2012年4月 3日 (火)

エクレア ドラゴン

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 今さらですが、2012年は辰年ということで、エクレア・ドラゴン。
 Le Pommierというケーキ屋さん作、伊勢丹のサロン・ドゥ・ショコラの際、チョコレート売り場の端っこにこのドラゴンを見つけ、購入。
 これはまさにブログアップ用のスイーツでは?ということで撮影したのですが、アップする時期を逃していました。
 中の抹茶カスタードクリームには最高級宇治抹茶を使用、とのことですが……まあ、お味は普通でした。

 今日は大変な暴風雨。私は有休を取って、1日自宅にいました。
 仕事が立て込んでいなかったので、できた選択ですが……やれやれよかった。
 昨年の震災や台風では大変な思いをしたので、ちょっと慎重になりました。

 人間は自然には勝てないことを痛感するこの頃です。 

 

 

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2012年3月 3日 (土)

豊永盛人さんの琉球雛でひな祭り

 今日は3月3日、桃の節句です。
 この年になって今さらなのですが、いい感じの小さな雛人形がほしいなと思ってずっと探していました。
 でも可愛らしすぎて、妙にファンシーだったり、やはり骨董しかいいものないのかな? でも高価そうだしどこで探していいかわからないし……と思っていたところ、こんなお雛様を見つけました。
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 今、沖縄で人気の若手の張り子人形作家・豊永盛人さんの作品です。
 この「琉球雛」、ちょっと無骨で素朴な感じが味わい深い!
 木皿泉さんのNHKの特集番組で、木皿さんちの部屋に飾ってあった張り子人形がとてもよかったのですが、後で豊永盛人さんの作品というのを知り、ネットで調べて購入しました。
 本当にお人形だけのセットなので、下に敷いた猫の絵入りの赤い布は、先日京都の手拭い屋さんで購入した小さなハンカチ、後ろの紙は和紙の便箋を二つ折りにしたもの。
 いずれ屏風代わりになるものを探したいけれど、こんな素朴さが似合っているかもしれません。
 他ににもこんなにあります→琉球張り子  いろいろ揃えたくなるなあ。

 2〜3日前に購入しておいた桃の花もどんどん開き始めています。
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 さっき桜餅もいただきました。

 先週は出張で京都に行く用事があり、取材が終わった後、有休を取ってそのまま個人的に京都旅行をしてきました。
 こういうラッキーなことはこの先ないと思われるので、思い切り堪能してきました! 冬の京都もよいものです。また近いうちにブログを書きたいです。
 あ、そうだ、銀閣寺近くの売店で買った桜の花びらの塩漬けもあるのだった。
 桜茶でも飲もうっと。
 皆さまも楽しいひな祭りをどうぞ。

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2012年1月29日 (日)

サラの鍵

 __2 『サラの鍵』ーーまずは原作のことから(タチアナ・ド・ロネ著 高見浩訳/新潮クレストブック、表紙はデンマークのハンマースホイの絵が使われていて、この少し暗い、歪んだ不思議な空間のイメージがぴったり)。
 舞台は、1942年のナチス占領下のパリから始まる。
 ナチスではなく、フランス警察によってユダヤ人1万3千人余が一斉に検挙され、“ヴェルディヴ”(屋内競技場の略称)へ押し込められ、食事も与えられず、トイレも使わせてもらえず、6日間留め置かれ、そこからほぼ全員がアウシュヴィッツへ。
 という歴史的な事実に基づき、物語は展開していく。
 その1万3千人余の中のひとりであった少女、サラ・スタジンスキが主人公。
 彼女は自宅で家族とともに検挙された時、小さな弟を咄嗟に納戸に隠し、鍵をかけ、決して出ないようにと言い渡したのだった。

