サラの鍵
『サラの鍵』ーーまずは原作のことから(タチアナ・ド・ロネ著 高見浩訳/新潮クレストブック、表紙はデンマークのハンマースホイの絵が使われていて、この少し暗い、歪んだ不思議な空間のイメージがぴったり)。
舞台は、1942年のナチス占領下のパリから始まる。
ナチスではなく、フランス警察によってユダヤ人1万3千人余が一斉に検挙され、“ヴェルディヴ”(屋内競技場の略称)へ押し込められ、食事も与えられず、トイレも使わせてもらえず、6日間留め置かれ、そこからほぼ全員がアウシュヴィッツへ。
という歴史的な事実に基づき、物語は展開していく。
その1万3千人余の中のひとりであった少女、サラ・スタジンスキが主人公。
彼女は自宅で家族とともに検挙された時、小さな弟を咄嗟に納戸に隠し、鍵をかけ、決して出ないようにと言い渡したのだった。
舞台は変わって、現代の2000年代のパリ。
そのかつての“ヴェルディヴ”事件を追うのが、アメリカ出身のジャーナリスト、ジュリア。
サラとジュリアの物語が交互に描かれていく。
さて、サラはその後、両親と引き離される。
収容所への収監にあたって母親と子が引き離されるシーン……実際に子どもがいてもいなくても、ここはどんな人が観ても胸が引き裂かれる思いがするはず。これはフィクションではなく、現実にあったことなのだと思うと、なおさらだ。
それでもサラは 弟を迎えに行かなければという思いだけで、他の少女と収容所を脱出しーー脱走後、陽光のなか草原を走るシーンだけが唯一の開放感のあるシーンーー親切な田舎の家の老夫婦に助けられる。
そして、ようやくパリへ向かい、納戸の弟を確認しに行くのだが、果たして弟は……。
ジュリアの方は、この歴史上の事件を追ううち、フランス人の自分の夫の家族とユダヤ人との関わりから、ある秘密を知ることになる……。
どうです、先を知りたくなりませんか!
今までは、結構ネタバレありで書いてきましたが、この小説はぜひ読んでほしいので、今回はネタバレなしにします。
なので、全貌は書けないのだけれど、現代に生きるジュリアとサラの人生が交互に出てきて、交錯し、最後、見事に重なっていくのがこの小説の醍醐味。
たぶん、サラの視点のみの小説だったら、そういう悲しいことがあった……というだけで終わってしまうだろう。
でも、この小説は、読み手の私たちが同時代に生きるジュリアに感情移入することによって、サラの存在をより身近に感じることができる仕掛けになっていてる。
ジュリアが40代半ばにさしかかる年齢なのも、自分とぴったり重ね合わせることができて、とても共感できた。
決して若くはないが、年老いてもいない、が、夫との関係は微妙……そんなジュリアを著者のタチアナ・ド・ロネはこんなふうに描写する(上手いです)。
ーーーー上がってゆく途中、鏡に映った自分の顔にちらっと目がいった。苦しげに呻いているエレベーターに劣らず年代ものに見えた。いったい、ボストン出身の、あの若々しい顔立ちの美女はどこに消えてしまったのだろう? 鏡の中で私を見返した女は、四十五から五十にまたがるあの恐ろしい年配で、迫りくる皺とたるみに逆らうこともできず、更年期のひそやかな訪れをなす術もなく待ち構えているようだった。
社会的な出来事(や歴史)と個人は、決して無関係ではいられない。
自分では無関係なつもりでいても、しっかり社会の中に位置づけられていて、無縁な人はひとりもいない。
ただ、平和だとそのことをいちいち考えないで済むのかもしれない。
最近まで、日本はちょっとそういう感じだったかもしれない。
しかし、311後の原発事故後、そうではないことをいやという程思い知らされることになったが。
また、私は小学生の頃に読んだ『アンネの日記』から始まって、浴びるほどアウシュヴィッツやホロコーストものを読んだり観たりしてたきので、もうさすがにいいな……という気がしていたのだが、『サラの鍵』は今までの作品と一線を画すと思った。
それは前述のとおり、ジュリアという現代に生きる女性の視点がある点が大きい。
ラストは、サラに関しては安易なハッピーエンドは用意されておらず、胸が痛んだ。
きっとこういう人生を辿った人は、現実に大勢いたのだろう。
ユダヤ人虐殺から無事生き延びたとしても、生き延びた故の罪の意識のようなものからは自由になれない悲しみ。
そして、知らず知らずのうちに「加害者」的な立場になった当時のフランス人(サラの夫の家族たちーーあ、ちょいネタバレですが)もまた、その罪の意識を一生背負ってしまう。
彼らもまた被害者と言えるのかもしれない。
そういった、善悪をはっきり分けることのできない、人々を引き裂く戦争というもののやりきれなさが本当によく描かれているのだ。
フランスは、「ナチスに抵抗したレジスタンス」というイメージが強いが、こういう負の歴史が密かにあったことはショッキングでもある(1995年、シラク大統領がこの事件に関して国家として正式に謝罪したそうだ)。
映画の方も、作品の雰囲気をそこなわず、キャストもイメージどおりでよかった。
特にサラの少女時代を演じた女の子は迫真の演技。
ジュリア役のクリスティン・スコット・トーマスも大人の女性の魅力が存分に活かされていて、よかった。
ただし、現代を生きるジュリアと夫とのすれ違い、アメリカ人とフランス人の微妙な関係性などは、映画では時間の関係で省略されているので、ぜひ原作を!
フランス人の夫、小粋でセクシーないかにもなフランス男という設定なのだけれど、映画ではちょっとしょぼい俳優だった……。
で、いい男だったはずなのに、だんだん厭味度が増してくると思いきや、ちゃっかりフランス人の愛人がいたりするという設定も原作にあるのだが、映画では省かれていた。そこがあるから、ジュリアのラストのシーンもより一層生きるのだ。
それでも映画は映画で、なかなか素晴らしい出来映えで、原作を先に読んでいてストーリーを知っているにも関わらず、やはり何度も泣いてしまった。
サラからジュリアへーーーー生きる時代も国も違い、現実の人生では出会うことのなかったふたり(ここもネタバレ!?)が、しっかりと結びつくラストは、重く悲しみを伴いつつも、光が見え、感動的だ。今思い出しても泣きそうになる。
こういう重みのある作品こそ、今の日本を生きる私にも力を与えてくれるのだと思った。
原作者のタチアナ・ド・ロネは1961年パリ生まれ。フランスとイギリスとロシアの血を引くそうで、今後の作品も翻訳されることを切に願う。
サラの鍵 はまだ上映中です。














































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