりとめないですが、これからも時々は、言葉を花束のようにして差し出したいなあ、なんて。
言葉を介してつながることのできる、パソコンの向こうの知らない誰かと。
そんな感じで今年もぼちぼちやっていきます。
皆さんにとっても2013年がよき年でありますように!
2012年12月16日 (日)
2012年クラウス・ハーパニエミ ワンダー・クリスマス
もう年末ですね。
今年も新宿伊勢丹のクリスマスディスプレイはクラウス・ハーパニエミで美しいです。
Once Upon A Time In Wonder Christmas
スイーツがテーマのウィンドウ。
マカロン・タワーが美味しそうです。
向かいのビルのネオンが写り込んでいますが、夜の方がきれいなので、仕事帰りに撮影しました。
可愛いだけのきれいさとは違う、ハーパニエミの独特な世界が今年も変わらずに繰り広げられています。
オオカミの横にあるのは、バカラのシャンデリア。確か、少し前から他のディスプレイで飾られていたもので上手いこと連動して使っているなあと思います。
メンズ館の入口にはプロジェクターで写した時計が。映画「アメリ」にもそんなシーンがあったと思います。
時計の針が凄い速度でくるくる回る、まさに時空の狂ったワンダーランド・クリスマスな時計。
これがデパートのショーウィンドウとは凄い、アートだなあと、ひたすら感心してしばらくこの時計の前で佇んでいたのですが、目を留める人はあまりいませんでした。
夜空に浮かんだ月のようでもあります。
幻想小説の表紙みたいではありませんか?!
クリスマスまであと1週間ちょっと。
新宿に行かれる人はぜひ、伊勢丹のこのショーウィンドウをご覧ください!(今年は、仕事帰りに通ってうっとり見ていると、必ずロボットレストランの宣伝カーが通るのが何とも……なんですが:苦笑)。
毎年このクリスマスディスプレイは楽しみで、自分のブログを見直したら、毎年ではないですが結構アップしているので、まとめてみました→新宿伊勢丹ショーウィンドウ ここ数年のものが見られます。
そうそう、昨年は伊勢丹の広報のブログに私の記事が紹介されたりしたのでした!
いつか東京を離れる時が来るかもしれませんが……その時、いちばん東京的な場所として懐かしく思うのは、新宿伊勢丹かな、なんて思います。
皆さん、よいクリスマスを!
2012年10月28日 (日)
ホップ号とホフニャン氏
もう秋も深まり、10月も終わり。前回の更新はというと、ピナの追悼記事を6月に……あまりにも長く暑い夏を通り抜け、季節がひとつ半くらい巡ったことになります。
秋になり、その間、何をしていたかというと、今月7日に結婚しました。
とさくっと書くと冗談みたいですが、本当です(笑)。
遠方のつれあいと、年明けくらいにそんな話をするようになりーー意外とさっくり進みました。もう若くもないので、大げさなことはなしで、式もパーティも何もなしです。
一部の人にしか連絡もしておらず(別に秘密にしているわけではなく、単に忙しく)、そのうち葉書を出そうと思いつつ、まだそれもできていません。
7日は市役所に一緒に届けを出し、その後、イギリスから来日していたPENGUIN CAFEのコンサートへ行き、イタリアンのレストランで食事をしました。
10月7日にしたのも、やはり穏やかな秋がいいね、ということになり、10月の3連休中で、一応大安の日を選んだら7日だった、というだけで。
お互い仕事もあるので、当面は別々の生活ですが、新しい船出です。
リサ・ラーソンの船、希望を運ぶ船、ということでHopp(ホップ)号です(命名=私)。スウェーデン語で希望という意味。
本当はBoat(ボート)という名前らしいのですが、ちょっと素っ気ないので。
新宿伊勢丹で、リサ・ラーソン展開催中なので、小さな動物を何かひとつくらいと思って立ち寄ったら、この船と一緒に帰宅!
前から気にはなっていて、でも購入には至らなかったのですが、目の前にすると、もうだめですね。
キャンドルホルダーで、中にティーキャンドルを入れます。
この写真はキャンドルの灯りをともした状態。船の窓から灯りがもれるような感じになり、船全体もぼーっと明るくなります(素晴らしいデザイン!)
小物入れにしてもいいのでしょうが、やはり灯りをともしたくなります。
後ろにはリサのお国のスウェーデンの国旗が(これは紙製)。
GUSTAVSVERGは、グスタフスベリ製陶所のこと。スウェーデンの巨匠デザイナー、リンドベリに見出されてリサが入社した所です。
反対側にはSWEDENと記されています。
そして、もちろん小さな動物もつれて帰りましたよ。
ホフニャン氏です(命名=私)。
ドイツ系スウェーデン猫(オス)日本在住です。私が勝手に設定しただけですが(ホフという響きがドイツっぽいので)。
このちょっときりっと強情そうな表情にやられました。こうして見ると、リサの作品の魅力は可愛すぎないところ、なんだなあと。ちょっと無骨で素朴な味わい。てのひらにちょんと乗るくらいの大きさです。
今まで気にはなっていても、手にしたことはなかったのですが、こうして実際に本物に触れると、そのよさがしみじみとわかります。
ミナ・ペルホネンとのコラボ作品もあり、どれもラブリーでしたが、ミナ値段になっていて、他のリサの作品よりお高め。でも、お腹に花柄のブルは3日目には完売してました。
ここから、リサのアトリエの様子やインタビューが見られます。
リサ・ラーソン展 今月30日まで開催。
と、結婚の記念にと思い(なんて言っても、ほとんど自分ひとりの衝動買いなのですが)、一隻と一匹をつれて帰って来たわけですが、部屋にあるとうきうきしてしまいます。
今まで、あれもいいこれもいいと、今ひとつ定まらなかった部屋のテーマ、やはり北欧テイストでいこう!(今さらという感じもありますが)、と改めて決心したり。
職場の方にいただいたお祝いもマリメッコのボウルだったし。
そうそう、リングも北欧スタイルをテーマにしているところでつくってもらったのだっけ。北欧といっても、別に北欧のデザイナーのリングではなく、あくまで北欧のイメージ、というものですが。
でも、シンプルな中にちょっとだけひねりが効いているデザインが多く、とても気に入りました。
写真ではわかりにくいですが、細めのリングにちょっとだけカーブがついている、ナトゥール(自然)というデザインです。
男性も違和感のないデザインなので、お揃いにしました。
というわけで、ささやかながら報告まで。
生活も仕事も今までと変わらないのですが、やはりずいぶん、心持ちは変わったように思います。
昨年、大きな災害があり、遠いからこそ、何かあった時に真っ先に連絡がいくようにしたいね、という思いなどもありました。
老後は……私自身、東京にはちょっとうんざりしているところもあり、家も高いので(買うにしても借りるにしても)、西の方で終の住処を探す可能性も大きくなりました。
いっそふたりの好きな京都で……ということも選択肢としてありそうです。
そのためにもがんばって働かなくては。
来月は京都旅行へ行くので、また報告などできればと思います。
(おっとその前に、今年仕事の取材ですでに2回も行った京都のこともアップしたいのだけれど、時間がない〜。今年は京都に呼ばれている感あり!)
☆ 追記☆
『ホップ号とホフニャン氏』って児童文学のタイトルみたいだな、何か書けたらいいのに、と思いました……が、子どもの物語の方が難しいことを実感するこの頃です。リサ・ラーソンの作品そのものが物語を喚起させる力を持っているのかもしれません。
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