 舞台は変わって、現代の2000年代のパリ。
 そのかつての“ヴェルディヴ”事件を追うのが、アメリカ出身のジャーナリスト、ジュリア。

 サラとジュリアの物語が交互に描かれていく。

 さて、サラはその後、両親と引き離される。
 収容所への収監にあたって母親と子が引き離されるシーン……実際に子どもがいてもいなくても、ここはどんな人が観ても胸が引き裂かれる思いがするはず。これはフィクションではなく、現実にあったことなのだと思うと、なおさらだ。
 それでもサラは 弟を迎えに行かなければという思いだけで、他の少女と収容所を脱出しーー脱走後、陽光のなか草原を走るシーンだけが唯一の開放感のあるシーンーー親切な田舎の家の老夫婦に助けられる。
 そして、ようやくパリへ向かい、納戸の弟を確認しに行くのだが、果たして弟は……。

 ジュリアの方は、この歴史上の事件を追ううち、フランス人の自分の夫の家族とユダヤ人との関わりから、ある秘密を知ることになる……。

 どうです、先を知りたくなりませんか!
 今までは、結構ネタバレありで書いてきましたが、この小説はぜひ読んでほしいので、今回はネタバレなしにします。

 なので、全貌は書けないのだけれど、現代に生きるジュリアとサラの人生が交互に出てきて、交錯し、最後、見事に重なっていくのがこの小説の醍醐味。
 たぶん、サラの視点のみの小説だったら、そういう悲しいことがあった……というだけで終わってしまうだろう。
 でも、この小説は、読み手の私たちが同時代に生きるジュリアに感情移入することによって、サラの存在をより身近に感じることができる仕掛けになっていてる。
   
 ジュリアが40代半ばにさしかかる年齢なのも、自分とぴったり重ね合わせることができて、とても共感できた。
 決して若くはないが、年老いてもいない、が、夫との関係は微妙……そんなジュリアを著者のタチアナ・ド・ロネはこんなふうに描写する(上手いです)。

ーーーー上がってゆく途中、鏡に映った自分の顔にちらっと目がいった。苦しげに呻いているエレベーターに劣らず年代ものに見えた。いったい、ボストン出身の、あの若々しい顔立ちの美女はどこに消えてしまったのだろう? 鏡の中で私を見返した女は、四十五から五十にまたがるあの恐ろしい年配で、迫りくる皺とたるみに逆らうこともできず、更年期のひそやかな訪れをなす術もなく待ち構えているようだった。

 社会的な出来事(や歴史)と個人は、決して無関係ではいられない。
 自分では無関係なつもりでいても、しっかり社会の中に位置づけられていて、無縁な人はひとりもいない。
 ただ、平和だとそのことをいちいち考えないで済むのかもしれない。
 最近まで、日本はちょっとそういう感じだったかもしれない。
 しかし、311後の原発事故後、そうではないことをいやという程思い知らされることになったが。

 また、私は小学生の頃に読んだ『アンネの日記』から始まって、浴びるほどアウシュヴィッツやホロコーストものを読んだり観たりしてたきので、もうさすがにいいな……という気がしていたのだが、『サラの鍵』は今までの作品と一線を画すと思った。
 それは前述のとおり、ジュリアという現代に生きる女性の視点がある点が大きい。
 ラストは、サラに関しては安易なハッピーエンドは用意されておらず、胸が痛んだ。
 きっとこういう人生を辿った人は、現実に大勢いたのだろう。
 ユダヤ人虐殺から無事生き延びたとしても、生き延びた故の罪の意識のようなものからは自由になれない悲しみ。
 そして、知らず知らずのうちに「加害者」的な立場になった当時のフランス人(サラの夫の家族たちーーあ、ちょいネタバレですが)もまた、その罪の意識を一生背負ってしまう。
 彼らもまた被害者と言えるのかもしれない。
 そういった、善悪をはっきり分けることのできない、人々を引き裂く戦争というもののやりきれなさが本当によく描かれているのだ。
 フランスは、「ナチスに抵抗したレジスタンス」というイメージが強いが、こういう負の歴史が密かにあったことはショッキングでもある(1995年、シラク大統領がこの事件に関して国家として正式に謝罪したそうだ)。

 
 映画の方も、作品の雰囲気をそこなわず、キャストもイメージどおりでよかった。
 特にサラの少女時代を演じた女の子は迫真の演技。
 ジュリア役のクリスティン・スコット・トーマスも大人の女性の魅力が存分に活かされていて、よかった。
 ただし、現代を生きるジュリアと夫とのすれ違い、アメリカ人とフランス人の微妙な関係性などは、映画では時間の関係で省略されているので、ぜひ原作を!
 フランス人の夫、小粋でセクシーないかにもなフランス男という設定なのだけれど、映画ではちょっとしょぼい俳優だった……。
 で、いい男だったはずなのに、だんだん厭味度が増してくると思いきや、ちゃっかりフランス人の愛人がいたりするという設定も原作にあるのだが、映画では省かれていた。そこがあるから、ジュリアのラストのシーンもより一層生きるのだ。
 それでも映画は映画で、なかなか素晴らしい出来映えで、原作を先に読んでいてストーリーを知っているにも関わらず、やはり何度も泣いてしまった。
 
 サラからジュリアへーーーー生きる時代も国も違い、現実の人生では出会うことのなかったふたり(ここもネタバレ!?)が、しっかりと結びつくラストは、重く悲しみを伴いつつも、光が見え、感動的だ。今思い出しても泣きそうになる。

 こういう重みのある作品こそ、今の日本を生きる私にも力を与えてくれるのだと思った。
 原作者のタチアナ・ド・ロネは1961年パリ生まれ。フランスとイギリスとロシアの血を引くそうで、今後の作品も翻訳されることを切に願う。

サラの鍵 はまだ上映中です。
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2012年1月 9日 (月)

2011年の3冊『精霊たちの家』『苦海浄土』他

 昨年、印象に残ったベスト3の本をあげてみる。
『精霊たちの家』(イザベル・アジェンデ著/木村榮一訳/河出書房新社)
『苦海浄土』(石牟礼道子著/河出書房新社)
『サラの鍵』(タチアナ・ド・ロネ/高見浩訳/新潮社)

 2011年は震災があり、原発事故もあり、東京も少なからず影響を受け---というより当事者になったわけで-----考えることが多かった日々。
 それで本が読めなくなるということはなかったけれど、気休めではない、自分にとって価値ある文学を読みたい! 自分もそんなに若くないし、どうでもいいことに費やす時間はない、という気持ちが強くなった。
 といっても「価値」あるものは人それぞれ、あくまで自分にとってという意味であるけれど。
 困難な時代に入ったからこそ、文学が力になってくれると感じられたのが上記の3冊。

 Photo_3『精霊たちの家』は、南米・チリの激動の歴史を絡めながら、ある一家の女性たちを3代にわたって描いた壮大なスケールの文学。決して女性が優位に立てる環境や時代ではなかったが、それ故、女性同士の絆が深く、女性たちが生き生きとしているのが興味深い。
 タイトルのとおり、スペインの女性画家レメディオス・バロの絵画さながらの神秘的な描写も多く(バロの絵が帯に使われているのが素晴らしく合っている!)、残酷さと美しさが共存する、不条理で不可解な人間がみっちりと描かれている。
 過去に映画化もされているが、観た人の話によると、原作の濃密な世界を消化しきれておらず、キャストも酷いので、観ない方がいいとのこと。

「誰もが、自分の国ではそういうことは起こらないと信じているんですよ」とミゲルが言った。「ところが、気がついてみると、自分の身にふりかかっているんです」(本文より引用)

 これはもう一度読み返して、その世界を深めたい。


Photo  

 『苦海浄土』は、私自身、重く暗い公害告発文学という先入観にとらわれており、手に取るのをためらっていた本。
 ところが、読んでみると、まったく違うのだ! 水俣病を告発しながら、水俣の海や漁師たち、女たちがどれほど豊かであったかが、水俣で生きた石牟礼道子の文章で美しく綴られている。
 よって、ドキュメンタリー的要素は存分に入っているが、『苦海浄土』は「文学」なのだと思う。

 これを読むと、チッソは東電であり、水俣はそのまま福島である……ということが厭になるほどよくわかり、ああ、何度同じことを繰り返すのかと泣けてくる。
 歴史から何も学んでいないという空しさ。いやいや、水俣病はまだ「歴史」ですらなく、現在も進行中の病なのだ。
 土地と企業の複雑な関係、地方と都市(あるいは国)、なぜか被害者が差別される構造など、福島とまったく同じである。

 と、この2冊はこんな短い文で説明できないので(なんだか雑誌での紹介欄みたいでどうにも自分でも不満が残る!)、引用など織り交ぜながらいつかちゃんと書いてみたい。
 いつかが、定年後!とかにならないことを祈りつつ、とりあえずここまで。
 2冊とも、河出書房の池澤夏樹編集の世界文学全集。
 特に『苦海浄土』は一部分だけ文庫だったり、高い全集に入っていたりして、手に取りにくかったので、この全集に入った意義は大きい。
 にしても、福島の事故が起きた同じ年に、新装版刊行というのは偶然と思えぬような……。
 石牟礼道子は、病に苦しむ水俣の人たちと深く関わり、自己表現だの自己実現だの、そういうのとは別次元で、また「お金」や「有名になること」などとは無縁なところでこの長大な作品(河出版は2段組み777ページ)をこつこつ築きあげてきた偉大な作家であり、これは本当に奇跡のような文学なのだ!

 さて、『サラの鍵』はフランスの小説。
 映画もやっと観ることができたので、歴史上の事実を元にしたこの小説についてはまた次回へ。

  

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2012年1月 1日 (日)

2012年が始まりました

 

あけまして おめでとうございます。

 と、日付が変わる前にご挨拶だけ。
 お正月らしい画像も何もありませんが。

 2011年は大変な災害や原発事故があり、クリスマスやお正月などやってこないような気すらしていたのですが、時は流れるもので、何も解決していなくても、やってきてしまうのですねえ。
 でも、こういった区切りも人には必要なのかもしれません。
 また新たにいろいろなことに向き合っていくためにも、ここで鋭気を養うのもよいはず。

 午後には、忘れるべからずとばかりに、そこそこ大きな地震もありましたし。
 これは本当に気を抜くなという大地からのメッセージでしょうかね……そんなことも考えてしまいます。
 とはいえ、私自身は年末の疲れが出たのか大晦日から風邪気味、しかし食欲は落ちなかったので食べたり映画を観たりと、だらだら元旦でしたが。

 正月休み中にもう一回くらい更新できればと思います。
 2012年、せめて災害のない穏やかな年でありますように。

 今年もよろしくお願いいたします。

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2011年12月18日 (日)

2011年もクラウス・ハーパニエミのクリスマス

 今年も新宿伊勢丹のショーウィンドウは、クラウス・ハーパニエミ。
 きらきらしすぎていなくて、美しいです。
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うさぎとクリームケーキ?



















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 クリームケーキの下にはオオカミが。
 狙っているのはケーキじゃなくて、うさぎ?

Img_2441  クラゲの場所。定期的にピカピカッと光が走ります。最近の伊勢丹は、特殊な方法で壁にまで絵が張り込んであり、広がりを感じます。
 青い輪っかは、向かいのビルのもの。なんか上手くクラゲにかかっていますが。

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 北欧版トトロのようないきもの(山鼠らしい)。
 正面玄関から入ると、この立体の太っちょさんが迎えてくれます。

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 可愛いだけではないクラウス・ハーパニエミ。愛らしさとちょっとした不気味さの混ざり具合が絶妙です。
 今年は白がメインの色調で、純白の楽園-----ホワイトエデンというタイトル。
 ホワイトエデンへの入口
 大きな災害があり、大勢の人々の命が失われましたが、そんな今年を癒してくれるかのような、穏やかに心に入ってくるクリスマス・ディスプレイです。
 被災地も少しはクリスマスのディスプレイをするような余裕はあるのでしょうか? NHK以外は報道も減っているのが気になります(J-WAVEは原発問題も含め、東北の人の声を継続して伝えてくれているので偉いと思う)。

 ここから少し先へ行った東口は、電飾の洪水といった感じで、何のセンスも感じられないので、できるだけ避けて歩くようにしています。
 クリスマスの電飾はすべてやめろとは言わないけれど、せめて今年くらい死者を悼むような思いが込められていればよいのに……と思ってしまいます。
 というわけで、できるだけ伊勢丹の周りだけを歩いて、「そういう現実」を見ないようにしている年末の私でした。

 原発は収束していませんが(収束したとか寝ぼけたことを言っている人もいるようですが)、クリスマスはせめて心温まる時間を過ごしたいと思います。
 皆さんもよいクリスマスを!
 


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2011年11月 4日 (金)

11月になりました

 ブログ、放置してしまったなあ。 
 京都旅行を書き記すのに、半年もかかるって一体どんだけ……?!
 ここしばらくは、宿題をずーっとし忘れているような後ろめたさがふつふつと。
 その間、他のことで書きたいことがあっても、京都旅行記が途中だからと、あえて書かずにいたり。
 誰に頼まれて書いているわけでもない、あってもなくてもいいようなブログですけどね。何なのでしょうね、この理由のない義務感は!

 とはいえ、睡眠時間をこれ以上削るパワーはなく、中途半端に始めたTwitterもそれなりに面白く案外と飽きないので、ほんと時間をつくるのが難しいです。
 NHKのプロフェッショナルに出ていた栗原はるみさんのように走りながらちゃっちゃっと家事をこなせばよいのでしょうか。
 私の方が若いのに、彼女みたいにパワフルになれません。
 栗原さんみたいに、スリムになれば……(以下略)。

 というわけで、これからも、誰に頼まれているわけでもないのに書いたり、書かなかったり、いろいろだと思いますが、人気ブログを目指しているわけでなし、仕事じゃないのだから、ゆるーい感じでやっていこうと思います。

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3.京都旅行----5月5日

 京都旅行、最終日について写真を中心に簡単に書き記しておきます。

 この日のメインは、源光庵。
 地下鉄烏丸線北大路駅からタクシーで向かった。曹洞宗の高僧の隠居所が始まりだったとか。
 昔の人はなんと優雅な隠居場所をつくっていたことか。
 まあ、長生きして隠居できる人の数も限られていたのだろうが。
 広間から見渡せる庭が素晴らしい。お天気もよくて、鶯なんぞが鳴いており、別世界へ誘われるかのような空間。

               
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 迷いの窓(角窓)と悟りの窓(丸窓)とが並んでいる。なんと哲学的な……。
 そのふたつの窓からそれぞれ庭の緑が見える。
 こういう日本人の美意識、最近特にしみじみといいなあと思う。

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 近くに光悦寺という寺もあって見学したかったのだが、時間切れで果たせず、残念だった。

 

Img_2257  帰りがけに、偶然見つけたKloreというパン屋さん。
 店の佇まいから何となく私の嗅覚が働き、美味しいに違いないと思い、いくつか購入。
 私の好きなハード系のパンが充実していて、フルーツ入りのライブレッド(うろ覚えだが、たぶんそんなパン)や葱入りの調理パン、柚子をアレンジしたパンなど、京都らしいパンがいっぱい。
 これは大事に東京まで持って帰ってから食べたけれど、とても美味で大当たり!
 この辺りはそれほど賑わっている観光街でもなく、どちらかというと静かなこじんまりとした街だったけれど、本当に食のレベルが高いなあと感じた。
 この街のこじんまり感は、個人的に非常に気に入って、住んでみたいような気にもさせられた。

 その後、有名な今宮神社を参拝、神社を出たすぐ側にある、これまた有名なあぶり餅の一文字屋へ。
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 ちぎった小さな餅が串にささっているだけで、さほど期待していなかったのだけれど、これがまた予想に反して旨いっ。程よい甘さと醤油の味で、ひとり15本分はあっという間に食べてしまう(1本はほんと小さいのです)。

 それから、京都市中心部に戻り、お昼は念願のイノダコーヒで。
 昔、ここのコーヒーが好きでよく通販で購入していたのだけれど、お店に行くのは初めて。京都旅行を計画した時から、絶対に行きたいと思っていた。
 幸運なことに気持ちのよいテラス席に案内される。
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 伊藤まさこさんがガイドブックの中でおすすめしていたナポリタンを頼んでみる。連れ合いも同じナポリタン。

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 これがまた格別の味わい。本格派イタリアンとは別の独特な美味しさ。かといって昔の喫茶店とは比較にならない。これ一皿で、十分満足なランチだった。
 食後はもちろんコーヒー。オリジナルブレンドのアラビアの真珠。

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 お店の従業員の方も、白い上着をぱりっと着こなして、プロっぽい感じで、さすが老舗の貫禄。気持ちのよい時間が過ごせた。

 そこからまたまた老舗のタワシ屋、内藤商店にて、かねてから思案中のほうきをさんざん迷いつつ、思い切って購入。
 ある意味、この内藤商店のあり方にいちばん京都らしさを感じた。
 小商いの仕方とか職人さんのあり方とか、実に実にいろんなことを考えさせられたので、そのことに関しては、別枠で書いてみたいと思っている。

 さて、いよいよ京都旅行も終わりに近づいてきた。
 長い柄のほうきを握りしめたまま、錦市場へ向かい、あまりの活気に圧倒されながら、迷路のような市場を見て歩く。
 住んでいたらあれこれ試してみたいお惣菜がたくさん並んでいた。
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 お惣菜はさすがに新幹線で持ち帰れないなあとあきらめ、パックのしば漬けだけ購入。
 連れ合いおすすめの蕎麦屋でところてんの黒蜜がけをおやつに食べ、そして、ついに京都旅行は終わり。
 京都駅で連れ合いと別れ、連れ合いは三重へ、私はうっすらと被爆した東京へ戻りましたとさ。

 どこも美味しかったなあ。美しい!とか、美味しい!ばかり、書き連ねてしまったけれど、本当なのだから仕方ない。
 
9784163707006_3  今回は、『京都てくてくはんなり散歩』(伊藤まさこ著/文藝春秋)という本を参考にしたけれど、伊藤まさこさんのおすすめスポットは確かになかなかよかった。センスよいです。
 ただし、この本の地図はちょっとわかりにくいので、地図に関してはもうちょっと実用的なガイドブックを参考にした方がよいかも。

 

 京都は味わい深い。
 すっかり虜にされた感あり、また行きたいです。

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2011年8月28日 (日)

2.京都旅行----5月4日

 京都旅行っていつの話?!という感じですが……爆発的忙しさが小爆発くらいになったのに、全然書けませんでした。
 ブログも習慣というか、書く習慣が途切れると、ほんっと書かなくなるものですねえ。
 今さら感いっぱいですが、なんとなく落ち着かないので----このままいくと年を越しそうなので----備忘録的に記しておきます。
 ううーむ、ほんと今さらですが、興味のある方は読んでいただけると幸いです。

 さて、2日目は自然を散策しようということで、パワースポットの鞍馬山&鞍馬寺へ。
 鞍馬寺は、牛若丸(源義経)伝承説話の地、天狗伝説で有名。
 まずは、路面電車みたいに小さくて可愛い叡山電車鞍馬線で終点の鞍馬まで。
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 鞍馬に近づくにつれ、車窓は緑でいっぱいになり、わくわくしてくる。
 さて、お昼のことは何も考えていなかったのだけれど、鞍馬駅に着いたら、パン屋さんの販売車が出ていて、いろいろ売っていて賑わっていた。
 一目見るなり、これは美味しいに違いないと感じた(パンは見た目で美味しさがわかる!)。
 ホットドッグ、バケットのフレンチトースト、シュークリームなどを買って、その場ですぐに食べた。それがまた、観光地だから適当に売れば何でも売れるし、といったものではなく、本当に美味しかったので、そういうレベルの高さは京都ならではだなと思った(しかし、このパン屋さんの店名は忘れた……)。
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 階段を少し上がって、ケーブルカーに乗って、鞍馬山の途中まで登ることにした。






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 ケーブルカーから鞍馬山の景色を眺める。→








 
 
 そして、前回にもUpしたけれど、鞍馬山のパワースポットと呼ばれる鞍馬金堂前にある六芒星へ。並んで、ひとりずつここに立って、手を合わせる。

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 鞍馬は、ここだけでなく、鞍馬山全体が自然のエネルギーに満ちた場所という感じがした。
 そこから徒歩で下山。いろいろなコースがあって迷ったが、由岐神社という古い神社を見て行くことにした。
Img_2206  巨大なご神木。写真だとスケール感が今ひとつ出ないけれど、天を貫くような高さで、見事だった。
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 神社の階段から見上げると、ちょうどご神木がこんなふうに門の真ん中に見える。というか、この木を崇めるために由岐神社が建てられたことがわかる。
 私たちは逆から来たので、後でこの風景に気づいたのだけれど、由岐神社目指して登っていくコースを選べば、こうしてまず門の向こうに巨木が見え、少しずつ近づき、その脇の階段を上がり、神社へ……という素晴らしい道程になるのだ。
 由岐神社は、桃山建築の割拝殿形式で重要文化財。
 ひなびた感じの味わい深い神社だった。

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 鞍馬の自然を堪能し、夜は街へ。
 この日も先斗町で晩ご飯を食べることにする。
 お店がたくさんあるので、あれこれ迷いに迷って、結構どこも混んでるし、うーん、どうしようという時に、ふとメニューにあった「新生姜とコーンのかき揚げ」というのが目に留まり、妙にこれを食べたい!という気がして、入ってみると、たまたま席が空いていた。
 京町家すいしん というお店で、ここが大当たり!
 外観はよくあるタイプの古い町家を居酒屋にしたお店なのだけれど、頼んだ料理がどれもこれも素晴らしく、はずれなし。
 京野菜のスティック、新生姜とコーンのかき揚げ、穴子の天ぷら、湯豆腐(豆乳の湯豆腐)、鮎の塩焼き、〆は鯛釜飯!(もっと頼んだ気もするけれど、さすがに3か月以上経つと、忘れるなあ……)
Img_2233  水槽に鮎が泳いでいて、連れ合いと「あ、さっきの鮎かな」と言っていると、目の前の板前さんが「琵琶湖の鮎は、大きくならないんですよ」と教えてくれた。
「この鮎、小さいね」と、食べながら私たちが言っていたのをしっかり聞かれていたらしい……!
 私たちはちょうど板前さんが立ち働くカウンター席で、この板前さんがさっぱりした感じの男前で、動きが小気味よく、寡黙なのだけれど、何か聞くとちゃんと丁寧に答えてくれる。
 そして、これだけのクオリティの高さにも関わらず、値段はお手頃で、今度京都に来る時も絶対またここにしよう!と言い合う(前の晩の川床のお店より安いのに味はこちらの方が勝っていたと思う)。
 京野菜に琵琶湖の鮎……味がいいのはもちろんだけれど、とりあえず放射能のことを心配しなくてよさそうな食材であることが、この時期の私には何かとてもありがたい気がした。
 決して老舗の名店というわけではなく、チェーン店(後でHPを見て知った)なのにこれだけのものが出せるのは、やはり京都だなと思う(東京では考えられない)。
 京都へ行かれる方、自信をもっておすすめします! 

 2日目も充実の1日、鞍馬の自然に触れ、お昼のパンも夜の先斗町すいしんさんも美味しくて、幸せだった。
 京都は奥深い!(また続く)

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2011年6月12日 (日)

鞍馬寺金堂のパワースポット

 京都旅行記を引き続き書きたかったのだけれど、爆発的に(?!)忙しくなり、しばらく更新できそうありません。
 鞍馬山のてっぺんにある鞍馬寺金堂のパワースポットの写真だけ載せますので、ご覧ください。

 この「六芒星」の中心がパワースポットなのだそうです。
 ここに立って「福島原発が静まりますように」と、お祈りしてきました。

 写真を通して、皆さまにも鞍馬山のパワーが少しでも降り注ぎますように!

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 土日に休日出勤するわけではないのですが、自宅で資料読み……。
 落ち着いたら、また京都旅行の続きを書きます。

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